ローアルの告白
――ローアル・スクリムは侯爵家の次男として生まれた。
スクリム家は代々優秀な騎士を輩出する名家で、ローアルも例に漏れず、2歳の頃から剣を習い始めた。
そして、姉や兄と同じように6歳で騎士育成学校へ入学した。
「小さい頃から、『難しい』と感じたことがありませんでした。やれば大抵のことはそれなりにできたので」
そう言うローアルだが、表情は苦いものだった。
と言うのも、神童と騒がれていたローアル少年は、当時かなり生意気だったそうだ。
ヘルと出会ったのは、そんな生意気盛り真っ只中の9歳頃。
何故かヘルに気に入られてしまったローアル少年は、よく魔陣の実験やら魔術薬の研究やらに付き合わされたと言う。
「それで12歳の時、いつものように実験に巻き込まれて、魔陣で知らない場所に飛ばされてしまったんです」
――――そこはひどく寒い場所だった。
見たことのない建造物が立ち並び、見たことのない乗り物がすごい速さで走っている。
高度な技術と、異国情緒溢れる風貌の人々。
ローアルが魔陣で飛んだ先は、地球と呼ばれる星の、日本と言う国だった。
「なぜか人々は私の姿を認識できないようでした。一人の、女の子を除いては」
寒さで凍えていたローアル少年に、その少女は毛布と食べ物を分けてくれたらしい。
しかし、その少女はどう見ても自分よりさらに薄着で痩せこけていたと言う。
「自身を顧みずに人を助けようとする彼女の姿は、何もかも恵まれた環境で奢っていた当時の私に、大きな衝撃を与えたんです」
ローアルは帰り方が分からず、数日間その世界に留まっていたと言う。
そしてその間、彼女の家でお世話になったようだ。
しかし、別れは突然訪れた。来た時と同じように、気付いたらヘルの家の中に佇んでいたらしい。
「この世界では神童などと担ぎ上げられた私ですが、異界では何も持たないただのガキでした。そんな私に、彼女は毛布を、食事を、居場所を与えてくれた。私は自分が恥ずかしくなりました。そして、この恩は必ず返すと、そう固く決意して――、しかしそれは果たせなかった。どれほど悔いたかわかりません。私はヘルに頼んで、再度あの世界に飛べる方法を探してもらい、その間、富と力を得ることに専念しました」
ローアル少年の努力はすぐに実った。
元々神童と謳われる子供だった。素質は十分にあるどころか、やれば何でもこなせる要領の良さに、本人の努力が合わされば結果は自ずと見えてくる。
歴代最年少の16歳で騎士の地位を得た彼は、着々と業績を重ねてその階位を上げて行った。
「そうしている内に、さらに2年が経って、18の時、ついにその時が訪れました」
そこまで語った後、言葉に詰まるように喉を鳴らしたローアル。
何かを思い出すように、一瞬苦しそうに目を閉じて、そして再び開いた時には、いつもの優しい微笑に戻っていた。
「ヘルが、向こうの世界へ再び飛べる方法を見つけてくれたのです。私は再び日本へ飛びました。丁度、前に降りたところと一緒の場所でした」
日本の地に再びやって来たローアルは、少女の所へと記憶を頼りに走り出した。
しかし、彼女の家のドアを開けた先に見えた光景は、予想と違うものだった。
「……私は、彼女を守りたかった。でも、できませんでした。初めて会った時も、二度目に会った時も、私は何もできなかった」
血の滲むような声だった。
当時のことを思い出しているのか、ローアルは怒っているような、泣きそうな、悄然とした様子で言葉を続ける。
「その転移は今度は数時間も保ちませんでした。結局私は、何もできないまま、またこちらに戻ってきてしまった……」
ギュッと、ローアルの手に力がこもる。
「私は諦められませんでした。ヘルを巻き込んで再び日本に飛ぶ方法や、逆に日本からこちらへ戻ってくる時に調整する方法を探してもらいましたが、ついに見つかることはありませんでした」
こちらに戻って来たローアルは、それからヘルの研究結果だけを生きがいに、ただ闇雲に突き進んだ。
もし、再び日本へ行けたら、彼女をこちらの世界に連れて来よう。そして今度こそあの時の恩を返し、そして今度は自分が彼女を助けたい。
夢のような、そんな非現実的な希望だけを見つめて、生活全てをその夢に結び付けて、信じることしかできない自分に絶望しては、それでも諦められなくて――――。
「炎毒竜の討伐も、ただの褒賞目当てでした。その結果、あれだけ騒がれて英雄などと呼ばれるようになり、面倒な地位に昇進してしまったのは誤算でしたが、おかげで多額の賞金と、国王に借りを作れたのは大きかった」
いつか、彼女がこの世界に来たら、今の自分の地位は邪魔になるかもしれない。
彼女の傍にいるのに障害となるものは、例えそれが高貴な身分であろうと、誰もが憧れる職業であろうと、ローアルにとっては価値のないものだった。
「ある日、精霊が妙に騒いでいることにムゥが気付きました。異物がこの世界に紛れ込んだと」
ふと、ローアルがこちらを見る。
その強い視線に、アキヨは無意識に唾を飲みこむ。
「ムゥの調査で、それがどうやら異界の人間らしいと気付き、私とヘルはまさかと思いながらその人物の調査を始めました。しかし、精霊は気紛れで、なぜか彼女を隠すように情報を攪乱させ、探し出すのに2年もかかってしまった」
「……」
ドクンと胸が鳴る。
そんなことないのに、あるわけないのに、ローアルの強い視線に、絡め捕られて動けない。
「その少女はひどい扱いを受け、挙句におぞましい実験を繰り返していた研究所で瀕死の状態で発見されました。その少女は、紛れもなく、私がずっと会いたかった人――……アキヨ」
手が震える。
何故か分からないけど逃げ出したくなった。
「ち、ちが」
「アキヨ、貴女の事ですよ」
咄嗟に出た否定の言葉を遮り、ぎゅっと握り締められる手。
「アキヨが失った記憶の中に、私がいます。でも思い出してほしくなかった。忘れていたなら、そのまま忘れたままでいてくれた方が良いと思って、だから、言えませんでした」
ポツリと、「すみません」と懺悔するローアルに呆然とする。
ずっと不思議だった。何で、ローアルが自分の側にいてくれるのか。
なぜ、ただの小娘の我が儘に付き合って、故郷を捨ててまで付いてきてくれたのか。
その理由を知った今、アキヨはただ、途方に暮れるしかなかった。
「おぼえてない」
ポツリと、こぼれた言葉は無意識に出たものだった。
そのまま考えるより先に、ポロポロと言葉が零れ落ちる。
「恩返しなんて、十分返してもらったから、もういいよ」
何だか無性に、泣きたくなった。
「もう、私に縛られる必要、ないんだよ」
言葉にして自覚する。さっき逃げたくなった理由。
そうか、私は。私のせいでローアルが未来を失う事。それが、嫌だったんだ。
ずっと。焦りに似た思い、ずっとずっと感じてた。
「もう好きに生きて良いんだよ」
だから、ここでお別れしよう。
そう続けようとした、その時だった。
視界が回って、気付けば天井を向いてベッドに倒れていた。
覆いかぶさるようにこちらを見降ろすローアルを、唖然と見上げる。
「違うっ!!」
今までで一番大きな声で、叫ぶように言ったローアルが、髪を振り乱しながら、痛いほどにアキヨの肩を掴んでベッドに押し付ける。
「義務じゃないっ!縛られてなんかいない。むしろ縛っているのは、俺なんだ」
初めて見る、苦しそうに歪められたその表情に、目を見開く。
「アキヨに出会った時、生まれて初めて人に羨望したっ。初めて、自分が恥ずかしいと思った!初めて、人を守りたいと思った。初めて、絶望した……」
雨のように涙を降らし、叫ぶように告白するローアルを、アキヨはただ見上げることしかできなかった。
「恩返しなんて、ただの言い訳だ。それしかアキヨと繋がっていられる理由がなかったから。自分に言い聞かせるように、この執着に正統な理由を付けただけなんだ。俺のこの気持ちは、そんな綺麗なもんじゃない。醜くて、浅ましくて、自分本位な想いだから、それっぽい言葉で覆い隠してただけで」
支離滅裂に叫ぶローアルは、まるで幼い子供のようだった。
「――……って、るんだ」
パタタと涙が降る。
「愛してるっ。ただ、愛してるんだっ。アキヨのことを。どうしよもなく……――っ」
崩れ落ちるようにアキヨの肩に顔を埋めたローアルが、子供のように泣きながら掠れた声で呟く。
「だからっ、お願いだから!!離れようとしないでくれっ」
泣きじゃくるローアルを、アキヨはただ呆然と見つめた。
それから、ローアルは堰を切るように、しゃくり上げながら言葉を並べ立てた。
出会った頃には純粋な憧れだったこと。
会えない間にその思いが膨らみ続けて、いつの間にか恋情に変わっていたこと。
それでも、再びこの世界でアキヨに会えた時は傍にいられるだけで良いと思っていたこと。
でも、旅を続けている内に、いつかアキヨが自分を頼ることなくどこかへ飛び立ってしまうのではないかと思い始めたこと。
同時に、どうしようもないドロドロとした執着心が芽生えたこと。
そしてそれらを自覚したのがつい最近であること。
アキヨに婚約者がいたことも、求婚する輩が現れたことにも、感情が追い付かなくて、魔導師を庇うアキヨの姿に自己本位な憤りを覚えたこと。
その勢いに任せて、アキヨにその怒りをぶつけてしまったこと。
「これでアキヨに嫌われたら、死のうと思った。でも、アキヨが初めて会ったあの時みたいに、大丈夫って声をかけてくれて、自信の愚かさにやっと気づいた」
ひたすら、懺悔のように綴られる言葉をしばらくじっと聞いていたアキヨは、そっとローアルの肩に手を置く。
「っ」
何かを恐れるようにビクリと震えるローアル。
涙に濡れた瞳が、不安そうにこちらを見つめる。
今までのアキヨなら、何に怯えているのだろうと首を傾げていただろう。でも、今なら分かる。
彼は、恐らくアキヨに見限られることを恐れているのだ。
そのことを自信をもって言える自分に、何だかひどく落ち着かなくて、でもホッとするような、ずっと感じていたモヤモヤが晴れていくような、そんな気分になった。
「ローアル。私、ずっと不思議だった」
肩に置いていた手を、彼の頬に添える。
放心したようにぼうっとこちらを見つめるローアルに、今度は自分の番だと息を吸い込む。
「ローアルは色んな所で英雄だって呼ばれてた。色んな人の憧れの的で、強くて、優しくて、地位も名誉もあったのに、全てを置いて、たまたま助けた赤の他人であるはずの私に、何で付いてきてくれるんだろう、って」
ケダトイナで、初めて自分の意思で抱いた願望。「知りたい」と言う気持ち。
その気持ちを大事にしてきたつもりだった。
でもなぜか、ずっと「知りたい」と思っていたはずの、ローアルの気持ちを聞くことを先延ばしにしてきた。
「私、この国でローアルとお別れしようと思ってた」
「そ、んな……」
さっと青ざめて再び涙で盛り上がる瞳を覗き込むように、もう片方の手で彼の顔を挟む。
「ローアルが優しいから、私を哀れに思って付いてきてくれてるんだと思ってた。それしか、思い付かなかったから。旅の最中、何度も“なんでだろう”って思ってた。でも聞かなかった。聞きたくなかった。私に、優しくしてくれた貴方を、手放したくなかったから」
もし、私が「もういい」って言ったら、彼はやっと解放されるとほっとしたように笑うだろうか。
その想像が、判断を鈍らせた。
もうこれ以上、彼の時間を浪費させてはいけない。
早く解放してあげなければ。そのために、彼の意図を聞かなければ。
そう思いながらも、ここまでダラダラ引っ張って来てしまったのは、他でもなく、アキヨがそれを嫌だと思ったからだ。
「さっきローアルは、離れないでって言ったけど」
重力に耐えられずに、ローアルの頬を流れる涙をそっと拭う。
「私も、ローアルと本当は離れたくない」
正直、彼と出会った時の、日本にいた頃の記憶は未だに思い出せない。ローアルも、そのことを配慮してか、結局当時何があったのかを詳細に語ることはなかった。
でも、納得はできた。彼が私を助けてくれた理由も、今までずっとついて来てくれた理由も。
ただの優しさや同情と言われるより、ずっとずっと納得できる理由だった。
そして同時に気付いたことがある。
自分は、一番大事な言葉を、言ってなかったのだ。
寝転んでいた上体を起こすと、ローアルがそれを阻止するように若干腕に力を籠める。
「ローアル、そこに座って」
ベッドの上、ローアルに自分の足先を指差せば、一瞬逡巡した後、ゆっくりとした動作でその場に座った。しかしその手は相変わらずアキヨの手を掴んでいる。
仕方なく、そのまま自分も正座でローアルに向き合って座ると、少し悩んだ末、手首を掴むローアルの手を、自ら握る。
息を呑んだローアルが、固唾を呑んで見守る中、アキヨは一つ深呼吸をする。
「ローアル、お願いがあります」
「っ」
怯えるように身を引くローアル。
だけど、もう躊躇わない。
「私は、これから先もずっと、ローアルに付いてきて欲しい」
思いが伝わる様に、ギュッとローアルの手を力強く握りしめる。
「ローアルの気持ちを疑うことはもうしない。だからもう二度と、ローアルを解放しようなんて、思うこともしない」
目を見開くローアルを、真っ直ぐに見つめ返す。
「その代わり、ローアルがこの先、私と歩むことが負担に思う日が来たら、その時は躊躇いなく正直に言ってほしい。私は、ローアルといられないことより、ローアルが無理して私と一緒にいる方が、嫌、だから」
これは我が儘だ。人生で初めての我が儘。
緊張で手が震えるが、最後まで言わなければ。
「もしそれでも良ければ、これからも私と一緒に、いてください。お願いします」
ローアルの手を離して、深く頭を下げる。――いわゆる、土下座だ。
しばらく沈黙が続く。
「な、んで……?」
ポツリと、掠れた声が落ちる。
そっと肩に手を置かれて、促されるように上体を上げる。
「幻滅、しただろ。それでも、一緒にいてくれるなんて、信じられない」
ああ、そうか。
ふと腑に落ちた。彼も、自分と同じなのだ。
彼からすれば、なぜアキヨがローアルと共にいてくれるのか、分からないのだ。
「ローアルは、私と出会って、初めての感情を色々貰ったって話してくれたでしょ」
言いながら、頬が緩む。
何だか一気に、ローアルを身近に感じられたからだ。
「私も、同じ。ローアルから色んな感情を貰ったから。私も、ローアルのこと尊敬してるし、恩返ししたいって思ってるし、好き、だから」
アキヨはふわりと微笑んだ。
「私も、ローアルと同じ」
「うん……」
スンと鼻を鳴らす音が響いた。
クシャリと泣き笑いを浮かべて、とても嬉しそうに頷いたローアルは、アキヨをそっと抱き寄せ、その耳元で夢見心地に囁いた。
「一生、傍にいさせて。……貴女を、愛しているから」




