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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
序章 旅立ち
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暗闇



 それから女は、時々顔を出すようになった。


 

「はぁい、調子はいかが?私は相変わらず、傀儡のような部下達に囲まれて、毎日辟易しているわよぉ。ええ、本当に……。あ、そうそう!これあげるわ」


 その日も前触れなく訪れた女は、丸い形状のパンをこちらへ投げ入れた後、椅子に腰かけて溜息を吐いた。


「何か面白いこと、ないかしら」


 背もたれに頭を預け、天井を見上げていると思ったら、急に体を起こしてこちらに視線を向ける女。



「ねえ、何か面白いお話、聞かせてちょうだい」


「……」


「ああ、そうだわ!貴女、お国はどこなの?見た事ない顔立ちよね。ここの出身ではないのでしょう?」


「……日本」


「ニホン?それ国の名前?頭の悪い魚みたいな名前ね。どんな国?」


「――島国」


「ふぅん。……そう言えば貴女、年齢は幾つなの?」


 訊かれて、答えに窮する。この檻の中で、どのくらいの時を過ごしたのか分からなかったからだ。



「ちなみに、貴女がここに来て、1年は過ぎてるわよ」


「いち、ねん」



 1年、か。まさかそんなに経っているとは。



 しかし、そうなると自分の歳は、逆算して凡そ――。


「17」


「ふぅん、17歳ね――……。17?」


 女がこちらを二度見する。


 何故か目を見開き、半開の口を手で抑える。


「やだ。成人していたの?」


「……してない、です」


「してるわよ。この国で女性の成人は齢16だもの」


「……」


「そう、17歳……。本当に貴女には驚かされてばかりだわ。うふふっ、それが面白いのだけれど!」


 笑みを浮かべた女は、炎のような瞳を好奇心で煌めかせる。



「生誕日はいつ?」


「……12月24日」


「あら、過ぎてたのね。貴女の故郷――ニホンではどのように生誕日を祝うの?」


 尋ねられ思い出すのは、幼い頃の微かな記憶。楽しそうに歌う子供達と、笑顔で手を叩く大人たち。



「――ケーキを、食べます」


「ケーキ !ううっ、聞いただけで胸焼けが……」


「……」


「なぜあの物体を食べたいと思うのか、理解できないわ。調合物より余程、食欲を失くす見た目ではなくて?」


「……ちょう、ごう?」


「調合物。貴女が普段ここで口にしている物のことよ」


 最近口にした蛍光ピンクの粉を思い出す。彼女にとって、ピンク色の粉末よりケーキの方が不味そうに見えるらしい。




「あらいけない。もうこんな時間だわ」


 懐中時計を見て、女は椅子から立ち上がる。


「……他人より博識のつもりだったけれど、世界は広いわね。まだ知らない国があるだなんて」


 そう呟く女の表情が一瞬、ひどく悲しそうに歪んだ気がした。



 しかし、次にこちらへ視線を向けた時には、いつもの面白がるような笑みを浮かべており、見間違いかと首を傾げる。



「それではご機嫌よう。少しでも長生きできることを祈っているわ」


 ひらりと手を振って、カツカツと踵を鳴らしながら、女は部屋を出て行った。


 漸く、女が投げ入れたパンを拾い上げる。乾燥し、既に固くなっているそれを小さく千切り、口に含む。




「――いちねん」



 ポツリと落ちた呟きは、誰に聞かれることもなく、ひんやりとした檻の中に溶けて消えた。













 真っ暗な闇の中、目が覚める。


 ここはどこだろう。今まで、どこにいたんだっけ。




 ――――ガタガタッ。




 どこかで音が鳴る。



 一寸先は闇。何も見えない。と、思ったらフワリと目の前に光が現れる。何だろう。フワフワ漂う淡い光だ。


 見つめていると、光の中に何かが浮かび上がる。よく見ようと、顔を近づける。


 どこかの景色が映し出されているようだ。遊具があるから公園だろうか。人気はない。――いや、ブランコに誰か腰かけている。



 あれは……、子供?



 視界が暗くてよく見えない。光の中の映像も、時々砂嵐が混じって、見え辛い。




 ――――ガタガタッ。




 また音が鳴った。何の音だろう。



 いつの間にか、公園に人影がもう一つ増えていた。ベンチに仲良く腰かける、二つの影。


 唐突にぱっと光が消え、一瞬視界が真っ暗になる。しかしすぐにまた淡い光が現れ、ゆらりと揺れた。先程の光と比べると、随分小さい。距離感が掴めないが、かなり遠くにあるのかもしれない。


 光に近づこうと立ち上がったつもりが、平衡感覚が狂って上手くいかない。




 ――――ガタガタッ。




 新しく灯った光の中で、また何かが動いている。光が小さすぎて、よく見えない。


 ――――ガタガタガタッ。


 人、だろうか。暗くて見えない。もう少し近づいてみないと……。


 ――ガタガタガタッザーッ。


 音にノイズが混じる。光が急速に大きくなる。いや、こちらに向かってきているのか。


 ――ガタッザーッ……。




 音が大きくなる。耳が痛い。口を開くが声が出ない。目を見開く。近付いてくる光の中、見えたソレは――……。













 ガタンッ!!



「――っ!!」


 ハッと目を開ける。ぼやける視界に映るのは暗くて冷たい、檻の天井。肌に伝わるのは、金属の硬い感触。


 夢、か。


 息を吐く。最近よく夢を見る。同じ夢だ。そして魘されて起きる。だが、内容はよく覚えていない。


 体を起こそうと力を入れるが、上手くいかない。横目で確認すれば、格子の向こうには無表情で立ち尽くす白衣の男。


 ああ、そうだ。確か、透明な液体を飲んで倒れたのだ。




 ここに来てから1年経つらしいが、それを知ったところでこの日常が変わるわけでもない。相変わらず得体の知れない物体――「調合物」を口に入れる日々。


 最近はそれの反動が大きく、日に日に体が言うことを聞かなくなってきていた。




 バタン、と扉が閉まる音を遠くに聞きながら、ぼんやりと虚空を見つめる。


 ――死ぬ、のかな。


 はっと吐き出した息が熱い。いつからか、視界が常時ぼやけるようになった。音もどこか遠くに聞こえるし、女が時々持ってくる食べ物も、口にはするが消化できずに吐いてしまう事が増えた。




「ご機嫌いかが――。あら、あまり良くはなさそう」


 女の声が聞こえる。入って来たことに気付かなかった。


「息も絶え絶えって感じね。だけどアレを飲んでまだ息があるなんて。貴女には本当に驚かされるわ」


 静かな声音だった。


 女が、格子越しにこちらを見下ろして小さく笑った気配がした。その雰囲気が、何だかいつもと違うように感じて、軋む体を僅かに動かす。


「何の成果も得られない研究に、退屈していたことは確かよ。そんな中現れた貴女はとても異質で、暇潰しに適していたわ」


「……」


「抵抗する者、逃げ出そうとする者、自分で命を絶つ者。そして与えられる毒物に耐えることができずに、死んでいく者……。結局、貴女はそのどれでもなかったわね。本当、何考えているんだか。ただ愚鈍なだけかしら」


「……」


「なかなか楽しかったわ。本当よ?だからこそ、少し残念ではあるけれど」


 腕を組み、檻の格子に寄りかかった女は、真っ赤な紅を引いた口元に三日月を描く。


 その瞳に映るのは、最初に出会った頃から変わらない純粋な好奇心。




「ねえ、ここから出して差し上げましょうか」




 女を見上げる。


 獲物を狙う猫のように細められた、その真っ赤な瞳と目が合った。



 微かに頭を動かす。それは小さな動きだったが、女には伝わったようだ。




「……そう。……そうよね」


 ガシャンッ。


「貴女ならそう答えると、思っていたわ」


 檻の扉を開けた女は、踵の音を甲高く響かせて近づいて来ると、こちらの顔を覗き込んできた。


 記憶している限り、女がこの檻に入って来るのは初めてのことだった。


「ふふっ。この質問、被験体の方全員にしているの」


 しゃがみ込んだ女がこちらに手を伸ばし、目にかかったギトギトの黒髪を払う。


 おかげで視界が開け、女の顔がよく見えた。


「特に意味はないのよ。だって、何と答えようと、結果は同じですもの」


 そう言った女は、紅を歪めて笑った。


「檻からは出してあげる。けれど、この研究所から出ることはできない。被験体も、そして研究者も、ね」


 フワリと、鈍っている嗅覚でも感知できる程の刺激臭が一瞬して、急激に意識が暗転する。




 閉じていく視界の中、炎のように揺れている赤い瞳だけが、やけにくっきりと鮮明に見えた。













「珍しいことも、あるものですね」


 真っ白な壁に覆われた監視室内に、男の平坦な声が響く。


「あら、何のことかしら」


 対する女は、自身の真っ赤な髪に指を絡ませながら微笑む。


「情が移るなど、君らしくもない」


「らしくもない?そんな風に言って頂けるほど、私のことをご存知だったとは思いませんでしたわ」


「何を考えているのです」


 銀縁の眼鏡を押し上げた男は、女の芝居がかった言葉を慣れたように聞き流し、目の前の映像に視線を固定したまま、感情を乗せない声音で問う。


「――面白い質問ですわね。それこそらしくもない。あまりにも愚問すぎて、ふふっ……んふふっ! 何を、考えているのかですって? ふはっあっははッ!!」


 笑い声が段々と大きくなり、白い空間に響き渡る。




 男が、カチャリと眼鏡を押し上げた。


「五月蝿いです」


「……その眼鏡、螺子が緩んでいるのではなくて?」


「同じ事を二度言いたくはありません。無駄な事は嫌いです」


「はいはい、煩いってことね。全く、そういうところ直した方が良いと思うわよ、本当」


 笑みを消し、つまらなそうに溜息を吐いた女は、目の前に映し出された別室で、横たわったままピクリとも動かない被験体の少女を、男と同じように見つめる。


「ここまでする必要、あるのかしら」


「実験を止めろと?」


「そうね、それも楽しそう」



 女が不意に弾んだ声音で、夢見るように囁く。


「ねえ、所長様?もし、ここから出られるとしたら、どこへ行きたい?」




 男は、再度カチャリと眼鏡を押し上げた。


「それこそ、愚問です」


「……本当に、つまらない男ね」


「結構」



 それっきり、女は口を開くことなく、監視室は元の静寂を取り戻したのだった。













 鈍い痛みで意識が戻る。目をゆっくり開く。


 いや、開いたはずだ。




 周りは暗闇だった。いや、真っ黒と言った方が良いかもしれない。


 右も左も、目を開いているのかさえ判別し難いほどの闇。自分が寝転がっているのか、立っているのか座っているのかも分からない。平衡感覚が狂う。


 手を持ち上げてみるが、それを目視することすらできない。闇が重くのしかかって来るようで、息苦しい。空気が薄く感じる。


 ここは部屋の中、なのだろうか。そもそも現実なのか夢を見ているのか、それすら曖昧だ。




 ――カタッ。




 不意に音がした。そちらへ頭を動かすが、やはり何も見えない。どこかで聞いたような音だ。空耳だろうか。




 ――カタッ。




 まただ。耳元と言うより、耳鳴りに近い。頭の中で直接鳴っているように聞こえる。



 トン、と何かが足に当たった。ゆっくりそちらへ視線を遣る。


 いつの間にか、足元に小さな赤い箱が落ちている。暗闇の中、それだけがまるで浮かび上がるように、はっきりと見えた。



 その箱を手に取ろうと腕を浮かした時だった。



 ――カタカタカタッ。


 赤い箱が振動した。中に何か入っているようだ。小刻みに揺れている。


 ――カタカタッガタッ



 何か、おかしい。箱が揺れる度に、大きくなっている気がする。音も段々大きくなって……。


 いや、気のせいではない。いつの間にか、膝の高さまで箱が大きくなっている。さっきまで掌に乗りそうな程、小さかったのに。


 何だろう、嫌な予感がする。



 ――ガタッ、ガタガタッ!



 揺れが激しくなる。気のせいか、足元もグラグラ揺れている気がする。


 箱の大きさも、今では人の背丈程まで巨大化している。



 逃げなければ――。なぜか、そう思った。


 しかし、金縛りにあったように体が動かず、見上げるほど大きくなった箱を、見つめることしかできない。




 ――ガタッ。




 ゆっくり、蓋が開いた。目を見開く。息が、苦しい。


 だめだ、アレ から逃げないと。違う、逃げちゃだめ。何で?あの時アレから逃げたから……。あの時って、――アレって何?




 黒い煙が、箱の中から溢れ出す。煙は周りの闇と同化していく。何かが、箱の中から出てきたのが見えた。


 無意識に後退るが、すぐに壁にぶつかって、それ以上さがれない。周りは真っ黒。


 アレは、アレはどこに――……。




『オネガイ、シンデ』




 耳元で聞こえた呪詛。


 心臓が凍りつく。息が止まる。反射的に耳を抑え、声にならない悲鳴を上げた。


 目を閉じたはずなのに、人影が見える。空洞の目がこちらを見ている。振り上げられたのは、鈍く光る――。






「――っ!!」


 ハッと目を開ける。息が荒い。夢……?


 いや、違う。だって、相変わらず闇しか見えない。



 ――ガタガタッ。



 喉がヒュッと鳴った。箱の揺れる音が聞こえる。立ち上がろうとするが、力が入らず床を這う。


 ――ガタガタッガタッ!


 嫌だ。嫌だいやだイヤダ! 必死に手を伸ばした先、指に硬い何かが触れた。壁だ。


 ――ガタガタッ!!




「だ、して」




 壁を叩く。音が近付いて来る。


「こ、こか、ら……、だし、てっ!」


 喉が痛い。口の中に血の味が広がる。


「おねがっ……ゴホッ……だし、てっ!」


 声の限りに叫ぶ。早くしないと、アレがまた、来てしまう。――アレって何?


 壁を引っ掻く。 手の感覚は既にない。叫ぶ。掠れてほとんど言葉にならない。


「ゴホッはあっ……ゲホッ……っ」


 いやだ。お願い。音が止まない。誰か。


「はぁっ……はぁ…………っけ、て」




『アノトキ、シネバヨカッタノニ』




「ぁ……い、いやだっ……いやぁっ!!」


 嗚呼、コワレル。


「た、すけて……っ!!」






 唐突だった。


 光が弾けるように、辺りが明るくなり、視界が潰れる。



 ガクンッと力の抜けた身体が、支えを失い倒れていく。しかし床にぶつかる寸前、誰かに抱え起こされた。




 見上げた先には、淡い金色と、冬の夜空。


 そして、糸が切れたように意識が落ちた。



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