中道の魔導師
そこはまるで屋外のような空間だった。
一番近い表現で言うならば、温室だ。
自由に伸び育った草花が咲き乱れ、チョロチョロと水路を水が流れている。
床はフローリングで、壁は一面、透明な膜のようなもので覆われており、外の景色をそのまま見渡せる。
その壁沿いに背の高い本棚がずらりと並んでおり、まるで空中に棚が浮いているように見えた。
部屋の隅には、唯一生活感の感じるクッション――熊や兎の形をした可愛らしいクッションだ――の山が積み上がっていて、魔導師がそこに埋もれるようにボスンと沈む。
「またそうやってすぐ横になって……。最後に物を食べたのはいつ?」
「――さっき」
「そう答える時は数日何も食べてない時だよね」
溜息混じりにそう言って、ダンがこちらを申し訳なさそうに見遣る。
「ごめん、ちょっと何か作ってくるよ。ここで待っててくれる?」
急いで部屋を出て行くダンを見送り、日にあたって明るい色合いに輝く庭のような部屋を眺める。
そして、その中に咲く一つの花に目を止めたアキヨは、思わず声が漏れた。
「あ、ツバキ」
アキヨの目線の先を見つめ、ローアルがハッと息を呑んだ。
「……君、その花の名前を知ってるの」
声がして後ろを振り向けば、さっきより若干目を見開いてこちらを見つめる魔導師と目が合った。
体勢は相変わらずクッションに埋もれたまま、顔だけこちらに向けている。
「――うん。私の」
ぼんやりツバキを見つめ、口にしかけた言葉が途中で止まる。
「私の?」
「……わ、すれた」
口が勝手に動くような感覚だった。
何か、言おうとしたのに。何て言おうとしたのか、自分でも分からなかった。
そして、お互い鏡のように首を傾げる二人を、何やら思い詰めた表情でローアルが見つめていることに、アキヨは気づかなかった。
「君は、魔物なの?」
「……どうして」
聞きながら、そう言えば研究所に行く途中にも、眼鏡の男にそんなことを聞かれたなと思い出す。
「この部屋にある植物は全て異界から引っ張ってきたものだから」
「!」
「君、異界から来たの?」
髪の隙間から見える琥珀色の瞳が、じっとこちらを見つめる。何を考えているのか分からない目だ。
アキヨが異なる世界から来たと探り当てられたのは初めてで、驚きで一瞬言葉に詰まったが、よく考えれば隠すほどのことでもない。
少し迷った後、コクンと頷いたアキヨに、一瞬の間を置いて、唐突に魔導師が跳ね起きた。
「!?」
ナマケモノのような動きで緩慢に動いていた者の、突然の激しい動きに肩を跳ねあがらせたアキヨに構うことなく、そのままの勢いで、魔導師がズカズカとこちらに近付いて来る。
さり気無くローアルがアキヨの前に立ってくれたが、それも気にせず目の前まで来た魔導師が真っ直ぐアキヨだけを見つめて言い放った。
「結婚しよう」
「は?」
低い声が出た。
アキヨではない。ローアルの声だ。
「僕、人間は嫌いだけど魔獣や動物は好きなんだ。前から、人間みたいな魔獣がいたらなって思っていたんだけど、まさか出会えるなんて思ってなかった。結婚しよ」
「近寄るな。それ以上踏み込んだら切る」
唸るような声で明らかな怒気を放つローアルを、今気づいたとばかりにユルリと見上げ、すっと目を眇める魔導師。
「何、あんた。僕はこの子と喋ってるんだけど」
「アキヨ、相手にする必要ありません」
「ねえ、何であんたがその子のやる事決めてんの?」
一気に機嫌が悪そうな苛々とした声になった魔導師が、冷たくローアルを見る。
「君も、こいつにばっか喋らせてないで、答えてよ」
こちらに向いた魔導師の視線に、はっと息を呑み我に返る。
「……えと、結婚、したいの?」
「うん。僕は家族を持つのが夢だから。そしてそれを叶えられるのは君しかいない」
「私、しか……?」
異界から来たと言う事は、魔獣である。この世界の人にとって、それが常識なのだろう。
だから、魔導師はアキヨを魔獣に近い存在だと思った。少なくとも、魔獣が封じられているという異界から来たのだと思っているのだ。
正確にはもちろん違うが、彼にとって大事なのはきっと、“この世界の人間ではない事”なのだ。
理由は分からないが、極度の人間嫌いなのだろう。しかし、結婚願望はある。そこに現れたのがアキヨ。
アキヨはぐっと手を握り締める。今まで、求められたことに「否」と答えた事はない。自分にできる事なら、全て応えて来た。こんな自分にも存在意義があるのだと、証明するために。
だけど――……。
迷いながらも口を開いたアキヨだったが、結局声は出なかった。
なぜなら、その口を大きな手で塞がれたからだ。
「……?」
キョトンとその手の先を辿る。
そこには、迷子の子供のような表情で、途方に暮れたようにこちらを見つめるローアルがいた。
「ほーあう?」
「……い、……だ」
「へ?」
ボソリと、呆然とした表情のままのローアルが何か呟く。
聞こえなくて首を傾げたアキヨの背後で、ドアの開く音がした。
「お待たせー。ダン特製ヒュッツポットだよ~……って、何この空気?」
気の抜けたダンの声に、興がそがれたとばかりに肩を竦めて、またノロノロとクッションへ戻って行った魔導師と、アキヨの口を塞いだまま突っ立っているローアルを交互に見つめたダンが、首を傾げて不思議そうに尋ねる。
「えっと、中道君とは仲良くなれたのかな?」
彼の言葉になんて答えれば良いのか分からず、曖昧に頷いて、相変わらず固まっているローアルを見上げる。
そっと手を掴めば、意外とすんなり手を退けてくれた。
「うーんと、とりあえず、お昼にする?」
「……はい」
魔導師分の食事はクッション横に置いて、三人は部屋を後にした。
ダン曰く、食堂まで歩かせるのは魔導師には酷らしい。
食堂へ移動しながら、ダンがこちらにこそっと聞く。
「それで、何があったの」
「……魔導士さんに、結婚を、申し込まれて」
「えっ!?」
カッと目を見開いてこちらを凝視し、大仰に身を仰け反らせたダンが、何故かチラリとローアルの方を見て、数度頷いてから溜息をついた。
「それは、ごめんね。まさか彼がそんなことを言いだすなんて、思わなくて……。僕が思っていた以上にアキヨちゃんの事を気に入ったんだねえ……」
「家族が欲しいって、言ってた」
「家族、そうか……、彼はまだ気にしていたんだね、母親のこと」
「母、親……?」
なぜかドクンと、心臓が跳ね上がった。
こちらの様子に気付くことなく、ダンが遠くを見つめて寂しげに笑う。
「彼は母親に捨てられたんだ。幼いながらも記憶はあったんだろうな……。彼の母親は所謂娼婦でね、父親は誰かも分からない。生まれつき膨大な魔力を持っていた中道君は、貴族が戯れに手を出した娼婦から生まれた子供だって囁かれて、同年代の子にはイジメられ、周りの大人から向けられる視線も冷たかった……。そんな周りからの迫害に耐えられなかったんだろうね。中道君の母親は彼を手放すことを決めた」
ふとその日を思い出すように空中を見つめて、ダンが言葉を紡ぐ。
「あの日は寒い日だったな。イセレイに珍しく雪が降っていたからよく覚えているよ。イセレイとルテニボンの国境の川があっただろ?その岸辺に彼が倒れていたんだ。ボロボロで、傷だらけだったよ。僕が見つけなかったら死んでたかもしれない。急いで彼を手当をして、その時も酷く暴れて大変だった――って、あ、アキヨちゃん!?」
「?」
突然ぎょっとこちらを見たダンが、わたわたと手を振る。
「な、何で泣いてるの!?」
「え」
ふと、頬に手を当てる。濡れてる。その時初めて、自分が泣いていることに気付いた。
「っアキヨ、大丈夫ですか!?」
後ろを歩いていたローアルが、ハッとしたように目の前に回り込んで膝をつく。
その様子をぼんやりと眺めながら、ギュッと胸を押さえる。
「分からない」
呼吸が上がる。自覚した途端、涙腺が崩壊したように次から次に涙が溢れた。
「分からない、けど、痛い」
「え、ど、どこがですか!?」
険しい顔でアキヨの体をザッと見るローアルに、首を横に振る。
涙がパッと散った。
「心が、痛い」
ハッとしたように目を見開いて、サッと血の気をひかせるローアルに、ダンが心配そうに声をかける。
「どうしたの?何か病気?」
「――いえ」
短く答えて、フワリとアキヨを抱き上げたローアルは、安心させるようにアキヨの背を撫でる。
その感覚に徐々に我に返り、なぜ自分がこんなに取り乱したのか分からずに呆然とする。
「だ、大丈夫かい?」
「う、うん。ごめんなさい」
慌てて頬を拭い、ローアルを見上げる。
「ローアルも、ありがとう。もう大丈夫」
「食堂まではこのまま行きましょう」
ニコリと有無を言わせぬ笑みを向けられ、アキヨは抵抗する気もなく、まだぼんやりとする頭を振り、コクンと頷いた。
食堂に辿り着いたアキヨ達の前に差し出されたのは、ウインナーが添えられたポテトサラダのような食べ物だった。
「これが、ヒュッツポット?」
「うん、そうだよ~。イセレイの伝統料理なんだ」
どうぞ、と勧められてスプーンで一口食べる。途端にふわりと色んな野菜の風味が鼻を抜ける。
がっつりとした味付けが好きな人には物足りないかもしれないが、塩味が聞いた素材の味が活かされたさっぱりした味付けが、アキヨの口には合った。
「おいしいっ」
「ほんと?嬉しいなあ。ルテニボンの人には不評だったから、口に合ったみたいで良かったよ」
どうやらルテニボンへ行った際に振舞ったことがあるようだ。
ルテニボンの国民は濃い味付けを好むらしい。確かに向こうで薄味の物を食べた記憶が無い。
「この後なんだけど、イセレイをもう少し見て回るかい?」
聞かれ、少し考えて頷く。折角なら美しいと言われる妖精の国を見て回りたい。
「その、中道君と仲良くして何て言ったけど、無理にってわけじゃないからね。もちろん、君が良いと言うなら、もう少し彼と話してみてもらえると嬉しいけど……」
ダンの言葉に、アキヨは俯く。そして空になった皿の表面に映る、自分の姿をしばらく見つめた後、然程迷うことなく頷いた。
「帰る前に彼と話したい」
「本当かい!ああ、あの子も喜ぶよ」
嬉しそうに微笑むダンを、アキヨはじっと見つめた。
先程の温室のような部屋に入ると、相変わらずクッションに埋もれた彼がいた。
ちなみにダンは仕事があるからと申し訳なさそうに去って行った。
「中道、さんに聞きたいことがあって」
「?」
のそりと、声に反応した魔導師が若干頭を上げる。髪の毛が目にかかってその奥は見えないが、こちらを認識してはいるようだ。
「家族を持ちたいって言ってた。あなたの、理想の家族って何?」
しばらくこちらをじっと見つめた魔導師は、またボスンとクッションに埋もれた。
そしてそのままの体勢で、魔導師は応えた。
「僕を必要としてくれる人と、その子供なら愛せると思うんだ」
ポツン、と水面に落ちるような静かな声だった。
「無条件に愛してくれる人達が家族だろ?裏切られるのも、僕の力だけを求められるのも、もう飽き飽きなんだ。僕自身を認めてくれる、僕が生きている意味を与えてくれる、そんな存在が家族なんだって僕は思うんだ」
カツン、と靴音が響く。
木の張られた床を鳴らしながら、アキヨはクッションの山にゆっくり近づき、彼の側にそっと膝をつく。
「じゃあ、やっぱり私じゃだめだ」
「……なんで?」
子供のような声だった。
ぐずるような、どうしようもなくて縋るような、こちらが泣きたくなるような声だった。
「私も、家族が分からないから」
「……君も一人なの?」
「分からない。一人だなんて思ったことなかった。周りにはいつも人がいたから。でも、私もあなたと同じで、愛ってどんなものか知らなかった。確かに、私とあなたは似てる」
「似た者同士なら大丈夫だよ。分かりあえるから」
「ううん。きっと分からないことは知ってる人から学ぶものなんだ。今の私は、愛ってどんなものか何となく分かるよ」
「なんで?」
「知ってる人が教えてくれた。だから、あなたも愛を知っている人と一緒になった方が良い、と思う」
「……」
魔導師と目が合った。
しばらくお互い見つめ合った後、魔導師がふにゃりと笑った。
「そっか、わかった」
「!」
「でも、君が気に入ったのは本当。こんなに穏やかに喋れる人間、初めてなんだ」
ゆっくり身を起こし、完全に起き上がった魔導師がコテンと首を傾げる。
「君、名前は?」
「アキヨ」
「そう。僕はラウアールド。ねえ、お嫁さんは駄目でも、お友達ならいいでしょ?」
「お、おともだち?」
「うん。だめ?」
またコテンと首を傾げるラウアールドに、ブンブンと首を横に振って、ぎこちなく頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします」
「やった~!人間の友達第一号だ!じゃあ、よろしくのちゅー」
フワリと温もりに包まれて、すぐ傍でリップ音がした。
今、何か頬に柔らかい感覚が――。
「っ!」
「うわっ、あぶな」
次の瞬間、ラウアールドがクッションへボスンと戻った。
……恐らく、自分はラウアールドに抱き締められた挙句、頬にキスされたのだ。
もしかして、イセレイには挨拶で頬にキスする習慣でもあるのだろうか。
そんなことを考えていたためか、後ろのローアルの存在を認識するのに少々遅れた。
抱き込むようにアキヨの肩を引き、同時に長い足が脇から伸びる。
しかし、ラウアールドはその足が当たる前に間一髪で後ろに飛びのいたようだ。
「は~。だから人間は嫌なんだ」
いきなり蹴られそうになったラウアールドは、すっかり不貞腐れた様子でクッションへぐでんと横たわり、そっぽを向いてしまった。
アキヨは慌ててローアルの方へ振り返り、肩を掴んでいる手に触れる。
「ローアル!私は何もされてないから……」
「何も、されてない?」
低い声だった。
ビクリと震えたアキヨに気付いているはずのローアルだが、それでも押さえられないと言う風に唇を震わせ、こちらを見下ろす焦げ茶色の瞳には、確かに「怒り」が浮かんでいた。
「結婚を迫られた相手から口付けされて、何もされていないなんてよく言えますね」
吐き出された言葉は、存外大きく響き渡った。
その反響で我に返ったように、ローアルがハッと口を噤む。
一気に血の気を引かせるローアルの様子を、アキヨはどこか他人事のように見つめていた。
なんだかその光景が、膜一つ隔てた向こう側の景色のように見えた。
――いや、違う。今までずっとそうやって耐えてきたのだ。
他人事のように、テレビでも見ているかのように。
暴力を振るわれても、暴言を吐かれても、冷たい目で睨まれても、そうやって見えない膜でシャットアウトすれば鈍くなれるから。
でも、いつの間にか旅を続けるうちに、その膜が剥がれ落ちていたことに気付かなかった。
暴力も暴言も向けられなくなった。冷たい視線から守ってくれる人が傍にずっといてくれたから。
――いつの間にか、自分を守るために張っていた膜は、こんなにも薄くなっていた。
だからこそ、自分の膜の代わりでいてくれたローアルから冷たい視線を向けられるなんて、思ってもみなかった。
そう、思ってもみなかったのだ。
どんな時でも、どんなことをしても、ローアルが自分を否定することはない。
いつのまにか、そう思い込んでいた自分自身に、アキヨは大きな衝撃を受けていた。
なんて、なんて浅はかで、愚かな思い上がりだろうか。
「ごめん、なさい」
「ぁ……っ!あ、ち、ちがっ……――!」
「ラウ、アールドも。ごめんなさい」
「え。何が?」
そっぽを向いていたはずのラウアールドが、いつの間にかまどろみ始めていたらしく、ゆったりとこちらを振り返って首を傾げる。
それに首を横に振って、アキヨは静かに告げる。
「もう、そろそろ行くね」
「あ、そう?またね」
ユルリと腕を上げ、しかしすぐにバタンと下ろして、本格的に寝息を立て始めたラウアールドを横目に、アキヨは静かに部屋を後にした。




