恩返し
しばらくしてダンとルドルフがやって来た。
「アキヨちゃん!状況は!!」
「ローアルが助けに行きました。魔物だろうって」
そう伝えれば、ダンが無言でルドルフを見遣る。
それに無表情で一つ頷いて、ルドルフも柵の向こう側へ乗り込んでいった。
「メイちゃんとキャッツ君は家に戻したよ。大丈夫、ルドルフは森のことを良く知ってるし、皆無傷で帰ってくるよ」
こちらを安心させるようにそう微笑むダンに頷いて、森の方を見遣る。
「……アキヨちゃんとあの青年は、兄弟?」
こちらを不安にさせないためか、他愛のない話しを始めるダンに首を横に振る。
「あ、そうなんだね。髪と目の色が全く一緒だったから、兄弟なのかと思ったよ」
「……」
言われて、やっぱり兄弟と言っといた方が良かったかと思ったが、否定した手前引っ込みがつかず、結局口を噤む。
「ルドルフ君の態度、嫌な気分にさせてしまってたらごめんね」
謝られて、また首を横に振る。
それこそダンが謝ることじゃないし、そんなに気にしていたわけでもない。
「彼はイセレイの出身ではなくてね。僕がウユジから連れて来たんだ」
「ウユジで?」
反応したアキヨに頷いて、ダンが語ってくれたのは、ルドルフとの出会いだった。
「僕はその時領主になりたてでね。外交とかにも慣れてなくて……。恥ずかしいことに、他国の治安の悪さを甘く見ていたんだ。特に何も考えずに、一人単身で乗り込んでみれば、スリにあったり、変な輩に絡まれたりして結構嫌な思いをしてね。だからこれは早急に護衛が必要だって思って。そんな矢先に彼と出会ったんだよ」
暗い森は先程の悲鳴以来、静まり返っている。
不気味な静寂を続けまいとするように、ダンは話し続ける。
「ウユジで、彼は奴隷として売られていた」
「――!ど、奴隷?」
ダンは悲しそうに頷いて、森をジッと見つめる。
「ボロボロでひどい状態だった。引きずるように引っ張られて……。彼の見た目、あまり見ない色合いでしょ?もう滅んだ民族の生き残りらしくて、珍しいって理由で売られていたんだ」
「……」
かつてこの世界に来たばかりの頃を思い出して息を詰める。
自分も黒髪黒目が珍しいと、大勢の目に晒されたことを思い出したのだ。
「見ていられなくてね。ついお金で解決してしまって……。あれから、かれこれ5年くらいになるのかな。僕の護衛としてよく働いてくれてる。元々身体能力は良いみたいで、とっても強いんだ。――――だから、大丈夫だよ」
自分に言い聞かせるような声だった。
じっと森を見つめるダンに、アキヨは口を開く。
「……ルドルフさんは、ダンさんを、大事に想ってると思う」
「ははっ、そう思ってくれてるなら嬉しいけどね。恨まれこそすれ、それはないんじゃないかなあ」
苦笑するダンに首を傾げる。
「なんで?」
「どんな形であれ、僕は彼を買ったんだ。その事実がある限り、奴隷と主人という関係性は消えない。自分を縛り付ける相手の事を大事に思うなんて、できないでしょ」
ダンの諦めたような、どこか自嘲気味なその言葉に、アキヨは何も答えることができなかった。
まるで、自分を見ているようだと思ったからだ。
ダンが、奴隷としてルドルフを買ったことに負い目を感じている様に、自分もローアルに助けられてばかりで何も返せていないことに負い目を感じている。
――いや、それだけじゃない。
ずっとずっと分からなかった。今まで先送りにしていた疑問。
なぜ、ローアルが自分にここまで尽くしてくれるのか。
そもそも、最初っからおかしかった。
ローアルは騎士団員として、事件の重要参考人であるアキヨを見つけて保護した。ここまでは良い。
だけど、なぜ隔離するようにヘルの家に連れて来たのか。
普通に考えれば医療施設のようなところに預ければ済む話だ。なのに、ローアルはアキヨを人目の付かないヘルの家まで運び、わざわざ自身もそこに泊まり込みながら、一被害者の面倒を親身に見て、さらには自分の生まれ育った国も身分も捨てて、旅にまで同行した。
ちっぽけな、赤の他人である少女一人に、異常なまでの献身っぷりである。
前にその理由を聞いた時、彼は“今の私があるのは、アキヨのおかげ”だからだと答えた。つまり、ローアルにとってこれは、恩返しのようなものなのだと思う。
しかし、恩返しには“終わり”がちゃんとある。無制限なんてことはない。貰った分を返す。等価交換なのだ。
だが、ローアルはそこに制限を付けていない。
恐らく、こちらが言わない限り、言葉通り“永遠に”ローアルの恩返しは終わらない。
――――もう十分過ぎるほど返してもらった。
そもそも、こちらには心当たりのない恩である。
むしろ、これ以上貰ってしまったら、吊り合わなくなる。
「……」
「アキヨちゃん?」
無意識のうちに動いた足。
ザリッと後ろに引いたアキヨを、不思議そうに見遣ったダンだったが、森の方で何かが微かに光り、ハッとしたようにそちらへ顔を向ける。
「あれは、光魔法?ルドルフは魔術が使えないから、もしかして君の連れの子かな」
「……」
「アキヨちゃん、大丈夫?さっきから様子が――」
「お世話になってる人にお礼するなら、何を渡しますか?」
アキヨの唐突な質問に、驚いたようにパチパチと瞬きをしたダンは、戸惑いながらも「うーん」と首を傾げる。
「そうだね、その人の好きな物を渡すかな」
「好きな、物」
言われてアキヨは愕然とした。
ローアルの好きな物が、全く思い浮かばなかったからだ。
「分からないなら聞いてみればいいよ」
元気づけるように微笑むダンは、アキヨが誰にお礼をしたいのか勘付いている様子だった。
アキヨは曖昧に頷くに留め、森へと目を向ける。
アキヨの目線に気付いたダンがそちらを見て、ホッとしたように息を吐いた。
ローアルとルドルフがこちらに歩いて来るのが見えたからだ。
「二人も、イノちゃんも無事みたいだね。良かった」
明るい声音で喜ぶダンに対して、アキヨは複雑な心情をそのままに、戻ってくる二人をじっと見つめていた。
「ネジラビだった。見た目に騙されてついて行っちまったんだろ」
肩を竦めて、チラリとローアルが抱えている少女を見下ろすルドルフ。
抱えられている少女――イノはぐったりと気を失っているものの、怪我はしていないようだ。
「そっか。ご苦労様。君もありがとう、助かったよ」
ローアルからイノを受け取ったダンが微笑む。
それに頷き返して、ささっとアキヨの側に立つローアル。
「僕は一旦、彼女を家元に送り届けて来るよ。ルドルフ、僕の家に彼らを案内してあげてくれる?」
「――…………っす」
かなりの間を置いて、ルドルフが硬い表情で微かに頷く。相当嫌そうだ。
それじゃあと急いで去って行くダンを見送った後、ルドルフがこちらを見ることなくボソッと呟く。
「こっちだ。付いて来い」
「その前に、良いですか」
待ったをかけたローアルに、眉を寄せたルドルフが僅かにこちらを振り返る。
「彼女を邪険にする理由は何ですか。気分が悪いです。やめていただきたい」
冷たい声音で淡々と言いながらも、その声に怒りの色を感じる。
まさかローアルがそんなことを言いだすとは思わず、アキヨがぎょっとしていると、ルドルフが鼻で笑った。
「お前も俺の立場になりゃ、そんな奴の傍にいたいとは思わなくなるさ」
吐き捨てるようにそう言ったルドルフは、それ以上何も言わずにクルリとこちらに背を向けて行ってしまう。
「――アキヨ、行きたくないのなら拒否しても良いんですよ」
眉を寄せてルドルフの背を睨むローアルと去って行くルドルフを交互に見て、最後にローアルを見上げる。
「……行く」
「そう、ですか」
行きたくない、と言う風に眉を寄せたローアルだったが、アキヨの答えに吐息交じりに頷いて、二人でルドルフの後を付いていく。
「別についてこなくても良いんだぜ」
わざとらしく口の端を上げて見せるルドルフに対し、ローアルが何か言う前にアキヨが答えた。
「中道、さんに会ったら、すぐに出て行くから」
「あれはダンの旦那が一方的に取り付けた約束だろ。律儀に守る義理もねえさ」
「でも、頼まれたから。私は行く。だからそれまでは、ごめんなさい」
頭を下げるアキヨを一瞥し、眉を寄せたルドルフは結局何も言うことなく、また前を向いてしまった。
「アキヨが謝ることなんてないのに……」
呻くように、唸るようにそう言ったローアルを宥めるように、繋ぐ手の力を少し強めながら、アキヨは先程からグルグル回っている、答えの出ないモヤモヤした気持ちにそっと蓋をした。
「あ、アキヨちゃん!待たせてすまないね」
赤い屋根の家に着き、ルドルフに指示された部屋で待つこと数分。
俄にガタガタと騒がしくなった廊下からひょこりと顔を出したダンが、こちらを見てホッとした表情で笑った。
「ルドルフ、ご苦労様。ありがとう」
「ああ」
用は済んだとばかりに、部屋を出て行くルドルフに肩を竦めて、ダンが部屋に入って来る。
「イノちゃんは無事に家に送り届けたよ。念のため医者に診せて、特に問題はないって」
「そう、ですか」
「うんほんと、何事も無く済んで良かったよ。……それで、早速で悪いんだけど、暗くなる前に中道君のところへ行こうか」
ダンの言葉に頷いて、アキヨ達は来たばかりのダンの家を後にした。
案内された先は、この国で一番高い場所だった。
イセレイは上へ積み上がるように土地が段々になっていて、島の一番上は雲に隠れて見えないほど標高が高い。
その頂上が目的地だとダンは言った。いわゆるロープウェイのようなものがあるらしい。
と言う事で、所変わってロープウェイの出発地点。
そこで待っていたのは、
「ヒツジ?」
「中道君の使い魔でね。ヨウモって言うんだ」
ヒツジに似た生き物が数匹、頂上に続くロープの傍で大人しく待機していた。
グルンと巻いた角に、横長の瞳。見た目はヒツジだが、その毛はほんのりと淡い光を放ち、雲のようにゆらゆらと形を変えている。
「この子たちに乗って、あの頂上まで行くんだ」
そう言って慣れたようにヨウモの一匹に乗ったダンに倣って、アキヨも乗ってみる。
ちなみに一人乗りのようなのでローアルとはバラバラだ。一瞬不安そうな顔をしたローアルに大丈夫と頷いて見せると、渋々と言った様子でローアルも一匹に跨った。
ヨウモの乗り心地はフワフワした上質なクッションの上に座っているようで、とても心地良かった。
ロープの上を優雅に歩くヨウモで、ゆっくりと頂上へ向かう。
空を昇り、雲の上に出て、さらに進むこと数分。
到着した先にあったのは、切り立った崖の上に立つ白亜の城だった。
ガラスのような氷のような、不思議な素材で作られている城は、幻想的でもあるがどことなく無機質でとても冷たく見えた。
「ここが中道君の家だよ」
ダンが城を見上げる。アキヨもヨウモから降り、ダンの横に並んだ。
ヨウモはそのままその場に留まり、地面の草を食んでいる。帰りにまた使うそうだ。
「じゃあ行こうか」
城の中は、一面半透明の壁で覆われており、光が屈折して虹色に輝いていた。幻想的なその光景に魅入りながら、ダンの後について行く。
カツンカツンと歩く足音が、やけに大きく反響して聞こえた。
ダンを先頭に、階段を上り下りし、表の煌びやかな場所とは一変、少し薄暗いレンガ調の塔の螺旋階段を上り続け、やがて辿り着いたその上。
こじんまりとしたその扉の前で、ダンが上がった息を整える。
「す、すごいねっ……はっ、僕、いっつもここの、階段がきつくて……っ!」
言われて気付く。そう言えば前より、自分の体力が上がっている気がする。
ローアルを見てみれば、特に辛そうな表情はしていない。……単純に、ダンがアキヨより体力がないだけなのかもしれない。
「ふぅ。よしっ」
ようやく落ち着いた息を吐いて、ダンが目の前のドアをコンコンとノックし、答えを待たずにその扉を開けようとして――、
ガンッ。
開かなかった。
どうやら中から鍵がかかっているらしい。
「中道君ー!起きて!僕だよ、ダンだよ!」
するとダンが、ドアを激しく叩きながら大声で叫び始めた。
そうして10分くらい経った頃だろうか。
ようやく、重い音を立てながらドアが若干開いた。
「……うるさい」
ひょこりとのぞいた灰色の髪。ピョンピョンとあちこちに跳ねた寝癖が揺れている。
「おはよう、中道君。相変わらず不摂生な生活をしているみたいだね」
「……構わないでって言ってるじゃん」
魔導師らしきその人物が、イライラとした声音で突き放すように吐き捨てたにも拘らず、ダンは全く気にしていないのか、ガッとドアを掴み、力ずくで開け放った。
「っ!」
「そうやって籠ってたら具合も悪くなるだろ?たまには運動しなさい!」
不意を打たれて、よろけるようにこちら側へ転がり込んできた、その人物と目が合う。
その人はとても痩せていた。背丈はアキヨより高いが、ダンやローアルよりは低い。170cmほどだろうか。恐ろしく猫背なため、正確な背丈は分からない。
ヨレヨレのシャツとズボンは何日も同じものを着ていることが窺えるほどくたびれていて、全体的に青白い肌にはほぼ肉が付いていない。
伸びた前髪から見えた瞳は眠そうに半分閉じていて、その瞳は琥珀色だった。
「……だれ」
「アキヨちゃんと、えーっと」
「ローアルです」
「ローアル君。旅をしているんだって」
名前を呼ばれ、とりあえず頭を下げてみる。
そして頭を上げた時には、当の魔導師は部屋に引っ込もうと踵を返していた。
「待って待って!少し外に出た方が良いって!」
「今出た」
「出た内に入らないよ!」
引っ込んでいく魔導師を追うように、部屋に踏み込むダン。アキヨも慌ててその後に続く。
扉を軽く押し、ひょいっと部屋を覗き込んだアキヨは、その内装に思わず息を呑んだ。




