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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
第二章 抑圧の国
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ハランとリナ



『私は王になる。その時、隣りで支えてくれるのは君であってほしい。ハラン』


『……俺は平民だ。身分が釣り合わない』


『何事も前例など、初めはないんだ。大事なのは気持ちだよ。平民でも貴族でも……、男でも女でも、関係ないさ』


 あの時、ハランは結局答えを先延ばしにした。



 そして、その3日後。ルテニボンの侵攻が始まった。






 何度も何度も、繰り返し頭の中で再生される光景。


 もしも、あの時。彼女の問いに頷いていたら。未来は変わっていたのだろうか。


 もしも、あの日。ハランがもう少し早く城に到着していたら、彼女はまだ隣りで笑っていてくれただろうか。



 遅すぎる後悔は、あの日からずっと、ハランを蝕み続けていた。






 ハランは平民の出だった。鍛冶屋の父に、掃除婦として働く母。そんなありきたりな家族の元にハランは生まれた。


 幼い頃、鉄を打つ父を見に行くのが日課だった。


 夕刻、火が落ちて暗くなった竈の前。煌々と巻き上がる真っ赤な炎の前で、汗をかきながら真剣な表情で剣を作る父の姿が好きだった。


 いずれ自分も後を継ぐのだと、その背を見ては夢見ていた。



 ハランが育った国では、14歳になれば大抵の子供は働き始める。ハランも例外ではなく、14歳で父に弟子入りした。


 鉄を打つ日々は楽しかった。知識も技術も全て盗もうと、毎日時間も忘れて父に教えを乞うた。普段は無口な父も、この時ばかりは饒舌になる。それもまた楽しかった。




 そんな生活を送っていたある日のこと。


 いつものように朝早く、鍛冶場に出向いたハランは、そこに先客がいることに気付き、足を止めた。



 中にいたのは、見知らぬ子供だった。


「おい、ここは遊び場じゃないぞ。勝手に入るな」


 眉を寄せて、自分より小さい背丈の子供を見下ろす。


 すると、こちらの声に反応した子供が、はっとしたように振り返った。



 綺麗な薄水色の瞳と目が合う。三つ編みで一つにまとめられた蒼色の髪が背中で踊る。


「勝手に入ってしまってすまない。私はこの鍛冶場の(あるじ)に用があるんだ」


 妙に丁寧な口調で喋る、小綺麗な見た目の子供。


 着ている服は平民のソレだが、言動の端々に滲み出る綺麗な所作が、身分ある者だと示していた。



「……あんたが会いたがってんのは俺の父親だ。今日は隣町まで買い出しに行くからココに来るのは夕方だ」


 自分より一つ二つ下であろう少年にそう言えば、意気消沈した様子で項垂れてしまう。


「何の用なんだ?俺でよければ聞くけど」


 あまりの落ち込み様に少し可哀想になり、そう声をかけたハランに、少年は少し悩んだ末に小さく口を開いた。


「……てほしくて」


「あ?」


「弟子に、してほしくて」


 暫し沈黙が流れる。


 ハランはふむ、と腕を組む。


「なんだお前、鍛冶屋になりてえのか」


「違う。剣を教えてもらいたいんだ」


「はあ?剣?」


 思わずガクリと組んだ腕をずらす。


「俺の親父は鍛冶屋だぞ?剣を作りはしても、振りはしない」


「今は、だろ。昔は手練れの剣士だったと聞いた」


「……人違いだろ」


 言いながら、己の父の姿を思い浮かべる。



 寡黙な父親が自身の過去を語ったことはない。


 ……確かにただの鍛冶屋にしてはガタイが良いとは思っていたが。いや、まさか。



「そんなこと、誰から聞いて来たんだ?」


「家の者だ。昔の傭兵仲間だと言っていた」


「……仮に、俺の親父が元剣士だったとして、何でわざわざ?お前、良い所の坊ちゃんだろ?平民の引退した剣士に弟子入りするよりも、そういう教師雇えば良いじゃねえか」


 こちらの疑問に、少年は言葉を探す様に言い淀み、やがてぼそりと答えた。


「私は、女だ」


「……」


 咄嗟に開いた口をゆっくり閉じる。


 まじまじと目の前の少年――、いや少女を見る。


 確かに言われてみれば骨格も細いし、手足も小さい。


 しかし着ている服は男物だし、言葉もまるで男の様だ。



「それは、悪い」


「いや、良いんだ。わざとそう振舞っている節もあるから。家族はそんな私に、女らしくしろと言う」


 俯き、手を握り締めた少女は、悔しそうに唇を噛み締めた。


「着飾り、お淑やかに過ごせと言う。裁縫に楽器、淑女教育にお茶会……。うんざりだ!どれもこれも座って口だけ動かすばかりで、むずむずする!私は兄達のように剣を振り、馬に乗り、大口開けて笑って走り回りたいんだ!」


 叫ぶようにそう言った少女は、ふーふーと呼吸を荒げた。



 ハランは少女のその言葉に衝撃を受けていた。


 貴族や商家のような恵まれた家に生まれれば、したいことをやりたいようにやれると思っていたのだ。


 しかし、目の前の少女にしてみればそれは全て足枷で、邪魔なものだと言う。



 それに比べて、夢を持ってそれを叶える環境が用意されている自分は、どれだけ恵まれていることだろうか。



「母上も父上も、私が剣を習いたいと言ったら、代わりに魔術の教師を用意してきた。女である私に剣を習わせる気が無いんだ。だから自分で探しに来た。今頃、使用人が血眼になって私を探しているだろうな。はっ!私が本気なんだと、皆分かれば良いんだ」


 先程までの大人びた口調を崩し、子供らしく不貞腐れた様にそういう少女に、ハランは毒気が抜かれて思わず笑ってしまった。



「俺はハラン。あんたは?」


 差し出した右手を見下ろし、少女がパチパチと瞬きをする。


 やがて、ゆっくりとその手を握り返した少女は、存外可愛らしい笑顔を浮かべた。


「私はリナ。よろしくな、ハラン」


 これが、リナとハランの出会いだった。






 リナは、ハランと同い年だった。男だと思っていたので年下に見えていたが、女だと言うなら年相応の背格好だろう。



「その服はどうしたんだ?」


「実は抜け出すのは今日が初めてじゃないんだ。前に下町で手に入れた」



 リナは恐らく、貴族なのだろう。ハランはそう察してはいたが、詳しくは聞かなかった。聞いても教えてくれないだろうと思ったのだ。



 夕方までここで待つと言うリナに、ハランはひとまず自身の仕事を終わらせることにした。


 鍛冶場で立ち回るハランの様子を、リナは椅子に腰かけてずっと見ていたが、ハランは途中から作業に夢中になり、リナの事を忘れてしまっていた。



 結局、ハランが彼女の存在を思い出したのは、お昼休憩になってからだった。


「っと、悪い!すっかり夢中になってて……」


「いや、初めて見たが、すごいな。綺麗だ」


「!」


 リナがキラキラした瞳で真っ直ぐにそう言った。


 ハランは子供の頃の自分を見ているような気分になり、無性にむず痒くなった。



「俺もさ、父親の鉄打つ姿が好きで、鍛冶職人になりたいって思ったんだ」


 頬を掻きながら、リナの横に胡坐をかき、持ってきていたパンを一つリナへ渡す。


「そういや、リナは何かなりたいものあるのか?」


 自分と同い年なら、貴族と言えど将来の事を考える頃だろうと思って聞いたのだが、リナは途端に口を噤んでしまった。


「リナ?」


「……あるよ。私も、父と同じ職業に就きたいんだ」


「へえ。それは良いな。で、何になりたいんだよ?」


 軽い調子で聞いたハランを、リナは静かに見返した。


「私を貴族だと言ったな」


「違うのか?」


「まあ、そんなもんだ。だったら、私がなりたいと言った言葉の意味も分かるだろう?」


 問われて、はっとする。そうだ。貴族の仕事は領地を治めること。


 しかしそれは、本来女性ではなく男性の仕事だ。


 リナが黙った理由を悟り、ハランは軽々しく話題に出した自分を恥じた。


 貴族女性として窮屈に過ごすリナの話しを聞いたばかりだったのに、考えが足りていなかった。


「悪い……」


「ふっ、君は謝ってばかりだな。別にいいさ。それに私は諦めていない」


 パンを千切り、上品に口に入れながら、リナはニヤリと笑う。


「前例がないだけだ。だったら私がその前例を作ってやる。そう考えると、とても胸が躍るんだ」


 未知の挑戦にワクワクすると言うリナに、男よりよっぽど男らしいと、ハランは苦笑した。






 父が来たのは、やはり夕方だった。


 買い出しの荷物を置きに来た父が鍛冶場に入り、そこに一人の見慣れない客がいることに気付くと目を眇めた。


「親父、客だぞ」


「初めまして。リナ、と申します」


 ぱっと椅子から立ち上がり、綺麗なお辞儀をしたリナが、入り口に突っ立ったままの父を、真っ直ぐに見上げた。


「此度はお願いがあって参りました。どうか、私に剣を教えてもらえませんか」


「……」


 父はチラリとこちらを見るが、ハランは敢えて自身の仕事に集中している振りをしてその視線を無視した。


 徐に荷物を床に置いた父が、低い声でボソリと問う。


「誰から聞いた」


「傭兵時代のお仲間から」


「そうか」


 短くそう答えた父が、のそりとこちらに近付き、ハランの手元を覗き込んだ。


「曲がっている。癖を出すな」


「っす」


 カンカンと甲高い音が響く。


 その音に紛れるように、父はリナの方を見ず、ボソリと言葉を落とす。


「見ての通り、今はしがない鍛冶屋だ。他を当たってくれ」


「他に伝手はありません。貴殿だけが頼りなんです」


「他を当たってくれ」


 にべもない。こうなったら父はこの先この言葉しか返さないだろう。


 リナが黙り込む。しばらくカンカンとハランが鉄を打つ音だけが響く。


 やがて、成形が終わり、槌を置いたハランが振り返れば、リナが俯いたまま、まだそこに立っていた。


 横を見れば、父は自身の作業を始めている。


 二人を交互に見遣り、ハランはぐっと手を握り締めた。



「親父」


「なんだ」


「元剣士って本当か」


 鋭い眼光が、こちらを向く。


 しばらく見つめ合った後、父はすっと視線を反らし、手元の作業を再開する。


「昔の事だ」


「何で鍛冶職人になったんだ」


「……こっちの方が、性に合ってる」


 淡々と答える父に、ハランは少し迷った末に、口を開いた。


「俺さ、親父の背を見て鍛冶職人になりたいって思ったんだ」


「……」


「俺は親父がいたからなりたいもんになれた。それがすごい恵まれてるって、リナに会って気付いた」


 父の視線が再びこちらを向いた。その目を見つめ返しながら、ハランは言葉を続ける。


「なりたいものになれるって、恵まれてんだ。でも、リナはそうじゃない。貴族だけど、俺なんかよりたくさん我慢して、現状を変えようと足搔いて、自力でここに来た。それってすげえことだと思うんだ」


「ハラン……」


「俺からも頼むよ。弟子としてじゃなくて、親父の息子として。友達の夢を叶えてやれねえかな」


「……」


 鍛冶場を沈黙が包んだ。仕事中では慣れっこの沈黙も、今はやけに息苦しく感じた。




 やがて、父が長い溜息を吐き出した。


 そして、若干眉を下げた顔で、チラリとリナを見遣る。


「いいだろう」


 ポカンと、リナが口を開ける。ハランも目を見開いた。


「え、え?」


「仕事が休みの日に見てやる」


 ハランとリナは顔を見合わせ、同時にぱあっと顔を輝かせた。


「やったな!リナ!」


「あ、ありがとうございます!ハラン、君のおかげだ!」


 こうして、リナは月に数度、ハランと父の元へ通うようになったのだ。













 リナは稽古の日は欠かさず、家を抜け出して鍛冶場までやって来た。


 リナの練習相手は専らハランとなった。流れで習い始めたとは言え、剣を振るうのは案外面白く、いつの間にかリナと一緒に真剣に稽古に参加するようになっていた。




「ここに通ってるってバレてんだろ?家で何か言われないのか?」


 素振りをしながら聞いてみれば、リナは苦笑した。


「ああ、他の授業を大人しく受けるようになったと寧ろ喜ばれているよ。だから目を瞑ってもらってるんだ」


「へえ?」


 この時はよく分からずに「まあ、大丈夫ならいっか」と流してしまったが、剣を習い始めて1年が過ぎた頃、唐突にリナが来なくなった。



 そしてそれは、第一王女の婚約が決まった時期と丁度被っていた。




「リナ嬢は、第一王女だ」


 リナが来ることを信じ、いつもの鍛冶場横の広場で待っていたハランに、父が告げた事実は、到底信じられないような話しだった。


「傭兵仲間で今も現役な者は少ない。貴族と関わりのある者となるとさらに限られる。恐らく、宮殿の警備隊の奴から俺の事を聞いて来たんだろう」


 父はリナがあの日、教えを乞いにやって来た時から気付いていたらしい。――リナが、この国の王女であると。



「これは独り言だが」


 父がボソリと、呟く。


「お前の剣は、今や実践で十分通用するくらいには使える。宮殿にいる昔馴染みに話せば、警備隊にお前を推薦してくれるだろう。リナ嬢に近付くには、それしかない」


「!」


 はっと顔を上げる。


 父は静かな目でこちらを見下ろしていた。



「鍛冶職人にはいつでも戻れる。しかし、リナ嬢は今でないと、取り戻せないかもしれないぞ」


「親父……」


 ハランは立ち上がった。


 そして然程迷いもせず、父に言う。


「ごめん親父。俺、警備隊に入る」



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