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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
序章 旅立ち
3/66

魔術研究所



 馬車を降りて最初に視界を埋めたのは、大きなドーム型の建物だった。


 ソレは、森の中に隠されるように建っていた。敷地面積は広いようだが、生い茂る木々が邪魔をして奥行きは見えない。



 止まった馬車はすぐに回れ右をして、来た道を戻って行った。




「失礼」


 辺りを見回していると、突然視界が真っ暗になった。布を目元に巻かれ、視界を塞がれたのだ。


 続けて、地面に転がされ、手足を縛り上げられる。腕の中に抱えていた荷物(きがえ)も取られ、最後に口に布を噛まされた。



 森の中で突然拘束される体験は、これで二度目だ。


 荷馬車に詰め込まれ、掘立小屋に連れて行かれた時のことを思い出す。あの時も、こうして自由を奪われた。


 もしかして、また競売にかけられるのだろうか。



「北棟の地下へ。部屋はどこでも構いません」


 眼鏡の男が何やら指示を出している声が聞こえる。


 近くに誰かいるのだろうか?目を塞がれる直前まで、眼鏡の男と自分以外、人の気配は感じられなかったが……。



 不意に体が持ち上げられる。誰かに担ぎ上げられたようだ。


 そのままどこかへ移動するような振動が伝わってきたが、抵抗する気も起きず身を任せた。






 暫くして、何の前置きもなく硬い地面に投げ落とされ、衝撃に息を呑む。


 そのまま目隠しを取られ、手足、最後に口の拘束を解かれた。



 目を瞬かせている間に、ガシャンと鋭い音が響く。音を頼りにそちらを向くと、格子越しに一瞬人影が見えたが、すぐに扉の向こうへ消えてしまった。


 辺りはとても静かだ。ゆっくり起き上がり、周りを見回す。どうやら大きな檻の中に入れられているようだ。触れている所から金属の冷たい感触が伝わってくる。


 伯爵の屋敷で与えられた小室は、自分の身長と同じ奥行きしかなかったのに加え、寝返りを打ったら壁に額をぶつける程度の幅しかなかった。しかしこの檻は、大人六人が並んで寝転んでも余りある程の幅と奥行きがあった。


 そして何より驚いたことは、物が設備されていることだ。そう、ベッドがある。謎の染みが付いたマットレスが乗っているだけの簡易ベッドだが、床に着替えを敷いて寝ていた屋敷での生活と比べれば、随分な好待遇である。


 格子の向こう側に見える部屋には、机と椅子が置いてあるだけで他に何もない。眼鏡の男が「きたとうのちかしつ」と言っていたので、恐らくここは地下なのだろう。窓も見当たらない。


 まるで刑務所の面会室みたいだ。……この例えだと、こちらが受刑者側になってしまうが。




 自分はこれからどうなるのだろう。どうも競売用の商品を置いておくための檻、という訳でもなさそうだ。だとしたら、またどこぞの物好きの鑑賞用か。


 冷たい格子に痛む体を預け、ほうっと息を吐く。 



 ――まあ、どちらでも良い。


 命ある限り、与えられた役目を果たすだけ。場所が変わっただけで、その根本は変わらないのだから。













 ――――ガシャンッ。


 金属の擦れる音が響いた。


 ぼんやりと目を開けると、檻の出入口が閉められるところだった。閉めるということは、誰かが檻を開けたということだ。


 ……そうだ、檻に閉じ込められてたんだ。どうやら気付かぬ内に寝ていたらしい。


 檻を閉めた妙齢の男は、部屋を出て行くことなく、椅子に座りこちらを見つめている。白衣を着ていたので眼鏡の男かと思ったが、全くの別人だ。


 凡庸な顔立ちをしたその男は、手に羽ペンを握ったまま微動だにせず、無表情にただこちらをジッと見ている。何とも異様な雰囲気だ。



 ふと、檻の中に物が増えていることに気付く。


 透明な液体が入った器と、茶色い正方形の固形物が置かれている。先程まで無かったものだ。檻を開閉したのはこれを入れるためだったのか。


 もう一度格子の外にいる男を見つめる。彼は何をするでもなく、こちらをひたすら眺めているだけだ。


 向けられる視線が、冷たく重い澱んだ底なし沼のように絡みつく。それは例えるならば、部屋の隅にいる羽虫の動きを眺めるような無感情なモノだったが、だからと言って無関心というわけでもない。


 真っ直ぐに見つめてくる瞳は、こちらの些細な動きに合わせて忙しなく動き、時々手元の羊皮紙に何かを書き込んでいる。視線が逸れるのはその時くらいだ。




 最初は監視されているのだろうと思っていたが、暫くして違う憶測が浮かんできた。



 ――もしかして。



 時が進むにつれ、憶測は段々確信へと変わる。


 白衣の男は一言も喋らなかった。しかし、言われなくても察することはできる。




 ここに連れて来られたのは、恐らく競売用でも鑑賞用でもない。


 ――――()()()だ。




 目の前に置かれたままの、四角い固形物を見遣る。器に入った透明な液体の方は、蒸発したのか多少量が減ったように見える。


 ……さて、と。


 まずは固形物に手を伸ばす。手触りは、ザラザラとしている。匂いを嗅いでみると、屋敷で嗅いだことのある薬草に近い匂いがした。


 力を入れると案外簡単に砕けたので、欠片を口に入れる。途端、強い苦味が口内に広がったが、時間をかけて咀嚼し、一気に呑み込んだ。しかし、上手く喉を通らない。


 ……そう言えば、何かを口にするのは久し振りな気がする。


 喉を潤そうと、液体の入った器を持ち上げる。匂いを嗅いでみるが、こちらは無臭だ。口に含むと味もない。どうやらただの水らしい。



 口内に残る物を、少しずつ水と共に飲み込む。そうして顔を上げると、こちらを凝視したまま、羽が揺れるほどペンを激しく動かして、忙しなく何かを書き込む男の姿が目に入った。



 その様子を見て、確信に実感が伴う。

 ああ、やはり。これが正解だったのだ。



 固形物を全て食べ終えると、男が動く気配がした。


 顔を上げると同時に、バタンと扉が閉まる音が響く。どうやら男が部屋を出て行ったらしい。




 シンと静まり返った空間。


 その静けさに、何だか日本にいた頃に戻ったみたいだなと、そんなことをぼんやり思った。













 意識が沈んだり浮上したりを繰り返して、どのくらい経っただろう。数日――いや、もしかしたら1時間も経ってないかもしれない。


 窓もなく、時計もないため時間感覚が狂っていく。



 何回か部屋の扉が開いて、人が入って来ては出て行った。


 時間により交代しているのか、入れ替わる時は必ず、部屋に誰もいない状態で次の人がやって来る。彼等は年齢も性別もバラバラだったが、白衣を羽織っている事と、精巧にできたアンドロイドなのではないかと思う程に、表情が全く無い事だけは共通していた。



 最初は人が入って来る度にその顔を確認していたが、次第にそれもしなくなった。


 差し出される得体の知れない物を口にする日々が、随分続いていた。


 その種類は様々だ。最初の物のようにキューブ状の物から、ドロッとしたゼリー状の物、粉状の物……。色も、緑、赤、紫、白、黒、それらが混ざり合ったような色から透明な物まで、多種多様だった。


 そしてそれ等は、必ずしも安全な物だとは限らない。――寧ろ、食べて何もないことの方が珍しかった。


 食べてすぐ高熱が出たりするのは定番で、時には嘔吐したり、湿疹が出たり、息が苦しくなったり、内蔵が焼けるように痛くなったり……。


 そうなった時は症状が治まるまで放置されるか、又は苦味の強い何か――、恐らく薬と思われる物を投与される。


 そして治れば、再び毒々しい色の物体を差し出される。ひたすらに、この繰り返しだ。




 日に日に弱っていく自分の体を自覚しながらも、差し出される物を拒むことはしなかった。


 そうして、命をただ消費するように、生きて生きて――……。




 気付いたら、ここに来た頃は顎くらいの長さだった髪が、背の中程まで伸びていた。


 ……伯爵の屋敷を出て、確実に数ヶ月は経っている。




 視界を覆う前髪の隙間から、冷たい檻の向こう側を見つめる。そこでは白衣の男が一人、飽きることなくこちらを凝視している。


 もうこの光景にも見慣れてしまった。当初は異様に思えた状況も、今ではすっかり「日常」なのだから、人間の順応力は侮れないと思う。



 そして「日常」とは、――案外簡単に崩れるものなのだ。













 黒いゼリー状の物を口に入れ、すぐに熱が出たため、いつものように薬らしき物を投与される。


 荒い息を整えようと深呼吸をしていると、程なくして誰かが部屋に入って来た。


 朦朧とした意識の中でそれを感じ取り、俯かせていた顔を上げる。




 いつもであれば、薬が投与され症状が治まれば、すぐに次の物が差し出されるが、今回はいつまで経っても、ぼやけた視界の先にいる人影は突っ立ったまま、檻に近付いて来ることはない。


 ぼやけた視界を鮮明にしようと、数回瞬きをした時だった。



「……ふぅん。やるわねえ、あなた。本当に人間なの?」



 耳を疑う。


 幻聴、だろうか。声が聞こえる。



 ――ああ、そうか。あの黒いゼリーのような物体、発熱だけかと思っていたが、幻聴も引き起こすのか。


 そう考えれば、症状が治るまで次の物が差し出されることはないのだから、目の前の人影が動かないのも頷ける。



 しかし、こちらの考えを読んだかのように、また幻聴が聞こえた。


「うふふっ。残念ながら、あなたの精神状態は正常よ」


 目の前の人影を凝視する。


 段々くっきりとしてきた視界に映ったのは、緩く一纏めに括られた、燃えるように真っ赤な髪。


 同色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。



「ふふっ、本当にすごいわぁ。一通り試したのに、五感がまだ使い物になるなんて。奇跡を通り越して悲惨ね」



 ……人の声を聞くのはいつ以来だろう。


 そんなことを考えてしまうほどに、言葉というものから遠ざかって随分久しかった。



「初めまして、忌み子ちゃん。私はこの研究所の副所長よ。でも、あまりそう呼ばれるのは好きじゃないの。何だか響きが野暮ったいと言うか可愛くないと言うか……ねえ?あなたもそう思うでしょ?」


 口元に笑みを浮かべたと思ったら、次の瞬間には不満げに口角が下がる。


 ここに来てから無表情に見慣れていたせいか、コロコロ変わる表情がとても新鮮に映った。


「あ、そうそう。これ、差し上げるわ。頑張ってる貴女にご褒美よ」


 格子の中に放り投げられたのは毒々しい物体、ではなく。


「胡桃パンよ。木の実類は嫌いって言ってるのに、あいつらコレばっか買ってくるの。嫌がらせよね、絶対」


 独り言なのか、こちらに話しかけているのか。


 喋り続ける女とパンを交互に見遣る。試しに匂いを嗅ぐと、確かに胡桃の香ばしい匂いがする。


「もしかして貴女も木の実は苦手?」


 顔を上げると、女がこちらを凝視している。今まで白衣の人達に何かを尋ねられたことはなかったので、反応が遅れる。


 答えを待っているらしい女に、慌てて首を横に振り、もう一度手に持ったパンを見る。




 ……そうだ。女の言動に気を取られていたが、やること自体は何も変わらない。


 胡桃パンだろうがカラフルな色の物体だろうが、「それをどうするか」「その結果どうなるか」を提示するのが今の自分の “仕事” なのだから。



 パンを千切り、口の中へ放り込む。

 ちゃんとした食べ物を口にするのはいつ以来だろう。


「お味はいかが?」


「お、……ぃし……」


「それは良かったわ。取って置いた甲斐があったわね」


 久し振りに絞り出した声は酷く嗄れていて、自分でも聞き取り辛かったが、女には伝わったようだ。


 こちらの返事に満足げに頷くと、椅子を引っ張って来て檻の目の前に置き、そこに座り込んだ。



「ふぅん。本当に真っ黒なのね。目の方は良く見えないけれど、髪に関しては伸びてる部分を見る限り、少なくとも墨で染めているわけではなさそうねぇ」


 女の声は大きい。殆ど独り言なのだろうが、こちらまではっきり聞こえる音量だった。


「そうだわ。お水が欲しいわよね」


 不意に女が、腰のポシェットから丸い形状の容れ物(軍用水筒)を取り出すと、格子の隙間から檻の床へ水筒を置き、飲み口の上に指を伸ばした。そうして小さな声で何やら呟いた途端、まるで女の指先が蛇口であるかのように水が流れ始めた。



 ――魔術だ。



 水筒がジャバジャバと満たされていく。魔術を見るのは、これが2回目だった。


 1回目は伯爵の屋敷で。

 ご子息様が自慢げに、掌から炎を出しているのを見た時。


 ……そして、2回目が今。



「お飲みなさい」


 女の手が引っ込む。水筒には透明な液体がなみなみと入っている。


 勧められるままに手を伸ばし、零さないようにゆっくり持ち上げる。口に含むと、冷たく澄んだ水が喉を潤した。


 炎症でも起こしているのか、水を飲みこむ度に鋭い痛みが喉元を走る。ゆっくり時間をかけて、無心で水を飲んでいると、いつの間にか水筒は空になっていた。


「あ、りが、と……ご……ます」


 先程よりも多少聞き取りやすくなった声で礼を言い、水筒を床に置く。



「声帯に傷は見られるものの、重症ではない。精神的な異常もなし。身体的損傷は、ここで受けたものではないわね。後は胃腸と肺含め、一部内臓の機能が著しく低下していると報告は受けていたけれど、思っていたより酷くはないみたいね。一般水準の生活をするには支障をきたすって程度かしら。異常なほど傷病の治りが早いわね」


 椅子に腰掛け、ラップスカートから覗く白い脚を組みながら、何かを確認するようにジロジロとこちらを眺め回していた女は、暫くすると満足げな笑みを浮かべ立ち上がった。




「ふふっ。こちらこそ礼を言うわ。貴女はとても良い暇潰しになりそうよ」


 そう言ってウィンクを一つすると、女は白衣を翻し、鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。






 女が居なくなった部屋はあまりにも静かで、まるで嵐が過ぎ去った後のようだと、呆然と思った。



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