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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
第二章 抑圧の国
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革新派たるは姫と騎士



 ――遡ること数時間前。




「どういうこと……?」


 王都の、とある街角の裏道。


 ウサギの噴水の前で、一人の少女が戸惑った声を上げた。



 周りに彼女以外人影はない。それはそうだ。元々人気の少ない場所ではあるが、念のため人除け効果も魔陣に組み込むように要求したのはこちらなのだから。


 だから間違いなく魔陣は敷かれているはず、なのに。


「何で転移できないの……?」


 言葉に焦りが滲む。



 折角人目を忍んでここまで来れたのに、この千載一遇の機会を逃したら、次はきっとない。


 深呼吸して目を凝らす。魔力の残滓を辿れば、うっすらとだが魔陣を目視することができる。


 その術式に視線を滑らせ――、思わず唸った。


「なっ、これ誰かが既に使用済みじゃない!」


 これは一回しか使用できない制限付きの魔陣。道理で転移できないわけだ。


 しかし、だからこそおかしい。


 使用したら痕跡を残さないため、魔陣自体も消えるはず。なのに陣形は残っているし、人除けの効果は問題なく作動している。


 ――そもそも、誰かが間違って使用してしまわないように日時指定がされていた。術式にも確かにそう書かれている。自分もその時間より少し早めにここに来ていた。だから、それより前にこの魔陣を使用する事自体できないはずなのだ。


 つまり、魔陣の転移効果だけが使用されているということだが――そんなことは本来であればあり得ない。魔陣に魔力を流せば、魔陣に組み込まれている全ての魔術が発動するのは常識だ。


「……どちらにせよ、失敗ね」


 最近この国を騒がせている反乱組織へ、密かに接触を試みること約数月。


 ついに直接会うことができると思ったら、この始末。


「さすがに、転移先の情報は暗号化されているし……、諦めるしかなさそうね」


 とりあえず、長居は危険だ。ひとまず魔陣に魔力を注ぎ、一旦発動条件を満たす。そうすれば、魔陣は今度こそその役目を終え、跡形もなく消えた。


 これで人除けの効果もなくなったので、もうじきここにも誰か来る可能性がある。


「――あまりこの手は使いたくなかったのだけれど」


 仕方ない。師匠を頼ろう。



 ――さて、『気紛れ』で有名な己の師をその気にさせるにはどうすれば良いか。


 少女は、新たな問題に溜息を吐き出しながら、踵を返した。






 急ぎ戻った少女は、庭の隠し通路を使い、誰にも気づかれることなく室内へと入り込む。


 羽織っていたマントを途中の物置部屋に押し込み、何食わぬ顔で廊下を歩き始めた、その時だった。


「ヨルシア」


 後ろから呼びかけられる。


 ドキンと跳ねる心臓を押さえ、表情を引き締めてゆっくりと振り返る。



「……ラバお兄様」


「どうした、こんなところで」


 そう訊きながら、答えに見当がついているという風にニヤニヤと笑うその嫌な笑みに、顔が引きつりそうになるのを我慢して愛想笑いを浮かべる。


「魔術の稽古の時間ですので、魔導師殿の所へ参るところでした」


 そう答えれば、いつも苦々しい顔をしながら去って行くと分かっているからこその言い訳であったが、その日の彼はその言葉を聞いてさらにニヤケ顔を歪めた。


「おやおや、これだけ大騒ぎされているというのに、どうやら愛しの妹君はご存知ないようだ!」


 大袈裟な身振りで肩を竦めて見せる兄に、眉を寄せる。


「何のお話です?」


「先程、我が優秀な兵士共が、ついに反乱軍の根城を突き止めたのだ」


「!」


 咄嗟に表情を繕うことには成功したが、雰囲気が剣呑になったのは伝わってしまったようだ。


 こちらを意味ありげに眺めながら、兄は続ける。


「根城は二人組を残してもぬけの殻だったようだが、その二人は捕まえて今尋問中だ」


「……二人組?」


「ああ、何でも異国から来た男と子供だとか」


 異国の、子供……?


 不審な表情をするこちらの様子を鼻で笑い、兄は踵を返した。


「異国人だろうが、子供だろうが容赦は不要。我が国で反乱を企てるとはどういうことか、愚か者共に思い知らせてやる!」


 気分良さげにそう言いながら、背を向けて去って行く兄を見送り、思考を巡らす。そしてある結論に至り、一気に顔色を失くす。


 このタイミングで見つかった根城(アジト)。不自然に使用されていた魔陣の痕跡。見つかったと言う異国人。


 ――間違いない。自分の代わりに魔陣を使用した者達だ。


 刹那に思考を巡らし、最適解を弾き出す。



 そして、一刻も早く師匠の元へ行くべく、もう見えなくなった兄と同じ方向へ矛先を向ける。


 あくまでも言い訳のために用意していた言葉が、まさか現実になるとはと眉を寄せながら。






「師匠」


 城内のとある一室。


 本やら羊皮紙やら薬草やら得体の知れない液体の入った容器やら、その全てが雑多に散らばった、お世辞にも綺麗とは言えないその部屋の中。


 唯一、足の踏み場が確保されているスペースに器用に転移してきた少女――ヨルシアが、開口一番呼びかけた人物はパッと見、室内には見当たらない。


 ヨルシアは、物で埋もれてその原型すら見えていないソファーの方へもう一度声をかける。


「師匠、起きてください。非常事態です」


「んぁあ~?」


 バサッと新たに何かが床に落ちる音がした後、ソファーがギシリと軋む。その背からひょこりと見えたのは、変な方向に跳ねた銀色の髪。


 ヨルシアはそちらに向かって、淡々と言葉を紡ぐ。


「異国の者が反乱軍の一味と間違えられ、手違いで捕まっているようです。下手をしたら国際問題に発展しますわ。師匠の権限を持って助け出していただけませんか」


 私情を滲ませることなく、あくまで淡々と言い放つヨルシアに、やっとソファーの背からその金色の瞳を覗かせた師匠は、その寝惚け眼をそのままに、端的に返答した。


「やだ」


 予想通りの答えに、ヨルシアはバレないように溜息を吐く。



 分かっていた。師匠はこの世の誰よりも気紛れで、好奇心が刺激されない事物には、指先一本すら動かさない。


 しかし、仮にも弟子を名乗る者としてそんなことは百も承知だ。


 ヨルシアはもう一つの切り札を口にした。


「実はその捕まっている異国の者なのですが、既存魔陣の一部だけを発動させることができるようなのです」


 ピクリと、師匠の寝癖が揺れた。チラリと金色の瞳がこちらを向く。それに確かな手応えを感じて内心諸手を挙げるが、あくまで表情は涼しく、変えることはしない。


「今最も警戒されている反乱軍と間違えられているわけですから、尋問にも力が入ってしまうでしょうね……。急がないと、お話もできないほど痛めつけられてしまうかも――」


 ギシッ、とソファーが激しく揺れた。師匠が跳ねるようにソファーから立ち上がったのだ。


 その格好はボサボサの髪にシャツ一枚を羽織っただけの、とても表には出れない恰好であったが、その目は眠気眼から一転、好奇心で爛々と輝いている。


 その表情を見て、ヨルシアは勝利を確信する。


「魔陣を一部だけ発動する?そんじゃそこらの若造にはできん芸当じゃなあ」


(わたくし)も大変驚きましたわ」


「そんな奴を万が一にも死なせちまったら、世界的損失ってことになるよなあ?」


「はい、それはもう」


「我がその尋問を取って代われば、そんな事態にはならんなあ?」


「ええ、誰も文句など言いません」


「仕方ない。我が直々に相手してやろう!」


 口角を上げてそう言い放つ師匠に、神妙な顔で「お手柔らかに」と呟きながら扇子を広げる。


 もちろん、見事師匠をその気にさせることができた嬉しさにニヤける口元を隠すためである。



 そしてそのまま部屋を出て行こうとする師匠を慌てて止めて、せめて着替えるように助言したのは余談だ。













「と、言うわけで、我が直々に助けに来てやったのじゃ。ひれ伏して感謝せい」


「頼んでいません」


 指パッチンで転移した先は、物で溢れ返り、足の踏み場もないほど散らかった部屋の中。着地したのは、積み上げられた本の上。


 しかしそこから降りても、どちらにせよ何かしらを踏みつけることになる。


 結局、ローアルはアキヨを抱き上げたまま、素晴らしい体幹で危うげなく本の上に腰かけた。



 ふと視線を感じ顔を上げると、目を見開いてこちらを見つめる少女と目が合った。


 17、8歳くらいだろうか。豊かに波打つ金髪に煌めく大きな碧眼。一目で高価と分かる、意匠の凝ったドレスを着た、いかにもお姫様と言った風貌の少女だった。




 ここまでの経緯をその少女から聞いたアキヨは、助けに来てくれたらしい魔導師に頭を下げた。


「あの、ありがとうございます」


「む!子猫は礼儀正しいのお。アル坊とは大違いじゃな」


「ですから、不躾に見ないでいただけますか」


「ぶははっそうじゃったな!減るからの!」


 部屋の窓際に置いてあるソファーに座った魔導師は、ひじ掛けをバンバン叩き爆笑しながら転げ回っている。


「あの、一つ確認しても?」


 どこか戸惑った様子の少女が、すっと遠慮がちに手を上げる。それに不屈の魔導師が大仰に頷く。


「許す」


「その、師匠とそちらの方々はお知り合いであった、ということでしょうか?」


「正確にはアル坊と我は旧知の仲じゃ。その子猫は初めましてじゃがな」


 ソファーから身を乗り出して興味津々と言った風にアキヨを凝視する魔導師に、思わず身を引いてしまう。


「そんで、魔陣を限定発動させたのも、恐らくそこの子猫じゃろ」


「え」



 少女の説明で、あそこに魔陣があった理由は分かったものの、それを誤発動させてしまった原因が自分だと言われ、戸惑う。自覚がなかったからだ。


 そもそも魔陣とは、魔力を使うのではなかったか。自分にも魔力があると言うことだろうか。


 アキヨが困惑していると、ローアルが硬い声で反論する。



「あり得ません。アキヨに魔力はありません」


「魔力が無い?」


 ローアルの言葉に反応したのは少女の方だった。怪訝そうにこちらを見ている。


「魔力が無い人など存在しませんわ。魔術が使える程の魔力量はなくとも、人は生まれながらに必ず魔力を持っているものです。仮に持っていないとしても、その状態では生命維持できるはずがありません」


「いや、アル坊の言う通り、そこの子猫に魔力は皆無じゃ。そもそも魔力を生成する器官が存在しとらん」


「なっ!そ、そんなことって……」


 余程あり得ないことなのか、少女が絶句している。


 魔導師は金色の光を煌めかせ、観察するようにこちらをまじまじと見つめる。


「面白い人間もあったもんだ。どれ、解剖を――」


「切りますよ」


「……剣が手元にないのにか?」


「刃でなくとも切断方法など幾らでもあります」


 微笑むローアルと、ニヤリと笑む魔導師に挟まれ、アキヨはなるべく身体を小さくさせる。



 少女が部屋の隅で、「師匠に対して “切る” だなんて――。いったい何者なの……」と呟いた後、それを誤魔化すように咳払いをして顔を上げる。


「師匠。それで、なぜ魔陣を発動させたのが魔力のない彼女だと?」


「子猫に憑いてる精霊の仕業じゃな。俗世的に言えば――『妖精の悪戯』と言うことになる」


「せ、精霊ですって!?」


 少女が大きな声で叫んだ。そこには驚愕がありありと含まれている。



 ローアルを見上げれば、少女ほどではないにしろ、こちらも驚いているようだ。しかし、どことなく納得したような表情でもあった。


「精霊であれば、既存魔陣の限定発動などと言う無茶も可能じゃろうなあ」


 そう結論付けたところで途端に興味が失せたのか、魔導師はソファーに寝転んだ。


 ソファーの背に隠れ、見えなくなった魔導師に向かって、ローアルが声をかける。


「ぜひ、その言葉を兵士の方々にもご説明いただけますか」


「炎毒竜の鱗100枚」


「……精々5枚程度の労力でしょう」


「ケチ臭いのぉ。足りなくなったら “また” 狩れば良かろうが」


 呆れたような魔導師の言葉に、またもや少女があんぐりと口を開いて、震える声を出す。


「お、お待ちください。炎毒竜って……。ま、まさか――!?」


 少女の悲鳴に近い声が部屋に響いた時だった。




 バタン!と部屋の扉が開いて、誰かが部屋に入って来た。


「魔導師殿!お待ちくださいっ!!その者達は恐らく――あ、あれ?」




 後ろにきっちり括られた髪が、戸惑いを表すようにサラリと揺れる。


 ローアルよりは低いものの、170後半はあるであろう身長と、切れ長の涼しげな瞳。軍服に包まれた細身の体躯に、中性的な容姿。


 飛び込んで来たその者は、本の山に優雅に腰かけているローアルと、その膝に乗るアキヨを見て、ポカンと口を開けた。


 そしてその視線を横に滑らせ、さらに目を見張る。


「姫!」


「ひ、ひめ?」


 思わず復唱するアキヨに、はっと我に返った乱入者は、左胸を2回叩き、ハキハキとした声音で名乗る。


「この度はこちらの不手際により誤って捕縛してしまったこと、大変申し訳ございません。私は、シロエと申します」


「……申し遅れました。私はヨルシア・プツェルツ=ルテニィボー。この国の王族として、私からも謝罪いたします」


 お姫様のようだと思ってはいたが、まさか本物のお姫様だったとは。



 頭を下げた二人に、アキヨは慌てて首を横に振る。


 アレは事故だったのだ。二人に謝られることではない。



 シロエと名乗った人物がソファーの方を向く。


「――魔導師殿、部屋を貸していただいても?」


「好きにしろ。我は寝る」


 ヒラヒラと手を振った後、宣言通り数秒で寝息をかきはじめる魔導師を横目に、シロエは真剣な表情でこちらに向き直った。


「あなた方は我が国の事情について、どこまで理解を?」


 ローアルがこちらに視線を向ける。それを受けてアキヨは徐に口を開けた。


「あ、あの」


「はい」


「どこまで、と言うか……、何も、分からない、です……」


 アキヨの弱弱しい言葉に、シロエとヨルシアは顔を見合わせ、思わずと言った風に苦笑を漏らした。


「巻き込んでしまい、本当に申し訳ない。早急に解放できるように手続きを――」


「待って、シロエ」


「姫?」


 途中で言葉を遮ったヨルシアを、シロエが不思議そうに見遣る。


「シロエ、この方達に全てお話しましょう」


「は、いや、それは――!」


「彼等は、今回の事についてきちんと説明を受ける権利があります」


 こちらに向き直ったヨルシアが、真剣な瞳でアキヨとローアルを見つめる。


「お時間さえよろしければ、少しお話を聞いていただけませんか?」


 ローアルを見上げれば、優しい瞳で微かに頷いてくれた。アキヨの意思を尊重してくれるようだ。


 二人の方へ視線を戻したアキヨは、然程迷うことなく、ゆっくり頷いた。



 こうして四人は、積み上げられた本を椅子代わりに、やっと腰を落ち着けたのだった。



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