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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
序章 旅立ち
2/66

伯爵の屋敷



「黒目っ! 」



 甲高い怒鳴り声が、今日も屋敷中に響き渡る。


 ドスドスと床を踏みつける音が、徐々にこちらへ近付いて来るのが聞こえた。



 掃いていた床から顔を上げ、廊下へ視線を向ける。


 「黒目」とは、この屋敷の者が使う、己の呼称である。



「はい」


 返事をして物置部屋から出ると、足音の主はもうすぐそこまで迫って来ていた。


 ひょろりと線の細い吊り目の女(おくさま)を先頭に、にやけ顔で様子を窺う栗毛の少年(ごしそくさま)と、険しい表情の老夫(かれい)の3人。



 すぐにその場で膝を突き、手と頭を床に付けてお辞儀をする。


 こちらを見下ろす彼等の内、最初に口を開いたのは家令だった。



「この割れ物に、見覚えがありますね」


 疑問ではなく、断定だった。



 彼の言う「この割れ物」とは何なのか、這いつくばったままの自分には分からない。


 しかし、ここでそれを確かめようと顔を上げようものなら、顔面にヒールの踵がめり込むのも自明の理である。そのため、低頭のまま口を開く。



「申し訳ございません」


 謝罪の前に、沈黙を挟んではいけない。


 全く身に覚えのない内容だが、間違っても「自分ではない」などと口にしてはいけない。



「謝って済む問題じゃないのよっ!」


 ガンッと背中に衝撃が走った。奥様に踏み付けられたのだ。



 息が詰まり喉が引き攣る。鈍い痛みと、背中にジワリと広がる熱。


 堪え切れずに漏れた嗚咽が止まる前に、今度は横腹を思いっきり蹴られ、意図も簡単に吹っ飛ぶ。


 為す術もなく廊下の壁に全身を打ち付け、一瞬意識が遠退きかける。



 肺からせり上がって来る空気に噎せながら、ぼやける視界に映る奥様の細い脚を見つめる。蹴られたことよりも、女性の蹴り一つでぬいぐるみのように吹っ飛んでしまう己の脆弱さに呆然とした。



「黙っていればバレないとでも思ったのかい!?」


 カツカツと近付いて来る、踵の高い靴。


 咄嗟に頭を庇おうとするが、骨のような腕は随分前から思うように動かなくなっており、緩慢な仕草で何とか頭上に持ってきたは良いものの、何の役にも立ちそうになかった。



「こんのっ……穀潰しが!!」


「――ッ!」



 尖ったヒール部分で腕を踏み潰され、鈍い音が耳元で聞こえた。


 折れたかもしれない、と他人事のように分析していれば、続いて無防備な腹を蹴られ、余りの衝撃に声すら出せずに蹲る。



 何度も何度も足を振り下ろしながら、罵詈雑言を撒き散らす奥様。


 ヒステリックな声が、廊下に響き渡る。



「生に執着する卑しい魔物めっ!!さっさとくたばれば良いものを!」



 やがて息が切れたのか、ハァハァという吐息音と共に衝撃が止み、幾らか落ち着いた様子で、奥様が家令に告げる。


「……今回の事は、余すことなく報告を」


「かしこまりました」


「旦那様も大事にされていた壺ですもの。今度こそ、この溝鼠を追い出して下さるでしょう」


 奥様は怒りの形相から一転、高笑いを上げると、くるりと踵を返して歩き去っていった。




「――残りの業務を終わらせ、直ちに自室へ戻るように。罰則は後ほど」


「くっふふ!かっわいそー」


 堪え切れないとばかりに吹き出したご子息様の嘲笑が、仕上げのように降りかかる。



 ボロ雑巾の如く床に転がったまま、奥様の後を追うように去って行く家令とご子息様の背中を、ぼんやりと眺める。


 ……体は痛みでしばらく動かせそうにない。気を抜くと意識が飛びそうだ。


 しかし、ここで気絶すると後がさらにひどい。そう学習するくらいには、この屋敷に長くいる。


 靄がかる意識を保とうと、此処に来た日のことをぼんやりと思い起こす。






 ――ふと目を開けると、そこは森だった。


 見回しても木ばかりで灯りは無く、先が見通せないほどに辺りは暗い。



 何故こんな所に寝転んでいるのか。寝惚けた頭が、目を覚ます前まで何をしていたのか思い出す前に、暗闇の中から突如現れた男達に拘束され、抵抗する間もなく荷馬車に放り込まれた。


 目覚めてわずか数秒の出来事だった。



 時代錯誤も甚だしい荷馬車の中。見回せば、自分と同じように手足を拘束された人々が押し込められていて、皆一様に暗い表情で俯いていた。



 為す術なく、ひたすら馬車に揺られること暫く――。


 辿り着いた掘っ立て小屋で、人間は競売にかけられていた。






 壇上の男が数字を叫び、それに大声で応える観衆。まるでマグロの競り売りの様に、目の前で飛ぶように “商品(にんげん)” が売れていく。


 やがて自分の順番が来て、押し出されるように壇上へ踏み出した。




 出てきた商品を見て――、群衆は初めて難色を示した。


 ざわざわと広がる戸惑いの声。あちらこちらから聞こえる囁き。



『なんだあの色は。気色悪い』


『やだ、目も黒いわ。なんて悍ましい』


『信じられんな。墨でも入れたのか?悪趣味な』



 結果、手を挙げたのはたったの一人だけ。売人が「伯爵」と呼ぶその男に、自分は買われた。


 ――そして、彼に連れられこの屋敷にやって来たのが、およそ2年前。




 伯爵は最初に、『お前は鑑賞用だ』と告げた。『お前の様に、髪も瞳も黒い人間など見たことがない』とも。


 伯爵は、各地から “珍妙なモノ” を集めてきては屋敷に飾って楽しむ「変わり者」で、屋敷の廊下には見たことのない生き物の剥製が置いてあったり、自分と同じように外から屋敷へ連れて来られた者の多くは、人の体に獣の尾が付いていたり、魚の鱗のような肌をしていたりと、一風変わった特徴を持っていた。


 恐らく彼等も自分も、伯爵のコレクションに加えられた “珍妙なモノ” ということなのだろう。




 屋敷に来た当初は、伯爵に呼び出された時だけ、執務室の隅でただ人形よろしく座って(かざられて)いるのが「仕事」だった。しかし、呼び出しは時が経つに連れて徐々に少なくなり、やがて全く無くなった。代わりに、今度は雑用係として扱き使われるようになった。



 どうやら自分は、伯爵に「飽きられた」らしい。


 「飽きられた」コレクション達は、例外無くこの屋敷から姿を消している。消息は不明だが、馬車に乗せられて何処かへ連れて行かれるのを、何度か窓の外から見たことがあった。その度に、もうすぐ自分の番かもしれないと思い()していたが、幸か不幸か、未だにその機会は訪れていない。






 このまま此処で、死ぬまで働き続けるのだろうか。


 ふと、そんな疑惧が脳裏をよぎるが、すぐに首を横に振る。



 ……何にせよ、自分はまだ生きている。だったら今まで通り、死ぬまで生きる。それだけだ。



 行き着いた結論に一人納得し、ゆっくりと体を起こす。


 ――さて、まずは物置部屋の掃除を終わらせなければ。



 人知れず吐いた溜息は廊下に響くことなく、床にポトリと落ちて消えた。













 『黒髪黒目の奴隷が、奥様の大事にしていた壺を割った日』から2週間後。



 地下に宛がわれた己の部屋を前触れなく訪れた家令は、開口一番、伯爵が呼んでいるから付いて来いと告げた。



 ……いよいよクビの通達だろうか。

 廊下を移動しながら、去って行ったコレクション達を思い返す。遂に自分の番、という事か。






 辿り着いた応接室の前。重厚な扉を、家令が三回ノックする。


「旦那様、連れて参りました」


「入れ」


 久方振りに聞いた伯爵の声。そう言えば面と向かって対するのは「飽きられて」以来初めてだ。



 家令と共に入室し、奇妙な調度品の立ち並ぶ内装から床に視線を固定すると、すぐにその場へ跪く。


 応接室内には、毒々しい色のソファーに深々と体を沈めた伯爵と、もう一人。背筋をピンと伸ばして伯爵の向かいに腰掛ける、白衣姿の男がいた。


 初めて見る顔だ。七三に分けられた前髪に、襟足が服に付かないようきっちり整えられた癖のない深紫色の髪。きりっとした細い眉に切れ長の瞳。かけている銀縁眼鏡が、神経質そうな印象を助長させている。



 男がこちらを見て、カチャリと眼鏡を押し上げた。


「ほう、これはまた」


 男の平坦な声に釣られるように、伯爵も髭を撫でながらこちらを見た。


「見事なものだろう」


「ええ、興味深いですね。本当によろしいのですか?」


「妻が我慢ならんと言うのでな、仕方あるまい。息子は(いた)く気に入っておったが、まあ新しい玩具を与えてやれば、コレの事などすぐに忘れるだろう」


「そうですか。こちらとしては有難いお話ですが」


「決まりだな。……おい、黒目」


「はい」


 伯爵から声を掛けられ、低頭したまま返事をする。



「此奴が今日から、お前の新たな主人となる。異形のお前を貰い受けてくれる奇特な者だ。恩を忘れず精々励め」


「はい」


 淡々と返事をする。詰まらなそうにこちらを一瞥した伯爵は、続いて家令に声をかける。


「契約書は持ってきたか」


「こちらに」



 紙の擦れる音と、何かを書き込むサラサラという音が室内に響く。


 これまで、何回も同じ作業をしてきたのだろう。そこには、慣れを感じさせる雰囲気があった。……過去のコレクション達も、こうして解雇されていったのだろうか。




「――では、お先に失礼します」


 ペンを置く音と共に眼鏡の男が立ち上がり、こちらに何を言う事もなく、そのまま応接室を出て行った。


 代わりとばかりに、家令が告げる。


「荷物をまとめたら外に出なさい」


「はい」


 何はともあれ、屋敷勤めは終了で、眼鏡の男が伯爵に代わり、己の次なる主人となるようだ。



「……失礼、致します」


 ゆっくり立ち上がり、伯爵へお辞儀をした後、部屋を出ようと踵を返す。



「逃げようなどと、考えるなよ」



 廊下へ一歩踏み出したところで、聞こえた言葉に振り返る。


 扉が閉じる寸前――、口元を歪めて嗤う伯爵と目が合った気がした。






 荷物をまとめろと言っていたが、持って行くような物もない。着替えを数枚腕に抱え、最後に自分の部屋だった場所――地下牢の小室を何とはなしに眺める。


 光の射さないガランとした牢屋は、いつもより暗く陰湿に見えた。






 外に出ると、既に馬車の準備を進めていた眼鏡の男が、こちらを一瞥した。……かと思えば、さっさと中に乗り込んでしまう。


 自分はこの馬車に乗って良いのだろうか。指示されるまで乗らない方が良いのだろうか。どうすれば良いか分からず、馬車の前で突っ立つ。



 いつまで経っても動こうとしない様子を見兼ねたのか、暫くして男が馬車の中から顔を覗かせた。


「何をしているのです。早く乗りなさい」


 ……乗って良かったらしい。



 足掛けに体重を乗せ、馬車の中へ踏み込む。車内の造りは、列車の個室によく似ていた。向かい合わせにワインレッドのソファーが取り付けられていて、窓には赤いカーテンがぶら下がっている。



「中で転がることをご所望ですか?そうでないなら早く座りなさい」


 平坦な声に促され、男の斜め向かいに座る。



 御者に指示する男を眺めていれば、ぱちりと目が合った。


 眼鏡の奥から覗く深紫色の瞳は、底なし沼のように澱んで見えた。



「貴女は人間ですか」


 男はこちらを品定めする様に上から下まで見た後、唐突にそんな事を問うた。


「……? はい」


 質問の意図が読めず戸惑いながらも、とりあえず肯定する。


 すると男は目を伏せ、やや粗雑な仕草でソファーに背を凭せ掛けた。


「魔獣の類、ではないのですね」


「まじゅう?」


「――いえ、結構です」


 それっきり口を閉ざしてしまった男から視線を逸らし、窓の外を見遣る。




 伯爵の屋敷が建っている丘から坂を下れば、三角屋根の家が連なる赤煉瓦の街があった。


 立ち並ぶ出店には、キラキラ光る装飾品から見た事のない食べ物まで、様々なモノが売られている。


 その前を物色して歩く人々の髪色は様々で、その中に黒髪は見当たらない。



 井戸端会議をしている女達。ジョッキ片手に千鳥足で歩く男達。笑いながら道を駆ける子供達。その誰もが、土埃で汚れた簡素な麻服を着ている。


 まるで中世ヨーロッパのようなその風景に、今まで頭の片隅に燻っていた一つの仮説が、明確な形となって警鐘を響かせる。


 それを断つように、頭を軽く振って、流れる風景から意識を切り離す。



 ……例え、それを今結論付けたとして、どうしようもないことだ。何も変わらないのなら、考えるだけ無駄。知らないままで、構わない。




 馬車は次第に人里を離れ、森の中へと進んで行く。


 カーテンの隙間から見える景色が緑に染まっていくのをぼんやりと眺めながら、小さく溜息を漏らす。さて、待っているのは掘っ立て小屋か、大きな御屋敷か――。




 沈黙は途切れることなく、馬車の揺れが止まるまで続いた。



1話につき、だいたい5000字前後で投稿予定です。

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