彼等の夢
ローアルに抱えられて、廃れた裏町を進むこと数分。
ツキ達と別れてから始終無言だったローアルが、不意にポツリと呟くように言葉を落とした。
「お迎えが遅くなってしまい、すみません」
「え、なんで謝るの?」
それはヘルやローアルから言われることはあっても、言うことはなかった言葉。ヘルの家で、口癖のように「ごめんなさい」と言っていたアキヨに、当初渋い顔をしていた二人の気持ちが、初めて理解できた気がした。
心配をかけたのは自分の方なのに、なぜローアルが謝るのか分からない。しかも、どこに飛んだかもアキヨ自身分からなかったのに、遅いどころか、早すぎるくらい間もなく見つけてくれた。
いよいよ謝罪の理由が分からない。
戸惑うアキヨに、硬い表情を崩さないローアルは、暫しの沈黙の後、クシャリと表情を歪めた。
歩みがピタリと止まる。
「いえ、私が耐えられなかった。アキヨがいなくなった瞬間を思い出すと、まだ手が震えます。離れている間、生きてる心地がしなかった。私、私はきっとアキヨが “また” いなくなったら、今度こそ狂ってしまうんだと、予感はしていても実感はしていなかった。したくもなかった――……」
何か、おかしい。
段々早口で捲し立てるように言葉を紡ぐローアルの目を見れば、焦点が合っていない。
存在を確かめるように、言葉と共に強くなる腕の力が、アキヨの体を痛めつける。
ローアルはよくアキヨに触れるが、力加減を間違えることなど今まで無かったのに。
「もう、離れたくない。あんな思いは二度とごめんだ。お願いだから、俺の前からいなくならないで……。俺を置いて行かないで――」
ポツリと、何か冷たいものが頬に当たって、目を見開く。
ローアルの目元から、ハラハラと雫が落ちる。
唖然とした。ローアルが、泣いている。
何で。何でそこまで――……。
抱き締める力が強くて圧迫感で呼吸がし辛い。
ここまでくると痣になっていそうだ。ぼんやりと、現実逃避するようにそんなことを考えながら、ゆるりと腕を動かす。
「ごめん。ローアル、ごめんね」
今は自分と同じ色の髪を、ぎこちなく撫でる。
見た目通り、サラサラとした手触りの髪が、自分の小さな手から零れ落ちる。
「大丈夫だよ。心配させちゃって、ごめんね」
理由は分からないが、ローアルは精神的に不安定になっているようだ。
涙に濡れて波打つ、チョコレート色の瞳が、ゆるりとこちらを向く。
「迎えに来てくれて、ありがとう」
「っ!」
はっとその瞳に理性が戻る。
暫し呆然とアキヨを見つめた後、拘束していた腕の力が一気に抜けた。
「あ、ぁ、お、俺はっ……いや、私は――」
大混乱。
その単語を体現するかのように、傍目から分かるほど、ローアルは挙動不審になった。
瞳を忙しなく動かし、一旦アキヨを地面に下ろしたと思ったらまた抱き上げ。顔を赤くさせたり青くさせたりしながら一進一退を繰り返し。瞬きの反動で目尻に残った涙が頬に落ちたと思ったら、その感触に盛大に狼狽え……。
「――ふっ」
その様子をしばらく見つめていたアキヨの口から、吐息のような音が漏れた。
「ふふっ」
「ぇ」
頬が緩むのを感じる。笑ったら失礼だと思いながらも、口から漏れる声を抑えられない。
こんな気持ちは初めてだった。……そう、初めて。
ポカポカして、景色がとても明るく見える。何だかとても愉快な気分。
――そうか。これが、『おもしろい』と言う感情なのかもしれない。
「ローアル、落ち着いて」
不謹慎だと思いながらも、頬が緩むのを抑えられないまま、もう一度ローアルの頭を撫でてみれば、目を見開いてこちらを凝視していた彼の顔が、ボンッと一気に真っ赤に染まった。
「え、だ、大丈夫?」
「っうぅ~……反則ですって、それは……!!」
「え、え?」
力が抜けたように地面に膝をつき、立ったままのアキヨの肩にローアルが顔を埋める。
「……心配しました」
「う、うん。ごめんなさい」
「……頭撫でてくれたら、許します」
アキヨの肩に顔を押し付けたまま、不貞腐れたようにローアルがボソリとそんなことを言う。
それがまた何だか面白くて、アキヨは口元を綻ばせた。
それからしばらく、ローアルが顔を上げるまで、アキヨは言われた通り、彼の頭を撫で続けたのだった。
ビゾンとヤソンの家に戻ると、二人は薬を母親に飲ませているところだった。
「おお、戻ったか。無事でよかった」
ビゾンがこちらに気付き、軽い調子でそう言うと、ローアルが低い声で、
「そもそも、貴方がアキヨに魔陣を渡さなければこうはなってないんですけどね」
と、ボソリと呟く。しかし小さい声だったので、アキヨ以外には聞こえなかったようだ。
目を覚ましたのか、咳をしながらも身を起こした母親が、こちらに微笑みかける。
「ヤソンにこんなに可愛いお友達がいたなんて。何もお構いできませんが、ゆっくりして行ってね」
「友達じゃねえよ!」
「こら。あんたはいつもそうやって……」
言い合う彼等の姿を見つめていると、こちらの視線に気付いたヤソンとバッチリ目が合った。
「てかお前さ、何で俺んち来たいって言い出したんだよ」
母親の横で胡坐をかきながら、不思議そうにこちらを見つめるヤソン。奥で調合道具を片付けていたビゾンもその答えに興味があるのか、その手を止めてこちらを向いた。
「……裏町の人が、どんな風に生きているのか知りたくて」
きっかけは、船の上でビゾンと会った時だ。
――痩せた体躯、落ち窪んだ目、曲がった背中。ウユジの民だと答えた、土気色の唇。
彼を見た時、自分と似ていると、そう思った。
男の外見は、虐げられた者のそれだった。自分もそうだから分かる。
彼も自分と似た境遇にいたのかもしれない。そう察すると同時に、彼が何を考えて生きているのか知りたいとも思った。
そして、ウユジに行って判明した表町と裏町の実情。店から追い出される男の子に、見て見ぬ振りをする表町の人達。
表町は外面を取り繕ったベール。裏町を見てみなければ、きっとウユジの本当の顔は分からない。
今まで分からないことがあれば、分からないままにしていた。
考えたって仕方がない。幸せを望まない代わりに、現状に満足する。多くを望まなければ期待せずにいられる。
体の傷はいつかは治るけど、心の傷はいつまでもジクジクと痛むから。だから、そうやって全てに鈍く、心さえも反応しないように、見ないようにしてきた。
だけど、ヘルやローアルと出会って、王様と話して、自分は変われるんだと気付いた。
だから、旅に出たのだ。
もう、見て見ぬ振りはしない。しっかり見て、知って、感じる。そうして世界のことも、自分のことも、幸せって何なのかも、知っていきたい。
自分を、変えたい。
「裏町の人は、私に似てるけど、似てなかった」
「はあ……?」
「ヤソンは、夢を持ってた」
ヤソンがお店の人に追い出されているのを見た時、虐げられていた頃の自分と重ねた。
船でビゾンを見た時と同じ。自分と同じように傷つけられているこの少年が、どんな生き方をしているのか知りたいと思った。
自分は全てを諦めることで、全てを受け入れた。前に進むことはできなくても、後退することもない生き方を選んだ。
でも、もっと違う考え方もできたのかもしれない。もっと違う生き方があったのかもしれない。
……この少年は、どんな考え方をしてどんな風に生きているのか。知りたいと思ったのだ。
あの時、夢を語ってくれたヤソンの瞳は希望に満ち溢れていた。
「騎士になりたい」と語るヤソンの話しを聞きながら、何でそんな風に前を向いていられるのか疑問だった。
生活は苦しいはずだ。生きることに精一杯のはずなのに、何で夢を持って頑張れるんだろう。
だけど、ヤソンの家に来てみて、やっと分かった。
根本的に違かったんだ。私と、ヤソンとでは。
「ヤソンには、愛してくれる人がいるんだね」
私の言葉に、誰かが息を呑んだ。
ヤソンには家族がいた。私と違って、無条件に愛し、愛される存在が。
だから頑張れる。夢も持てる。希望を持って前を向ける。
「ありがとう。私、ここに来れて良かった」
「よく分かんねえけど、知りたいことが知れたってことか?」
「うん」
「ふーん。それならまあ、良かったな」
「……うん」
頷くアキヨに、それまで黙っていた母親が穏やかに声をかける。
「貴女には、いるの?」
「え?」
「無条件に、愛してくれる人が」
思わず彼女の瞳を見つめる。
その目はとても優しかった。
だから、いない、と言い辛くて、口籠ったアキヨの横で、代わりに答える声があった。
「います」
短く、しかしはっきりと断言したのは、言わずもがなローアルだ。
驚き、息を呑むアキヨの手を握り、ローアルは涼しげな表情でヤソンの母親を見つめる。
そしてそんなローアルに、アキヨと同じく目を丸くさせた母親は、しかしすぐに朗らかな笑みを浮かべた。
「そう。それは安心したわ」
「ええ。ご心配には及びません」
飄々とそんなことを言ってのけるローアルに、ヤソンがニヤニヤとこちらを見る。
「あんたの護衛、なかなか言うな」
「ご、護衛?」
「兄妹設定は無理あんだろ。妹に敬語使う兄がいるか。バレバレだったぞ」
ビゾンから呆れたように言われ、言葉に詰まる。
……だからと言って護衛ってわけでもないのだが、それじゃあ何だと聞かれても明白に答えられそうになくて、結局口を噤むしかない。
そもそも、一緒に旅をする仲であるにも関わらず、自分はローアルのことを知らなすぎる。
ヤソンとの会話でそれを痛感した。英雄の事とか、本当に全てが初耳だったのだ。
思考が横にずれた結果、黙り込んでしまったアキヨは、自分とローアルが『お忍び旅行中の貴族令嬢と護衛騎士』であると、兄弟の中でインプットされてしてしまったことに気付くことはなかった。
「長居してしまって、すみません」
「あら、いいのよ。また良かったら遊びに来てちょうだいね」
「……はい」
外に出ると、すっかり日が傾き、辺りがオレンジ色に染まりだしていた。
「ありがとうございました」
送り出すために一緒に外に出てきてくれたビゾンに頭を下げれば、軽く手を上げて微笑まれた。
「薬作んの手伝ってもらったし、礼はいらねえよ。それと魔陣のことは、事故とは言え悪かったな」
こちらに倣う様に軽く頭を下げられ、首を横に振る。本当にあれは事故だったのだ。誰が悪いと言うことでもない。
そして、そう言えばと彼を見上げる。
「貴方には、夢がある?」
唐突なその質問に、普通であれば怪訝そうにされるところだが、先程のアキヨの言葉を思い出したのか、ビゾンは頬をポリポリと掻き、視線を横に反らしながらも答えてくれた。
「俺は……、家族が幸せでいてくれることが一番だと思ってる」
「しあわせ」
「ああ、二人が笑ってくれてれば、それでいい」
そう言って照れくさそうに笑ったビゾン。それが彼の夢。アキヨはゆっくりと瞬きをした。
「じゃあ、もう叶ってるね」
アキヨの言葉に目を見開いたビゾンは、
「――ああ、そうだな」
噛み締めるようにそう言って、くしゃりと笑った。
「そう言えばあんたら、どっから来たの?」
頭の後ろで手を組み、少し遅れて家から出て来たヤソンが首を傾げながら訊ねる。
「……ケダトイナから」
「へー!いいなあ、ケダトイナ。行ってみてえなあ」
キラキラした瞳で、夢見心地にそう言うヤソン。
ちらりとローアルを見上げれば、我関せずと言った様子で静かに微笑んでいる。
「ってか、ケダトイナから来たのに英雄のこと知らないって……、ますます意味分かんねえんだけど」
確かにそれもそうだ。正直に答えてしまったが、嘘でも「遥か東の島国」とでも答えとけば良かったかもしれない。
後悔先に立たず。アキヨは自身の出身にはそれ以上触れず、ケダトイナに行ってみたいと目を輝かせるヤソンを見つめる。
「騎士に、なれると良いね」
そう声をかければ、ヤソンはふと真剣な表情になった。
「正直に答えてくれて良いんだけどさ」
「?」
「俺、騎士になれると思う?」
「うん」
間を置かず頷いたアキヨに、ヤソンはなぜかポカンと口を開けた。
「なっ、そんなあっさり……」
がくりと肩を落としたヤソンに首を傾げ、アキヨはローアルを見上げる。
「ローアルは、どう思う?」
「なれますよ。なろうと思えば」
こちらもあっさり頷く。その答えに満足してヤソンを見れば、またもや唖然とした表情で固まっていた。
「どうしたの?」
「え、いや……。無理だと言われるもんだと……」
「なんで?」
「な、なんで?」
アキヨに釣られるように首を傾げたヤソンと見つめ合う。
「やりたいことがあるのに、やらないのは、もったいないと思う」
「もったいない……」
「結果は分からないけど、やってみなきゃ、どっちにしろ分からないから。やらないより、やってみた方が良い」
そう、この世界に来てから思うようになった。以前の自分にはできなかった考え方だ。
だから私は旅に出た。この先自分が何を感じ、何を知るのかなんて分からないけど、でも今はそれでいいとも思う。
「私が、今ここにいるのは、皆が背中を押してくれたから。だから、私もヤソンの背中を押したい」
「……」
「ヤソンは、騎士になれるよ」
「そ、そっか」
ポリポリと頬を掻いたヤソンが、ほんのり頬を赤くしながら照れたように笑った。
「そうだよな!やるかやらないかは俺の自由だしな!ウユジの民らしく、自由に生きてやる!」
「うん、応援してる」
ぎゅっと拳を握り締め深く頷いて見せると、ヤソンはニカッと笑った。
「俺さ、さっきはああ言っちまったけど――」
「?」
「その、お前のことはさ、友達だと思ってるから!またウユジに来たら寄ってくれよな!」
「ともだち」
固まるアキヨに、ヤソンが焦ったように視線を泳がせた。
「あ、お貴族様に友達とか、不躾だったか?ご、ごめん俺――」
「私、友達って初めて」
胸が温かい。自然と頬が緩む。
そうだ、これは「嬉しい」という感情。
何故か驚いたように目を見開くヤソンを見つめる。
「嬉しい。ありがとう」
「っお、お前、笑えんじゃん!」
顔を真っ赤にさせて何故か怒ったようにそっぽを向くヤソンを、ビゾンがニヤニヤと見つめている。
そんな二人に首を傾げると、くいっと軽く手を引かれた。そちらを向けば、ローアルがニコリと微笑んでアキヨを見下ろしていた。
「そろそろお暇しましょうか」
「あ、うん」
「元気でな。また会おうぜ」
「じゃあな!絶対また来いよ!」
元気よく手を振るヤソンと、軽く片手をあげるビゾンに頭を下げ、アキヨとローアルはその場を後にした。
しばらく無言で歩いていたが、裏町から表町へと続く道の途中、ローアルがふと思い立ったようにアキヨに尋ねた。
「ウユジでの用は終わりましたが……、次の行き先はどうしましょうか」
聞かれて思い出すのは、身分証を作ってくれた小人の魔導師が言っていた言葉だった。
「亜人の国に、行ってみたい」
「ジアンノ・リモですね。なるほど……」
何かを思案するように考え込んでいたローアルだったが、すぐにニコリと微笑む。
「分かりました。しかし、あそこへ行くにはルテニボンを通らないとですから、まずはそちらへ向かいましょうか」
「ルテニボン?」
「ルテニボン帝国。東大陸一の国がケダトイナであるのに対し、中央大陸一の国に当たるのがルテニボン帝国です。と言っても、そこまで大きくなったのは最近なのですが」
どうやら亜人の国は無人島にあるとされているらしく、そこに行くための船がルテニボン帝国からしか出ていないらしい。
「分かった」
「決まりですね」
表町に出て一気に増えた人ごみの中を、二人手を繋ぎ、港へと歩を進める。
次なる目的地は、抑圧の国――ルテニボン帝国。
フードを目深に被り、喧騒に紛れて歩く二人に目を向ける者はいない。
――――否、たった一人だけ。
「なっ、なんだアレ……。本当に人か?」
すれ違いざま、ぎょっとしたようにフードの二人組を振り返ったその男は、思わずと言ったように呟きを落とすが、すぐに視線を前に戻し、逃げるように歩き去る。
男の青銅色の瞳が、夜の闇の中で鈍く輝きを放つ。
しかし、それもやがて夜の喧騒と客引きの灯りに紛れて見えなくなった。




