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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
第一章 自由の国
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再会



 アキヨはずっと手に持っていた白い紙を見つめ、小さな溜息をついた。



 ここに飛ばされてからどれくらい経っただろうか。太陽の動きを見るに、恐らくそんなに時間は経っていないと思うが……。


 しきりに安全確認をしていたローアルを思い出し、気が重くなる。


 「だから言ったじゃないですか!」と言う幻聴が聞こえた気がした。




 周りを見回すが、人気が全くない。治安の心配はなさそうだが、これではどこへ行けばいいのか訊く人も見つからない。


 アキヨは先程から代わり映えのない景色を眺めながら、ゆっくりと歩を進めていた。




 暫くして。



「!」


 はっと目を凝らす。


 白い光に反射して、蜃気楼の向こうに一瞬、人影が見えた。



 逃してはならないと慌ててそちらへ歩み寄るが、その人影がはっきり見えてくるにつれ、アキヨの足は驚きで鈍った。


 あちらもアキヨの存在に気付いたようで、まじまじとこちらを見つめている。



 燃えるような赤い髪をサイドへ流し、緩く結んだ髪型。ヒールの高い靴に、この世界ではあまり見ない膝丈のタイトスカート。上着の代わりに白衣を羽織った、モデルのようにスタイルの良い女性。


 そう、そこにいたのは研究所にいた女――副所長だった。



「……珍しい状況だわ。こんな僻地に身なりの良い子供が一人でいるなんて」


 相変わらず独り言が大きい。フードを深くかぶっているためアキヨだと気付いた様子はなく、カツカツとヒールを鳴らしてこちらに近付いて来る。


 その好奇心に溢れた視線は、研究所にいた頃と何ら変わっていない。



「どうしたの坊や。迷子?」


 しゃがみこんだ女と目が合い、その瞳が見開かれる。


「――!貴女……」


「……」


 気付かれた。


 なんと言えばいいのか分からず、沈黙するこちらをまじまじと見つめる真っ赤な瞳。


「あらまあ、そんなことってあるのかしら。貴女生きていたのね……」


 しみじみとそれだけ言って、それっきり女も黙り込んでしまった。


 その表情はとても複雑そうで、怒っている様にも悲しんでいる様にも見えた。



 ふと、視界が暗くなる。


 唐突に射した影に驚いて顔を上げると、女の隣にとても大柄な男が立っていた。


 服の上からも分かるほど筋肉隆々の体躯。両目に大きな傷を負い、目が見えていないようだが、その顔は真っ直ぐにアキヨの方を向いており、眉間には深い皺が刻まれていた。


「……」


 しかし、なんだろう。これだけ大きな体なのに、まるで存在感がない。影が射さなかったら、そこにいると気付かなかっただろう。


「ちょっと威嚇しないで。怖がってるでしょう?」


 別に怖がってはいないのだが、女にとってはきっとどちらでも良いのだろう。ただ、この沈黙を壊したかっただけなのかもしれない。


「丁度良かったわ。私、貴女に聞きたいことがあったの」


 不意に女が思いついたようにそう言った。


 その声は世間話をする様に軽い調子だったが、何故か怒っているようにも聞こえた。



「ねえ貴女、最後の日に檻から出してあげましょうかって私が聞いた時、頷かなかったわよね。なんで?」


 言われて思い出す。



『ねえ、ここから出して差し上げましょうか』


 あの時の女の問いに、確かに自分は首を()()振って応えた。


「私だったら逃げたいって思うわ。実際に今まで同じ質問を色んな被験体にしてきたけど、全員が『出してくれ』って懇願した。でも貴女だけは違った。なんで、あの時首を横に振ったの?」


 まるで責めるような強い口調で問われ、戸惑いながらも口を開く。


 答えはシンプルで、迷うことはなかった。


「求められることがあるなら、答えたかった、から」


 女の顔を見上げれば、キョトンとした様子でこちらを見つめていた。


 毒気が抜かれたように唖然としている。



「え?何それ。本気?」


「……はい」


「今までどう生きてきたらそういう思考回路になるの?」


「……」


「あー、答えなくていいわ。一生かかっても分かり合えない気がするもの」


 答えに窮して口を噤むと、女は突然全てが馬鹿らしくなったと言わんばかりに、手をヒラヒラと振った。


「一生を他人のために捧げるなんて、死んでも嫌。私はもう、選択を間違えない」


 ポツリと、やはり大きめな独り言を吐き出した後、女は気怠げに首を傾げた。



「それで、なぜ貴女がここに?私たちを探しに来たとかではないでしょうね?」


 アキヨは暫しの沈黙の後、女と同様、首を傾げた。


「迷子……?」


「なんで疑問形なのよ」


「逸れちゃって……」


「呆れた。本当の迷子じゃない」


 言葉通り、呆れた様子でこちらを見下ろす女に、アキヨも質問を返す。


「あの、あなたたちはなぜここに……?」


「おかしい?貴女があの研究所から出てからのことは知らないけれど、いろいろ聞いてはいるんじゃない?犯罪者がウユジに逃げることは珍しいことではないでしょう?」


「犯罪者……?」


 微かに首を傾げたアキヨに、最初は皮肉気な笑みを浮かべていた女だったが、本気でアキヨが分かっていないと気付くと、目を見開いた。


「嘘でしょ……。何も聞いていないの?貴女、騎士団に助け出されたのでしょう?」


 何も聞いていない、わけでもない。


 件の研究所が強制弾圧され、そのおかげで自分は助かったのだとヘルから聞いた。


 しかしそこで働いていた研究員たちがどうなったかまでは知らなかった。



「しかもそのまま “あの” 団長様に囲われて悠々と暮らしてるって聞いていたけれど、やはりあれは噂に過ぎなかったのかしら」


「?」


「そう……。やはり自分の目で見たものを信じなきゃね。そのためにこうして出て来たのだし」


 ふうと溜息を吐いた女が、何の気なしにアキヨの手元に視線を遣り、不意に眉を寄せた。


「ちょっと待って。何で貴女がそれを持っているのよ」


 つい、と指差されたのは、ずっと握っていた幾何学模様の描かれている白い紙。


 女の質問の意図が分からず首を傾げるアキヨに、一気に警戒の色を濃くした女が、硬い声音で問う。


「あなた、ここに来る直前までどこにいたの」


「裏町に住んでる人の、所に」


「……もしかして、病気の母親がいるって言う?」


 アキヨが頷くと、ハッとしたように女は自分の服のポケットを探り、すぐに決まり悪そうに手をこちらへ差し出した。


「失態だわ、転移魔陣を置きっ放しにしてしまうなんて……。それ、私の物よ。返してくれる?」


 女の物だと言う紙を大人しく手渡す。


 これは魔陣だったのか。転移……瞬間移動することができる魔陣なのだろうか。


 そう言えば、病気の母親を治すために医者から薬を貰ったとビゾンは言っていた。それに、ヤソンは医者のことを「あの女」と呼んでいた気がする。


 つまり、ビゾンが連れてきた医者と言うのは、この女のことだったのだ。



「何で貴女がその男の家にいたかは知らないけれど、偶然にしては気持ち悪いわね」


 女は未だ警戒を解いていないらしい。冷え冷えとした表情のまま、すっと目を眇める。


「それで、貴女は誰とここへ来たのかしら」


 ここへと言うのは、ウユジへという意味だろう。


 何かしら疑惑を向けられているのを感じながら、大人しく問いに答えようと口を開く。


 その時だった。






 グイッと、後ろから強く誰かに抱き込まれた。


 本当に急な事で、反応できずに固まる。


 しかしすぐに頭上から降ってきた声に、また違う意味で体を強張らせた。



「動くな」



 底冷えするような声音だった。


 普段聞く優しいソレとは対極的な、殺気の滲み出た別人のような声音。



 そのあまりにいつもと違う雰囲気に、自分を抱きしめているのがローアルであると暫く分からなかったほどだ。



「――物騒ね。一般人に剣を向けるなんて、どういうつもりなのかしら」


「切られたくなければ詰問にだけ答えろ。ここで何をしていた」



 止めなければ。アキヨは直観した。


 ローアルは何か勘違いをしている。このままではきっと、死人が出る。



 殺気に当てられ震える体を叱咤し、恐る恐る伸ばした手でローアルの服を引っ張ったアキヨは、恐怖で張り付く喉を無理矢理こじ開けた。


「ろ、ロー、アル。こ、この人達は――」


「ローアルですって?」


 しまった。本名で呼んでしまった。


 女の声が一段低くなった。……余計拗れてしまったようだ。



「――やっぱりあの噂、本当だったんじゃない」


「貴様等、ケダトイナの人間か」


「今は違うわ。団長様」


 女の雰囲気が、研究所にいた頃のような飄々としたものに変わった。対するローアルはピクリとも動かず、剣先も真っ直ぐ女に固定したままだ。



「研究所の職員名簿と捕縛した者の人数が合わなかった。丁度2人だ」


「あら、そうなの。噂に聞く王属騎士団の方でも取り逃がすことなんてあるのね」


「放っといても実害は無いと判断したが、我が主に危害を加える存在となるなら話しは別だ」


 何とか誤解を解こうと見上げたローアルの目は、瞳孔が開ききっていた。


「答えられぬのなら質問を変えよう。我が主に何をした」


 まさに一触即発とはこの事かと思うほど、空気が張り詰めていた。


 恐らく、返答次第で本当にローアルはこの人達を切り殺してしまうだろう。それだけ本気の殺気だった。



「……別に何も、と言ったら信じて下さるのかしら?」


 気丈にもそう返答した女の顔は、ローアルに阻まれて見えなかったが、その声は微かに震えて聞こえた。


 カチャンと剣を鳴らす音で我に返ったアキヨは、慌ててローアルの拘束から逃れるように腕を突っぱねった。



「ローアル!待って!!」



 シンと静まり返った空気に、その声は存外大きく響いた。


 滅多にないアキヨの大声に、ローアルがハッとしたように視線を下に遣る。



「あ、アキヨ……?」


「ローアルは何か勘違いしてる。私は本当に何もされてない。剣を下ろして」


「ですが……」


「下ろして」


 きっぱり、そう言えば、ローアルは戸惑った様子で剣を下ろした。


 しかし、警戒は薄れていないのか、反対にアキヨを抱き込む腕に力が入った。剣も鞘に納めることなく、握ったままだ。



「本当に何もされていませんか?アキヨが触れた魔陣の魔力残滓は、間違いなくそこの女のものと一致しています。しかも元研究所の職員だ。意図的であったとしか――」


「確かにこの人とは知り合いだけど、全部偶然。ビゾンさんに薬をあげた医者がこの人。魔陣はただ置き忘れただけ」


 そう言って後ろを振り返れば、目の潰れた大男が女を庇うように仁王立ちしていた。


 相変わらず気配が無くて分からなかったが、ローアルが現れてからずっと、女を守るように立ちはだかっていたようだ。



 対する女は、なぜか半目でこちらを見ている。以前ケーキの話しをした時にも見た、げんなりとした表情だった。



「偶然?それにしては出来過ぎている気がしますが……」


「そうね。それは同感。だけど事実なのだから、それ以上説明しようが無いわ」


 投げやりな女の言葉に、ローアルが不快とでも言いたげに眉を寄せた。そんな二人の険悪な雰囲気に、また殺気立たれては堪らないと、慌てて口を挟む。


「この女の人は、悪い人じゃないから。大丈夫」


「「……」」


 なぜか黙り込んでしまった二人に、アキヨはおろおろと視線を彷徨わせる。


「ほ、本当に、この人がいたから、研究所の時、死なずに済んだの」


「それはどういうことですか」


「食べ物を分けてくれた。それでたぶん、生き延びられた」


 あのパンが無ければ、調合物だけの摂取ではいずれ無理が祟って衰弱死していただろう。


 一生懸命弁明するアキヨに、ローアルがふとその腕から力を抜いた。


「言いたいことは色々ありますが……、分かりました」


「!」


「今回は見逃す。次は無い」


 女と大男に向かって言い放ち、ローアルは剣を鞘に戻した。


 ほっと息を吐くアキヨの体が、不意にフワリと浮く。ローアルに抱きかかえられたのだ。


 そしてそのまま歩き出そうとするローアルに、慌てて女の方を振り返る。



「あ、あの。名前を」


「え?」


「名前を、教えてほしくて……」



 アキヨの言葉が余ほど想定外だったのか、女は目を見開き、幼ささえ感じさせるポカンとした表情でこちらを見つめた。



 そして次の瞬間、


「あっはははっ!!」



 何故か爆笑された。


 腹を抱えて笑う女の姿に、アキヨは戸惑い、ローアルがさらに距離を取るように早足で数歩進む。


「うふふっ、今の言葉、所長にも聞かせてあげたかったわね」


 そう呟いた声は、今まで聞いた中で一番穏やかで、そして悲しそうだった。



「私の名前は、ツキ・ネフェイマルよ」


「ツキ、さん」


「呼び捨てで構わないわ。それじゃあ、さようなら。もう二度と会わないことを期待しましょう、アキヨ」


 こちらの名前を教えただろうかと首を傾げて、すぐにローアルが呼んでいたのを聞いたのかと察する。




 クルリと優雅なターンでこちらに背を向けて去って行く女――ツキと、その後ろを静かについて行く大男の背中を、アキヨは見えなくなるまで眺めていた。



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