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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
第一章 自由の国
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恭謙の魔導師



 廊下は唐突に終わりを告げた。



 二人並んで歩くのが精一杯な狭い廊下からは想像がつかないほど、開放的な空間がそこに広がっていた。


 ここに辿り着いたのは夕刻とは言え、夜が更けるほど長居はしていないはずだが、ガラス張りのドーム型天井からは驚くことに星空がのぞいている。そしてその真ん中から博物館のように、何かの骨格標本がぶら下がっていた。


 だだっ広いホールのような空間の壁一面に本棚が並び、奥の方にある大きな暖炉の炎がそこに影を作り、ゆらゆらと揺れている。


 大理石でできている床は、前に行ったケダトイナ王国の城のようにピカピカで、アキヨたちの姿を綺麗に映していた。



 部屋のど真ん中には、大きく立派な執務机があり、(うずたか)く積まれた本やら紙束やら雑貨やらに囲まれ、異様な存在感を放っている。


 ガサゴソと、そこから音が聞こえた。



「『恭謙の魔導師』殿」


 ローアルがそう呼びかけると、壁のように積まれた本の奥から、しわがれた呻き声が聞こえた。


「んん?なんじゃ、誰かおったんか。聞き覚えのある声じゃな。さて、誰じゃったかの」


 むにゃむにゃと億劫そうな声を出し、誰かが椅子から降りた音がする。


 そうして、ヒョコリと大きな机の影から姿を見せたのは――。


「おお?おお!おうおう、お前さんか。なんじゃ、やっと『祝福』のとこの弟子をやめてわしの小間使いになる気になったんか」


「私はヘルの弟子ではありませんよ。それに『恭謙の魔導師』殿の小間使いなど、私などには務まりません」


「ふんっ。おもっちょらんことをよう言うわ。だいたいなんじゃその喋り方は。気色悪い」


 大きな鉤鼻を鳴らした魔導師は、その小さな体を仰け反らし、鼻眼鏡の奥から覗くつぶらな瞳でこちらを仰ぎ見た。



 そう、魔導師は小人だった。


 背丈はアキヨの膝に届くかどうかという程ちいさく、真っ白な髭と真っ白な髪は綺麗に三つ編みに編まれ、前後に垂らしている。



「おう?なんじゃもう一人ガキがおる。お前さんの妹か?」


 不意に金色の瞳をきょろりと動かし、こちらを見た魔導師は、その目をカッと見開いた。


「なんと!坊主の “主” か!ふぉふぉふぉっ!これは予想外!」


 突然その小さな体を跳ねさせ、ホールに響き渡るほどの声量で笑い出した魔導師に、少しだけ体が後ろに引く。


「今世のワン公も流されるままかと思うとったが――。まさか己の妹に傅くとは。うむうむよろしい。久し振りに楽しい気分にさせてもろうたわ」


「『恭謙』の。何か勘違いされているようですが、私とアキヨは――」


「いやいかんぞ。それはいかん。台無しじゃ。男の言い訳は聞き苦しいだけじゃぞ坊主。勘違いなら、勘違いのままにしておくのが吉。その方が世の中上手く回るようになっとる」


 貫禄ある喋り方だが、言っていることは滅茶苦茶だ。


 ローアルは訂正することを諦めたのか、それ以上言及することはせず、さっさと本題に入る。


「……私たちは身分証の作成を貴方にお願いできないかと伺ったのです」


「身分証?坊主の国じゃ作れんのか」


「旅をするので、ウユジで作った方が何かと便利かと思いまして」


「なんと!」


 ニタリと魔導師が意地の悪い笑みを浮かべた。


「愛の逃避行というやつじゃな!坊主もやりおるのお。これは面白い話しが聞けそうじゃ。ああ、お代はそれでよいぞ。若造共の行く末を肴に酒を飲むのも悪くない」


「……分かりました。では幸せなお話を手土産にまた来ますね」


 ニコリと笑ってそう返したローアルに、魔導師はフンッと鼻を鳴らした。


「つまらんの。お前さんには可愛げが足りん」


「導師から勘違いはそのままにしておけとご教示いただきましたので」


「適材適所じゃ。わしは嘘は言わんが本当のことも言わん!」


「……」


 やはり滅茶苦茶である。



 しかし一応身分証は作ってくれる気になったらしい。


 執務机に戻った魔導師は、石板のようなものを持ってまたこちらへと戻ってきた。


「ほれ、魔力測定器じゃ。手を石の上に乗せてみい」


 アキヨへ差し出されたのは、翡翠色の長方形の石板に、大きな水晶玉が埋め込まれた板だった。


 言われるままに、水晶玉に手を乗せると、その色が淡く黄色に光った。


「うむ。光属性じゃな」


 分かっていたかのように頷く魔導師は、次にその石板を裏返した。そこには円形の幾何学模様――魔陣が描かれていた。



「本来じゃったら血を少々もらうんじゃがの。お前さんにそれをしたらワン公が鳴くじゃろうて、今回は特別じゃ」


「心遣い感謝いたします」


「おもっちょらんことを言うな」


 ぴしゃりと先程と同じ言葉を返した魔導師は、石板の魔陣に手をかざす。するとブワッと光が湧くように吹き出し、水のように魔導師の手を滑り落ちていく。


 液体のような光は、徐々に何かの形をとるようにうごめきだし、やがて魔導師の手の下で光る小さな玉になった。その大きさはBB弾ほどの小ささで、淡く光り続けている。


 魔導師はその玉をこちらへ差し出した。


「ほれ、のめ」


「え」


 反射的に受け取ったソレを見つめる。飲め、と言ったか。これを?


 さあさあと促すように手を振る魔導師に、戸惑いながら玉を持ち上げる。それは確かにつまめたが、触れている感触はなく、重さも感じなかった。


 言われた通りにそれを口に入れ、飲む動作をする。


 ――研究所で得体の知れない物を色々と飲んできたが、“光” を飲んだのはさすがに初めてだ。もちろん味もないし、感触もないため、いまいち飲みこめたのかも分からなかった。


「よし。入ったの」


 何かを確認するようにアキヨの全身をじっと眺めて一つ頷いた魔導師は、朗々とした声で聞き取れない言葉を唱えだした。


 するとふわりと辺りが明るくなる。――いや、違う。


 アキヨの体が発光していた。


「!」


 掌に何か文字が浮き上がっている。読めない文字だ。腕をまくると、光で描かれた文様が肌の上を流れるように走っていた。


 おろおろとしている間に、いつの間にか魔導師の呪文も止み、段々と体中に浮かんでいた文様も消えていく。


「掌を見てみい」


 促されて右手を見ると、真ん中に太陽を半分にしたような小さな模様が浮き上がっていた。スタンプでも押されたかのように薄い模様だったが、試しにこすってみても取れなかった。


「満足かの」


「身分証の紋様は人によって違うんですよ。アキヨの模様は太陽ですかね?」


 とても嬉しそうな弾んだ声でローアルが手を覗き込んできた。何やらテンションが高い。


 改めて掌を見る。半円の上の縁に沿うように逆三角形が三つ。夕方、水平線に沈んでいく太陽のようなマークだ。


 手から顔を上げて魔導師を見る。


「ありがとう、ございます」


「土産話を忘れずにの」


「――冗談ではなかったのですね」


「言うたじゃろう。わしは嘘は言わん」


 ローアルも同様に一連の儀式を終わらせると、用事は済んだという風に、ひょこひょこと執務机に戻った魔導師は、ふと思い出したふうにこちらを振り返る。


「矛先は決まっとるんかの?」


「まだ決めてません」


「ふむ。これは余計なお世話かもしれんが、人攫いには気を付けたほうが良いぞ。近頃物騒な話をよく聞く」


「今に始まったことではないでしょう。それとも何か気がかりなことが?」


 すっと目を細め、探るように問うローアルに、飽くまで飄々と魔導師は答える。


「『久遠』のがちょいと騒いでおってな。どうも最近、行方知らずになる亜人が頻発しとるらしい」


「それは……」


 何やら考え込むようにローアルが眉を寄せて黙り込んだ。


「亜人の長ともあろう奴が騒いでるくらいじゃ。気を付けた方がよかろう」


「亜人の長?」


 聞こえてきた単語に顔を上げる。するときょろりと、魔導師の瞳がこちらを向いた。


「何じゃ聞いたことくらいあるじゃろう。亜人の国は御伽噺なんぞじゃないぞ」


「亜人の国が、あるの?」


「あるとも。お前さんも信じてなかった口か。不思議なことでもあるまい。奴らはわしら人間より優れた種族じゃ」


 あなたは亜人ではないの、と出かかった言葉はすんでのところで飲み込んだ。小人は亜人に含まれないのだろうか。


 物言いたげな顔のアキヨを見て、魔導師は眉を跳ね上げた。


「まさか亜人差別者か?そんな考え方捨てた方が楽じゃぞ。良いことなんぞなんもない」


 品定めするような瞳でこちらを見る魔導師に、何やら勘違いされているらしいことを知り、慌てて首を横に振る。


「差別なんてしない」


 それどころかこの世界での自分は、どちらかと言うと亜人寄りの存在なのではないだろうか。伯爵の屋敷での扱いを思い出すと、自分は確かに被虐対象だった。いや、思えばこの世界に来る前から自分は――。



 不意に、温かいぬくもりに包まれた。


「アキヨに失礼なことを言わないでください。彼女はそんなことしません」


 何かから守るように、ギュッと抱き締められ、視界がローアルの服で埋まる。


 背後で呆れたような溜息が聞こえた。


「ワン公の前じゃ気楽に話もできんの。用は済んだじゃろ。わしは忙しいんじゃ。さっさとどこへでも行け」


 パチン、と指を鳴らす音がして、ふっと浮遊感がした。クラリと眩暈がして、平衡感覚が保てなくなる。


「大丈夫ですか?魔術で飛ばされました。外ですよ」


 ローアルの言葉に、そっと目を開け周りを見回すとテントの玄関先に立っていた。


 外はすっかり暗くなっており、遠くにポツポツと家々の明かりが見える。


「……アキヨ?」


 ぼんやりとしていると、心配そうにローアルが顔を覗き込んできた。それに「大丈夫」と呟くように答えて、ふと、自分たちが来た方向と反対の道――テントの後ろに続く道を見遣る。



 その時、唐突に浮かんだ思い付きが、そのままポロリと口から零れ落ちた。


「――裏町に」


「うん?」


「裏町に行ってみたい」


 見上げたローアルの瞳が大きく見開かれ、動揺したように揺れた。


「そ、それはなぜ?」


「裏街に住んでいる人達に会ってみたい」


 ローアルはしばらく真意を探るようにこちらを見つめていたが、やがて根負けしたように眉を下げた。


「では……、明日にしましょう。夜ではあまり人に会えないでしょうから。ね?」


「うん、わかった。ありがとう」


 素直に頷き、ローアルに手を引かれて宿へ帰る。


「裏町はとても治安が悪いので、明日はどうかくれぐれも」


「手を離さない?」


「……ええ、そうです。絶対離さないでください」


 もう既に誰かに攫われた後のような悲壮感で、必死にこちらへ訴えるローアルに、コクンと頷く。


「分かった」


「絶対ですからね」


 繰り返すローアルに、ふとどうでもいいことを思い出した。



 どこで聞いたかは忘れたけど、確かこういうのって「フラグ」って言うんだっけ。でも、どういう意味だったか……。念押しすることを、そういうんだっけ?


 引っ掛かる記憶を鮮明にしようと考え込んでいたアキヨは、ローアルがどこか心配そうにこちらを見つめていることには気づかなかった。



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