ウユジ共和国
「入国許可証を確認いたします」
ローアルが、許可証を係員に渡しているのを横目に、降り立った港を見回す。
アキヨ達は半日を経て、ついにウユジに到着した。
日暮の紅い空と海のコントラストがとても綺麗で、目を細める。
船着き場から繋がっている道の先では灯りが瞬き、微かに騒音が聞こえてくる。
「お待たせいたしました。それでは自由の国、ウユジをどうぞご堪能ください」
ニコリ、営業スマイルで対応してくれた女の人に頭を下げ、ローアルと歩き出す。
「戸籍を作るのは明日にしましょう。先に観光を楽しみましょうか」
ローアルの提案に、断る訳もなくすぐに頷く。
「アキヨ、手を」
二人手を繋ぎ、船着き場から一本道を挟んですぐの、店が立ち並ぶ商店街のような場所へ足を向ける。
「ここがウユジの経済を支えている貿易港、いわゆる観光地です。表玄関と言ったところですかね」
「……すごい」
飛び交う威勢のいい声。大通りを流れる人の波。華やかな色合いで人目を惹く店々。
目移りしすぎて目が回りそうだ。手を繋いでいなければ、背の小さいアキヨはあっと言う間に流されて迷子になってしまうだろう。
はぐれないようローアルに引っ付きながら、見たことのない露店の品々を見て回る。
「お腹は空いてませんか?時間も丁度良いですし、ご飯にしましょうか」
ローアルの言葉にはっとして、その顔を仰ぎ見る。
「……私、お金ない」
そういえば、船の代金もローアルが払ってくれたのだ。二人分の路銀をローアルに頼りっぱなしでは申し訳ないし、限界もあるだろう。
しかしそんな不安を、ローアルは一蹴する。
「お金の心配はいりませんよ。腐るほどあるので」
ローアルの荷物を思わず確認する。彼の持つ荷物はいたってシンプルで、皮のナップサック一個だけだ。お金がたくさん詰まっているようには見えない。
アキヨの視線に気付いたのか、ローアルがくすりと笑う。
「後で説明しましょう。とにかく、お金の心配はしなくて大丈夫です」
「……本当に?」
「ええ。むしろこれはアキヨのためのお金なので、使ってもらわないと困っちゃいますね」
「――分かった。ありがとう」
路銀を稼ぎながら旅するものだと思っていたため、お金の心配がないのなら助かる。素直にお礼を言う。
「あ、あそことかどうですか?」
不意にローアルが指差した先。看板にこちらの言葉で『食事処』と書かれた店はこじんまりしているものの、女性が好みそうなおしゃれな外観だった。白い壁は貝殻で装飾されており、綺麗に塗られた青い屋根には煙突が付いていて、煙を揺らしている。
まだ食べ物に関しては知識が浅いため、ローアルに任せることにし、一つ頷く。
「外食は初めてですね」
嬉しそうに言うローアル。確かにこの世界の店で食事をするのは初めてだった。
伯爵の屋敷にいた頃は、硬いパンと水が一日一回与えられていた。時に用意されていない日もあったが――。研究所に関しては言わずもがな。
思い返せば、日本にいる時でさえ外食というものをした記憶はなかった。気持ちが浮き立つのを感じる。
「――うん、楽しみ」
頬が緩むのを自覚しながら呟くと、ローアルが何やらぼそりと呟いた。
「……何か、言った?」
「いえ、独り言です。美味しい物、たくさん食べましょうね!」
手を握る力を込めて、ローアルが楽しそうに笑う。それにまた頬が緩むのを感じながら、青い屋根の食事処へ足を向けた。
食事処は結構賑わっていた。木目調で統一されたアンティークな雰囲気が落ち着く。
店員の案内で通された席は店の奥端で、二人席にローアルと腰掛ける。
席にはメニュー表が置いてあるが、文字が読めても、それがどういう物かは分からないので、ローアルを見遣る。すると心得ていたかのように、メニューの一つを指差して説明してくれた。
「これは肉料理で、こっちが魚料理ですね。どういうものが食べたいですか?」
「……たくさんは食べれない」
「では汁物や雑煮とか……」
と、ローアルが指差す文字を目で追っていた時、見知った単語がそこにあったのを見て思わず声を上げる。
「ミフィベ」
「ああ、そう言えばヘルの家で食べましたね。これにしますか?」
確かシチューのような食べ物だったはず。これなら食べられそうだ。
ローアルの問いかけに頷く。
「分かりました。……すみません」
ローアルが注文している間に店内をちらりと見遣る。
この国には人間以外の種族がちらほらいる。
獣の耳が頭についていたり、尻尾がお尻から垂れていたり、肌が人間のそれとは違かったり……。
伯爵の屋敷にいた頃よく見かけた、動物の特徴を持つ人間達。
「亜人が気になりますか?」
「あじん?」
ローアルは目線だけで彼らを示す。
「この世界に人間以外の種族が存在することは知っていましたか?」
「……ヘルが言ってた気がする」
ヘルから軽くこの世界の説明を受けた時、そのようなことを言ってた気がするが、細かいことは教わっていなかった。
「この世界で今一番比率が多いのは、人間です。その次に亜人が来ます。亜人の始祖は創世説話の内容通り、魔獣と人の混血であるとされる説が有力ですね」
創世説話。それはヘルの家にいた頃に読んだことがあった。
文字を教わった後、改めてヘルが用意してくれた本を読んでみたのだが、それが子供向けに翻訳された創世説話だったのだ。
内容は、この世界の始まりを説いた御伽噺だ。
この世界には元々、人と魔獣と精霊がいて、仲睦まじく暮らしていたが、ある日魔獣と人がその間に子を成すと言う禁忌を犯し、その罰として、全ての魔獣は理性を失い、全ての人は精霊を見る力を失った。そうして理性を失った魔獣達により、世界が滅亡の一途を辿り始めた時、当時地上を収めていた『7人の魔導師』の内の一人である『天真の魔導師』が、己の命と引き換えに救世を願った。その願いを叶えた神は、魔獣を異界へ封じ、慈悲を持って禁忌の子の命をも祝福し、世界を救われた。この一連の事件を人々は『魔獣の暴走』と呼び、二度と同じ悲劇を繰り返さぬように、今も語り継いでいる――。
確か、そんなお話だったはずだ。
「魔獣って?」
「魔力を持つ獣の事です。高い知能と戦闘力を持ち、人の言葉を話すことができます。創世説話の時代ではこの世界で人と共に暮らしていたようですが、今は異界に封じられているので、実質この世界にいる魔獣は、召喚に応じて使い魔になったモノか、契約破棄され野放しになっている “はぐれ” かのどちらかですね」
使い魔。その単語は知っている。ヘルがムゥのことをそう言っていた。
そうなると、ムゥは魔獣だったのか。
「創世説話に出て来る “禁忌の子”。それが亜人の起源であるとされているわけです。……そしてこの考え方から、亜人差別の意識を持つ者が現れ始めました」
「差別?」
その単語に驚く。
この店もそうだが、この国では亜人と呼ばれる人たちも自分ら人間と同じように生活しているように思えたからだ。差別を受けているようには見えない。
「最近では減りつつありますが、数十年前までは深く根付いていた思想でした。実際、我が国……ケダトイナ王国に限らず、ほとんどの国では未だに亜人の受け入れに消極的なところが多く、亜人が人間と同じように民権を得るのは容易いことではありません。……人とは違う容姿や能力を持っているというだけで、差別の対象になり得る。人間とは愚かなものですね」
アキヨもこの世界では黒髪黒目を「異端」とされ、差別された。亜人と同じように。
アキヨも亜人も、見た目が少し人と違うだけ。逆に言えば、中身は他の人と何も変わらないのだ。心があるし、感情もある。そのことを忘れてはいけない。
笑顔で食事をする亜人達を眺めながら、アキヨはローアルの言葉に小さく頷き返した。
話しが一段落したところで、料理が運ばれてきた。ホカホカと湯気の立つミフィベと、丸々魚一匹が盛られた皿。
「それは?」
「ニモンという魚です。どの海域でも獲れる一般的な魚で、味はおいしいのですが、食べると頭が悪くなるって言われているんです」
頭が悪くなる。何とも言えずに黙り込んだアキヨにクスクス笑ったローアルは軽く肩を竦めて見せた。
「ニモンはとにかく捕まえやすいんです。餌だと思ったら疑いもなく食いつき、決して離しません。釣りで引っかからないことがないんです」
つまり頭が悪い魚ということか。それを食べた者も頭が悪くなると。
魚を食べると頭が良くなるとは聞いたことがあるが……、なるほど。宇宙は広いものだ。
「まあ、迷信ですけどね」
あまりに引っ掛かりやすいニモンを見た漁師が冗談で言ったことが独り歩きしたらしい。
ローアルが、「味は本当においしいんですよ」と綺麗に身をほぐし、こちらにフォークの先を向けた。それにパクリと食いついて見れば、なるほど。身がほろほろとしていて、確かにおいしい。
白身魚の仄かな甘味と、爽やかなスパイスの味が口の中に広がる。
「気に入りましたか?」
コクリと頷き、自分の料理にもようやく手を付けることにする。ミフィベをスプーンですくい、一口すすると薄い塩味とショウガのような香りが鼻を抜け、ポカポカと体が温まる。お腹に優しい味だ。
お返しに、とスプーンをローアルに向けると、魔道具で茶色く染まった目を大きく見開き、そして破顔する。
身を乗り出し、器用に中身をすすり、満面の笑みでこちらを見る。
「おいしいです。今まで食べた料理の中で一番!」
「……」
まあ確かにおいしいが、ローアルがそこまで感激するとは思わず、自分の料理を見下ろす。もしかしてローアルの好物なのだろうか。
「交換、する?」
「え?……あっ、いえ。そういう意味では――」
頬を染めたローアルが言葉を続けようとしたとき、ザワリと店内が騒がしくなった。
「食い逃げだあ!」
表で誰かが騒いでいるようだ。ローアルを見上げると、安心させるように微笑む。
「この国では日常茶飯事ですよ。とりあえず冷める前に料理を食べてしまいましょう」
慣れた様子のローアルは、店内で野次馬のように外を見遣る客の誰よりもウユジに慣れ親しんでいるように見えた。
「この後は宿を探しましょうね」
「うん」
喧騒に全く反応しないローアルと座るこの席だけ、周りから遮断されてるみたいだと思いながら、アキヨはローアルに倣い、黙々とスプーンを進めた。
宿は港町から更に陸内へ入ったところで取ることにした。身分証を作りに行く場所の、なるだけ近くで宿を取りたいとローアルが言ったからだ。
陸内に一歩入ると、喧騒は遠のき、一気に静かになる。ここら辺は住宅街なのだろう。ポツポツと灯りをともす家々の様式は様々で、三角屋根もあれば、平らな屋根もある。他にもレンガ造りであったり木造であったり、中には藁や泥で作るような古い家屋もあった。
宿はそんな家々に紛れるように建っていた。パッと見て宿だとは思わない、一般的な家かと思うほど、他と大差ない外観だった。
ローアルが扉を開くと、カランカランと鳴るベル。中はバーのような居酒屋になっていて、数人の客が静かに飲み物を飲んでいた。
「一つ部屋を借りたい」
カウンターに座る男に声をかけたローアルを見守る。
こちらをチラリと見た亭主らしき男が、読んでいた新聞のようなものを持ち直しながら、煙草の煙を吐き出した。
「一部屋一泊7000ヒラだ。朝食はここで提供している。他は金をもらう」
「ああ」
了承したローアルに、後ろの棚からカギを取り出し手渡した亭主は、また新聞に目を戻した。
ローアルは慣れたように階段を上がっていく。その背を追いながら、キョロキョロと辺りを見回す。雰囲気は民家と大差ない。伯爵の屋敷に比べれば、親しみの湧く家具だなと、廊下に置いてある調度品を見ながら考える。
ローアルに続いて入った部屋にはベッドが一つと、小さな椅子と机が置いてあった。決して広くはないが、掃除もちゃんとされてるし、清潔感は申し分ない。むしろ豪華であるより好感が持てるとアキヨは思った。
机の上に荷物を下ろしたローアルが、窓の外を窺う。もうすっかり日も暮れ、夜の闇が街を包み込んでいる。
「今日は明日に備えて早く寝ましょう」
ローアルの言葉に頷き、気になっていたことを聞いてみる。
「その鞄……」
「え?ああ、そういえば」
思い出したようにナップサックをベッドの上に下ろしたローアルは、笑顔でこちらに手招きする。
「ヘルが開発した魔道具なんですけど……。説明するより体験してみた方が良いと思うので」
悪戯っ子のように笑むローアルに首を傾げながらも、促されるままに鞄の中へ手を突っ込む。
「……?」
「気付きました?」
「底に、手が付かない」
目で測った距離と、鞄の中に突っ込んでいる腕の長さが比例しない。どこまでも手が下へ進んでいく。
触れるはずの皮の感触も、鞄の中に入っているだろう物の感触すらない。
手を一回引き抜き、中を覗き込んでみると、淡くぼんやりとした緑色の光が広がっていた。
まるで別の空間が鞄の中にあるような光景に目を見開く。すると上から含み笑いが落ちてきた。
「これは異空間に物を収納することができる魔道具です。つまり、無限に物が収納できるんです」
「すごい……」
なんて画期的なアイテムだろう。……あれ、だけど、
「どうやって取り出すの?」
「作る時に私の魔力を一部込めてあるんです。それが本人特定の要素になっているので、私が鞄に手を入れて、これが欲しいと望むだけでその品が現れます。……やって見せますね」
期待を込めてローアルを見上げれば、クスクスと笑いながら鞄へ手を突っ込んだ。そして次に出てきたときにはその手に毛布を握っていた。
「少しずつ暖かくなってきましたが、夜はやはり冷えるので」
そう言いながらグルリとその毛布に巻かれる。
「お風呂のある宿に泊まれればよかったのですが、ウユジでそうした宿は珍しいので、これで我慢してくださいね」
そのままグイッと抱き上げられ、ローアルが何かを呟いた瞬間、ふわりとした温風が体を撫でる感覚がした。
「浄化の魔術です。お風呂に入った方が体が温まるので、その方が良いんですけど、一応この方法でも綺麗になりますから」
「……便利」
「光属性の魔術なので、使える人と使えない人がいるんですが……。私が使えて良かったです」
優しくベッドの上に下ろされ、毛布に巻かれた上からシーツをかけられる。部屋にベッドが一つしかないため、ローアルも一緒に横になる。
「……毛布、ローアルも」
「あ、いえ私は……――。やっぱり一緒に使ってもいいですか?」
巻き付く毛布を一回取り、ローアルにも届くように掛け直す。ベッドをセットしてから潜り直すと、優しく体が引っ張られ、すっぽりとローアルの腕の中に体が囲まれる。
「こうすると更に温かくなりますから」
「……うん」
目を閉じ、少し迷った末に、目の前にあるローアルの服を少しだけつまむ。
「――んん゛っ」
不意に頭の上から、ローアルの咳払いのようなくぐもった呻き声が聞こえ、どうしたのかとそちらを見上げようとしたが、同時にギュッと抱き締める力が強くなり、動きを止められる。
「……大丈夫、風邪?」
「いえいえ、病気じゃないですよ。すみません。寝ようとしてたのに……」
「無理、しないでね」
「いえ、むしろ元気いっぱいなんですけど……。そうですね、明日はたくさん歩くことになりますから、ゆっくり休んどかないと」
「うん、おやすみ」
「ふふっ、おやすみなさい」
ローアルに、優しく背中を撫でられると段々眠くなってくる。ぬくぬくと温かいベッドの中、するりと意識は落ちていった。




