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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
序章 旅立ち
10/66

やりたいこと



「え、働きたい?」


 作業部屋で何やら書き物をしていたヘルが、ひどく驚いた表情で顔を上げた。


「えっと、どういうこと?」


「体調もだいぶ良くなったから。ここを出て働こうと思う」




 この家で意識を取り戻してから、10日が経った。


 痣は消えないものの怪我はすっかり良くなり、規則正しい生活のおかげか、健康状態も向上している気がする。


 しかしこうなってくると、もうヘルの家に長々とお邪魔しているわけにはいかない。


 文字も覚えたし、お金の数え方もこの前ムゥに教わった。この先どうなるかは分からないが、とりあえず近くの街に降りて、仕事を探そう。


 この先一人で生きていくとなると、お金も家も必要になってくる。


 できれば住み込みで働ける場所がいい。伯爵の屋敷みたいに――などと、これからのことを考えながら、ヘルにその旨を伝えに来たのだ。




「……んー」


 納得してくれると思ったヘルは、何か思案するように視線を泳がせた。


「なんで働くの?」


「……生きてく、ために」


「んー」


 また間延びした返事。


「アル坊がいるから、その辺は心配ないと思うけど」


 ポツリと呟かれた言葉に、首を傾げる。なぜそこでローアルの名前が出てくるのだろう。


「あの……」


「あ、そっか。結局伝えてなかったんだっけ」


 ヘルがニヤリと、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。



「前にさ、この世界に残るとっておきの理由があるって言ったと思うんだけど、それ、アル坊のことなんだよね」


「……?」


「君とずっと一緒にいることが、アル坊の願いってこと。君はそんなアル坊の願いを叶えるためにこの世界に残る。ね、とっておきの理由でしょ?」


 自分とずっと一緒にいることが、ローアルの願い?


 理解できない言葉に、目を白黒させていると、くすくす笑われる。


「詳しいことはアイツに直接聞いてみるといいよ。とりあえず、働くことに関しては、アル坊が大反対すると思うから諦めた方が良いかもねえ」


 大反対……。そうだろうか。


 むしろ「仕事」から解放されるわけだから喜んでくれると思うのだが。



「あのさ、訊こうか迷ってたんだけど。アキヨちゃんはアル坊のこと、どう思ってるの?」


 質問の意図が分からず首を傾げると、苦笑するヘル。


「ほらアイツは……、なんて言うか。アキヨちゃん大好きでしょ?それに関してどう思ってるのかなって」


「大好き……?」


「事あるごとに世話焼こうとしてくるでしょ?嫌だったりしない?」


「嫌……ではない。けど」


「けど?」


「困る」


「ぶはっ!」


 吹き出したヘルに、目を瞬かせる。何か面白いことを言っただろうか。


「いや……はふふっ……ごめんごめん。あー、婚約者の座を狙って血眼になってる御令嬢方に聞かせてやりたいなー」


「?」


「そっかそっか。嫌ではないけど、困る、か。なるほどねぇ」


 ブツブツ何やら呟いていたヘルは、少し経ってから、何か思い付いたようにこちらを向く。


「アキヨちゃんは、この世界で何かやりたいことはあるの?ないなら、まずは自分のやりたいことを見つけてみたらどうかな。アキヨちゃんはまだこの世界に来て日も浅いし、そんなに焦って進もうとしなくても大丈夫だよ。一生ここで暮らしてもらっても構わないし。ね?」


 優しく微笑むヘルに、戸惑いながらも小さく頷く。


「……わかった」


「よしよし。そしたらこれを試したいんだけど」


 ヘルは机の上に置いてあった細長いリボンのようなものを取ると、こちらに差し出してくる。


「これは魔道具。魔道具って言うのは、込められた魔力を消費することで使うことのできる道具のことだよ」


「まどうぐ」


「そう。で、これは僕の魔力を込めた糸で編んだ首飾り。これを付けている人の髪や目の色を、幻覚で変えることができる魔道具なんだ」


 ヘルはこちらへ手を伸ばし、持っていた黒いリボンをアキヨの首に巻き付けた。


 サラサラした感覚が首元を撫でる。



 ヘルは小さな声で何か呟いた後、アキヨの首元から手を離した。


「うん、これで完璧。鏡を見てごらん」


 満足気に言われ、差し出された手鏡を覗き込んで、息を呑む。


 鏡の中に映っている見慣れた自分の顔。しかしその髪と瞳が、明るい茶色に変わっていた。


 見ると、首元に帯状の黒いチョーカーが付けられている。



「髪と目の色を変える魔道具!幻覚で見せてるだけだから、首飾り取っちゃえば元に戻るよ」


「すごい」


 自慢げに胸を反らすヘルに、素直に感嘆の言葉を口にすると、照れたように笑った。


「一番外れない場所が首かなって思って、首飾りにしたんだ。でもまだまだ改良が必要かな」


 ヘルはこちらに手を伸ばしてチョーカーを外すと、楽しそうに目を輝かせた。


「本当に魔道具って夢が膨らむよね!」


 それっきり机に突っ込むような勢いで作業に没頭してしまったヘル。集中すると周りが見えなくなるのか、真剣な表情で首飾りを見つめている。




 ヘルの邪魔にならないように静かに作業部屋を出ると、リビングへと向かう。



「自分のやりたいこと……」


 って、何だろう。自分の望みなんて、今まで考えたこともなかった。



 この世界に残ると決めた時は、選択肢があった。残るか、残らないかの二択。


 だけど今回は選択肢すら見えない。自分の望みが分からない。


 強いて言うなら「生きること」だが……、ヘルは納得してくれないだろう。



 日本に帰って幸せかとローアルに問われた時、幸せとは何なのか知りたいとは思った。しかしそれと「やりたいこと」はイコールにならない気がする。



 ――――詰まる所。


 “幸せとは何か” を知るために、「何をしたい」のか。ヘルが聞いているのはそこなのだ。













「アキヨ」


 夜、いつものように就寝準備をしていたアキヨは、名前を呼ばれ顔を上げる。


 そこには、やけに真剣な表情でこちらを見つめるローアルがいた。


「一緒に来て欲しい場所があるんです。その、会わせたい人がいるのですが……。ただ、アキヨが嫌なら断ろうと思ってます」


 少し困った風にそう言われ、瞬きを返す。



「……嫌ではない、です」


「本当に?無理してないですか?」


 心配そうに顔を覗き込まれ、しっかり頷く。


「そうですか……。では、3日後に会いに行きましょう」


 なぜか少し残念そうに眉を下げたローアルだったが、すぐにその表情を笑みに変え、アキヨと一緒に寝る準備を始めた。




 不眠が祟って倒れた日以来、ローアルはアキヨの隣りで一緒に寝てくれるようになった。


 ローアルが一緒にいると、あれだけ寝れなかったのが嘘のように、よく眠ることができる。


 毎夜寝かし付けてくれるローアルには申し訳ないが、また倒れても迷惑な話しだと思い、今はローアルの優しさに甘えてしまっていた。


 いつかはここを出るのだから、一人で寝れるようにならなければと思い、何度か昼寝を試みたのだが、やはりすぐ目を開いてしまうのだ。



 しかし、この優しさに甘えるのは、「やりたいこと」を見つけるその日まで。だから依存してはいけない。


 安堵と不安。矛盾する感情に気付かないふりをして、アキヨは今夜もローアルの優しさに縋って目を閉じた。













「これは?」


「お出かけ用の服です!」



 いつもより早く帰って来たローアルが、手に持った物を見せつけるように、ヒラヒラさせた。


 見ただけで質が良いと分かる素材と、シンプルながらも洒落たデザインの真っ白なワンピース。素人目にも上等な物だと分かる。



「丈は良さそうですね」


 服をこちらに近付け、満足気に頷くローアル。


 え、と思わず声を上げる。


「私の?」


「もちろん」


 ローアルが持っている服を、改めて見る。



「……似合わないと思います」


「え、全然まったくこれっぽっちもそんなことないですよ?」


 キョトンと首を傾げられ、何も言えなくなる。



 そして今度は椅子に座らされた。髪を切るようだ。



「ローアル、仕事は……」


「ああ、今日は早めに切り上げてきたんです。明日に備えて色々したかったので」



 そう、もう明日なのだ。明日、ローアルが会わせたいと言っていた人の許へ行く。


 あの白い服も、そのためにローアルが用意したのだと悟る。



「少し伸びましたね。治療のために傷口付近の髪だけ短くしたから、長さがバラバラだな……」


「短くしても――」


「それはダメです。折角綺麗な髪なんですから。もったいない」


 髪の毛をもったいないと思ったことはないが、もう何を言っても無駄だろう。諦めてローアルに任せることにした。



 結局、不揃いな箇所を整えるくらいで終わったが、傷んでいた毛先の方を切ったため手触りは良くなった。


 伸びた前髪も眉上でぱっつりと切られ、かなりスッキリとした。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 嬉しそうに応えるローアルも、自分の出来に満足そうだ。



「おお、すっきりしたね」


 リビングに入って来たヘルも、こちらを見た途端、感嘆の声を上げる。


「いつも僕の髪を切ってくれるだけあるね」


「ヘルの髪、ローアルが切ってるの」


「うん。自分じゃ上手に切れないからね」


 真っ白なヘルの髪をまじまじと見つめていると、ローアルに頭を撫でられた。


「アキヨの髪も、これからは私に任せてくださいね」


「……」


 小さく頷き、渡された手鏡を見つめる。


 鏡の中の自分はいつもと変わらない無表情で、それに少し安心した。






 夜になり、そろそろ寝ようという時。


 一緒にベッドに入ったローアルが、不意に口を開いた。


「そう言えば」


「?」


 もぞもぞと動き、隣に寝転ぶローアルを見つめると微笑まれる。


「無理に敬語を使う必要はないんですよ?むしろ敬語じゃない方が、私は嬉しいです」


 頭を撫でられながら優しい口調で言われた言葉に、少し驚く。


 どうやら、敬語がそんなに得意ではないことがバレていたらしい。


「……分かった」


 ローアルも――、と続けようとして口を閉じる。


 相手が敬語なのに、こちらが砕けた口調で話すのは少し忍びないので、ローアルも敬語じゃなくていいと言おうとしたが、ふと思い留まる。



 もしかしたら、これは一つの線引きなのかもしれない。


 あくまでローアルと自分の関係は「仕事」上のもの。ローアルが自分に対して敬語を使うのは、その関係をはっきりさせるためなのかもしれない。


 そう思うと、ローアルに敬語をやめて欲しいとは、言えなかった。



「アキヨ?」


「……何でも、ない」


 頭を振り、ローアルから目を逸らす。



 ――そう言えば、自分がやりたいことを見つけないといけないんだった。忘れていたわけではないが、相変わらず選択肢が見えないまま、時間だけが過ぎていく。


 しかしこれに関しては焦っても仕方がないとも思う。



 とりあえず、明日だ。そちらにまず集中しよう。



「何も心配することはないですからね。私が付いています。……悪い人ではないですから」


 会う人がどんな人か、正直あんまり興味はない。


 ただ、自分の行動で、ローアルに恥をかかせてしまうのではないか、という不安はある。



 自分が世間知らずだということは、日本にいた時から自覚はあった。コンビニの存在は知っているが、実際に行ったことはないし、テーブルマナーは習っていても、実際に外食をしたことはない。


 そんな具合で、日本にいた時でさえ世間知らずだったのに、世界が違う国の事情など分かるはずもない。一応、挨拶の仕方や食事マナーはここ数日でムゥに習ったが、付け焼き刃でしかないだろう。


 少しだけ重くなった気持ちを吐き出すように息をついた。


「大丈夫ですか?」


 溜息を聞き逃さず、途端に心配そうにこちらを見下ろすローアルに慌てて頷く。


「ごめんなさい、大丈夫」


「……謝らないでください。やはり断れば良かったですね」


 ゆっくり抱き締められ、宥めるように頭を撫でられる。


「今からでも遅くないんですよ?無理して会うような人でもないですから」


 ローアルの言葉に、思わず頬を緩めた。相変わらず心配性だ。


 別に無理をしているわけではないので、首を横に振る。


「本当に、大丈夫。ありがとう」


 ローアルの目を見ながらしっかり答えると、ギューッと抱き締める力が強くなった。


「……では明日に備えて寝ましょうか」


「うん」


 目を閉じる。


 暗闇に包まれるが、ローアルの体温に意識を向けていれば、その内眠気が襲ってくる。


「おやすみ、アキヨ。良い夢を」


「ローアル……。おやす、み」


 額に柔らかい感触を感じたが、それが何か確かめる前に、意識は暗闇へと落ちていった。



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