異界避行
初投稿なのでわかりにくい所は多々あると思いますが、
読んで頂けると幸いです。
序
俺は異世界に憧れている。
高校三年生になった今も、それは変わらない。
周りの人間が進学や就職と、進路を固めていき、異世界とは無縁な生活に心と身体を適応させていく。
そんな真っ只中にいても、異世界への思いは消えず、俺の心に逞しい根を張っていた。
一
何度か見たことのある街並みが、左から右へと流れていく。
車に乗ってから数十分。暇を持てあました俺は、頬杖をつきながら、車の外を眺めていた。
ふぁっ、とあくびを噛み殺す。
外と遮断されているせいか、車内は静閑としている。家族四人分の呼吸の音と、本のページをめくる音しか聞こえてこない。
その音を頼りに視線を移すと、隣の姉は細い指で分厚い本を繰っている。それを見ていると、俺も今読みかけているライトノベルを読みたくなってきた。が、今日はうっかりしていて家の本棚の中に置いてきてしまった。
何でこういう時に限って忘れてきちゃうかな。
俺は、小さく溜め息をついた。
二
今日は父の誘いで、家族揃って出かけることになった。
誘われた時はどうしようかと迷ったが、断る理由も特になかったので、なんとなく、俺は行くことにした。
目的地は、家から車で約三十分の所にある大きい公園。そこで開催されているフリーマーケットで、父は買いたい物があるらしい。
車を公園の駐車場に停め、広場に向かって歩いていく。
春の心地よい日差しと青々とした木々を感じながら進む。
この季節は外の居心地が良いから好きだ。
まぁ、もうちょっとであの凄まじい蒸し暑さの夏がやってくる、と想像すれば気は滅入るけど。
途中、立ち止まって公園の案内図を見た。そこに書いてあった通りに進むと、広大な緑色の土地が現れた。
芝が植えられている為か、近づいていくにつれて風が涼しくなっていくように思う。
そのまま、俺たちは広場に入った。
「人、多いな」
広場は、物を売り買いする人でそこそこ混みあっていた。
売り手はレジャーシートの上に商品を陳列し、買い手はその中で気になった物を、手にとってみる。 そんな光景が、広場一帯で繰り広げられていた。
まぁ仕方ないよなと、妥協する。
「それじゃあ午後一時、あそこの前に集合で」
父はそう言うとアーチ形の門を指さした。
「わかったわ」
姉は、父に向かって返事をした。うん、と俺も頷く。
「じゃあ」と言い残し、そのまま父は、母と一緒に歩いていった。
そういえば、姉はどうするんだろう。
それを訊こうと姉の名前を呼んだ。
「なぁ、冬華は……何を……」
けど、そこにはもう姉の姿は無かった。
ほんと、気配消すの上手いな。
家はいつもこんな感じで、どこへ行っても自由行動だ。誰と行っても良いし、一人で行っても良い。
ただ、物心ついた時から、姉だけは意図して、俺の事を避けているような節がある。
今でも、俺の何を気に食わないのか、全く検討はついていないけど……。
「俺もそろそろ行くか」
そう、自分に言い聞かして、歩き出した。
店を見てまわると、いろいろ売っている。
服、道具、古本、それからちびっこに大人気のトレーディングカードゲームのカードと、店によって様々だ。
ただ、その中で一つだけ趣の違う店があった。
「……あれは、なんだろう?」
広場の隅の方、服屋と服屋の間に、異彩を放つ紫色のテントが建っている。
それが気になった俺は、そのテントの前まで行ってみることにした。
近づくにつれて、はっきりとしてくるテントの妖しさ。入口横に立て掛けられた看板には『占いの館、一回千円』と書かれている。
「変な店だな」
俺は思わず、そう呟いていた。
そもそも、フリーマーケットという所は、物を売買する場所だったと思う。そこで占いをしているこの店は規則上、大丈夫なんだろうか。
しかも……
「……占いの館って、これどう見てもテントだろ。値段もちょっと高いし」
正直、ツッコミどころ満載すぎて無視出来ないのだが、周りの人達は興味なさげにその前を通り過ぎていく。
本当におかしな店だ。この事を考えれば考えるほど、ぬかるみに沈んでいくみたいに感じる。
あんまり関わらないほうが良いかもしれないなと、離れようとしたその時、
「あなたは人生に迷っていらっしゃるのかな?」
急にテントの中から、しわがれた声で話しかけられた。
「うわっ」
その声にびっくりして、俺は後退りする。
「そう驚きなさるな」
テントの中の人はそう言って、笑っているような声を出した。
いやいや、急に話しかけられたら誰だって驚くだろ。
そんな俺の心境を無視して、中の人は話を進めた。
「あなたさえ良ければ、占って差し上げます」
如何いたしますか?と、提案してくるが、
「……どうするもなにも」
確かに俺は、人生に迷ってはいるし、出来れば助言の一つでもしてもらいたい、とは思う。
ただ、こんなに怪しい人に占ってもらおうなんて気持ちは、これっぽっちも起きない。
こういうのを鵜呑みにして入ると、川で拾ってきた様な石ころや、何の御利益もないお守りなんかを高額な金で買わされる――なんて話も聞いたことあるし。
「んんっ?迷っておられるのですか?」
痺れをきらして、中の人はおちょけた風に訊いてくる。
「迷ってる……というか……なんというか」
ぼったくりの予感がする、とはさすがに言えない。
「残念ですね……私ならば、あなたの夢を叶えられるやも、と思ったのですが」
「……夢?」
その単語に反応して俺は無意識の内に聞き返していた。
「そうです、夢です。例えば……」
暫しの黙考。
「『こことは違う世界について』など……」
「えっ!!」
いきなり大きい声を出したせいで、通りすがりの人に奇異の目でみられた。が、そんなこと今はどうでもいい。
「それは本当ですか?」
「えぇ、もちろんですとも」
中の人は、静かに同意する。
その言葉を聞いて、俺はしばらく迷った。
もし、この人の言っていることが本当の話なら……ちょっと入る位、大丈夫だよな。
「……お、お願い、します」
結局、身の危険を覚悟しながら、恐る恐るテントに向かって足を踏み出した。
占いの館の中は薄暗く、布越しの日光しか、灯りと呼べる物は無かった。
暗さに馴れるにつれて周りが見えてきた。
あまり物でごちゃごちゃとはしていないものの、椅子と、水晶玉が乗った年期物の大きなテーブル、そして後ろには、皺だらけの老婆が、Tシャツにジーンズという装いで、大仏の様に座っていた。
まぁ……予想通りだけど、やっぱりインチキ臭いな。
「さぁそこに」
老婆の放つ妖力は、想像以上に凄まじい。
「……はい」と言い、俺は渋々指差された椅子に座った。
「では」
その掛け声をきっかけに、老婆は水晶玉に手をかざし、ぶつぶつと何か唱え始めた。
俺はその間不安を抱え、何をするとも無く水晶玉を眺める。
そのまま何の変化も無く、待つこと三分。
「解りました」
そんなカップ麺が出来上がる位の時間で、老婆は水晶にかざした手を机の下に戻した。
「これを差し上げます」
老婆は一度しまった手を、俺の方に出してくる。その手には、朱色の古めかしい本が握られていた。
その本を俺は受け取った。
どういった本なのか見てみるが、表紙や背表紙には何も書かれていないので分からない。
しかも、ページもだいぶ劣化している。めくろうとしたけど、指に粉みたいなものが貼りついてきたので止めておいた。
「そこには貴方の知りたい事が載っています。」
老婆は、目蓋を閉じたまま言った。
「本当……ですか?」
半信半疑で訪ねると、老婆はニヤニヤ顔の皺を束ねて笑うばかりで、一向に返答はない。
本を見ろ、という事だろうか?。
俺は手に持った本を慎重に開いた。
一、二ページ目には何も書かれていない。
そして、三ページ目に『異世界転移指南書』と、紙の中心に手書きされていた。
「……いせかい、てん、い?」
おかしくなったのかと自分の眼を疑いながら、もう一度同じふうにページをめくる。
一、二ページ目は白紙で、やはり問題の三ページ目には『異世界転移指南書』と、確かに書かれている。
「これは……」
「私に出来るのはこれまで。
後は御自分で御決めになって下さい」
動揺している俺に、老婆は口の端を上げて告げた。
「ここに来たことは、貴方にとって、必ず良いことに繋がります」
「それはどういう?」
「時が来れば、分かります」
それ以上訊ねても、老婆は固まったように何も言わなくなった。
仕方ないので、俺は机の上に千円札を置きテントを出た。
二
「う~ん」
あの後、俺は家族と家に帰って来た。
現在は、自室の窓際に置いてあるベッドに腰掛け、小型犬の如く唸りながら例の本を読んでいる。
本には、あの占い師の所で見たように『異世界転移』について書かれていた。
最初は期待して読んでいたが、ページを進めるごとに俺の気分は消沈していった。
その理由は何個かある。
まず、『異世界転移』をするためには、必要なものが、三つあるらしい。
一つ目、異世界への強い思い。これは道の役割をするらしい。
二つ目、本その物。これは門や扉、入り口の役割をするらしい。
そして三つ目、特製の薬。これはきっかけの役割をするらしい。
この内満たしているのは、一つ目と二つ目。
で、問題の三つ目は、ありがたいことに作り方が載っていた。
それには、まだしっかりとは目を通していないものの、何とかはなりそうだ。それをもとに、自分で作るしかないだろう。
これで問題は、このやり方で異世界に行けるのか、という事と……
「俺が異世界に行きたいって、何で分かったんだろう?」
あの老婆は水晶玉を弄っただけで、俺の悩みを当てた……というか、占う前から知っていたみたいだった。
ただ、初対面の人間の望みを知るなんて、出来るわけない。
警察や探偵だって、周りに言いふらしていない内面の事――特にその人が抱いている夢なんて分からないだろう。
だいたい、都合よくこんな本を置いているだろうか?しかも、手書きの本って……。
自分の手の中に視線を落とす。そこには、大きな朱色の本。
「……おかしな本、だな」
考えれば考える程沸き上がってくる疑問に、俺は首をかしげる。
そうしていると、どこからか誰かの視線を感じた。
しかし、部屋を見渡してもそんな人も、視線を放てるようなものも置いていない。
いきなり身体にのしかかってくる空気が、重くなったみたいだ。
気分が悪い、これ以上この事について考えるのは止めよう。
そう決めると、部屋の気圧は不思議なくらい軽くなった。
「まぁ、この本も本物かどうか、試してみなきゃ分からないしな」
俺はため息混じりにそう呟き、早速行動に移した。
三
暖かい日差しを感じた。
爽やかな風に混じる草、花、土の匂い。これはどこから香ってくるのか。
俺は、重い目蓋を上げる。
すると、目の前には初めて見る青い花弁の花と、赤茶色の長い草が茂っていた。
家にこんな観葉植物なんて、置いていただろうか。
それを不思議に思いつつ、起き上がろうと身体に力を入れる。途中、ふらっと立ち眩みもしたが何とか起立した。
自分の立っているここは丘のようで、抜群に見晴らし良かった。
目の前には、光を受け輝く群青色の大海が視界いっぱいに広がっている。
「……綺麗だな」
俺は、無意識に見とれてしまった。
こんなに海をじっくり眺めたのは、修学旅行以来だろうか。
あの時の翡翠色の海も良かったけど、これはこれで雄大さを感じられ…………
「……海?」
そこで、ようやく違和感に気付き、俺は辺りを見回した。
「というか、ここどこだよ!?何でこんな所にいるんだ?」
作り物じみた草花に、綺麗過ぎて怖い海――目に映る全てが、どこかおかしい。
俺はついさっきまで自宅にいたはずだ。それなのに、今じゃこんな風景の中にいる。
「……これじゃあ、まるで……まる、で?」
何だろう?何か引っかかる……俺は……確か家で…………本、を……あっ!
頭の中に、これまでの経緯が瞬時に蘇ってくる。
「……異世界だ」
俺は思わず、そう呟いた。
――転移前――
時計を見ると、とっくに十二時を過ぎていた。
「……これで良いのか?」
俺は家の台所で薬の入った容器を持ち、冷たいステンレスの上に突っ伏した。
その衝撃で、グラスの中では新緑の液体が揺れている。
本を読んだ後、すぐに薬を作り始め完成はした。
ただ、こういう時にあるはずの達成感は、全くもって無い。
なぜなら、材料はほとんどスーパーで手にはいる物ばかりだったし、難しい物でも、血縁関係にある者の爪や髪と、異世界転移する事を考えると簡単に揃えられる物ばかり。
またそれらを調合する方法も、直火で煎ったりすり鉢ですりつぶしたりして、最後はミキサーにかけるだけで、料理をしたことのある人間なら数十分で終わる作業だった。
本当にこんな薬で、有るのか無いのかも判然としない、夢のような世界へ行けるのだろうか?。
けれど、作った手前このままなかった事には俺は出来ない。出来るはずない。
俺は、傍らに置いていた例の本を、左の脇の下に抱えこんだ。
「……よし」
意を決し、薬の入った容器に口をつけた。
流れ込んでくる、どろどろとした物。生臭く、焦げ臭い味が、喉に広がる。
瞬間、視界はぐるぐると誰かに回されたように揺らぎ、積み木の崩れる様な音が聞こえた。
「気持ち……悪い」
かろうじて倒れはしなかったが、物凄く気分が悪い。
俺は壁に身を預けながら、おぼつかない足取りでトイレに向かう。
廊下に続く扉を開け、何とかトイレまでたどり着いた。
そのまま中に入りこみ、俺は便器に頭から倒れこむ。
バサッと音をたて何か落ちたが、それに構っていられず、
「おぇっ……」
食道を逆流してくる薬を吐き出した。
意識は朦朧として周りを認識出来ない。
そうこうしている内に身体の力が抜けて、俺はそのまま暗い闇の中に吸い寄せられていった。
四
記憶を探ると、一つ一つ鮮明に思い出した。占い師の老婆の事、朱色の本の事、薬の事、それを飲んで家のトイレで倒れた事。
「という事は、成功したって事か!?俺は来れたって事か!?」
自分の頬っぺたをつねる、と痛みを感じた。
念のため、手近にあった小枝で自分の腕をつついてみる。すると、さっきよりもしっかりとした痛みが返ってきた。
「……夢じゃ、なさそうだ!!」
じわじわと、昇ってくる嬉しさに声をあげ、俺は跳び跳ねて喜んだ。
それでは収まらず、意味なく地面を転がってみる。草の程よい跳ねっ返りが、ホテルのベッドみたくふかふかで気持ちいい。
そうして、少し落ち着きを取り戻した俺は起き上がり、再び景色を見た。
さっきは気付かなかったが、海沿いに港町があるようだ。
「まずは色々と情報が必要か……よし、とりあえずあそこに行ってみるか!」
意気揚々と、港町に続く道を歩き出した。が、その時、背後の茂みがガサッ、と音をたてた。かと思うと、左の胸の辺りに、不快な――冷たい感触を感じた。
「……うっ」
その感覚を頼りに見ると、左胸の中心部分から、鈍く光った鋭いナイフが生えている。
「……何だ、これ……?」
何が起きたのか理解しない内に、ナイフは引き抜かれ、大量の紅い『何か』は、盛大に吹き出した。
「怨むんなら、己の油断を怨めよ」
俺は、頭の後ろで低く澄んだ声を聞き、ようやく自分は刺されたのだと知った。
ただ痛みはなかった。多分、アドレナリンのせいだろう、と冷静に考察する。そんな自分を、皮肉げに笑った。
口に昇ってきた血を吐き出し、この世界に来たときのように、地面に膝から崩れ落ちる。
そんな俺の身体を、刺してきた男は手慣れた様子でまさぐり、「チッ」、と舌打ちをした。
それから男は、素早く身を翻し、さっさと走っていく。
俺は、その視界に映る姿に、虚しさとやりきれなさを感じた。
男は全身を黒い外套に包み、その隙間から覗く腕や脚は細く痩せている。
やり場のない気持ちを大声に出そうとした。が、そんな力は、もうどこにも残っていない。
呼吸をすると、クゥークゥーと音がなる。その音を聞いて、眼から涙が溢れてきた。
一体、どこから狂ってしまったのか、そう後悔している時も鮮血は流れ続け、大地を濡らしていく。
俺は異世界に憧れていた。そこでなら何でも出来ると思っていた。
けど、こちらの世界に来て、それは間違いだったと気付いた。
――観たいものを視ていただけ――
理想郷は理想の中にしかなく、俺は臭いものに……いや、現実という見たくないものに、頑丈に蓋をして隠していただけだった。
――解ったでしょ、そういう所が私は嫌いなの――
何故だか、ここに居るはずのない姉の意思を感じる。
――そういう事だったのか――
それを悟った時にはもう、俺は深い闇に呑み込まれていた。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。