第四章
第四章
旧駅舎を出ると滑らかなカーブを描いた未舗装路が住宅の間を縫うように伸びていた。
その先を少し走ると見える限り一直線に伸びており、サイクリングロードが元々線路であったことを自ら語っているようである。
「うわーまっすぐですね」
藍は思わず溜息を洩らした。周囲には架線柱が残っており、黒く塗られてレトロ…というより、深夜という時間帯も相まって、怪しさが際立っていた。
しかし、晃は別のことが気になっていた。
「…なあ、今までの道とは何か違わないか?」
藍は周囲を見回すと、
「そうですね…今まではすごく静かだったのに、なんか賑やかですね」
街中には変わりないのだが、それまでの音一つしない世界とは真逆で、サイクリングロードの周囲に建つ家々には明かりが灯って家庭の生活音が聞こえてきている。
しかし、サイクリングロードに入った時、既に深夜だった。もう夜が明けかかってもおかしくない時間なのに、ほとんどの家から明かりと喧騒が漏れているのは明らかに不自然であった。
「もしかして…もう普通のサイクリングロードになっちゃったのかな…?」
藍は不安と期待の入り混じった声で呟いた。
「どうだろう…でも、確かにそこの道には車が走ってるみたいだね」
晃は前方に見えてきた道路を指差した。サイクリングロードが一般道路に分断される形で通っており、普通に車が走っていた。
「本当ですね…今まで車の一台も見かけなかったのに…」
藍の言うとおり、今まで全く見かけなかった車が目の前に見える道には切れ目なく走っているのが見えた。そう、切れ目なく。
道路のところまで来た二人は、予想はしていたものの、開いた口が塞がらなかった。
見た目は普通の道路を普通の車が走っているように見えるが、深夜に走っている量ではなかった。
「…どうやら、まだサイクリングロードの中にいるみたいだね、俺たち」
サイクリングロードを分断している道路では、次々に車が走っていてとても横断できそうにはなかった。しかし、その動きには妙に規則的なものがあった。普通の車の動きでないことは、晃自身よく運転することもあって、一目瞭然であった。
「あ、あっちに押しボタン信号があります」
藍は目聡く押ボタンを発見すると、押ボタンを押した。しばらく待ってみるが反応はするものの、信号は赤のまま一向に変わらない。そしてそのまま数分が経過した。
「変わらないな…さて、どうするか…」
しばらく行き交う車を見ていた晃は、思っていたことを口にする。
「…なんか不自然じゃないか?この車たち」
「え?どこがですか?」
晃は藍の問いには反応せず、何かを数えるように行き交う車を観察している。そして近くに落ちていた紙屑を拾うと走ってくる車の前に投げ入れた。
「あ!あぶない!」
紙屑なので特に危なくもないのだが、藍は思わず叫んでしまった。しかし、車は何事も無かったように通り過ぎる。そして、紙屑もまた、何事もなかったようにその場に落ちていた。
「ほら。おかしいだろ?」
藍は関心したように、
「本当だ…ゴミがすり抜けてる。でも、なんで?」
晃は困ったように、
「それは俺にも分からないよ。でも、どうやら…」
晃は車が行き交う道路を普通に横断し始めた。すると晃は行き交う車をすり抜けて道路を横断してしまった。どうやら一種の幻覚、ホログラムのようなものなのかもしれない。
「大丈夫みたいだよ」
そうと分かっていても、走る自動車の前に出る行為には抵抗があるもの。しかし、晃を見た藍は、目を閉じて祈るようにして駆け出した。
しばらく進むとサイクリングロードはアスファルトに舗装され、緩やかな上りに入った。
周囲には大きな木が立ち並び、小さなつぼみがついている。時期になれば満開の桜に囲まれた美しい道となることだろう。
緩やかではあるが、長く続く上りに運動不足の晃は肩で息をしていた。
「なっげぇ…まだ続くのか…」
藍は少し笑いながら、
「ほら、がんばってください。…あ、みて!海!」
二人は自転車を止めて藍の指差す方向を見ると、夜の海が広がっていた。
夜明けが近いのか、少し白み始めてはいるが、遠くの島々に光る小さな光点が儚くも力強く輝いていた。藍はその美しさに時を忘れて魅入ってしまう。
その横顔には、死を意識するほどに人生を苦悩している人間とは違う感情が芽生えている、晃の瞳にはそう映っていた。
「ああ、綺麗だな。でも、早く行かないと夜が明けてしまう」
しかし、当面の目標はこの道を進むこと。息の整った晃が急かすと、藍は少し名残惜しそうに、
「そうですね…。行きましょう」
そして程なくして頂上の駅跡に到着した二人は、近くにあったベンチで少し休憩を取ることにした。
山頂の駅跡ということもあるのか綺麗に駅跡が整えられ、近くには展望台も設置されているようだ。自販機で飲み物を買うと晃は一気に飲み干した。晃の事前調査によると、あとは下るだけのはずである。
息を整え、水分補給を終えた二人は、
「さあ、行こうか」
晃がそう言って立ち上がろうとしたとき、一人の老人が声をかけてきた。
「待ちなされ、二人とも」
声を掛けられて初めてその存在に気が付いた。深いシワや綺麗な白髪、歳は八十を越えていそうな小さな老人だ。
「爺さん、何か用か?」
晃は敵意を隠そうともせずに返した。
今までこのサイクリングロードに入ってから能動的に関わってきた対象に『普通』はなかった。ならばこの老人も罠か何かだと直感的に考えていた。しかし、老人は暖かい笑みを浮かべて、
「そう警戒せんでもいい。わしゃ何もせんよ」
そう言うと晃たちの前まで来て座り込んだ。晃が『何もせん』の意味を邪推していると老人は、
「お主らに問いたい。ここが何か知って来ておるのか?」
真剣な眼差しで問いかけてきた。二人は一瞬見合わせると藍が、
「蒸発のサイクリングロード…じゃないんですか?」
すると老人は大きく頷いて、
「うん。分かっていて来てるんじゃの。じゃ、アレか、お主ら死にたいんじゃな?」
晃はまだ懐疑的な目で、
「ああ、だからなんだ?爺さん。先に自分の正体を明かしたらどうなんだ?」
「ワシか?ワシは…そうじゃな、ここの主の使い…といったところかの」
『使い』と名乗った爺。普通に話ができそうだと踏んだ晃は、
「なぁ、爺さん。一つ聞きたいんだけど、ここに来るまでにいろいろと変なことがあった。あれって爺さんの仕業か?」
爺さんは少し顔を綻ばせると、
「ああ、そうじゃ。引っかかってなんとか帰ってくれんかと思ったんじゃが…お主等には効果はなかったようじゃな…」
この柔らかな物言いの爺さんに藍は、
「その…お使いさんが私たちに何の御用ですか?」
この問いかけに爺さんは厳しい表情を作り、
「お主ら、本当に死にたいのかの?」
そう言いながら藍の目を見る。
「先までのお主らの話は聞いた。こっちのお嬢ちゃんの気持ちは分からんでもない。しかし…」
爺さんは晃の目を見据える。晃は思わず目を逸らしてしまった。
「お主はとても死にたいと願っているようには思えんのじゃが」
晃は爺さんの方を向き、
「そんなことはない。今まで生きていればいいことあるって言い聞かせてなんとか生きてきた。でも、何も無かった…、いや、何もないどころか事態は悪い方向にしか進まない。もう待ちくたびれたんだ。これ以上生きていても何もないんだったら、さっさと死んだ方が楽になれる」
爺さんは小さく頷きながら、
「ほうほう。なるほどな。確かにお主の言うとおりかもしれんな。…じゃが、今お主は本当にそう思っているのか?」
晃は爺さんの言葉に何故か身が竦むのを感じた。そして言い返せないでいると爺さんは藍に向き直り、
「嬢ちゃんもじゃ。今嬢ちゃんは本当に死にたいのか?」
心の底まで見透かされそうな爺さんの視線に二人とも考え込んでしまった。そして爺さんは、
「ここを出るともう後には戻れんぞ。ワシの手もこの先には及ばん。よーく考えなされ、二人とも」
そう言い残すと爺さんは展望台の方へと消えて行った。
「変な爺さんだったな…」
晃は爺さんの去った方向を見ながら呟く。周囲は徐々に明るくなっているせいで辺りの風景は見えてきているのだが、その方角だけは真っ暗なままであった。
「晃さんは…このまま行くの?」
藍は晃の様子を伺うように尋ねた。
「…ああ。ここまで来て帰りますって選択肢はないな。藍ちゃんは?このまま引き返してもいいんだよ?」
藍は少し考えてから、
「いえ、いいんです。私も…せっかくここまで来たんだから…」
出かかった言葉を飲み込んだ。しかし、それを忘れさせるかのように立ち上がり、
「さ、そうと決まったら行きましょう!」
颯爽と自転車に乗りこむ藍に続いて晃もサドルを跨いだ。
山頂の駅跡を過ぎると晃の調査通り、ゆるやかな下りが続いていた。
それまで舗装道路だったサイクリングロードは砂地の道へと変わり、周囲の雰囲気も一気に暗くなってきた。朝方に西へ向かっている道のせいだと自分に言い聞かせてはいたが、どうも空気が重い。
山頂の駅跡を出てからここまでに二つ駅跡を過ぎたが、どちらもボロボロになっており、それが鈍重な空気感を倍増させていた。
「なんか変な空気ですね…」
藍が独り言のように呟いた。それを聞いた晃は、
「そうだ。何かに似ていると思ったら、サイクリングロードに入った時に感じた空気に似てないか?」
二人はサイクリングロードに入るとき、一瞬ではあるが、生暖かく重い空気を感じたことを思い出した。この空気感はその時のものであった。
「そうですね…」
この先に何かありそうな予感はしているものの、二人ともその不安感からか押し黙ってしまう。
そしてサイクリングロードは長い直線の下りへと差し掛かる。そこは左右を樹木で覆われていて、それまでの明け方特有の明るさも届かない漆黒のトンネルのようであった。
そして自転車は徐々にスピードが増していく。藍はさすがに怖くなり、ブレーキをかけようとした。
「…え?うそっ!」
藍は思わず叫ぶ。
「どうした?…あれ?」
藍に合わせようとした晃も同じく異変に気が付く。そう、ブレーキが効かないのだ。
「ええ?なんでなんで?」
藍はパニックになっていた。ここに来て長い下り坂でブレーキが効かないのは致命的である。
晃もどうしたものかと藍の方を見るが、その距離は徐々に離れていた。体重的にも重い晃の方が速度が出るのか、普段よく油を差していたからなのか、グングン加速していく。
樹木のトンネルを抜けるとサイクリングロードは大きく左へカーブしていた。
晃はなんとか自転車をコントロールしてはいたが、更に速度は上がっていく。砂地の道で後輪を滑らせながらなんとか曲がり切った先には、またしても長い直線の下り坂が続いていた。
しばらく下ると前方に真っ暗なトンネルが出現した。しかし、その様子は今までの風景とは比較にならないほど禍々しく、さながら地獄の門といった様相である。
(あれは…明らかにヤバい!仕方ない!)
晃は自転車から飛び降りた。
どのくらいスピードが出ていたのだろうか、晃は数えきれないほど路面を転がるもなかなか止まらない。晃は意を決し、脇に自生していた木に向かっていく。大きな木と激突の末、抱き合うようにして何とか止まることができた。ふと、自転車を見ると、まるで意思を持っているかのように、独りでに走っていったかと思うとトンネルに吸い込まれるようにして消えて行った。
「キャーーとーめーてー」
晃は朦朧とした意識の中で藍の叫び声がした。目が冴えた晃が声の方向を見ると、ちょうどそこに藍が自転車と共に下ってくる。
「藍!飛べ!俺に向かって飛べ!」
晃が叫ぶと藍は一瞬我に返り、晃の方を見る。しかし、恐怖からか、すぐまた目を閉じてしまう。
「むり!むりです!!」
晃は藍と自転車を見て、ついさっき、自分が飛び降りたにも関わらず、自転車だけ勝手に走っていったことを思い出した。
(もしかして…よし!)
意を決すると晃はタイミングを見計らって、藍の自転車に飛びついた。
晃の予想通り、普通ならその衝撃で共倒れになるところ、藍の自転車はまるで自立走行しているかのように走り続けている。そして、晃は恐怖で自転車にしがみついている藍を引き剥がすと、自転車から飛び降りた。
晃は体中スリキズや打撲だらけなのに対して、藍は晃のおかげか足に軽い打撲を負っただけで済んだ。しかし、二人とも無事だったことが何より奇跡であった。
二人は抱き合ったまま…というより、藍はよっぽど怖かったのか、嗚咽を洩らしたまま晃から離れようとしない。晃はなんとか上体を起こして周囲を確認した。
藍の自転車は晃の自転車と同じく、トンネルに吸い込まれていった。そしてその直後、トンネル内が薄明るくなり、向こう側にはサイクリングロードの終点である車両基地跡が見えた。
相変わらず泣いている藍を抱えたまま晃はゆっくり立ち上がり、
「立てる?もう大丈夫だ」
藍はゆっくり周囲を見回すと安堵の溜息を洩らしながら立ち上がった。
「こわかったー…あ、その、ありがとうございます」
面と向かって頭を下げられた晃は途端に照れくさくなり、
「き、気にすんな。それより、あれ」
そう言ってトンネルの方を指差す。そこには今まであった漆黒はなく、普通の風景が広がっていた。
「え?あれがどうかしたんですか?」
藍は走っていたときに回りを見ている余裕がなかったようだった。しかし、数歩歩くと、
「…?あれ?空気が澄んでる…」
晃は藍に言われて初めて気が付いた。空気がさっきまでの生暖かく重い空気ではなく、普通の朝の澄んだ空気に変わっていたのだ。
「…どうやら、元の世界に戻ってきたのかな。俺たち」
トンネルを抜けるとそこには終着駅と車両基地跡があった。古い車両も数台置いてあり、鉄道マニアたちが喜びそうな雰囲気である。そしてちょうど東から太陽が昇ってきた。
思わず太陽を見上げる藍を後ろからみていた晃は思わず息をのんだ。
太陽を後光に従えた藍は神々しいまでに美しく、それまで夜の闇の中だったためはっきりとは分からなかったが、藍は晃の好みを的確に捉えていた。その後ろ姿を堪能していた晃だったが、藍が振り返るとすぐに我に返り、
「結局、死ねなかったのか…俺たち。何か笑っちゃうな」
二人はそれまでの緊張感から解放された安堵感から、近くにあったベンチに沈みこんでしまった。
「さて、どうしようか。帰ってきてしまったものは仕方ないけど…どうやってここから帰るかだな」
二人とも自転車はどこかに行ってしまったので帰るのなら徒歩しかないが、ここまでの距離を歩いて帰るとなると、とても今の体力では途中で倒れそうである。
晃が考え込んでいると藍が少し離れたところから、
「晃さーん。こっちにバス停ありますよ?」
晃は藍のもとへ駆けつける。バスは近くの駅まで行っているようだ。
「これで駅までいって、電車で車のところまで帰れるな。それから藍ちゃん送っていくよ」
藍は嬉しそうに、
「ありがとうございます。今夜のことは…二人の秘密ですよね…?」
晃が頷くと、ちょうど始発のバスがやってきた。




