君に逢える場所
ちょっと今回は色々挑戦してみました。
では、楽しんで読んで頂けると幸いです。
蝉の鳴き声が響く中、僕は一人歩いていた。
「一年振りだな。この場所も」
都会から少し外れた山に僕は来ていた。山といっても登山で登るような山ではなく、人に整備された道があるが、古びた寺のあるような人気の少ない場所だ。木々が日差しを遮っている。木漏れ日が一年振りだからか、とても美しく見れた。
「時雨は元気かな〜。お寺にはいると思うんだけど......」
そう言いながら僕はお墓のある古びた寺に向かっていた。一年振りに逢う恋人の時雨と会う為だ。
「愛想尽かされちゃったかな〜? それもしょうがないけど」
そう一人言いながら山を登っていく。途中、人とすれ違うが誰も僕を気にした様子はなかった。
「和尚さんは元気かな? 良い人だから長生きして欲しいな」
向かっているお寺にいる和尚さんはお寺や墓石の掃除などの様々なことを一人でしている。そして一年毎に帰ってくる僕に対しても、親切にしてくれる。
そういったことを考えていると、目的地のお寺の近くに着いていた。古びているのは変わらないがそのことがますます僕を懐かしい気持ちにさせた。
「やっぱり懐かしいな。全然変わってない」
お寺の敷地はそこまで広くない。大体家を四軒、正方形になるように並べたくらいだろうか。正面に家一軒分くらいの仏殿があり、その裏に数名のお墓がある。お寺といえば僕はここしか知らないので一般的かどうかは分からない。
--多分時雨もそこにいるだろう。
僕が墓地の方へ向かおうとしたとき、丁度仏殿の方から黒い服--袈裟だっただろうか--を着た男性が出てくるのが見えた。
その男性はかなりの高齢だと外見で分かる。ただし足腰などはしっかりしている様で杖などは使わずに歩いていた。
雰囲気は例えるならば、高校時代にお世話になった優しい中年教師の老後といったところだろうか。
その男性--和尚さんは僕に気付いた様で皺だらけの、ただ優しげな顔を綻ばせてこちらに歩いてきた。
「これはこれは。お帰りなさい。一年振りですね」
和尚さんの声は決して大きい声ではない。ただ人を落ち着かせ安心させる。包容力と言うのだろうか? そういった心の広さを感じさせる声だった。
「お久しぶりです。和尚さん。まだまだ元気そうで安心しましたよ」
「長生き出来てありがたい限りです。ささ、早く墓地の方に行ってあげて下さい。時雨さんが待ってます」
時雨。彼女の名前が和尚さんから出たときに僕の気持ちは踊り出しそうな程に昂ぶった。そして彼女が来ているということを聞いて今すぐお墓の方へ向かいたくなったが、ここですぐ行ってしまうと和尚さんに失礼になる。
そんな僕の気持ちを読んだのか、和尚さんは孫を見る様な優しい顔で僕にこう言った。
「私の事は構いませんよ。早く行ってあげて下さい」
「すいません! ありがとうございます!」
僕は早口にそう言ってお墓の方へ、時雨が待つ方へと向かった。
--和尚さんが悲しそうな顔をするのは見ない振りをして。
☆ ☆ ☆
裏の墓地には十人に満たない人数の墓石が置かれている。少ないのは墓石の手入れが行き届くようにする為の和尚さんの配慮だそうだ。そこには時雨の祖父母の墓石もあり、そこに時雨はいるはずだ。
仏殿の裏へ回る。途中の木々には不思議と蝉は止まっておらず、鳴き声は少し遠く聞こえた。
そして、僕の目の前に墓地が見えた。墓石は全て南を向いている。墓石の向く方角にも意味があった覚えがあるが、そんなことはどうでもよかった。
墓地には一人の女性が立っていた。
「......時雨」
僕は彼女の名前を自然と口にしていた。
その声に気付いた時雨がこちらを向く。
やや幼さの残る顔だが、大多数の人が美人だという整った顔立ちをしている。穢れを知らない絹の様な白い肌が肩に掛かるくらいの赤毛混じりの黒髪を際立たせる。体型はスレンダー型と言えるだろう。頭に被った麦わら帽子と肌と同じくらいに白いサマードレスが良く似合っている。避暑地に来たお嬢様といった出で立ちだ。
「久しぶり、時雨。元気だった?」
僕が声をかけると時雨は「当たり前」と言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。
元々時雨はあまり話す方ではなかった。ただ僕は表情や仕草などで彼女の気持ちや言いたいことは分かるようになった。それから彼女には言葉は僕といるときには重要なものではなくなった。
「そっか。時雨は変わらず綺麗だね。僕になんか愛想尽かしたかと思っちゃったよ」
時雨は何か言いたいのを堪える様な表情をしていたが、落ち着いたのか「心外だ!」とばかりに頬を膨らませた。そんな表情ですら可愛く、愛おしく思え、思わず笑ってしまう。時雨は咎めるような表情でこちらを見ていた。
「ごめんごめん。こうして二人でいるのが懐かしくてさ」
時雨も懐かしむような、悲しむような、そんな表情をしていて僕は器用だなと場違いな感想を抱く。すると彼女は何かに気付いた様に移動を始めた。
「どうしたの? 何かあった?」
時雨は仏殿のすぐ側の、陰になっている所に咲く花を指差した。その花は五センチ程の茎にベル型で紫色の花が次々と咲いている、特徴的な花だった。僕はその花の名前を知っていた。
「桔梗の花だね。この花が自然に咲いているのは珍しいんだよ」
時雨がこちらを見て驚いていたが、その目には尊敬したようなキラキラした目をしており僕も気分がいい。そしてそんな彼女をからかいたくなり、僕は桔梗の花言葉を言った。
「花言葉は変わらぬ愛だよ。僕の時雨への気持ちと同じだね!」
時雨は一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、言われたことの意味に気付き、顔を林檎のようにして僕を追いかけてきた。
「〜〜〜〜!」
「あはははは! にっげろ〜!」
お寺の外へと時雨から逃げるように走る。視界の端では桔梗の花が揺れている。もう一つの花言葉は言わなくてもいいだろう。言ったところで何も変わらないのだから。
時雨は運動が得意ではないので余裕で引き離せる。後ろを見てもまだ追いついてこれなさそうだ。
「おや? そんなに走って。どうされましたか?」
仏殿の正面で和尚さんが掃除をしていた。お手伝いしたいけど、今の僕には出来ない。
後ろから追いかけてきてる時雨を気にしつつ、和尚さんに少し早口で話しかける。
「童心に帰って追いかけっこですよ〜」
「そうですか。時雨さんもあんなに走って。元気ですね」
「あはは......ところで和尚さん。いつもの空き家は?」
「準備出来てますよ。どうぞ泊まっていって下さい」
「いつもありがとうございます。っと、失礼します!」
時雨がかなり追いついてきているので和尚さんにお礼を言い、また走りはじめる。いつもの空き家とはこのお寺よりも少し山を登ったところにある空き家だ。和尚さんが時々掃除や家の手入れをしてくれているので、いつでも住める。和尚さん様様だ。
「仲がよろしいことはいいことですね。是非ゆっくりしていって下さい」
和尚さんはそう言って微笑んだ。その表情に悲しさは見つからなかった。
時雨と追いかけっこを一方的に楽しみ、空き家の前で彼女を待つ。僕に追いついた彼女は追いかけっこで疲れたのか、かなり息が上がり、肌には汗が滲んでいる。そんな時雨を見て僕は何とも言えない気持ちになってしまったのもしょうがないと思う。うん、しょうがない。
「............」
「......ごめんなさい」
考えがバレたのかジト目をされてしまい、いたたまれなくなる。こういう時は先に謝る。これが仲の良さの秘訣だ。
空き家の外見は特に変わった所のない二階建ての普通の家と言えるだろう。赤い屋根に少し灰色がかった白い壁。そんな見た目だ。内装もシンプルに出来ていて、キッチン、リビング、風呂場、寝室がそれぞれ一箇所ずつ。それ以外の部屋が二部屋あり、家具が必要最低限置かれている。
「ここも久しぶりだよね〜。去年もこの時期に泊まったよね?」
時雨はコクリっと音が聞こえてきそうな風に頷いた。小動物の様で非常に可愛らしい。大人びた雰囲気を纏っている時雨がこういった仕草をするのは幼い顔立ちとあいまってギャップを感じさせる。やっぱり可愛い。
「............」
「さぁ! 中に入ってのんびりしようか〜!」
僕は時雨の視線から逃げるように空き家に入った。
☆ ☆ ☆
それからは二人で夜までのんびり過ごした。ご飯を食べたり、時雨のお風呂を覗こうとしたのがバレて怒られたり、色々あってその日は二人で一緒の布団で眠った。
☆ ☆ ☆
夏場特有の蝉の鳴き声で目を覚ました。横では時雨がぐっすりと寝ている。頬を指で突こうとして、止めた。
そんな僕の行動に気付いたのか、気付いていないのかは分からないが時雨が目を覚ました。
「おはよう。時雨」
「......ぁよ〜」
まだ寝ぼけているみたいにで、挨拶すら出来ていない。髪も少し寝癖が付いていて、間の抜けた雰囲気を出している。こういった時雨も可愛い。
「顔洗ってきたら? リビングで待ってるから」
時雨は頷き、洗面所のある風呂場の方へと誘われるように歩いていった。時雨が無事に洗面所に着いたところを確認して、僕はリビングへと向かった。
しばらくリビングで待っていると、顔を洗ってスッキリした時雨がやって来たが、その表情は曇っている。気付きたくないことに気付いた、といった感じだった。
「どうしたの? 何かあった? 虫でもいたの?」
僕の疑問はリビングにあるテレビが点くことで解消された。
やっていたのは朝のニュース番組。人気のキャスターと芸能人が話をしたり、ニュースを伝えたりするあの番組だ。
「八月十六日、金曜日のニュースをお伝えします。今朝入ってきたニュースです。昨晩--」
八月十六日。それは僕が帰らなければいけない日だった。
「......あぁ、一日遅れちゃってたのか〜。ごめんね時雨」
時雨は少し悲しそうな表情をするも、「貴方のせいじゃない」という風に儚げに微笑んでみせた。それでもその表情が強がりであることが僕には直ぐに分かった。目元に涙が少し見えていた。喜怒哀楽のはっきりした娘だけど泣くことが多かったな、と思っていた。
「時雨はやっぱり泣き虫だね〜。じゃあ僕と約束しようか」
時雨は首を傾げた。頭の上に『?』の疑問符が付いてそうなそんな表情だった。そんな時雨に僕は少しキザな言葉を言った。
「時雨って秋から冬の頃に降ったり、止んだりする雨や雪のことなんだよ。だからね? 時雨は夏に泣かないで。時雨には笑っていてほしいけど、泣かないのは良くないから」
時雨は分かったような、分からないような、頑張って理解しようとしている、そんな不思議な表情だった。ちょっと意味不明過ぎただろうか? 顔が熱い。
「ごめん、忘れて。お願い」
時雨は多分「珍しいものを見た!」といった驚いた表情をしているだろう。恥ずかしいから時雨の顔が見れないので分からないけど。
「さ、さあ! 朝ご飯食べてお昼過ぎまでゆっくりしてから、和尚さんに挨拶に行こう! ご飯だよ! ご飯!」
僕はヤケになりながら「ご飯」と叫び続ける。時雨はキッチンに立って料理をしていようとしている。手慣れた手つきで惚れてしまいそうだ。惚れてるけど。
「へぇ〜。器用だね」
時雨は心なしか自慢げな表情をして、胸を張った。なるほど。少し成長はしているみたいだ。
「............」
「ごめん。謝るから無言で包丁向けるのやめて!」
時雨はイタズラの成功した子供のような笑みを浮かべた。その笑みに曇りは無くなっていた。
☆ ☆ ☆
空が赤くなり始めた頃に、僕と時雨はお寺の方へと向かっていた。二人で並んで歩いている。会話は無く、僕らの手は繋がれていない。
--届きそうで届かない。そんな距離だ。
お寺が見えてきた。朝方や昼間に来るのとはまた違った雰囲気を出しているように感じる。悲しみを慰める、そんな慈愛に溢れた雰囲気だ。
そんな境内に袈裟を着た男性--和尚さんが佇んでいた。僕らが来るのを分かっていて、待ってくれていたみたいだ。
「......お帰りですか」
「はい。その挨拶に」
沈黙が流れる。烏の鳴き声が聞こえる。
和尚さんが口を開いた。
「またお越しください。また来年お待ちしています」
「っ! あ、ありがと、うございます」
優しい言葉だった。暖かみのある、優しい優しい言葉だった。次があるかは分からない。それでも『待っている』という和尚さんの言葉が身に沁みる。
その後和尚さんは手に持っていた紙袋を時雨に渡した。
「時雨さん。これを」
時雨は覚悟を決めたような表情をして、紙袋を受け取った。悲しみを我慢している。そんな表情だ。
「じゃあ、時雨。行こっか」
時雨は頷くと僕の隣に来る。
「それでは、また。お元気で」
和尚さんは微笑み、頷いた。僕と時雨は山の上へと向かった。途中振り返ってみると和尚さんがこちらを見ていた。その視線には優しさを感じた。
また二人で並んで、山の上へと歩いている。やはり会話は無く、空はさらに赤みを増している。ヒグラシの鳴き声が何処か泣いているように聞こえた。
そして目的の場所に着いた。
そこは崖になっているが見晴らしが良く、今のような黄昏時にちょうど沈む夕日を見ることが出来る。そしてここはこの山で一番高い所にある。そんな場所に僕と時雨は来ていた。
「さ、時雨。ここでお別れだね。準備、お願い出来る?」
時雨は頷くと紙袋から真菰の束とマッチを取り出し、真菰の束を地面に置いた。簡単だが、これで別れの準備は出来た。後はこの真菰に火が焚かれるだけでお別れだ。
僕は時雨に顔を見せないように夕日の方へ顔を向けて、時雨に言った。
「ありがとう。時雨。大好きだよ。バイバイ」
そう言って火が焚かれるのを待ったが、少し待っても火が焚かれる感じがしない。不思議に思い後ろを見てみると、
--時雨が泣いていた。
「やだよぉ......。さよならしたくないよ......。また会えないなんて......そんなのやだよぉ!」
綺麗な顔がクシャクシャになって、頬は涙で濡れている。駄々をこねる子供みたいに、泣いていた。
僕は時雨を慰めようと手を伸ばすも、やめる。そんなこと出来ない。だって僕は、
「駄目だよ時雨。そんなこと言っちゃ。僕はもう死んでるんだから」
そう、自分で言うのも変だが僕は二年前に死んでいる。死因は覚えてはいない。時雨に聞けば分かるのだろうけど聞くつもりもない。ただ、お盆の時期に真菰を燃やした迎え火が焚かれて、帰ってこれているらしいということだけが曖昧に分かっている。つまり、僕は幽霊な訳だ。
「それでもやだぁ! もう会えないかもしれないのに! さよならなんてしたくない!」
「時雨......」
時雨がその場に崩れ落ちる。涙は流れ続けている。僕は抱きしめることも、手を握ってあげることも出来ない。当たり前のことが出来ないという悲しさが、僕らの遠さを残酷な程に突きつける。
僕は泣いている時雨に言った。
「時雨はやっぱり泣き虫だね。だからね、僕との約束思い出して」
「あっ......」
「そう。時雨は夏に泣かないで。僕がいるときに時雨が泣いてたら、僕は悲しいから。でも泣かないのは良くないと思うから。だから僕のいない秋と冬に泣いて、僕と逢う夏にはとびっきりの笑顔を見せて。お願い」
「うん......分かった」
そう言って時雨は少し無理に笑った。そんな笑顔でも可愛いと僕は思う。だからこそ僕は笑っていてほしい。
そして僕は時雨にお願いした。
「じゃあ、今度こそお別れだね。時雨、お願い」
「......うん。またね......」
彼女はそこで区切り、息を吸い、顔を赤らめながら大声で言った。
「大好きっ......!」
驚いた。凄く驚いた。ただそれだけ時雨に想ってもらっていることが僕は嬉しく、時雨に笑顔を向けた。
時雨は真菰にマッチの火をつけ、送り火が焚かれる。自分の存在というのだろうか? だんだん薄くなっていくのが分かる。
僕は消えてしまう前に時雨に言った。
「ありがとう。僕も大好きだよ。じゃあね、時雨」
次は逢えないかもしれない。
今度は来ることが出来ないかもしれない
それでもまた君が呼んでくれるならここで、
--君に逢える場所で
どうでしたでしょうか?
面白いと思って頂けたのなら作者は嬉しいです。
読んで頂きありがとうございました。