其の7
学校からの帰り、テスト勉強を諦めた俺は考えをまとめるためにふらふらとモール街を歩いていた。
部室ではどっかのツンデレが笑い声をあげてうるさいので飛び出してきたのだ。
と、その時だ。
「あやー、いたいた! 樹~!」
いきなり自分を呼ぶ少女の声がした。
おかしい。街中でこれほど親しく声をかけてくる知り合いなど俺にいるはずがない。しかし間違いなく今俺は呼ばれた。
一体、誰だ?
どんな可愛らしい子が俺を呼んでいるのかと振り向くと、向こうから金髪ツインテールの女の子が『お~い!』と笑顔で手を振りながら駆けてくるではないか……!
想像した通りかなりプリチーな少女だ。
信じられん……!
ゴシック・アンド・ロリータ調の黒いワンピースを着ていて、フリフリのスカートを翻してこちらにやってくる。
ん~!? 誰だ、ありゃ!? 生き別れた妹か!? それとも実は俺に許嫁がいたのか!? クリームより甘ったるい同居生活が始まるのか!?
俺が彼女との関係の設定を妄想していたその瞬間。
俺は過去の彼女の姿と今の姿がやっと重なった。
と、同時に彼女が“何者”なのかを理解した。
途端、俺の体は勝手に走り出していた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
俺は奴から全力疾走で逃亡した。
「あやや!? 樹どこ行くの!?」
な、ななななな、なんで、あああ、あんな超瞬速逃亡対象が……!? とととと、とにかく逃げないと! 殺られるううう!
いきなりの超展開に俺はパニックになりながらばたばたと走る。
全速力で大通りを駆け抜け、薄暗い路地裏に入ったその時だった。
くんっ。
足に何かが引っかかったと思ったその刹那、視界が回転する!?
「うおほぉおおおおおおおおおおお!?」
しゅるるる!
気づけば銀色の糸に体を縛られ路地裏に宙ぶらりんにされていた。しかもかなーり恥ずかしい縛り方で!?
よく見るとその路地裏には銀色の糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされているではないか!
ああ! これじゃあまるで搾取される美しい蝶の運命じゃないか!
「あややー、飛んで火に入る夏の虫だや。
もうっ、逃げるなんてひどいよ。予想はしていたけど」
路地裏を曲がってこちらへとゆっくり歩いてくる金髪ツインテール(超瞬速逃亡対象)。
「だ、だだだ、誰ですか、チミは!? 降ろしてください!」
俺は今更ながら他人のフリをすることにした。
「もうっ! それが三年ぶりに会った恋人に対して言う台詞?」
「んがっ! お前を恋人にした覚えなんかない!」
他人のフリを忘れ、思わず全身全霊全力全開全オーラを使って否定してしまう。
「あやや~? 三年経って私が綺麗になっちゃったから照れちゃってるのや~?」
身体をくねらせてしなを作る少女。
確かに見ないうちに良い体つきになった。スカートから伸びた生足なんかは生唾ものであるのは認める。
だがそもそもの問題はそこではないのだ。
奴は根本的に性格がぶっ壊れている!
「照れてない!」
俺は喉をごくりと鳴らしてから精一杯否定した。
「あやー、やることはやったのにウブなんだからぁ。
初めては全部樹が奪ったくせに。ぽっ」
赤くなった顔を両手で挟んでもじもじしだす少女(超瞬速逃亡対象)。
「そんなことした覚えねぇよ! いい加減なこと言うな!」
俺の言葉になぜか訝しげな顔になる。そして何か合点がいったようにポンと手を打った。
「あやや。そうだったや。樹、あの時は睡眠薬で眠って――」
「ギャアアアアア! 聞きたくなーーーーい!」
俺の知らないうちに何かされてるーー!?
「それにしてもひどいよ、樹。生きてるなら連絡くれても良かったのに……。
私てっきり死んだのかと思ってたよ?」
そのまま死んだものだと思ってくれれば良かったものを……。どこで知りやがったんだ、コイツは……。
「ああ、そうかよ。そりゃ悪ぅござんした。
んで? 今更俺の前に現れたってことは何か理由があるんだろ、アァ?」
俺はヤクザばりに睨みつけてやる。
「警告しにきたのよ」
その新たな声に首だけで振り返るとそこには赤髪長髪の女が腕を組んで立っていた。
黒革のライダースジャケットにこれまた黒いレザーパンツ、その長い足の先には革のブーツ。
危険度MAX!
ワーニン、ワーニン!
俺の頭の中で警告が鳴り響きまくっている。
その人物(超ミラクル瞬速逃亡対象)を見て俺の口が『あがっ』と開ききる。開いた口が塞がらないとはまさにこのことを言うのだろう。
「お、おおお、お前まで……!」
「久しぶりね、“エース”」
風が吹く。彼女の燃えるような赤髪がさらさらとなびいた。
「また懐かしい呼び名を……。つーか、警告ってなんのだよ!?」
「私たちがここにいるからもう予想はできてるかも知れないけど…………“あの男”……今、日本にいるわよ」
「…………あー、やっぱり?」
「死んでることになってるんだし、あんまり動かない方がいいと思うわよ。生きてるってことが知れたら色々と面倒なんじゃないの?」
「んがっ! 動かない方がいいって……。あのキスマークの手紙よこしたのお前だろ! 絶対そうだ!」
「静かに動きなさいって意味よ。
……キスマーク。発情した?」
「してねぇよ! キスマークにキスなんかしてないからな!」
「あら」と少し驚いたような赤髪。だがすぐに妖艶な笑みを浮かべた。
「へぇー、そんなことしたんだ。相変わらず分かりやすいわね、樹は」
そう言った後、何かを考えるように目線を上にし、ペロリと瑞々しい唇を舐めた。
「……んー、……間接キスね」
ああああ! もうヤだこの人たち!
「…………お前ら、もしかしてヒューマンイーター事件に関わってるのか? なんか知ってるのか? 犯人は誰だ? お前じゃないのは確かだけど」
この女が人を殺した場合、死体は綺麗に掻っ捌かれているはずだからだ。そりゃもう刺身かってくらい綺麗に。この女が扱う刃物は銃器よりも凶悪な凶器へと変貌するのだ。
「お姉ちゃんに対して『お前』だなんてひどい呼び方ね。反抗期?」
不機嫌そうに眉を曲げる赤髪の女。
「誰が姉だ、誰が! つか本当の名前も知らない奴を姉だとは思えねぇよ!」
「なぁに? まだ騙したこと怒ってるの?」
「あったりまえだろ!」
「……もしかして本当に私のこと好きだったとか? でも、だめよ。ちゃんと血は繋がってるんだから、たぶんね」
クスクスと笑う自称・俺の姉。
カッと顔が熱くなるのを感じる。
「~~っ! てめぇ、殺す! 葉月、おろせえぇ! マッハ2であいつを殺すぅ!」
「あやや、ダメだよ紗枝姉。樹怒っちゃったや」
「図星をつかれちゃったのよ。可愛いわね」
「ぬぅぁうにが図星だ、ぬぅあぅにが! 誰がお前なんか――!」
俺の言葉を遮ってぴっと人差し指を立てる赤髪(自称・俺の姉)。
「兎に角。警告はしたわよ」
「それじゃあねー、樹~! またね~!」
話はこれで終わりらしく振り返る二人。
「おう、いけいけ。二度と俺の前にツラ見せんな。
って、えええええ!? 降ろしてってくんないの!? 降ろしてから行けよ! 降ろせ、コラアアア!」
俺の叫びも空しく手をふりふり去って行く二人。
ひゅぉおぉぉお……。
途端に静かになる路地裏。
俺は縛られた腕でなんとかポケットからPCを取り出す。
そしてこの状況から救ってくれそうな人物に連絡をとった。
ホログラムモニターに『エリ・F・橘――コール中』の文字が浮かぶ。
頼む、出てくれ!
何度かコールした後、彼女は不機嫌そうな声で電話に出た。
『なによ。こっちは二日酔いで頭が――』
俺はPCに向かって助けを求め叫んだ。
「助けてぇえガーディアーン!」
キーン!!
『~~~~~~っ!』
なんだか向こうでばたばたと悶える音が聞こえる。ついで『どがっ! がしゃん!』と何かを落とす音も聞こえてきた。
がこっちはそれどころじゃない。
「助けてくれ! 怖いやつらに空中つり上げ――」
ぷつ……ツーツー。
ファック! 切られた!
パートナーのピンチをシカトするとはなんて奴だ。ムカつくから助けにくるまでコールしまくってやる。
トゥルルル! トゥルル!
数十秒ほどだろうか、それくらいした時に彼女は電話をとった。
もっと真剣に! ちゃんと話せば分かってくれるはず!
『なによ、もう……。悪戯電話なら簡便してよ……』
「違うんだ。自称・俺の姉がきて」
『はあ? あんたの姉ですって? それがどうかしたの?』
「間接キスを」
ぶつ……ツーツー。
だめっしたー!
あ、諦めるな! こんな異常事態を解決できる奴はエリしかいない!
俺は三度、彼女をコールする。すると彼女はすぐに電話に出てくれた。
「真面目な話なん――!」
ぷつ……ツーツー。
あ、あのアマ! とった瞬間に切りやがった……! ま、負けないぞ!
なんだか根本の目的を忘れて意地になってきた。
トゥルルル! トゥルル!
ガチャ。
「じゃじゃ馬! 高飛車! 外国被れ! 彼氏いない歴=年齢! 日本苗字で呼ぶぞ、コラァ! 橘! たちばな! タチバナ! TATIBANA!」
どうせ切られるのならとありったけの罵詈雑言をぶつけてやるぅ!
『………………』
……ってあれ? 切れて……ない?
イヤホンの向こうから彼女の呼吸を感じる。
『…………………………』
彼女無言。回線が切れてない代わりに彼女がキレたようだ。
あっはっは、やだもう樹くんったらウマいこと言っちゃってー、あっはっは。
って、笑ってる場合じゃねぇ!?
PCからふつふつと怒気が伝わってくる。
『へぇー、あんた私のことそういう風に見てたんだ。へぇー、外国被れ……ねぇー。へぇー』
ゴゴゴゴゴ……!
やばい。
殺られる。
どうにかしないと……。
七色の声帯(即席)を持つ俺はとっさに裏声を使った。
「あらやだ。何を言っているのかしら。これは間違い電話よ。私は樹なんてイケメンしらないざますわよ?」
『キモい裏声使ってるんじゃないわよ。殺すわよ?』
もろバレリーナ!?
ドスのきいた声が返ってきて俺の頬に脂汗が流れる。
『さっきから何度もうっさいのよ! 用もないのに電話してきてんじゃないわよ!』
キーンッ!!
ぐわ、奴の声は新型鼓膜破砕声帯波動兵器か……!? 異常殺人事件の犯人はあいつなんじゃないのか……!? 一緒に捜査してる相棒が実は犯人って結構よくある話だよな!?
だがどうしたことだろう。その兵器本人も自分の波動で苦しんでいるようだった。どうやら改良が必要のようだ。
もちろん下方向への。
「用があるから電話してるんですよ、橘さん! 助けて!」
『はあ? 助けてってどういうことよ……イタズラじゃないわけ? てゆーか橘って呼ばないでよ』
「いいから来いYO! 来てみれば分かるYO!」
『はあ……。なんでラップ調? 余裕あるじゃないのよ、アンタ』
「うるさい、黙れ。早く来い」
『このっ……! …………はあ。分かったわよ。場所は?』
それからしばらくして彼女はやってきた。
そして俺の状況を見、にやっと笑って一言。
「で、これは何プレイ?」
いつかお前にしてヒィヒィ言わせてやる、と決意を固め俺は羞恥の涙を流した。