其の4
「ヒューマンイーター事件……? いや聞いたことはないが。過去に起こった事件か?」
「現在進行形で起こってる事件だよ。
うーん、ツバキが知らないんじゃ本当に極秘だったのかな」
そう呟きながら何気なく本棚の上に置いてあったカラフルなルービックキューブを手にとる。
「極秘……じゃと? もしかしなくても私は知ってはならんことを知ったか?」
ツバキがゆっくりとコーヒーを口に含む。
「実はな。今日ガーディアンが接触してきたんだ。その時に事件の詳細が入ったデータチップ貰ってるけど、いる?」
その言葉に驚いたのか、ツバキはコーヒーを喉に詰まらせ、けほけほと可愛らしくせきをした。
「ガ、ガーディアンが!? おまえにか!? なぜお前ごときに国家所属のアンサラーが接触するんだ!? もっとまともなアンサラーなどいくらでもいよるではないか!」
椅子ごと振り返って驚いているツバキ。
お前ごときとはひどい表現だ。どうやらツバキたんも俺のことを探偵ごっこぐらいにしか思ってないようである。
これでも昔はブイブイ言わせてたっていうのに! 失礼しちゃうわ、ぷんぷん!
「俺に訊かないでくれよ。橘さん――あー、そのガーディアン、橘さんって人なんだけど、彼女が言うにはこの街で殺した奴を食う猟奇的な殺人が起こっているらしいんだ」
「成る程な。ヒューマンイーター事件と呼ぶにふさわしいな」
「んでその犯人とやらを探して捕まえる手伝いをしろって依頼だったんだ。けど、受ける前にどういう事件か詳しく知りたくなってねー」
ふとツバキを見ると彼女はぽかーんとした顔で俺を見ていた。
え、なに? なんか俺おかしいこと言ったっけ?
「…………樹、まさかとは思うが、その依頼受けるつもりか? 今まで大きな事件に関わることを拒否してきたというのに……。
と言うよりも協力者がお前で大丈夫なのか……?」
悪かったな、頼りにならないアンサラーで。
「ま、今回は特別特別。この事件、何か嫌な感じがしてならないんだ。それに今月に入って既に七件も起こっているらしいし。早くどうにかした方がいいっしょ?」
「七件もか!? 信じられんな」と顎に手をやる。
「その上、何も犯人の手がかりはないらしい。目撃者もいないみたい」
ルービックキューブをガチャガチャとやりながら俺は話を続ける。
「ガーディアンが助けを請うのも頷ける。それだけ大きな事件でありながら私に一切の情報が伝わってきていない事を考えても、よほど厳重に情報が管理されているようだな。
お前にチップを与えたのはお前を信頼したからか、それともお前に依頼を受けさせる自信があるからか……」
俺と同じこと考えてるなツバキたん。
「まあ、後者だろうな」
あれ!? なんで俺と違う結論に辿りついてんの、この子!?
思わずコケそうになったが、俺は気をとりなおしてビシリと彼女を指差した。
「厳重な情報。そこなんだよ。この事件についてどんなことでもいい。情報が欲しいんだ」
ツバキは少し考える素振りを見せて顔をあげた。
「そうだな。お前が欲している情報かどうかは知らんが面白い情報があるぞ、二つ」
ぴっと人差し指と中指を立てるツバキ。
「ヒューマンイーター事件のか?」
再びルービックキューブをガチャガチャとやり始める俺。
「いや、その件に関わりがあるかどうか定かではない。だが気になる情報ではある」
「教えてくれ。どんな情報だ?」
「この街で最近起こっているという行方不明事件の話だ」
俺は訝しげに眉を曲げてみせた。
「行方不明? 異常殺人じゃなくてか?」
「ああ。私が聞いているのは行方不明事件だ。
これが奇怪な話でな。何でも『消える理由もないような人間が忽然と姿を消している』らしい。しかも行方不明になった人間たちの間になんら関連性はない。目撃者もおらず、手がかりもないときている。事件性も見えないため警察も聞き込み、捜索程度の動きしかできず、ピリピリしているようだ」
…………。……また面倒な事件が出てきたな。この街で何が起こってるんだ……。
「その事件関連の依頼が幾つか私の元にも届いている。解決しろとは言わんが、注目はしておいてくれ。またスラムの人間の仕業にされるのも癪だ」
貧民街にいる人間は政府に対していい感情を抱いていない。それもそうだろう。いつかは貧民街をなくし、みな平等な世界を作ると宣言しながら実行には移さない国家政府。そんな口だけの政府に嫌気がさした貧民街の人間は少しばかり過激な事件を起こすことがあった。
そのせいか犯人の手がかかりのない事件が起こると貧民街の住人がしたことだ、と短絡的に考えられることがあるのだ。
貧民街に住んでいる一人としてツバキにはそれが許せないのだろう。
「もう一つの情報は?」
「“Nobody Knowes”が日本に来ているそうだ」
は?
その名を聞いて俺は思わず固まってしまった。
俺の顔を見てツバキはニヤリと笑みになる。
「ふふ、驚いて声も出んようだな」
「それ……マジ情報?」
「マジ情報」と俺の真似をするツバキ。
Nobody Knowes。世界最強最悪のキ〇ガイ殺人集団だ。裏社会では最も有名な集団で彼らの存在を知らない人間はいない。幾人かのNK(Nobody Knowes)メンバーは面が割れているようだが、NKが何の目的で行動しているのか、何人で構成されているのかは未だに謎である。
だがしかしNKという組織は確かに存在し、アンサラーやガーディアン、国家、企業にとって常に恐怖の対象として語られる。敵になれば深い痛手を負うのは間違いないからだ。
というのもNKのメンバーはみな何らかのスペシャリストたちで構成されているらしく。完璧な役割分担が成されているらしい。
例えば狙撃をさせれば百発百中の者、爆弾に関して貪欲に知識を取り入れた者、ハッキング技術に関して右に出る人間はいないという者。その様々な分野の最高峰が集まった組織。それがNKなのだ。
その組織をまとめている“キング”と呼ばれる人間がいるらしいが、その存在もまた謎に包まれている。
昔、NKとアンサラーが直接あいまみえた事件があった。
NKが国家政府のある政治家を誘拐したのだ。もちろん目的は不明。
しかし国家政府も馬鹿ではない。NKが潜んでいる拠点を見つけ出し、国家が選んだトップクラスのアンサラー三〇人を拠点へと向かわせた。
だがしかしだ。
その結果は散々たるものだった。連絡が取れなくなった三〇人のアンサラー。政府はすぐさま第二陣を送り出した。そこで彼らが見たのはNKを襲撃したアンサラー三〇人の物言わぬ死体だった、というわけである。しかもその死体が折り重なった惨状を作り出したのはたった一人の人間によるものだった。
“スパイダー”。
そう呼ばれる少女だ。その実力はNKの中では最下位に当たる……らしい。そんな少女に三〇人のアンサラーがボッコボコにされた。
この事実は政府と裏社会に衝撃を走らせた。
そしてこれが『NKに触れてはならない』と政府がNKの野放しを黙認した事件でもあった。
要するにNKに所属してる奴らは規格外の化け物。この世で一番関わりたくない組織なのである。もし何かの拍子に眼をつけられたりすれば――
俺はぶるっと身体を身震いさせた。
考えるだに恐ろしい。
「解析できたぞ」
俺はキューブを棚に置きなおしてツバキの後ろからモニターを覗きこんだ。
「……んー、なんだこのリスト?」
「さてな。二種類あるようだが……。少し待て。照合してみよう」
何やらツバキが操作する。するとポンッと機械音を鳴らしてそのリストが何か弾き出された。
「…………。樹……これをどこで入手したのだ」
「え、なになに? 何か面白いことでも分かった? ちなみにこのチップは――」
俺が嬉々として答えようとすると、彼女はそれを遮るように手をひらひらと振った。
「あー、やはり答えなくていい。だいたい想像はつく。昨日、ニュースにもなっていたしな」
「MSNに侵入する依頼なんて、お兄さんはもらってないぞぅ」
「興味のない依頼は受けない、だったか? 裏を返せば興味のあるものには依頼でなくても首を突っ込むということだろうが」
あながち間違ったことも言ってないので答えは沈黙で返す。
何も答えない俺を見てため息を吐くとツバキは話を元に戻した。
「こいつは先ほど言った事件で行方不明になった人物のリストのようだな。警察が所持しているものと照合された。
もう一つのリストは表題に“コード:A”と打たれておる。こちらも人名リストだが……。何の寄せ集めかは分からんな……」
「行方不明? 異常殺人のじゃなくて?」
予想が外れて思わず訝しげな顔になってしまう。
どういうことだ……。てっきり『ヒューマンイーター事件』に関わるなんらかの情報が入ってるのかと思ったんだけどな……。
俺は先日、届いていた謎の手紙の内容を思い出す。
『MSNを調べなさい』
そしてキスマーク。
たったそれだけの手紙。送り主はおろか、どこから送られてきたのかも分からない。
これがヒューマンイーター事件に関わるリストならMSNが犯人で終了っぽかったのになぁ。まあ、でも行方不明事件はMSNが犯人もしくは関わりがあると思っていい……かな?
ってことはヒューマンイーター事件と行方不明事件の間に関係性はなく、別々の事件……?
だけどMSNにあった行方不明事件のリスト、そしてガーディアンが依頼してきたヒューマンイーター事件。
両方、この街で起きている事件だ。
何らかの関係性があると考える方が自然……。
深く思考の海にずぶずぶと足を踏み入れてしまう。
分からない。まだ情報が足りない。
“コード:A”ってのも意味不明だし。
とりあえずMSNの動向には気をつけておかないといけないか……。
ツバキが“コード:A”のリストをスクロールして名前を確認している。
まさにその時だった。
「!?」
俺は思わず身を乗り出しツバキのちっちぇ手を掴んでスクロールを止めた。
「な、なんだ急に!?」
“コード:A”の人名リスト。
そこにはごくごく身近な……俺のよく知る人物の名前が入っていた。
「? どうした、いつ――」
俺が真剣になったことに気付いてか、ツバキが言葉を止めた。
俺は画面から身を離すと、さらに思考する。
どうしてだ。どうして彼女の名前がここに?
そこで俺はツバキたんがぽーっと俺を見上げていることに気づいた。心なしか頬が紅潮している。
あ、お礼言うの忘れた。
「あんがと。ツバキたん。ちゅっ」
俺はツバキの頭を抱き寄せておでこにキスをする。
「っ!? な、ななな、なにをするのだ!?」
ツバキは顔を真っ赤にすると俺のハグから逃れるようにバタバタと暴れだした。
「離せ~~!!」
嫌がれるのは俺の信条に反するので仕方なくハグから開放すると、彼女は額を服の裾でごしごし拭く。
「ほんとこいつは……。とぼけておるかと思えば男らしい顔をしおってからに……。……卑怯だ」
唇を尖らせ何か小声でぶつぶつと言っている。
そんなに俺のハグが気に入らなかったのだろうか……。ショックだ……。
「あ、あまり首を突っ込みすぎて勝手に倒れるなよ! お前のような探偵に毛が生えたようなアンサラーでもいなくなられては困るのだからな!」
「はーい」
俺の間延びした返事を聞くと、やれやれとため息をついてモニターへと視線を戻す。
なんだかんだと言って心配してくれているようだ。身寄りのない俺にとって嬉しいことである。
「それじゃあ、また来るね、ツバキたん」
「ふん。二度とくるな」
むすっとして背中を向けているツバキに思わず笑みを零してしまう。そのまま俺は部屋を後にしようとした。
だが俺はあることを思い出し振り返る。
「あ、ツバキたん。マジックペンある?」
「マジックだと? あるが。何に使う気だ?」
「いや、あのルービックキューブなかなか色が揃わないから全部黒に塗ろうかと思って」
「さっさと帰れ!」
俺はケツを蹴られて追い出されるのであった。