其の27
次に俺が意識を取り戻したのは、それから二週間後だった。
『っ……』
『気がついたか』
そこは車の助手席だった。
隣ではあの雨の中で出会ったアゴ髭のおっさんがハンドルを握っている。
『……“クイーン”! “クイーン”はどこだ!?』
『憶えてないのか。彼女は……死んだ』
『死ん……だ……?』
『樹。“エース”も爆発に巻き込まれて死んだことになっている』
『……ハッ! 俺を助けたっていうのか……!? あんた政府の人間だろ……!』
『まあな。NK二人の死亡、その功績で俺は国防長官へ就任できそうだ』
『そいつは良かったな』
俺は窓の外へ視線をやった。
『だが一つ間違っている。お前を助けたのは私じゃない』
『なんだと?』
『“クイーン”だ』
窓の外へ向けていた視線をおっさんに向ける。
『…………どういう意味だ』
『お前が私に言ったことだ。“クイーン”はお前を自由にしたんだよ。言葉通りにな』
『…………』
『彼女はお前に人殺しをやめて欲しかったのだろう。
彼女と交戦した人間はみな生きている。私の養娘もな。みな、面白いくらいに急所が外れているんだ』
『…………。この車、どこに向かってる』
『ワイン工場だ。ワインは好きか?』
『……嫌いじゃない』
『フッ。そうか』
俺は身近な人間の死によって初めて死というものがなんなのか理解した。
それから俺は人を殺さないようになった。
いや、殺せなくなったというのが正しいかもしれない。
あまりにも人一人の命を奪うのは重すぎる。
どこかで誰かがあの苦痛を受けるのだと思うととてもじゃないが、そんな気は失せる。
そう思うようになったのだ。
考え方が一変していた。
今まで普通だと思っていたことが異常なことだったんだと気づいた。
それもこれも“クイーン”のおかげだ。
彼女は自らの死をもって俺に人が死ぬことの意味を教えたのだ。
“クイーン”から教わったただ一つのこと……それがこれだ。
不器用だ。
彼女はとてつもなく不器用だ。
こういう方法でしか俺に伝えられなかったのかも知れない。
いやこうでもしないと俺に伝わらないと思ったのか……。
あの時、俺には“クイーン”がとった行動の意味が分からなかった。
でも今なら分かる。
あの行動は彼女が導き出した一つの答えだったのだろう。俺の眼を覚ますために“クイーン”は自らの死で、人が死ぬことの辛さを俺に教えたのだ。
俺に自由を、そして人としての人生をくれた。
その“クイーン”が。
その“クイーン”が……!
『グルゥオオオォオ! ハッ! ハッ!』
口からだらだらとよだれを垂らし、瓦礫から抜け出そうともがく“アポカリプス”。
「あんた……なのか……?」
『ウオォォオォ!』
俺に向かってがむしゃらに腕をふるう。だが瓦礫の下敷きになっているので俺に届くわけがない。
「っ……!」
なんて哀れな姿に成り果ててしまったのだろうか。
血走った緑の眼。
そこから赤色の液体が流れていた。
「ッ!」
泣いてる。
泣いている……! 彼女が……!
俺はぐっと銃のグリップを強く握った。
「“キング”ウゥ……!」
ありったけの怒りを込めてその名を呼ぶ。
「お前はァ!! お前って奴はァ!!」
怒りと憎しみを込めて俺は“キング”に銃口を突きつける。
「お前が!! 殺させたのかッ!! あの優しかった“クイーン”にッ!! 政治家たちを殺させたのかッ!!」
「感動の対面といったところだな。血の涙を流すとは“クイーン”も最後の最後でお前が誰か理解したのか?」
“キング”は“アポカリプス”いや“クイーン”へと眼をやった。
「化け物の分際で悲しみを感じるか。失敗作だな。人を殺すのに人間の感情も理性も不要だ」
「黙れぇぇッ!!」
ぷるぷると拳が震える。
怒りでぞわぞわと身の毛が逆立つ。
「“クイーン”に何をしたアァ!!」
俺の殺気を平然と受け流し、“キング”は言葉を発する。
「其れは最早“クイーン”では無い。お前も聞き及んでいる筈。“クイーン”は死亡した」
「ああ、そうだろうと思ってたよ! なのにこれはどういうこったッ!!」
「事実、“クイーン”は日本国際空港爆破事件で死亡した。そこの化け物は抜け殻だ」
「抜け殻……だと……!? どういう意味だッ!!」
「そこは私が説明しよう」
新たな声がした。
“キング”の背後から黒縁眼鏡をかけたひょろりとした男が出てくる。
俺はそいつのことを知っていた。
「“データバンク”……!」
「やあ、“エース”。元気そうだね」
「“データバンク”ゥ! お前までっ……! 仲間をなんだと思っているんだッ!!」
「…………。“エース”……君がどう思うかは知らない。だけど君の疑問には答えておこう。
日本国際空港爆破事件当時からテトラポッド社は遺伝子操作による生体兵器の研究を行っていた。しかしその実験にはことごとく失敗してね。理由は簡単、その研究に耐えうる素材がなかったようだ。ところが良い素体が手に入った」
くいっと眼鏡の位置を整える“データバンク”。
「超人的な身体能力を持つNKメンバーの死体だよ。まあ結局は彼女も耐えられなかったみたいだが」
「たったそれだけの理由かよ……! 研究にあう素体が“クイーン”だったってだけ……! ただ……! ただそれだけの理由で!」
「如何にも。事件後、死体を回収した政府はテトラポッド社の願いを受け即座に其の体を輸送した。NKの肉体なれば実験に耐え得るかもしれぬと思うたのだろう」と“キング”。
「なんでだよお前ら……! なんで止めなかった……!」
「“クイーン”は既に死亡していたのだ。まさかあそこまで再生するとは思わなかったが……。驚愕の極みだ」
「そうだね。すぐに運ばれたせいもあり腐食の進行も軽かった“クイーン”の身体は様々な処置によって再活動するに至った」
「然り。だが既に“クイーン”の大脳新皮質は壊れていた。今のあれに人間の感情などという高等なものは無い。
いわば生ける屍よ。人間として生きる最低限の機能しか再生できなかった。最早、生前の記憶があるのかどうかも定かでない。ただ本能の赴くままに戦っているだけだろう」
「仲間の身体がイジられたってのにお前は黙って見てたのかよ、“キング”……!」
「……研究に耐え得る体がたまたま“クイーン”だったというだけの話だ」
「このクソ野郎がァッ!!」
「憎いか、“エース”」
「ああ、憎いね……!」
「俺を殺すのも良い。元来、貴様はそういう生き物なのだからな」
「くっ……!」
殺してやりたい!!
この男が憎い!!
“クイーン”の仇を……!!
俺はトリガーに指をかけた。
「…………」
“キング”は黙って俺を見据えている。
動機が早くなる。
脳裏に“クイーン”の顔がフラッシュバックする。
視界がぼやけてくる。
自分が何をしようとしているのか分からなくなってくる。
殺してやる!! “キング”!!
俺はかっと眼を見開き、指に力を込めた。
その刹那。
『樹……人を殺すというのはね……。とても哀しいことなのよ』
“クイーン”の言葉が頭をかすめる。
指に力が入らなくなる。
クソォ……ッ!!
銃口を反らし、腕を降ろす。
視界がぼやけてくる。
憎い! 奴が憎い……!
だけど殺せない……!
だけど殺したい……!
再び、銃口をあげ額に照準をあわせる。がまた腕を降ろす。
これまでにないような激しい葛藤。
頭の中を巡る“クイーン”との思い出と“クイーン”の言葉。
殺してやりたい……!
殺してやりたい!!
畜生ッ!!
「ちくしょおおおおおおお!!」
俺は三度、“キング”へと銃口をあげた。
ダゥウゥンッ!!
銃から凶弾が発射される。




