其の19
「あはははは……」
俺は乾いた笑みを浮かべて両手をあげていた。
そこは曲がり角の無い廊下だった。
俺の目の前、廊下の行く先にはテトラポッド社の警備員たちが銃を構えて立ち並んで俺の後ろを睨んでいた。
俺の後ろに何がいるのかというと……。
俺は後ろを振り返る。
そこにはストレンジャーたちが銃を構えてテトラポッド社の警備員たちを睨んでいる。
つまり俺は二つの勢力に挟まれているわけである。
ちなみに、ここは七階なので外に飛び出そうものなら下でぐしゃりである。
「あはははは……」
俺はもう一度、乾いた笑い声をあげる。
「………………」
「……………………」
睨み合い続ける二つの勢力。
そしてその間に立って逃げ道の無い俺。
状況は最悪と言わざるを得なかった。
「おい、ストレンジャー! なぜここを襲う!? 貴様ら何をしているのか分かっているのか!?」
そんな捻りも何も無い台詞を吐く警備員。
「お前らこそここで何が行われているか分かっているのか!」
そうだ、そうだとストレンジャーたちが口々に言う。
あー、あんまりお互いに刺激しないで欲しいなぁ。
撃ち合いになったら真っ先に蜂の巣になるのは誰でもないこの俺なのだし。
「あの~……皆さん?」
『あぁん!?』
俺が声をかけると極道張りの厳つい顔で俺へと視線を向ける二つの勢力の皆さん。
うぅ……怖いよー、この人たち……。
俺は挫けそうになった気持ちをなんとか持ち直す。
「ここで冷静になって話し合いで解決するというのはどうでしょうか?」
薄ら笑いを張りつけたまま俺はそんな提案をだした。
『何言ってんのよ。そんなの通るわけないじゃない』とイヤホンから水崎の声。
えぇい、黙ってろ、ツンデレ! 死ぬのは俺なんだぞ!
「こんなところで戦っても命の無駄ですし、お互い出直すということでここは一つ……」
俺の言葉に互いに顔を見合わせる二つの勢力。
「そうだな。金のためとはいえこんなところで死ぬのはバカらしいよな」と警備員たち。
「そうでしょ! そうですとも!」
「確かにいくら俺たちの平和のためとはいえ命を落としてしまっては意味がないよな。命あっての物種と言うしな」とストレンジャーたち。
「そうでしょ! そうですとも!」
俺は腕を組みこくこくと頷いた。
だが次の瞬間。
『んなわけねーだろぉ!!』
警備員とストレンジャーは銃を相手に向けた。
「あ、ちょ! まって!」
パラララララララララ……!
ダンッ! ダンッ! ダンッ!
「おわあああああああ!?」
結局、俺は窓を突き破って外へエスケイプを敢行した。だが、さきほども言った通りここは七階である。このまま下に落ちれば俺の命は確実に無い。
「こなくそ……!」
なので俺は雨避けに手を伸ばして、端っこにつかまった。
ぶらんぶらんと中空にぶら下がる俺の体。
ほぅと一息吐く。
しかし、外へ飛び出した反動でか耳につけていた通信機が下へ落ちてしまった。
あーあ。きっと俺の声を聞けなくなった水崎が泣いていることだろう。
パラララララ……!
外へ飛び出した俺を放って銃撃を始める双方。
その隙に俺は手で雨よけを横に移動していく。
くそ……。まだ爆弾を全部しかけられてないが予定変更だ……! 先に菊を助けないとまずい……!
俺は振り子のように体を揺らして勢いをつけると、下の階の窓を突き破って再び研究所の廊下へと侵入した。
「やっぱ割る方が早いよな」
突き破った窓を見てそう呟くと俺は廊下を走りだした。
◇◇◇
外が騒がしくなっていた。
私は宿舎にある自分の部屋で簡単に身支度を始める。
既に新谷くんやエリさんが研究所内に侵入しているはずである。
そしてこの騒ぎだ。
まさか……新谷くんたちが侵入したのがバレてしまったの……!?
私は部屋を出て廊下から研究所がどうなっているのか見てみた。
そしてその光景に驚愕する。
ぞくりと背中が震える。
まるで一世紀前の風景。
そう、そこではまさに戦争と呼ぶべきことが起こっていた。
テトラポッド社の警備員たちと……あれはストレンジャー……!?
どうしてストレンジャーがここに!?
中庭のトラックを盾にしながら研究所の中へと進入していくストレンジャーたち。研究所の窓から中庭に向けて銃撃を行う警備員たち。あちこちで銃撃の的になり、ストレンジャーを薙ぎ払うセキュリティロボット。
それだけではない。
私は上空の脅威にも気づいた。
あれは……軍事航空機……!
軍事航空機からテトラポッド社のエージェントたちが研究所を守るべく投下されていく。
さらにだ。
おそらくあれが“キメラ”というものなのだろう。
数種の遺伝子を組み合わせた生物たちがストレンジャーもテトラポッド社の警備員も関係なく襲いかかっている……!
チュドォオオォン!
またも近くで爆発が起こり、窓ガラスが割れ飛散する!
「きゃあああああ!」
思わず私は耳を塞いでその場でしゃがみ込む。
なぜこんなことになってしまっているのかまったく理解ができない。
状況が分からない。
予定外・予想外・作戦失敗。そういった言葉が次々と私の中に浮かぶ。
気になるのは友人たちの安否。
そうだ。こうしてはいられない。新谷くん、エリさん、桜咲さんの三人は間違いなくあの戦場にいるのだから……!
走り出そうとしたまさにその時だ。
「おや? どこへ行こうというのかな」
私の前に立ち塞がる人影。
それは誰であろうかな堂時さんだった。
こんな状況だというのにいつものようにひょうひょうとした感じで笑っている。
「っ! どいて下さい!」
私は焦りを隠そうともせずに叫んだ。
「それはできないな」
堂時さんがいきなり懐から拳銃を取り出した。あまりにも普通に、まるで手鏡でも出すかのように自然に取り出したので私は一瞬、それが何なのか理解できなかった。
カチャリ。
間近から私の額に銃口が突きつけられる。
「な、何を……!?」
「気づいていないとでも思っていたか? 君は内通者だろ」
ぶわっと背中に脂汗が滲み出た。
「何のお話でしょうか」
努めて冷静に、私はそう返した。
「とぼけても無駄だ。アンサラー……ではないようだが……。
一体、君はどこと内通しているのか教えてもらおうか」
「今はこんなことをしている場合ではないと思いますが……。私たちとて安全な場所にいるわけではありません。事態は一刻を争います……!」
私は毅然と言い放った。
「そうだな。どうやら“キメラ”と呼ぶべき化け物が解き放たれたらしい。こちらにも数匹来ているようだ」
「だったら早く逃げないと貴方も……!」
「逃げる? もちろん逃げるさ。だけど――」
くっくっと笑って堂時さんは急に真剣な表情をした。
「君を始末するのが先だ」
堂時さんが銃のトリガーに手をかける。
ここまで……ですか……。
私は静かに眼を瞑った。
と、そこで唐突に堂時さんが笑い始めた。
「はっはっは! なんてな。どうだ? 怖かっただろう?」
堂時さんは肩をすくめてみせる。
私はそんな堂時さんにきょとんとするしかない。
「君が誰と内通しているかなんて最初から分かっていた。まったく樹の奴……こんな素人に潜入させるなんて何を考えているんだ」
「新谷くんを……知っているんですか?」
「ああ、よく知っている。私は元アンサラーだからな。そして俺も君と同じ内通者だ。
本名は工藤宏治。ストレンジャーのリーダーをやっている。堂時穀雨……工藤宏治。簡単なアナグラムだな」
「ストレンジャーの……リーダー!?」
なぜ新谷くんがそんな人と知り合いなのかと疑問に思ったが、あの子ならば有り得ると私は納得してしまえた。
ああいう人だ。きっと裏社会でも気の知れる人間は多いのだろう。
「だが、よく分かっただろう。私がもし本当にテトラポッド社の研究員ならば君はもう死んでいた」
堂時――いえ工藤さんのその言葉に私はごくりと生唾を飲む。
「君が潜入捜査なんて真似をするのは三年早い」
そう言われ、私はやっと状況を理解した。
彼は私がどれだけ危険なことをしたのか釘をさしたのだ。この件で私が味をしめないように。
そして同時に安心もした。この誰も味方がいなかった場所でようやく心を許せる者が現れたのだ。
緊張の糸が緩んだまさにその時だった。
いつの間に忍び寄っていたのか工藤さんの背後で熊のような“キメラ”が急に立ち上がり姿を現した……!
工藤さんは私の方を向けているのでその存在に気づいていない。
「危ない……!」
私は思わず工藤さんを突き飛ばした。
自分がなぜその行動にでたのか私にもよく分からなかった。しかし、“キメラ”を見た瞬間どうにかしなければならない、助けないといけないと頭を巡ったのだった。兎にも角にも、身体は自然と動いていた。
「なっ!?」と工藤さんの驚いたような表情。
「ぐぅおおおお!」
“キメラ”が鋭い爪を振るう!
じゅぐりゅっ!
「ッ!?」
お腹にかつてない痛みが走る。
「もうここまできているのか!」
工藤さんが銃を構える。
その脅威に気づいて“キメラ”が工藤さんへと向き直り、私から爪を抜いた。
瞬間、信じられないほどの血液が傷口から飛び散り床を彩る。
致命傷だ。私は自分でそう判断できていた。
体が熱い。力が抜ける。
立っていられなくなった私はどさりと両膝をつく。
「こほっ!」
咳をすると口から血が出た。
爪はどうやら内臓にまで達したらしい。
手で受身をとることもできずに私は顔から床に倒れた。
視界がどんどんとぼやけてくる。
工藤さんが何か大声で叫んでいるのが聞こえる。だが何と言っているのかは分からない。
世界から音が消えつつあった。
呼吸をするのも億劫になってくる。
あっけない。
ひどくそう思った。
こんなに簡単に終わるものなんだ、と。
工藤さんはちゃんと逃げられたのだろうか。
新谷くんやエリさん、桜咲さんは無事なのだろうか……。
意識が途切れる寸前。
それだけが気がかりだった。




