其の15
あの時、私の体はすでに動かなかった。あまりにあまりな力の差に愕然とし、絶望し、死を望んだ。
『ぐっ……殺し……なさいよ……! 生き恥を晒すつもり……なんて……!』
しかし私が発した言葉に彼女は哀しそうな表情になった。
『あなたを……大切に想っている人がいるのでしょう……?』
『な……んですって? どういう意味よ!?』
だが彼女は私の問いには答えず無言で振り返り、その場から去ろうとする。
『待って……! 待ちなさいよ……! 殺せ……! 殺しなさいよおぉぉぉぉぉッ!!』
私の叫びなど聞かずに彼女はそのまま姿を消したのだ。
そして私はその場で意識を失い、病院で彼女が死亡したという報告書だけを見せられた。
悔しかった。悔しすぎてぽろぽろと泣いたのを覚えている。
だけど、あの女が……!
生きていた……!
私は資料をデータチップに保存しきった瞬間にコードを乱暴に引っ張りぬいた。
いてもたってもいられない。
借りを……返せる……!
震える拳を握り、立ち上がったその時だった。
「――――」
どこからか話し声が聞こえた。
瞬間、パッと電灯に光が点る!
「!?」
私はすぐさま身を低くして声がした方を確認した。
そして気づく。
ガラス張りの向こう。“キメラ”のカプセルが立ち並ぶ部屋を歩いてく四人組。前に男が二人。後ろに女と少女。
男の一人はテトラポッド社の社長、暗殺対象である河岸木田だ。
もう一人は誰……?
背中まで伸びたボッサボサの白髪。黒いコートを着込んだ大柄の男。
その後ろは護衛かしら?
皮ジャンを着た赤い髪の女と黒いゴスロリ服を着込んだ金髪のツインテール少女。
四人は私のいる部屋が目的ではないらしく、カプセルの部屋をそのまま真っ直ぐ歩いていく。
ちょうど私が潜んでいる機材の前を四人が通り過ぎる時だった。
赤い髪の女がこちらをちらりと見た。
まずっ……! バレたっ……!
慌てて私は身を低くして機材に隠れる。そして銃の弾が入っていることを急いで確認して深呼吸した。
だが、しかし誰かがこちらの部屋に見に来る様子は無い。
見つからなかったのだろうか? 確かに眼が合ったように思ったけど……。
再び様子を確認して見ると、四人はそのまま廊下を歩いていき、カードキーで扉のロックを解除して先の廊下へと消えていった。同時に電灯が消え、再び薄暗くなる。
まさか……向こうに“アポカリプス”が……?
私はすぐさま、四人が入っていった扉までやってくる。しかし扉には当然ロックがかかっている。そしてもちろん私はカードキーなんて持っていない。
くそ……! 河岸木田を暗殺できなかったのは痛いけどここまでね……! だけどもう充分情報は頂いたわよ……!
と諦め振り返ると、すぐ側に何かが落ちていることに私は気づく。
これは……?
それは無造作に、だが眼につくように落ちていた。
私は拾って確認してみる。まさにそれはカードキーだった。
ロックのかかった扉についているカードリーダーを見、そして再び手に入れたカードキーを見る。
「えい」
ピピー。
カードキーを通してみると見事にロックが解除され扉が開いたではないか!
ラッキー! おほほほ! バカな護衛がいたものね! カードキーを落としていくなんて!
扉の向こうはちょっとした廊下になっていた。その先にある扉、そこから光が漏れている。
私はその隙間から中を覗いてみた。
そこには二人の男が立って何かを話していた。護衛っぽい女と少女はどこに行ってしまったのか姿が消えている。
河岸木田と謎の男だ。
ふと私は謎の男の肩に眼がいった。
そこに書かれているのは『NK』の文字。
Nobody Knoews!?
企業にNKが関わっているというのはやっぱり本当だったのね。NKは何らかのスペシャリストから構成された暗殺組織だ。ならばあの男も何らかのスペシャリストのはず……。
と、その時だった。
そのNKの男がチラリとこちらを見た。
またっ!?
慌てて隠れようとするが男はにやりと笑っただけで再び社長との話に戻る。
あいつ……何者よ……。今度こそ私に気づいたはずなのに……。
まあ、いいわ。それなら踏み込んであげるわよ! 既に情報も頂いてるし、暗殺対象もいる……!
ドバン!
「手を上げなさい! ガーディアンよ!」
扉を蹴破って銃を突きつけると河岸木田は驚いたように眼を見開いた。
「な!? ガーディアンだと!? どういうことだ!?」
「頭悪いわね。あんたらの悪事はバレてるって言ってんのよ。
ほら、そこのあんたもこっち向いて手をあげなさいよ」
NKの男にそう指示を出すと、黒いコートの男はゆっくりと――
ゆっくりとこちらを向いた。
そして初めて直に私と男との眼が合う。
ただそれだけの挙動。
たったそれだけの挙動だというのに。
ガクガクガク……!
いきなり私の体が震えだした。
恐怖を感じているわけではない。そもそも彼からは殺気が感じられない。だというのに、体が勝手に、本能が勝手に怯えている。
頭では理解できない恐怖。
こんなことは幾多の修羅場をくぐった私でも経験したことが無い。
いや――違う。
在る。
それはあいつが――樹が一度だけ見せたクイックショットを放った時の殺気に似ていた。
似ている……だけど樹のあの殺気よりも遥かに……濃密!
まるで自分が小人になっていて今にも踏み潰されてしまうかのような圧倒的絶望感!
私に気づいて何もしなかったのは見逃したわけでも挑発したわけでもない……! 殺せると思ったんだ、こいつは……!
いつでも私を殺せると分かった。
だから放っておいた……!
こいつ……本当に人間なの……!?
「銃を持つ手が震えているぞ、小娘」
男は無表情のままそう言った。
そこで私はやっと足だけでなく体全体が震えていることに気づく。
こんな手じゃまともに照準も合わせることができない。
「な、何をしている“キング”! さっさと奴を殺せ!」
河岸木田が私を指差した。
“キング”!?
こいつが……NKの頭!?
納得できた。NKのリーダーである“キング”がこいつであると言われて私はすんなりとそれを受け入れることができた。
それは言うまでもなくこの男がNKのリーダーにふさわしいくらい化け物染みたレベルだと感じたからだ。
「……無粋な」
“キング”が河岸木田の首を掴む。二メートルはあろうかという大男に捕まれ社長の足が地面から離れる。
「かはっ! やめろ……! 私は出資者だぞ……!」
「其の通りだ。パトロンは黙して資本を捻出していれば良い。喚いていると消すぞ」
「ひっ……!?」
「噂通りの暴虐振りね、“キング”……!」
「報告は受けている。“ガーディアン”エリ・F・橘。橘国防長官の養子だそうだな」
「へー、驚いたわ。良い情報網を持っているようね」
「政府には伝手があってな。息子をそそのかしているのも貴様だと聞く」
「息……子?」
一体、何のことか。“キング”に子供がいたことなども知らないし、そんな危うい子供に会った覚えもないが……。
ところが、“キング”は私の予想を超えることを口にした。
「新谷樹。あれは俺の息子だ」
「なっ!?」
樹がNKのリーダー“キング”の息子!?
あの樹が!?
言われてみれば“キング”は樹によく似ていた。樹が大人なオジサマになったらきっとこんな感じなのだろう。
性格は似ても似つかないが……。
「あれは幼い。あれも人間だ。道を誤り今も迷い続けている」
「道を誤った? ま、確かにだいぶ道を踏み外してる気はするわね、異性に対して」
「日本国際空港爆破事件。耳にした事は或るな?」
どくん……!
その事件の名を聞いて私の心拍数が上がる。
「もちろん。あの時は盛大に仲間たちを殺してくれたわね。私も空港防衛のために参加していたもの」
「記録上であれは死亡していたことになっていたが、まさか生き伸びていたとはな」
「死亡した……? へぇー、あいつも防衛に参加していたのね」
「防衛?」と訝しげな眼をする“キング”。
だが不意に彼は大声で笑い始めた。
「ハッ! ハハハハハ!」
「何がおかしいのよ……!」
「フン。おかしいに決まっている。あれは空港を襲う側で参加していたのだぞ」
「な……んですって……?」
思わず銃を降ろしてしまう。
「お前も聞き及んだ事が或るだろう。“エース”という名を」
“エース”
銃器を扱うNK史上最強最悪の殺し屋。日本国際空港爆破事件でも先頭を切ってアンサラー、ガーディアンを虐殺した男。
だが空港爆破時に巻き込まれ、共にいた“クイーン”と共に死去したとされていた。
まさか……それが……樹だって言うの!?
「“エース”が……樹!? ふざけないでよ! そんな……馬鹿なことが……!」
確かに樹に関しては謎な部分が多いと思っていた。ストレンジャーに囲まれた時に見せたあの壮絶な殺気、そして銃声が一発に聞こえるほどのクイックショット。
あれが“エース”の片鱗だとでも言うの……!?
だとしたら樹の真の実力は未知数!
だが樹が“エース”である筈が無い。
そうだ。
樹=“エース”という構図は絶対に成り立たない。
決定的に“エース”と違う部分があるのだ。
「でもあいつは……!
あいつはあんなにも人を殺すことを嫌っているじゃない……! あいつに大虐殺なんてできるはずがない……!」
「ああ、まったく馬鹿げている。何処で生きているのだろうとは思うてはいたが……やれやれ、この三年でえらく腑抜けになってしまったようだ。
昔は其れこそ死の匂いをまとった暗殺者だったというのにな。最高傑作だ。あれはお前の友人を何人も手にかけていよう」
「黙れ!!」
私はガチリと撃鉄を起こし、銃を構えなおした。
あいつが仲間を殺した……“エース”!?
嘘でしょ!?




