其の14
私は自分の役割のために廊下を疾っていた。
研究員たちは研究所内にある宿舎に戻っているようだ。廊下には人っ子一人歩いていない。見回りの巡回経路にもこの時間、この地域は入っていない。
そして難なくその場所に辿り着く。
遺伝子操作研究室……ここね……。
腰からプラグを取り出すと、ドアに接続した。
「任せたわよ、シズル」
『ええ。一○秒で解けるわ』
ピピー。
赤いランプが緑色に変わって、プシューと扉が開く。
『悪いわね。四秒だったわ』
「さっすがー。頼りにしてるわよ。
それじゃあ、ドス黒い研究を拝ませて貰いましょうかね」
『監視カメラの画面は既に摩り替えているわ。くれぐれも気をつけなさいよ』
「分かってる」
私は銃を片手に暗い部屋の中へと侵入した。
辺りを見回しながら植物のサンプルやモルモットたちが並ぶ部屋を進んでいく。
奥には無菌部屋があるようで、ガラス張りに囲まれた中央に人が寝られるほどの台が設置されていた。そしてその周りには何に対して使うのかも把握できないような機材が置かれている。
私はハンドサイズの長方形型をした機器を取り出すと手近にあったパソコンにコードを繋いだ。
パソコン自体をこんな時間に起動させれば、機器関係を見張っている奴らが絶対に気づく。それを回避するためにアンサラーたちはパソコンを起動させずにこの専用の外部装置でデータを開く。それがこの『クレアヴォヤンス』と呼ばれる機器である。
長方形のモニターにパソコンと同じような起動画面が映し出される。使い方はほとんどパソコンと変わらない。ただマウスの変わりに指で操作をするタッチパネル式というくらいだろうか。
最近のデータを開いてみた。
そこにはマウスから人間の耳が生えた資料が存在した。これはあまりにも有名な実験だった。耳がなくなった人間に移植するために遺伝子操作を利用してマウスに人の耳を育てさせるというものだ。
これは最も安価な遺伝子操作を利用した移植法なのである。金持ちの人間は自分のクローンを作ってそこから内臓などを移植しているようだ。倫理観の無い時代になったものである。
どれを見てみてもごくごく普通の遺伝子操作の研究資料。
まさか……ハズレ? いいえ、そんな筈は無いわ。テトラポッド社が黒なのは明白。
つまり、ここじゃないのね。
私は部屋の中を見回した。
川澄みちるはこの部屋から一般人が逃げ出すのを見たと言っていた。
絶対にこの部屋に何かがある。
私はスコープを暗視からX線に切り替える。そして再び辺りを調べ始めすぐに気づいた。
床に……扉がある?
下に通路があるのが見えたのだ。
問題はどうやって中に侵入するかだが。
『なるほど。地下研究室ね。どこでもいいわ。辺りの機械にプラグを繋げて頂戴。開けるわ』
私のスコープからの画面を見ていたらしいシズルがすぐ様、私の悩みを解決してくれた。
プラグを差してほどなく、扉は静かな音をたてて開いた。
「おみごと。……っ!」
開いた瞬間。異様な腐臭が漂い私は腕で鼻を押さえる。
扉の下から現れたのは階段。
『どうやら正解のようね。かなザザいわよ』
私が階段を下ろうとすると通信にノイズが走った。
「シズル? 聞こえる?」
『まずいわね。その地下室、電波を通さない素材で作られているようだわ』
「そう。それじゃあ、ここからは一人で行くわ」
『残念ね。“アポカリプス”、興味あったのだけれど』
「心配しなくても後でたっぷり見せてあげるわよ」
それを最後の言葉にして、私は階段を下っていった。
◇◇◇
俺の役割は爆弾をしかけること、そして菊を助けだすことだ。
周りに被害を出さないようにこの研究所を爆破して崩壊させるには決められた位置に爆弾を設置しなければならない。
もしそれを間違えてしまえば、この高いビルは斜めに倒れ、一般人の住宅に突っ込むことになる。
そうならないために俺は爆弾設置の位置を頭に叩き込まされた。要するにこの建物を内側に崩れるようにしなければならないのだ。それもできるだけ爆薬は少なく、この建物が自分の重さで自壊するような形に持って行かなければならない。
その位置を計算したのはもちろん俺でなければましてやエリでもない。
ツバキだ。
爆薬の知識もあるとは……。やはり持つべきは優秀なナビゲーターということである。
この件が終わったら日頃の感謝を込めてツバキたんをハグしてあげないとな。
「げへへへ」
『なに不埒なこと考えてるのよ』
「か、かかか、考えてません! それよりもちゃんと俺を追ってるんだろうな!?」
『見てるわよ。そこ、警備員の巡回区域に設定されてること忘れないでよね』
「ああ、覚えてる。お前こそ俺の結婚したい女の子ベスト5に設定されてること忘れるなよ」
『あんたね……。こんな時まで口説こうとするのやめてくれない? こっちはナビゲーターなんてやらされて結構大変なんだから』
「つまり俺にタイプだと言われて動揺したってことでOKですか?」
『OKなわけないでしょ!』
「しっ。静かに。警備員だ」
『バレて追いかけられればいいのよ』
ふぬぅ! なんて薄情なナビゲーターだ! 水崎なんて婚期のがしちまえばいいんだ!
俺は近くの階段の下にあるスペースに軽やかにごろごろと転がって身を潜めた。ダンボールがあればかの有名な御蛇様のように、被って敵を欺いたのに……。
懐中電灯を持った警備員がコツコツと足音を響かせて歩いてくる。
一通り周りを照らしだす警備員。
だがこの位置は階段に隠れて死角になっているため光で照らされることも無い。
誰もいないと判断したのだろう、警備員はそのまま階段を昇っていった。
俺は階段下から再びころころと転がって出てくると、立ち上がって先を進む。
『待ってよ。どこ行くの? 爆薬を仕掛ける柱を通り過ぎたわよ』
言われ俺は足を止めた。
「水崎がちゃんと理解しているか試したんだ」
『…………。……ふーん』
「水崎がちゃんと理解しているか試したんだ」
『どうして二回言うのよ。どうして二回言うのよ。
いいわよ弁論しなくても。私がちゃんと理解していて安心できたでしょ』
くそー! なんだよ、なんだよ! ナビゲーターぶりやがって! ただの女子高生のくせに!
俺はスーツの内ポケットから紙切れを取り出して、その柱に貼り付ける。
この紙切れこそ爆薬なのだ。爆薬を柱に貼ると、その爆薬はすぅーっと柱の色に擬態した。
これでまずバレることはない。
俺は次の場所へ向かうため振り返った。
『分かってると思うけど、次の設置位置は上の階じゃないわよ』
「…………」
俺は再び無言で振り返って歩きだす。
『はあ……アンサラーでも新谷は新谷ね……。ツバキちゃんの苦労が分かるわ……』
水崎にため息を吐かれて、俺はとても泣きたい気分になった。
◇◇◇
地下で研究されていたものは見るに耐えないものばかりだった。
私は培養液に満たされたその円柱形のカプセルに手をやる。
そこにはワニの足が生えたサメがじっとしている。
どうやらまだ生きているようでコポコポと培養液の中を気泡が浮いていた。
薄暗くかなり広い室内にはそんな遺伝子操作で生みだされた“キメラ”のカプセルが定間隔に配置されていた。
薄気味悪いわね。
どこかに情報を統括している場所があるはずだ。
私は抜き身の銃を持ったまま辺りを見回す。
そしてこのカプセル部屋と平行に、沿うようにガラス越しに隣の部屋があることに気づく。
再び私はスプレーでガラスを溶かしにかかる。強化ガラスのようだったが、それほど時間もかからずに穴が開いた。扉があるにはあったのだが、おそらく厳重なセキュリティシステムが機能しているだろうし私が触るべきではないだろう。
隣の部屋に侵入すると、私は再びパソコンに『クレアヴォヤンス』のコードを指し込んだ。
そしてモニターに映し出される情報の数々。
その中でも最重要とされている項目。
“コード:A計画”の中に侵入を試みる。
暗証番号のロックが設定されていたようだが、『クレアヴォヤンス』は勝手に正しい暗証番号を検索して一文字づつ埋めていく。
おそらくファイルを開いた形跡は残ってしまうだろうが、それは構わない。
明日、研究員たちが気づいた時にはもう遅い。国家政府はテトラポッド社への告発準備を終えていることだろう。
さあ、見させてもらうわよ。あんたたちがひた隠しにして研究していたものを……!
パソワード確認の文字が出ると“コード:A計画”の全貌が眼に飛び込んでくる。
そこに記されていたのは――
“アポカリプス”……!
ビンゴ……!
アポカリプスとは聖書に記された黙示録だ。簡単に説明すれば終末の予言である。その内容は大地に災厄が訪れ、神の王国が再興されるというものだが……。
おそらく神の王国再興というのは企業が経済を完全に支配するという暗示……! 災厄は“キメラ”ってわけ!?
やはりテトラポッド社は国家政府を! 日本転覆を企んでいた……!
急いで私はデータチップにその資料をコピーしていく。
そしてそのコピー中に気になる資料を見つけた。
それは“コード:A計画”の要とも思われる“アポカリプス”と呼ばれる存在についての資料だった。
狙った通りの政府重役の暗殺に成功したという記録もある。
すぐに私の頭の中で警備員が見たという緑の瞳をした女と“アポカリプス”にイコールが引かれていた。
“アポカリプス”を実用投入するまでには様々な実験が行われたようだ。
詰まる所の一般人や貧民外の人間を利用した人体実験である。
予想が的中した。この街での行方不明事件はテトラポッド社が人体実験をする素材を集めるためのものだったのだ。
そして有用な効果が得られた実験成果は“アポカリプス”へと施された……!
“アポカリプス”は“キメラ”の完成型ってわけ……!
“キメラ”から人体実験へ、そして“アポカリプス”に……! 一体、何年前から企んでたっていうのよ、こいつら……!
更に私は資料を読み進めていく。そして“アポカリプス”の素材となった女性の資料を発見する。
そこに書かれていたのは奇しくも私が見たことのある顔だった。
元から嫌な予感はあった。
しかしそんなことは有り得ないと思っていた。
だが――
嘘……でしょ!? あんな最初から化け物だった奴をキメラ化ですって……!?
私にとっては忘れられない苦い経験。
屈辱の相手。
三年前のあの事件。
『日本国際空港爆破事件』の記憶が蘇り、私の脳裏にその光景がフラッシュバックする。
それは黒いコートを着込んだ柔和な印象を受ける女性の姿だった。
しかしそんな印象を吹き飛ばしてしまうほどに彼女は強かった。
彼女は傷つき地に倒れた私を無言でじっと見つめていた。
とても複雑そうな顔で――




