其の12
その日、俺は夢を見た。
それはまだ俺が“エース”と呼ばれていた時代の昔の風景だった。
そう。彼女が――“クイーン”がまだ生きている時の。
こんな夢を見てしまうのは何年かぶりに“スラスト”や“スパイダー”に会ったからだろうか……。
“日本国際空港爆破事件”。後にそう呼ばれるようになったあの事件。
政府にとっては『嫌な事件だったね……』程度では済まされない規模の大事件。
あれはNK史上の任務でもかなり特異な仕事だった。情報伝達役である“データバンク”が空港に企業が画期的な爆弾が輸入されることを突き止めたのだ。これを利用しない手はない。要するにその画期的な爆弾とやらを奪取し、自分たちで活用しようとNKは考えたのだ。
無論、その爆弾を一番欲しがったのは“ボマー”のおっちゃんだったが……。“ボマー”はまんまると太った気の良いおっちゃんである。その体は運動会の大玉転がしのように丸いので蹴り飛ばせばころころと床を転がっていくのだ。そのせいか葉月のおもちゃになっているのを幾度となく見かけた。
そして何の因果か、この企業というのがテトラポッド社だったりする。当時はその爆弾で政府の権力を回復させようとしたのだろうと思っていたが、今となってはあれが現存していれば政府転覆の一要因として使われることになったのは明白だ。しかしそれに気づくはずもない時の政府は権力を取り戻すためとテトラポッド社に協力し動いた。
どこで漏れたのかNKが狙っていることを知りガーディアンやアンサラーが多数雇われたのだ。だからこそこちらもメンバー総出で爆弾を奪取する計画を練った。
俺と“クイーン”はその中でも敵陣まで切り込む危険な役割を任された。
これも当然といえば当然。
なにせ殺すことに特化した“エース”である俺と絶対鉄壁と呼ぶにふさわしい“クイーン”だ。このタッグは相性の面から見ても良かったのだ。
最初はなんら問題なく事は進行していた。幾多のアンサラー、ガーディアンが立ちふさがった。それらを一瞬で物言わぬ骸に変える作業。そう単純作業のようにあの時の俺は感じていた。人を殺すことに違和感を感じていなかったのだ。まるで森の中で草を掻き分けるかのように人を薙ぎ殺していった。
生まれた時から俺の傍には死がつきまとっていた。呼吸をするのと同じように、食事をするのと同じように人を殺すという行為を自然に捉えていたのだ。
今から思えば実に愚かであった。
自分で考えることを放棄していたわけじゃない。それが正しい行為だと本気で信じ込んでいたのだ。それにあの時、俺の周りにいた奴らといえばあのキ○ガイ集団だったわけである。奴らもまた俺と同じだった。何の疑問も抱かずに特に何も感じること無く、むしろ正当な行為として殺す。
だがしかしだ。
唯一……ただ一人、俺たちの中でそれを哀しむ人物がいた。
それが“クイーン”だ。
彼女は幾度、俺たちと作戦に付き合い成功を味わった人間だ。しかし彼女は事が終わった後、いつも複雑な表情を浮かべているのだ。
今から思うと彼女が何を思っていたかは考えるまでもなかった。だが彼女がそれを言葉にすることはなかった。その理由となる一つに彼女が極度の口べただったことがある。何かを口にしようとしてやめるという姿を俺は幾度となく見た。
……というか、悲しいことにこの不器用さは普段からそうだった。
毅然と振る舞ってはいるのだが、俺や沙枝が喧嘩を始めると葉月と一緒におろおろとしだす人だったのだ。
『なんだと殺すぞテメェ……!』
『そう言う暇があるのならさっさと殺したらどうなの? “エース”の名が泣くわよ』
『上等だ……!』
俺が紗枝の胸倉を掴む。
と、その時だ。
『っ!』
無言で止めようと割って入った“クイーン”の顔面に俺の振り上げた肘が突き刺さったのだ。
ゴス!
『あ……』
“クイーン”の鼻からぷしっと血が吹き出る。そしてそのまま天を仰ぎ、
ばたん!
『お、おい“クイーン”!? 大丈夫か!?』
背中から倒れて眼を回している“クイーン”。
『音もたてずに近づくから気づかなかったわ』
“クイーン”は苦笑いを浮かべながら起き上がり恥ずかしそうに頬を掻く。
俺と沙枝は眼をあわせた。
紗枝は肩をすくめてみせる。
それに俺は『はあ』とため息をつく。
“クイーン”の間抜けっぷりに毒気を抜かれていつも喧嘩は終わってしまうのだ。
『飯食おうぜ、飯。はらへったぞ“クイーン”』
俺は後ろから“クイーン”の背中におぶさるようにだらしなくとりつく。
『あれ作ってよ。ホワイトソースのパスタ』
沙枝は“クイーン”の片腕に自分の腕を絡ませる。
『あやー。あれ私も好きー。作ってー』
葉月が反対側の“クイーン”の手を握る。
そんな俺たち三人に彼女はそっと微笑み一言で答えた。
『……ええ』
彼女はとても思いやり深い人間だった。そんな彼女がなぜ暗殺者になったかは知らない。もちろん好奇心から訊いたことはあった。しかし、やっぱりただただ静かに苦笑いを浮かべるだけだったのだ。
そんなこんなの“クイーン”なのだがやる時はやる女性であった。
“クイーン”が所持している武器はムチ。あれは驚嘆の一言に尽きる。
彼女は銃弾をムチで絡めていなし、体を回転させてねらい通りに弾丸を放ち返すのだ。しかもその弾速と威力は半端無かったりする。
銃弾の威力を衰えささずにいなしてムチの遠心力で強めるばかりか、ムチで更なる回転をかけて放つのだ。
その威力は弾丸一発でコンクリートを微塵にするほどだった。
貫通するのではない。
木っ端微塵にするのだ。はっきり言って笑えない威力である。人間にあたれば……まあどうなるかはご想像に任せよう。
彼女はメンバーから絶対の信頼を得ていた。葉月に関しては“クイーン”に甘えまくりだった。糸の使い方もどうやら葉月は“クイーン”のムチを見て盗んだ結果だったようだ。彼女は“クイーン”に憧れているふしがあったので真似をしたかったのかも知れない。
それだけ凄い女性だったのだ彼女は。
だっていうのに……。
日本国際空港爆破事件のあの時。
“クイーン”は散乱死体をいつもの表情で見ながら呟いた。
『樹……人間を殺すということはね――』
その時、俺はやっと気がついた。
彼女が人を殺していないことに。
殺したのはすべてこの俺だったのだ。
彼女は飛んできた弾丸をすべてあらぬ方へ受け流していただけ。
『こんな時に何言ってやがる。こいつらは敵だ。殺しておいた方が仕事が楽になるだろう』
彼女は何も言わず複雑そうな顔をした。
この時、彼女は決めたのだろう。
そして最後の場面で――
――彼女は行動を起こした。
『樹……あなたを自由にしてあげる』
「やめろっ!」
俺は眼を覚ますのと同時に上半身を起こしていた。
全身にびっしょりと汗を掻いていて気持ち悪い。
くそっ……いまさらなんであの時の夢なんか……。
「やめろってなにを?」
エリは銃の標準の具合を見ながら問うた。
「あ、いや……」
俺は額に手をあてた。
「えらくうなされてたわね。ちゃんと仮眠はとれたの?」
エリは潜入するための装備の最終チェックに入っていた。
「凄い装備だな」
俺はエリを見て、そう感想を漏らした。
エリはきゅっとオープンフィンガーの黒いグローブをつけこちらを振り向く。
彼女の左足にはファルコーネと呼ばれるハンドガン。彼女の腰にはMS-Secondと呼ばれるマシンガンが斜めにかけられている。連射性能に定評があり、装弾数も前型より増加され、慣れれば使い勝手の良いマシンガンである。
羽織った黒のジャケットは防弾性能があり内側には手榴弾にセンサー爆弾がついていて、外側には銃弾の予備カートリッジが装着されている。
そして何よりも驚くのが彼女の右足。そこには組み式ロケットランチャーが装備されていた。ボタン一つでロケットランチャーへと変貌する便利な武器だ。
「そうかしら? 敵の本拠地に乗り込むのよ。武器は多く持って行った方がいいわよ」
言った後で、片足を椅子の上に乗せ、きゅっきゅっとブーツの紐を結びなおす。もちろんそのブーツには鉄板が仕込まれているだろうと予測するのは簡単だった。
「敵の本拠地に乗り込むって言ったって戦うわけじゃないんだぞ」
「でも交戦になるかも知れないじゃない」
「また人を殺すのか」
「邪魔になるならね」
素っ気無くそう言うエリ。
「ツバキ。調べてくれたか?」
「ああ。発見された時には既に死んでいたようだな。即死だそうだ」
「そっか。ありがと。ま、鉄板が仕込まれた革靴で上から蹴られりゃ首の骨も折れるわな」
俺はツバキたんの頭をぽんぽんと撫でるとエリに向き直った。
「なあ」
「なに?」
「殺すなよ」
「はあ?」
訳が分からないと言った顔をするエリ。
「何言ってんの、いきなり」
「人を殺すなって言ってる。ストレンジャーの時も、ロッジの一件も今日の警備員もお前なら殺さずに無力化できたはずだ」
「私が殺したんじゃないわ。銃弾が殺したのよ。私は引き金をひいただけ。トム・クルーズもそう言ってたわよ」
窓に銃を向け『ばんっ』と言うエリ。
「ふざけるなよ。こっちは真面目な話をしているんだ」
目線だけをこちらに向け、俺が真剣な表情だと気づくと、改めて体を俺に向ける。
「それならこっちも真面目に答えてあげるわ。
私たちの仕事は殺すことよ。そして奴らは私の敵でしょ」
「違う。俺たちの仕事は真実を突きとめ、テトラポッド社を止めることだ」
「あーはいはい。そうだったわね。でも敵を減らしておくに越したことはないでしょ」
話はこれまでとばかりに手をひらひらと振って歩き出す。
それを俺は彼女の肩を掴んで止める。
「迷惑がかかっているのが分からないのか」
「なによ、もう。迷惑ってなに?」
うんざりとした表情で振り返るエリ。
「二人の死者が出たことでテトラポッド社は間違いなく警備を強化する。河岸木田の訪問も延期になっていたかもしれない」
「……そうね。それは悪かったわ。そこまで気が回ってなかった」
「だけど俺が言いたいのはそんなことじゃない」
俺の言いたい事を読み取ったのか先にエリが言葉を放つ。
「いい加減にしなさいよ」
エリの眼が鋭くすわる。
「お前こそいい加減にしろ。あんな簡単に何人もの人を殺しやがって……!」
「私はあんたと立場が違うのよ。あいつらは私にとって敵なのよ。ふらふら生きてるあんたとは訳が違うの」
そのエリの言い分は俺を怒らせるのに十分だった。
「なんだと……取り消せ……!」
「嫌よ。どうやら図星だったみたいね」
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
部屋の中の空気が一瞬で張り詰める。
にらみ合う俺たち。
一触即発。まるでガスが充満した密室のようだ。
少しのきっかけ……火花で大爆発を引き起こす。
「よさんか二人とも! こんな時に!」
「そうよ。何考えてるの。仲間割れしてる場合じゃないでしょ」
ツバキが俺の手を引いて、シズルさんがエリの肩に手を置いて、二人が間に割って入ってきた。それでやっと俺たちは睨みあうのをやめる。
エリはため息をついた。
「二人の言うとおりだわ。やめましょ。任務も終わってないのにこんなこと言い合ってる場合じゃないもの」
「……そうだな」
再び歩きだすエリ。だがふとその歩みを止めるとぽつりと彼女は呟いた。
「私たち……組むのはこれっきりのようね」
最後に言ったエリの台詞は深く俺の中に残るのであった。




