其の2
『誰に? 嫌がらせの電話とかしないから教えてよ』
『教えるな、と言われているわ』
『S.ソルーマンだろ!』
俺はあてずっぽうに依頼主だと思われる人物の名前を挙げてみた。
隠されると答えを突き止めたくなるのがアンサラーの悲しい性である。いや、にんげんのサガか?
『あのねぇ……教えるなって言われてるのに言うわけないでしょ』
彼女は微動だにしない表情でやれやれと首を振る。そりゃそうだろう。動揺して真実が顔に出ちゃうようじゃアンサラーなんてやっていけない。俺もポーカーフェイスには自信があったりする。
だがしかし! この新谷樹の前では嘘なんて無意味!
『違うか。じゃあ左柳孝之助だろ! 国家政府の役人だし』
『だから言わないって』
再び名前を挙げても彼女の表情は微動だにしない。
『大穴狙いでスマッペの中井くん』
『どうして日本のトップアイドルがそんな依頼をあんたに出すのよ! ふざけてるの!?』
良かった。ツッコミはちゃんとできるらしい。
彼女は鼻息も荒く肩をいからせていた。
あまりレディをからかうのもなんなので予想できる本命の名前を言ってみることにする。
『あとは……和雅・T・フランベルクとか』
『はあ。いつまでやる気よ、あんた……』
彼女はうんざりとため息をついた。
よくため息を吐く方だ。何が原因かは知らないが心労が絶えないようである。是非癒してさしあげたい。
そして、俺の鼻は敏感に嗅ぎ取っていた。
『あー、やっぱり和雅さんなんだ。和雅さん元気? ワイン飲んでる?』
するとおねーさんは瞳の奥に色を灯らせて俺を見た。
彼女がやっと初めて俺という存在を“見た”のだ。
『勝手に話を進めないでよ。依頼人がその人だとは言ってないでしょ』
顔には出ていないが、内心では俺が当てずっぽうで話を続けたのか、それとも本当に分かったのか目まぐるしく思考していることだろう。なかなかポーカーフェイスがうまい人だ。そして美しい。ここ重要。
『あー、気にしない、気にしない。俺って真実に敏感でさ。基本的に嘘とか隠し事とか通用しないんだよ。
そんなことより、こんなむごい事件、ニュースはもちろんナビゲーターからも聞いたことないんだけど?』
依頼人の件でこれ以上つっこまれるのが嫌だったのか、彼女は俺の話題転換に気にせずのってくる。
『でしょうね。情報規制が敷かれているもの。国民はこんな事件が起こっていることなんて知らないわ。表向きは事故死や病死ってことになってるし。ま、さすがに最近じゃ不審に思っている人もいるでしょうけどね。
このことは政府の人間でもごくごく一部しか知らないわよ』
そんな重要な資料を俺に渡していいのかな。俺に対する信頼の表れか、それとも絶対に俺を関わらせることができると確信しているのか……。
普通に考えたら前者だよねー、うん。
『確かにこんなことニュースでやったらみんな外に出られなくなっちゃうもんな。にしても、こんな殺し方を……人がねぇ……』
その殺し方には何も感じられなかった。憎しみも怒りも望みも憂いも戸惑いさえも感じない。
これが何を意味するのか――
『それが色々と納得できないのよ、この事件。犯人の手がかりも目的も凶器もね。とにかく今までにないような異常な事件なの。その中で何が一番異常かというと死体についた唾液ね』
唾液……?
俺はバラバラになった肉片に再び視線を落とそうとしたけどやめた。
そしてこの事件の名を思い出す。
“ヒューマンイーター事件”。
『おいおい、まさか……食べちゃった?』
『その通りよ。犯人は被害者の肉体を食べているわ』
『わぁおクレイジー』
『それだけじゃないわ。事件数もクレイジーよ。今月に入ってから既に七件。今までに三四件もの同じ事件が発生している。三日に一件のペースよ。しかもこの辺りの地域一帯だけでね』
『つまり、犯人はこの辺りに土地勘がある人間。それだけが手がかりか。俺に白羽の矢が立ったのも俺がこの街に住んでいるから……?』
俺はふぅむと唸ってあごに手をやる。
『それもあるわね。相手に土地勘があるのならこちらにも土地勘のある協力者が欲しいもの。もう一つの理由があるとすれば、さっきも言ったけどある人からたっての希望があったからよ。
……もう一度訊くわ。この犯人を捕まえる依頼、受けてくれる?』
『………………』
俺は沈黙で返す。正直言って深くは関わりたくない。
しかしなぜだかこの事件に俺は興味を惹かれ始めていた。
『……まあいいわ。答えが出たらここに連絡して』と彼女はPCを取り出す。
俺のPCを彼女のPCに向けると、ピッピとモニターでアイコンが点滅する。PCが彼女の連絡先を受けとったのだ。
『エリ・F・橘……。ありゃ橘だって? 日本苗字ってことはハーフ?』
俺は受け取った連絡先を早速開いていた。
『たぶんね。分かってるとは思うけどこのことは他言無用よ』
『分かってるって、橘さん』
『日本苗字で呼ばないでよ! それ恥ずかしいんだからっ!』
橘さんがなぜかいきなり怒りだした。
まるで全国の橘姓が恥ずかしいみたいな言いようだ。とりあえず全国の橘さんに謝って欲しい。
俺は訝しげな顔で問うた。
『どうして……? 良い名前じゃないか、橘さん。例え本人に日系の血が入ってるように見えないから違和感バリバリだとしても気にするなよ、橘さん。橘さんは橘さんじゃないか』
『理由しっかり分かってるじゃないのよ! 呼ばないでよ! っていうかアンタ、わざと言ってるでしょ!』
橘さんは右手を拳に変えてプルプルと震えていた。
『怒るなよ橘さん。橘さんの名前は橘さんの橘さんによる橘さんのための名前じゃないか、橘さん』
『キィーーーーッ!』
橘さんは奇声を発すると金髪を振り乱しながら地団駄を踏み出した。
おお、なかなかからかい甲斐のある人だ。リンカーンもきっと微笑んでるよ。
『もう私は行くから!』
すたすたと歩き始めたので俺はすぐに引き止めた。
『あ、待った。最後に一つ質問』
『なによ!? 次言ったら殺すわよ!?』
肩をいからせたまま振り返るたちば――エリさん。……まだ死にたくないんです。
『彼氏いるんですか?』
『は、はあ?』
今日一番の不審そうな顔をする彼女。
『大事なことなんです。俺のやる気に関わるんです』
そして今日一番の真剣顔をする俺。
『こんな稼業やってたら男も逃げていくわよ』
きましたよ、これ! こんな美人がフリーですよ!?
俺はすぐさま頭をさげ、右手をすっと差し出した。
『俺と……!
付き合ってください!』
『死んでもイヤ』
きっぱり!
そしてすたすたと帰っていくエリさん。
んーむ、水崎と良い勝負しそうなツン具合だなぁ……。これはデレ期が楽しみだ。
俺はデレ期に入ったエリさんを妄想しながら帰路へとついたのだった。
その際、道行く人が俺を避けて通ったり、ひそひそと話したりしていたが、それはまた……別のお話。
◇◇◇
俺は風呂場から上がると、黒いスーツを着込んだ。それは俺がアンサラーとして動く時のスタイルなのである。
別に格好つけているわけじゃない。これはシリアスモードへと自分を移行させる暗示なのだ。
念のためにもう一度言うが、決して格好つけてるわけではない。
俺はアゴに手を沿え鏡に向かって『フ』とクールに笑ってみせた。
よし、カッコイイ。
時計は深夜二時を指していた。世の中が寝静まったこの時こそが、アンサラーの活動時間帯だ。人目を避けるのは基本中の基本なのだ。
黒いスーツじゃ逆に目立つとか思っちゃダメ。絶対。
三日に一人ペース。エリが言っていた言葉を思い出す。まだ依頼を受けると決めたわけではないが、あまりにも異質する事件に俺は興味を惹かれていた。
それに――と俺は一昨日、俺宛で届いていたキスマーク――もとい手紙を見る。
送り主不明の謎の手紙だ。
そこに書かれていた内容、そしてガーディアンからの接触。あまりにタイミングが良すぎるではないか。
興味を惹かれると同時にこの事件はとてつもなく嫌な感じがしていた。
ズキッ、と頭が痛み一人の男の姿が脳裏に思い浮かぶ。
「えぇい、出てくるな。おっさんに興味はない」
俺は自分に言い聞かせるように言うと、思い浮かんだ顔を腹の底へと押しやった。
とりあえずツバキたんに会いに行くか……。
おっさんの代わりに俺の愛しいナビゲーターの幼い顔を思い出してにへらと笑みを浮かべる。
昨日、某企業からパクってきたデータチップを胸元のポケットに入れて、俺は鼻歌混じりに夜の街へとくりだした。