其の10
先輩には一日一度、連絡を取るようにと言ってある。一日の出来事や得た情報を知らせることになっているのだ。
「先輩ってみちる先輩!? やっぱり関わってたのね」
睨んでくる水崎に俺は『てへ☆』と可愛く舌をだすと、俺のスウィートフェイスが気に入らなかったのか水崎はさらに額の血管を滾らせていた。
「先輩、無事ですか?」
『はい。滞りなく仕事をこなしてますよ。追加の地図を送りますね』
「了解です。ツバキたん」
「うむ。受け取っている」
俺が言うまでもなくツバキたんはパソコンを操作していた。
『今日少し変なことがあったんです』と少し戸惑ったような先輩の声。
「侵入者の件なら貴女の後輩に文句を言ってよね」
『後……輩……?』
エリが水崎に眼をやった。
「はは、すいません、先輩」
『その声は……水崎さん!? どうして!?』
「俺や先輩が休んでることを不思議に思って一人で研究所調べてたんですよ、コイツ」
『まあ! 水崎さんったら本当にアグレッシブな方ですね』
仕方がない人ですね、って感じで微笑んでいるのがPC越しに分かる。
「す、すみません」と小さくなる水崎。
『でもその事とは違うんです』
「というと?」
『どう説明すればいいのか分かりませんが……今日、ラボから人が逃げ出したんです。それも研究員ではなく、テトラポッド社と関係の無い人間のような人が……』
みちる先輩が体験したことを話し始めた。
◇◇◇
それは私が資料を抱え廊下を歩いている時に起こった。
突然、けたたましく鳴り響く警戒音。
私を含め廊下を歩いていた研究員たちが何事かと辺りを見回す。
とその時だった。
ズゴォオン!
大きな音をたてて廊下の先にあった金属の扉が吹き飛んだ。爆発したのではない。無理やり体当たりで開けたようだ。
同時に人影が飛び出してくる。
見た所三○半ばの男性。肌につけているのは人間ドッグの時に着るような薄い緑の衣装のみ。
だが様子がおかしい。
顔色は悪く、眼は血走り、筋肉が膨張して血管が浮き出ている。呼吸も荒い。どう見ても健康といえる体ではない。
男は左右を見渡すと私の方向へと目星をつけたのか、ぐっと足を踏み込んで走りだした。
豪ッ!
それはあまりにも人間外の脚力であった。
私は男性が通り過ぎた風圧に押されてその場に尻餅をついてしまう。
『っ!』
『逃げたぞ! 追えぇ!』
扉が破壊された研究室から立つのもやっとという様子の研究員がでてきて叫んだ。
私はすぐさま立ち上がると男性を追いました。おそらく新谷くんの求めている情報。それを彼が知っていると思ったのだ。
『グゥオオオオオ!』
まるで獣の咆哮のような叫び。
私は男性が曲がった角を曲がって、思わず足を止めていた。
そこには男性が頭を抱えて廊下を転げ回る姿があったのだ。
刹那!
ビクンッと弓なりに体を震わせると彼の背中が膨張し、肉が弾けた。まるでタイヤがパンクでもしたように。
びちゃ!
生々しい音をたてて廊下の壁に張り付く朱色。
『た……す……!』
男性が眼から血を噴き出しながら私に手を伸ばす。
私は両手で口をおさえガクガクと震えることしかできないでいた。
そして伸ばした腕もバチンと弾けとび、最終的にはその頭が――
パアァンッ!
『キャアアァァァッ!』
◇◇◇
先輩の話を聞いてうげーと水崎が舌をだす。
『その後、その部署の研究員に何があったのか聞いたんですが、極秘裏な研究らしくて内容は教えてもらえませんでした。その部署というのが――』
「遺伝子操作の部署ってわけね……」
エリが深く椅子に身を預けた。
「ちょっと待ってよ。そもそも一般人は中に入れないはずでしょ?」と水崎の至極真っ当な疑問。
「だが想像はつくな」とツバキたん。
「ああ……」と俺も頷く。
「人体実験ね」
ギリッと親指を噛むエリ。
「確定だな。この街の行方不明事件はそういうわけか」
俺たちが出した結論にみちる先輩も同意した。
『やっぱりそう考えるのが妥当ですよね。顔色もかなり悪かったですし、相当薬付けにされてたのかも知れません』
「ちょ、ちょっと待ってよ! だったら捕まってる菊が危ないんじゃないの!?」
『菊さんが……捕まってる……? どういうことですか!?』
水崎の言葉に先輩が訝しげな声をだす。
みちる先輩の疑問には俺が答えた。
「菊の父親は遺伝子生命学の研究者なのは覚えてますか?」
『はい。……まさか!』
「そのまさかです。菊の父親がそこの研究所で働かされてるみたいなんですよ。おそらく菊の命を人質にされて」
『そんな……!』と息を呑む先輩。
「そうとは知らずに菊の奴、親父さんのことが気になって研究所に詰めかけちまって……」
『捕まった……と』
「水崎が今日、研究員に連れられる菊を見たらしいです」
『まさか菊さんを!?』
「分かりません。だけど急がないといけないのは確かです」
と、そこでエリが身を乗りだし、PCに近づいて先輩に問うた。
「貴女、その菊さんの父親と接触することできない?」
『部署が違えばほぼ会うことは皆無ですが……。やってみます』
「頼むわね。できたら協力依頼と研究内容の情報を引き出してちょうだい」
『菊さんのお父様の名前、分かりますか? 何度かお会いしたことはあるのですが……』
「桜咲照光よ」
『照光さんですね。分かりました』
そこで水崎がすっと手をあげた。
「なんだね水崎くん」
「はい先生。質問なんですが」
「ふむ。質問は授業の後、私の部屋でじっくりと聞こう。それはもうたっぷりねっぷりとぐへへ」
俺がいやらしい笑みをするとツバキとエリが同時に俺の足を踏んだ。
「ギャース!」
「なんで先輩が研究所にいるわけ?」
俺は答えようかどうか少し迷ったが、結局真実を話すことにする。
「先輩には潜入捜査をしてもらってる」
「あんた……! 何考えてんのよ! 先輩を危険な目に会わせておいてアンタはこんなとこで指示だけ出してるわけ!?」
思った通り激昂して俺の胸倉を掴む水崎。
「こ、こら勝手にヒートアップするな!」
「信じられないほどの意気地無しね……! やる時はやる奴だと思ってたけど結局ただの女好きの馬鹿じゃない! この人でなし!」
「だから落ち着けっての!」
『水崎さん落ち着いて下さい』
状況を見かねたのかみちる先輩が水崎に声をかける。
「これが落ち着いてらるかってんですか!」
『潜入捜査を望んだのは私なんです』
その言葉にハッとPCを見る水崎。
「せ、先輩が……?」
『この街で起こっていることこのままにしておくわけにはいかないじゃないですか。それに私が許せないとも思ったから力を貸しているんです。新谷くんなら私が手に入れた情報を有効活用してくれると信じています。だから私は買ってでたんです』
何か言おうとして水崎は唇を噛んだ。
気づいたのだろう。自分が何を言っても無駄だということが。
「そろそろ準備する必要があるようだな。必要な装備をリストアップしてくれ」
状況を纏めるようにツバキたんが呟いた。
「ああ、分かった。用意する」
「あら、私ならいつでもいけるわよ」とエリはボストンバッグを指差した。
例の重火器が満載になったバッグである。
「先輩、桜咲博士との接触お願いします」
『はい。任せてください。では、また明日連絡します』
プツリと回線が切れる。
水崎はギロリと俺を睨むとふんっと鼻息も荒く椅子に座った。
はぁ……。なんかこー損な役回りばっか回ってくるんだよなぁ……。
◇◇◇
「ふぅ」
私はPCをポケットになおした。
「川澄くん」
「!?」
名を呼ばれ私は振り返る。
そこには同僚の堂時さんが立っていた。
いつものようにこにことした笑顔だ。
「いつからそこに?」
「ついさっきだ。また家族に電話かな?」
にこにこと不気味な笑顔。私はなぜかそれが気味悪く感じた。
「失礼します。まだ仕事が残っているので」
「おや。これは申し訳ない」
私はすたすたと彼を通り過ぎ研究室に向かう。
「川澄くん」
不意に後ろから声がひきとめる。
「あまり厄介事に首を突っ込まない方がいい。君の命を縮めることになるぞ」
「何のことかわかりかねます」
私は背中でそう答えてラボに戻った。
私に真っ正面から彼に対してその台詞を言う勇気はなかった。
◇◇◇
翌日。私は空き時間を利用して研究室の前で待っていた。
どうやら“コード:A”と呼ばれる計画は研究所内部でもごく一部の人間しか関わっていない研究のようだ。他部署の研究者は“コード:A”という言葉さえ知らない人の方が圧倒的に多い。
そのことからも“コード:A計画”がどれだけ秘密裏に行われているかが分かる。
しかし中には興味深いことを言う人もいた。
『かなりやばい研究らしいな。俺は関わりたいとは思わないが、関係者の話じゃ成功すれば世界を変えるほどの発明らしい』
世界を変えるほどの。
一体どういうことだろうか。
“コード:A”が遺伝子操作による研究だというのはもう分かっている。問題は何を創っているのかということである。“キメラ”や人体実験の先があるのだ、おそらく……。
兎にも角にも、こればっかりは直接関係者から聞く他ない。
研究室の扉が開いてくたびれた男が出てくる。
その男は私の顔を見ると驚いた表情になった。
「君は確か……菊の……」
私はぺこりとお辞儀した。
「お久しぶりです。桜咲博士」




