其の8
ガキン!
鉤爪がかかる音がした。ぐいぐいとロープを引っ張ってみるといい手応えを感じる。
どうやらちゃんと引っかかったようだ。
「よし」
私は意を決して壁を登り始めた。
ふふふ。なんだかアンサラーになった気分ね。
私は門番の死角になった壁を昇っていく。
昇りきった後で私はその高さに気づいた。
しまった。降りることを考えてなかった。どう見ても二メートルはある。
って、高っ!? こんなの飛び降りれないじゃない!
これでは木の枝に登ったまま動けない猫のようではないか。
でもここでじっとしていても見つかるだけだし……えぇい、どうにでもなれ!
私は意を決して中に飛び降りた。
ぐきっ!
「あんぎゃっ!?」
じーんと足から痛みが腰まで上がってくる。
ふ、ふふふ、よ、余裕……! なんか変な音がしたけど気にしてる場合じゃないわ……!
そうよ……! こんなところで立ち止まってる場合じゃないのよ……!
私は額に脂汗を滲ませながら周りを見回した。
中はなかなかに広大な敷地だった。
すぐ近くに建物が見える。
四つん這いで進んで、窓からひょいと首だけ出して施設内を覗いてみた。
研究者なのだろう。テトラポッド社の制服や白衣を着た人たちが忙しそうに廊下をうろうろしている。
そこで自分の格好を見直してみると学校の制服。
しまった。変装用に白衣くらい用意しとけば良かった。
ゲームとかだとこういう場合は研究員を気絶させて身ぐるみはいだり、更衣室で白衣を手に入れたりするんだろうけど……。私にそんなことができるとも思えない。
うーん、どうしよう。真実に近づいてることでテンション上がっちゃって、入ったあとのこと何も考えてなかったわ……。
潜入方法といい、もしかして私早まった?
と、その時だった。
廊下を歩いている人の中に見知った顔があった。
「……菊!」
菊は二人の研究者に連れられてどこかへと歩いていく。
やっぱり……! ここが正解……! 助けないと……!
その瞬間。
「コラ! そこで何をしている!?」
見回りをしていたらしい警備員が叫んだ。
「やっば!」
私は一目散に走りだした。
「待て、おい! 侵入者だ! 侵入者がいるぞ!」
そう叫びながら警備員が追ってくる。
捕まったらどうなるだろう。いや、そんなことは決まっている。拷問と称して縛られ、あんなことやこんなことをされるに違いない。
ぞわぞわと鳥肌がたつ。
ああ、嫌だ。変な想像して少し鬱になった。
と、施設の角を曲がった時だった。
前からセキュリティロボットがこっちへ向かってきていた。
「まっずい!」
慌てて私は曲がり角に戻る。
運が良かったのか、どうやらセキュリティロボットは私の存在に気づかなかったらしく、周りをふらふら歩いたままだ。
いくら五○M六秒七で走れる私の足でも挟み撃ちされれば意味がない。
私が曲がり角で足を止めたことで後ろから警備員がやってきた。
「ふふふ、もう観念したか」
やばい。絶体絶命だ。
前はセキュリティロボ、後ろは警備員。これをかいくぐる自信は流石に無い。
「さて、あっちでじっくりと侵入した理由を聞かせてもらおうか」
ぐへへ、といやらしく笑う警備員二人(水崎の脳内)。
ああ、貞操もやばい!
とその時、太陽の光が一瞬だけかげった。
刹那!
ぐぉん! ごきごきゃ!
風を切る音がして警備員たちの背後に女の人が降り立った。
同時に二人の警備員が膝からすとんと崩れ落ちる。
少し乱れた髪を掻き揚げて、彼女はゆっくりと立ち上がった。
ふぁさっと金色の髪が靡く。
私には彼女が何をしたのか分からなかった。だが何が起こったかは理解できる。彼女が警備員を倒したのだ。
なんと鮮やかな手並み。きっと警備員たちは何が起こったのか、自分に何があったのかも理解できずに意識を閉ざしただろう。だって見てた私にだって何が起こったか分からなかったのだから。
本当に『あっ』という間の出来事にぽかーんとなる私。
瞬きした間に既に事は終わっていたのだ。
本当に人間なのか疑ってしまいそうな動き。
こんなことができる存在を私は噂で聞いたことがある。
そうだ。彼女が本当に噂されているような超人たちならば今のようなこともたやすいはずだ。
つまりこの人は……!
彼女は警備員の私物をごそごそと探ったあと、ゆっくりとこちらに振り向いた。
並々ならぬ金髪の美人。
その毅然とした姿からは生命に溢れた輝けるオーラが見えた。
アンサラー……!
私は確信した。
そして気づく“アンサラー”がいかに崇高な存在であるか、ということに。
開いた口が塞がらないままぽーっとしていると彼女がとことこと近づいてきた。
「久しぶりね。ここから脱出するわよ」
「は、はい!」
と、答えてから私は少し訝しがる。
久しぶり? 私、こんな凄い人とどこかで――
そこでやっと私は彼女が誰か気づいた。
「って、橘さん!?」
「エ・リ・よ!!」
彼女は経研部スキー合宿にて車の運転をしてくれた橘さんだったのだ……!
その時。曲がり角からぬっと何かが顔を出した。
「セキュリティロボット……!」
セキュリティロボットが私たちの姿を捉える。
『侵入者発見。排除開始します』
ダッ!
人型をしたそれが地を蹴る。
だがどうしたことだろう橘さんは脂汗をかいたまま動かない。
そして私はハッとなった。
橘さんの後ろにいるのは私だ。
私が邪魔で動けないの……!?
ロボットが唸りをあげて拳を振り上げる。
すぐさま、橘さんは両腕のガードをあげた。
ガツンッ!
ロボットの拳はガードを吹き飛ばして橘さんの頬を打った!
「ぐっ!?」
弾き飛ばされたように後ろに吹っ飛び、地面を転がる橘さん。
「橘さん!」
「っく! エリだって……言ってるでしょ……!」
橘さんは殴られた箇所をごしごしと拭って立ち上がった。
「何してるのよ、あいつ……! 早く来なさいよ……!」
憎々しげに呟く橘さん。ロボットの一撃は相当に強力なのか橘さんの足はガクガクと笑っていた。
ロボットは橘さんが動けないと判断したのか、くるりと私に顔を向けた。
「あ……あ……きゃ!」
私は後ろに下がろうとしたが足がもつれてその場に倒れてしまう。
ロボットが私の首に手を伸ばす。
やばい……殺される……!
そう思ったその時。
ロボットのその腕を横から掴む者がいた。
「おっと、悪いな。そいつは俺が先約済みだ」
いつからそこにいたのか。まるでそこに瞬間移動でもしてきた感覚。
実際、セキュリティロボットも腕を掴まれるまで気づいていなかった。
男は私に手を伸ばしていたロボットの腕を、自分の体を横に回転させて捻り切る!
バヂッ! バヂバヂッ!
ちぎれた配線から火花がとび、部品がばらばらと散らばる。さらに男は体を左に回転させてバックブロー気味で人間で言うところのこめかみの部分に左肘鉄を入れる。
めきょ!
ロボットのこめかみの鉄板が凹み赤い瞳が一瞬消えてまた付く。
それを見た男はニヤリと笑うとさらに体をひねり……!
ズゴォン!
回転右膝蹴りで凹んだそのこめかみを強打した。ロボットの体がぐらりと傾き、頭が男の膝と横にあった壁に挟まれてぐしゃりと長細く潰れる。
いぃーん……。
目の位置にあった赤いランプが消えた。
ふぅと橘さん、あ、いやエリさんが息を吐く。
どうやら危機は去ったらしい。
「セキュリティロボット……お前は強かったよ。だが、間違った強さだった」
私は危機を救った男の姿を見た。
体つきはどこにでもいる人のように細身。
あの体であんな動きができるのが信じられない。
この人もおそらく……アンサラー……。
しかしどこかで見たことのある体格だ。
顔は背中を向けているせいで見えないが思えば髪型もどこかで――
そこで私ははっとなった。
まさか……まさかコイツ……!




