其の2
「やってもらった方がいいに決まってるじゃない」
彼女はインスタントラーメンをすすりながら事も無げにそう答えた。
俺がセーフハウスに帰って、みちる先輩と話したことをエリに伝えると今の答えが返ってきたわけだが。
「だけど……!」
「樹も分かってるはずよ。それが手っとり早く事件解決に繋がる道だってこと。ずるずるずるー」
「分かってる。だから悩んでる」
アンサラーとしての自分を取るか、彼女の恋人としての自分を取るか。
「はあ……樹……。本当はもう決めてるんじゃないの? 私に相談しても私がどう返すかなんてあんたは分かっていたはずよ」
ピッピとフォークで俺を指すエリ。
「………………」
その言葉に俺は何も答えられない。
「別にあんたが心の無い人間だなんて思わないわよ。あんたの立場ならそうせざるを得ないんだから」
ごくごくと汁まで飲んで空になったカップを机に置くエリ。
「ところでさ」
「なんだよ」
「ラーメン……伸びてるわよ」
言われ俺は未だ手をつけていないカップラーメンを覘いてみる。
そこからは汁気が完全に抜かれて膨張した麺で溢れていた。
「はあ……」
俺は思わずため息を吐くのだった。
◇◇◇
放課後、みちる先輩がとことこと帰路を歩いている。
俺は後ろから声をかけた。
「……先輩」
「あら新谷くん。こんばんは。
学校をズル休みしたら駄目ですよ」
彼女は優しく微笑みかけてくる。
俺が何しにきたか頭の良い彼女なら気づいているはずだ。
だというのに彼女はいつもと変わらぬ優しい笑顔で迎えてくれる。
優しさに甘えてる。
俺は自分の不甲斐無さに唇を噛む。
そして告げた。
「先輩」
「はい」
「お願いします」
俺は深く深く頭を下げた。
すると先輩はふと俺を優しく抱き寄せた。
「任せてください。こんなに可愛い後輩の頼みなんですから」
それでざわついていた心が融解していく。
俺は母の温もりを知らない。
だがなぜかとても懐かしい気がした。
◇◇◇
それからしばらくして。
俺とみちる先輩は研究所の門の前にいた。
俺は強く先輩の手を握る。
「先輩、無理はしなくていいですからね。身の危険を感じたら俺を呼びだしてください。すぐに駆けつけます。必ず」
その言葉に先輩は苦笑いを浮かべる。
「もう心配性ですね。大丈夫ですよ。バレるようなヘマなんかしません」
「………………」
「そんな顔しないでください」
「すいませんね。生まれつきイケメンなもので」
俺の軽口にくすくすと笑う先輩。
「大好きな先輩が危険なことをするというのに、心配するなって言う方が無理ですよ」
「もうっ……。大好きなんて言葉を簡単に言っちゃダメです。本気にしちゃいますよ」
「ええ、どうぞ本気にしちゃって下さい。俺が大好きなのは事実ですから」
俺は騎士のように跪いて、姫様の手の甲にキスをした。
「うふふ。私も新谷くんのことが大好きですよ。
ええ。本当に」
「え?」
急に真剣味を含んだ先輩の声に俺は顔をあげた。
「それじゃ行ってきますね」
するりと先輩の手が放れていく。
瞬間、ざわりと胸騒ぎがする。
行かせてはいけない。
その思いにかられる。
もう二度と先輩とこうして会えなくなる。
そんな予感がよぎる。
俺の嗅覚が告げている。
行かせてはいけない!
「先輩っ!」
なくなった温もりを求めて再度、俺は手を伸ばそうとした。
が、その手が彼女に届くことはなかった。
先輩は微笑んで研究所の中に姿を消した。
◇◇◇
爪を噛んで動物園のライオンのように部屋の中を歩き回る俺を目線で追うエリ。
「心配なのは分かるけど、少し落ち着いたら?」
見るに見かねたのか、それともうろうろされると鬱陶しいのか、エリがホットミルクのカップを持ってくる。
「これが落ち着いてられるかよ」
俺が見向きもせず研究所の方を見ると、エリは少しむすっとした感じでぼそりと呟いた。
「ふーん。そんなにあの娘が大事なんだ。へぇー」
「なんだよ、それ。彼女は一般人なんだぞ!心配するに決まってるだろ!」
「私には一般人だからってだけの心配じゃないように見えるけど?」
エリはこくりとミルクを口に流し込んだ。
「ぐっ」
俺が図星を突かれたような顔をするとエリは素っ気なく視線を俺からあらぬ方向へ変える。
「ふーん。ああゆう子がタイプなわけ」
「俺のタイプは橘さんみたいな人だってば」
「はいはい。橘って呼ぶなって言ってんでしょ」
エリが手元にあったクッションをぽいっと元気なく俺に放る。
クッションは俺の肩にばふと当たると床に転がった。
「分からないのよね。恋心っていうの? そういう気持ち。私は生まれた時から生きるために戦ってたもの。恋愛なんてする暇なかったわよ」
昔のことでも思い出しているのか遠い眼をしてカップに口を付けるエリ。
「そりゃまた可哀相な境遇だな。恋愛はいいぞ~」
「へぇー、そう言うってことは。あんたは誰かと付き合った経験があるわけ」
「……………………」
俺は黙秘権を発動した。自分に不利になることは答えなくて良いという素晴らしい権利だ。
フフフ……この黙秘権を貫き通せばエリは俺がいかに女性経験がなかったといえどそれを伺い知ることはできないのだ……!
ビヴァ黙秘権!
「…………。ま、訊くだけ酷だったわね」
あれ!? なぜかバレてる風味!?
やべぇ……この人もしかして心の中とかマジで読めるんじゃなかろうな……。人間の脳って未だ未解明な部分が多いし、超能力とかあってもおかしくないよな……。
待てよ……。ということは俺にも何かしらの能力があるかも知れないということか……!
なので俺は自分に超能力があるかどうか試してみることにした。
真剣な眼差しで真っ向からエリの顔をじっと見つめる。
そしてうむむむと念を送ってみる。
お前はだんだん俺と付き合いたくなーる……! お前はだんだん俺と付き合いたくなーる……!
「それじゃあさ」
不意にエリが言葉を発した。
「あ、え? な、なに?」
念を込めることに必死だった俺は急に話を振られびくりとなる。
「私と付き合ってみる?」
しーん。
俺とエリはしばらく見詰め合う。
ちくたくと時計が時を刻む音だけが空間を支配する。
そして次の瞬間、俺は彼女の言葉を理解した。
じんわりと顔が紅潮して、熱を持つのが分かる。
「マジでぃ(←)すか、橘しゃん!?」
言葉を噛んだ上に、声を裏返しながら俺は立ち上がった。
俺が立ち上がった時に膝が当たったらしく丸机が上へと吹っ飛び天井にボゴスと鈍い音をたてて刺さる。
俺は感動のあまりにエリの肩をがしっと掴む。
だが彼女の肩を掴もうと迫った勢いが余りに余りすぎてエリの後ろにあった椅子を薙ぎ倒し、張り替えたての窓ガラスを『ガシャアアン!』と突き破ってベランダへと二人して倒れ込む。
「つ、つつつつ、付き合いましょう、橘さん!? ちちちち、誓いのキスをおおおお!」
「あんたどんだけ必死なのよ!?」
俺に組みふされたままでなんだか俺の勢いに仰天している橘さん。近づける俺の顔を両手で必死に押し戻そうとしてくる。それに負けじと俺は顔を彼女に近づける。
グギギギギ……!
顔を近づけようとする俺と必死に押し戻す橘さんとの激しい死闘がベランダで勃発していた。
隣に住んでる主婦のおばさんが洗濯物をしまいにきたのか、ベランダの俺たちを見て固まっているがこっちはそれどころじゃない。
「こふー! こふー!」
両手で顔を押さえられているせいでかなり変顔になって、息がしにくくなっているがそれはささいな問題である。
「うっ……! 顔が犯罪者になってるわよ、あんた……! 鼻息荒いって……!」
「んぎぎぎ……! なぜ……抵抗する……!? こふー!」
「んぐぐぐ……! するに……決まって……るでしょ……!」
そこで俺は気づいた。
そうか……! 俺の超能力がもう切れたのか!?
バッと橘さんから離れて立ち上がると俺は両手の指をわしゃわしゃ動かしながら何かを発するように彼女に向ける。
そんな俺の様子に薄気味悪いものでも感じたのか『ひっ』と可愛く声をあげるエリさん。
フン、無駄だ……! どんなに嫌がろうと俺にはこの超能力があるのだからな……!
そして俺はカッと眼を見開き超能力を発動した!
「お前はだんだん俺とキスしたくなーるッ!!」
しーーん。
「………………」
フと勝ち誇った俺の笑み。
「……………………」
ぽかーんとしているエリさん。
「…………………………」
口をあんぐりと開けている隣のおばちゃん。
エリさんはすくりと立ち上がるとパンパンとスカートの埃を落とす仕草をする。
そして不意にその場でぐっとしゃがみ込んだ。俺の視界から彼女の姿が消える。
次の瞬間。
「なぁにふざけたこと言ってんのよォオッ!」
エリさんが立ち上がり様に下から上へと綺麗に伸びる右アッパーを繰り出した。
その『タァイガッパァッ!』な光の速度のアッパーが俺のアゴにクリティカルヒットした。
「ゴハッ!?」
俺の体が軽々と宙に舞い、部屋の床に背中を叩きつけられるた。
バ、バカな……! 俺の超能力が……効かない……!?
と思った刹那。
天井に刺さってた丸机が俺めがけて落ちてくる。
「あんぎゃああああああああ!?」
ドガァス!
丸机の足が俺の頬をかすめて床に刺さる。ちょうど俺は丸机の下に潜り込むような形で寝そべっていた。
っぶねぇ……! 顔に当たったら即死だぞ……!
「あのねぇ……冗談に決まってるじゃない。あんた、いっつも自分から結婚だのなんだの言うくせに、言われるのは慣れてないのねー」
手ぐしで乱れた髪を整えながら部屋に入ってくる橘さん。
俺は机の下から這い出して立ち上がった。
「ひどい……! あんまりだわ……! 私の純粋な心を弄ぶなんて! 鬼! 悪魔! 鬼畜!」
俺は眼をうるうるさせながら両の拳を口元へと持っていった。
「キモい」
無表情で感想を述べる橘さん。
「うわああああああああああん! 橘さんなんか結婚詐欺師にハメられちゃえー!」
俺は涙を振り撒きリビングから出て行くとトイレの中に入り、鍵をかけた。




