其の13
「ほら起きなさいよ」
「ん~、おはよう。……んあ?」
俺は眼を覚まし、寝袋から出ようとした。しかし一体どうしたことだろう。体が一切動かない。
俺が寝ぼけたままごそごそとしていると、
「あ、そっか。ちょっと待って。外すから」と橘さんの何か思い出したかのような声。
「外す?」
カチャンと金具を外すような音がした。
俺が顔を自分の体に向けるとそこにはジャラジャラとチェーンが巻かれていた。
「なにこれ!? SMプレイですか、橘さん! 俺初めてだからわくわくしちゃう!」
俺が期待に膨らんだ眼で彼女を見ると、エリは見下すように俺を見下ろした。
「違うわよ。あんたが夜中に起き出して変なことしないように縛っておいたのよ」
「…………。さいですか」
俺って信用ないんだなぁ。
◇◇◇
学校で昼飯を食べている時にそれは起こった。
ピンポンパンポーンと放送の注目音が鳴った次の瞬間。
『またお前か樹ィ! 職員室に今すぐ来い!何で呼び出されているか分かっているな、あぁん!? すぐだ! すぐにこい!』
このヤクザのようなガラガラ声は間違いなく森先生のものだ。というかこの学校で経済研究部に関わろうとするのは彼ぐらいなもので……。
森先生は生活指導部の長で経済研究部の顧問でもあるお人だ。用件は間違いなくスキー合宿のことだろう。
彼はすぐに経研部をガミガミと叱るきらいがある。最初は俺たちのことを嫌って当たり散らしているものだと思っていたのだが、どうやらそうでもないようだ。
彼はちゃんと俺たちを理解しているのだ。
それだけに怒る時はきっちりとこてんぱんに凹ましてくる。経済研究部を叱れる唯一の人間と言い換えてもいいだろう。
本人には口が裂けても言わないが、奴以外に経研部の顧問が勤まるとも思えないし。
「げ……! 森ちゃんに伝わらないように情報規制したはずなのに! どこで漏洩したんだ!」
「あーあ、しかも指名されちまったな。こりゃご愁傷様だな」
「こってりと絞られてくるといいわ」
後ろの席からこちらを見て『くひひ』と嫌らしくニヤつく水崎。
「フン。いいだろう。今日こそどちらが飼い主か教えてやる時だ」
鼻息も荒く俺が席を立つと、あるはずの無い声がした。
「あらあら。行かなくても大丈夫ですよ、新谷くん」
俺たちがそちらを向くと、そこにはいつものように微笑むみちる先輩の姿。
「あれ先輩。どうしてここに?」
「食堂へ行こうとしたら先ほどの放送が聞こえまして、立ち寄ったんです」
「また律儀な……」とツンデレ。
みちる先輩はそういう面倒見のいい性格なのだ。ツンデレには一生、こんな思いやりのある行動はできまい。少なくともデレ期に入るまでは。
「うふふ。森先生には私が話をつけてきましょう」
「でもたぶんめちゃくちゃ怒られますよ?」
「それなら余計に行かせられませんね。第一に、新谷くんは副部長じゃないですか。ここは部長である私が行くべきでしょう」
まあ、それは確かに。といっても原因が俺だから指名なんてされたんだろうけどね!
「はあ。正直、助かりますけど」
「うふふ。それじゃあ出頭してきますね」
にこやかにそう微笑むと、とことことみちる先輩は教室から出て行った。
それから一○分程経過した頃。またも放送が流れる。
『あー、新谷? さ、ささ、さっきは大声出してすまなかった』
開口一番、何かにおびえるように森ちゃんはそう言った。
『うふふ……。それだけ……ですか?』
近くにいるのだろう。みちる先輩の小さな声が聞こえた。
『ひぃっ!? ぶぶぶ、不器用なだけでほ、本当は良い生徒だと分かっているからな、新谷! だから……! だからたすプツリ』
そこで放送は途切れてしまう。
たす? タスマニアデビル?
俺は可愛く首を捻った。
「おー、こりゃまたえらい態度の変わりようだな」
廉人は机に頬杖をついたまま笑う。
「さすがはみちる先輩。敵無しだな」と俺も腕を組みうんうんと頷く。
「なんで経研部のほうが教師より力があるのよ! あんたらおかしいと思わないの!?」と天井のスピーカーを指さしている水崎。
『だってみちる先輩だし』
俺と廉人が同時に発した言葉に水崎はぺしゃりと自らの額を打つ。
「はあ……その言葉で納得できちゃうのがあの人の恐ろしいところね」
「仮でも何でもなくあの経済研究部を纏めている人だからなぁ」
と噂をしていると噂の張本人が教室に帰ってきた。
「お疲れ様です、みちる先輩。ナイスファイトでした」
俺と先輩は右拳をコツンとぶつけ合う。
「はい。ただいま戻りました」
「圧勝でしたね、先輩」
廉人のその言葉に先輩は少し苦笑いをした。
「それがそうでもないんです」
「というと?」
俺がオウム返しに問うと、先輩は笑顔で答えた。
「今回の件を不問にする条件を出されちゃいました。それをクリアできなければ、経済研究部は廃部だそうです♪」
「はっはっは、なんだ、廃部かぁ。
って廃部ゥ!?」
いきなりの展開に俺と廉人が立ち上がる。
微笑んだままおっしゃるから一瞬、飲み込みかけたじゃないか。
「廃部ってそんないきなり……!」
「条件ってなんなんですか?」
「はい、それが困った条件なんです。どうやら、やっと正規部員が五名に満たないことがバレてしまったらしくて……。校則違反の上に数々の不祥事は見逃せないと……。
不問にするからもう一人、部員を探せ、と……」
俺の問いにみちる先輩はさほど困った様子もなく答えた。
「よりによって校則の件を突いてきたか。ま、今まで気づかれなかったのがおかしいぐらいだけど」と呆れたような廉人。
不祥事の割には軽い条件のように思える。だがしかし、これはあの経済研究部に今更入部するような人間はいないだろうと、先生方が考えた結果なのだろう。
「でも簡単な条件で良かったじゃん」
俺は安心したように席に座りなおした。
「簡単だって? あの経研部に今さら誰が入りたがるって言うんだよ」
廉人にそう言われ、俺は視線で応える。
俺の視線の先を追う廉人とみちる先輩。
「は? え? 私?」
そこには当然のようにツンデレラこと水崎がいるわけだが。
「な、なんで私が経研部に入らなきゃいけないのよ!」
「話聞いてただろ? 人助けだと思ってさ」
「イ・ヤ・よ!」
ぷいっとそっぽを向いてしまう水崎。
「そこをなんとか! 頼むよ、水崎さん! 経研部ほど気ままにやれる部活動はないんだよ!」
水崎の前でぱちりと両の手の平をあわせて拝む廉人。
俺も負けずに水崎勧誘を試みる。
「水崎。今、経研部に入ればもれなく俺が後ろから尾いてくるぞ!」
俺は白い歯をキラッ☆とのぞかせる笑顔で親指を立てた。
「いらないわよ! っていうかただのストーカーじゃないのよ、それ!」
すぐさま俺の額にチョップでツッコミを入れる水崎。このツッコミ力は経研部として確保しておきたいところである。
「水崎さん。私からもお願いします。経研部を廃部にさせたくないんです。
それとも、私たちのことお嫌いですか?」
「うぐっ」
うるっと潤んだみちる先輩の瞳に、一歩退くツンデレ。
さすがみちる先輩だ。泣き落としとはえぐいことをなさる。
「そ、そりゃあんたたちのことは嫌いじゃないけど……」
水崎は顔を赤くしながらそっぽを向き、頬をぽりぽり掻く。
あ、デレ期入った?
「わ、分かったわよ……! さ、さすがに廃部にされちゃうのは可哀相だし、入ってあげるわよ!」
顔を紅潮させたままで水崎はそう宣言した。
やっぱりこいつツンデレ属性だったんだな。
このデレ期の間こそ水崎の落とし所なのではないだろうか。
「なあ、水崎」
「な、なによ。べ、別にあんたたちのためってわけじゃないんだからね……! あんたたちなら他の関係無い生徒を拉致しかねないし仕方なく――」
「結婚しよう!」
「やだ」
水崎はいきなり無表情に戻っていた。
顔文字にすると『(´・д・`) ヤダ』って感じである。
あっれー!? なんでだ!?
俺は水崎の様変わりに頭を抱えた。
これはもうMrブレインに水崎の脳解析をして貰わないといけないレベルだ。
「うふふ、有難うございます。これで廃部の件は解決ですね」
ぴしゃりと両手をあわせて微笑むみちる先輩。
この人はこの人で相変わらず人を操るのに長けている人だ……。
◇◇◇
その日の放課後。
俺はいつものように部室へと訪れた。
今日から新入部員となった水崎もいるかと思いきや、部室にはみちる先輩の姿しかなかった。
「ありゃ一人ですか、先輩」
「はい。桜咲さんは委員会で遅くなるそうですよ。水崎さんは入部の手続きに職員室へ。秋原くんはその付き添いです」
彼女は操作していたパソコンから眼を離すと、夕日を背負いながら俺ににこりと笑顔を向ける。
その笑顔はやはり人の心を落ち着かせるものだ。実際、俺も彼女の笑顔で救われている部分がある。
彼女は――みちる先輩は最初からそうだったのだ。俺は思わず出合った当初を思い出してフと笑ってしまう。
柄にも無くセンチメンタルになってしまった気分を、すぐに俺は切り替えた。
「ということはしばらく二人っきりですね、先輩。最近は忙しくて二人っきりで話せなかったので寂しかったですよ」
俺は真剣な顔で彼女の眼を見つめた。
「そうですね。ちょうど私も二人っきりでお話したいと思っていたところです」
彼女はノートパソコンをぱたりと閉じると、急に真剣な表情になってこちらを見返した。
「先輩……実は俺、先輩のことが……」
「新谷くん。これをどうぞ」
俺の話など一切聞かずにみちる先輩は白い封筒を俺に差し出した。
どこかいつもの先輩と違う雰囲気。
その瞳には何か秘めた真意が見え隠れしている。
それを訝しがりながらも俺はその封筒を受け取った。
「ありー? なんですか、これ? ラブレターにしては大きいですね」
白地の封筒を電灯に透かしてみる。中にはどうやら冊子が入っているようだ。
「どうぞ。中を見てください」
みちる先輩はそう促した。
俺は不思議に思いながらも封筒から、その冊子を取り出す。
そして、俺は封筒から出てきた“それ”に眼を見開いた。
どくん!
心臓が一瞬、跳ね上がった。
今まで和んでいた空間にビシリとヒビの入る音がする。
平和だった日常が、ガラガラと崩壊していく音が聞こえる。
思わず驚きの声が出そうになった。気を抜いている時に奇襲を受けたような感覚。
足元をすくわれたような気分。
その封筒の中に入っていた冊子は――
――テトラポッド社のパンフレットだった。
真っ直ぐから彼女が見つめてくる。
「これが……必要だったのでしょう」
ぐんっと急に視界が歪み、彼女と俺の距離が離れたように感じる。
頭が沸騰でもするように血流が早くなる。
どういうことだ……? どうして先輩がテトラポッド社のパンフレットを俺に見せる……? 俺がテトラポッド社について調べていることを先輩は知っている……? 俺はカマをかけられているのか? なら心を平常にして……って俺は馬鹿か! カマなわけないじゃないか……! 彼女はわざわざ“テトラポッド社”のパンフレットを持ち出しているんだぞ!?
それは詰まり、俺がテトラポッド社について調べていることに目測がついてるということ……!
ということは――
“敵”。
どくん!
俺の頭に嫌な一文字が思い浮かぶ。
可能性として考えられるのは、彼女は政府側、それもテトラポッド社側の諜報員ってところか。俺が“ヒューマンイーター事件”と関わっていることを知って……いやそれは無い……!
ついつい手に力が入りテトラポッド社のパンフレットをぐしゃりと強く握ってしまう。
彼女との付き合いは事件が起こる何年も前からだ……! なら、最初から彼女は諜報員だった!? そこに俺がのこのこと首を突っ込んできた!? そんなことが有り得るのか!?
くそ! 訳がわからねぇ!
いや、“敵”だとしたらそもそもなぜこれを俺に見せるんだ!? 宣戦布告か!? としたら既に俺が“アンサラー”だとバレている!? そんな馬鹿な! “敵”なら黙って今の状況を利用するはずだ……!
話が繋がらない!
彼女の知っている情報が部分的過ぎる……! だが少なくとも俺が裏社会に何らかの形で関わっている人間だとはバレている……!
ここは確実! 明白!
でもなぜだ! なぜバレた!? ロッジの一件から推測したのか!? いや、ない……! 不可能だ……! やはり情報が少なすぎるはず……! ならやっぱり最初から知っていたってことかよ!? そんなバカな! それこそ有り得ない! 普段の彼女にそんな気配なんて微塵も……!
ごくり。
生唾を飲み込む。
彼女は変わらず真剣な眼差しで俺を見つめている。
だけどその可能性が高い……! 他の企業などではなくテトラポッド社を見せたことから考えてもそう……!
彼女は知っているんだ……!
少なくとも俺がテトラポッド社の情報を集めようとしていることを……!
問題はどこまでバレているのか……!
どんどんと視界が歪む。
「新谷くん……やはり貴方は――」
なんでなんだよ……!
気づけば俺は彼女から一歩退いていた。
訳が分からない……!
どうしてバレた……!
すっとみちる先輩の眼が鋭くなる。
「――貴方は“アンサラー”だったんですね」
一体、どういうことだってんだよ……!




