其の11
いつものごとく何の部活か分からない部活動を終えて、私は一人で帰路を歩いていた。
それにしても樹先輩には困ったものである。
あの人の女好きはある種の病気のように思う。
今日もまたいつものようにはっちゃけていた樹先輩を思い出して私はくすりと笑みをこぼした。
しかし私は知っていた。
樹先輩は時々、ぼーっと物思いにふけったりすることがあるのだ。
その時の表情はいつもおちゃらけてるあの人とはまるで別人。
何か凄く遠くを見据えてるような眼差し。
それは私の手の届かない場所に行っているような……そんな感覚を受ける。
一体、何を考えているんだろう……。
不思議な人だった。あんなにも身近に接してくれるのに、とてもとても離れている人。
そこで私はハッとなった。
あーもう、また樹先輩のこと考えてるし……。
思わず出るため息。
と、そこでポケットのPCが震えだした。
ホログラムモニターを見てみるとお父さんからだった。
「もしもし。お父さん?」
『ああ、菊』
と何かほっとしたようなお父さんの声。
「? どうしたの?」
『いや、何でもないよ。それより何か変わったことは起きてないか?』
変わったこと? どういうことだろうか。
「別に何もないよ。普段通りだよ?」
ロッジが全焼したのも普段通りといえば普段通り。非常に残念だが経研部の中ではよくあることである。
変わったことを強いてあげるなら最近のお父さんだ。研究所が変わってから家に帰ってきたことはないし、電話でも妙にそわそわしているように感じる。
『そうか……』とやはり何か安心した様子。
私は思い切って訊いてみることにした。
「お父さんこそ大丈夫なの? 最近、なんだか様子が変だよ?」
その時だった。
『――――!』
電話の向こうで誰かの声が聞こえた。
『……ッ! あ、すまん。もう切らないといけない。また連絡する』
プツ。ツーツー。
切られた。そんなに忙しいのだろうか。
なんだか心の奥底がもやもやとする。
そのもやもやの正体。
それは『不安』だった。
何か嫌な予感がする。
私はポケットにPCをなおして歩きだした。
今度、お父さんの研究所に様子を見に行ってみよう。
そう思った刹那!
「あぶなーい!」
樹先輩の声がして、
だきっ! ダンッ!
私は抱きしめられて壁に押し付けられていた。
「………………」
何が起こったか分からない。きっと私の眼は点になっていることだろう。
「あのぉ……樹先輩?」
私が目線をあげると、間近で樹先輩は真剣な顔をしていた。
って、顔近っ!
「ふぅ……。危ないところだったな、菊りん。今、宇宙人にさらわれそうになってたぞ」
大げさに額の汗を拭う先輩。
「はあ、さいですか。菊りんって呼ばないでください」
要約すると私に抱きつきたかったということのようだ。さすがは自他共に認める歩くセクハラ。公共の道端でも容赦ない。
「一人で帰っちゃうなんていつからそんな冷たい子になっちゃったんだ、菊りんは」
「いや、いつも一人で帰ってますけど」
私はつかさずツッコミを入れておく。この人のボケを放置すると、ツッコんでくれるまでボケ続けるか、拗ねてしまうという厄介な性質を持っているのだ。
「ところで菊りん。さっき誰と電話してたの?」
「見てたんですか? そろそろ菊りんって呼ぶのやめませんか?」
私と樹先輩は何事もなかったかのように歩き始めた。
「うん。電信柱の裏でハンカチ噛み締めながら見てた。男じゃないよね?」
「はい、男ですよ。私にとって特別な人です」
私が含みを持たせるようにそう答えてやると樹先輩の眼が点になった。
そして彼はぶんぶんと首を振ると、真剣な顔で私の肩を掴む。
「その男はやめとけ」
「何でですか? 優しい人ですよ」
「それがその男の手口なんだ! いいか、その男は敵国のスパイだ。菊っちが持っている情報が目当てで近づいてきているんだ。残念だがもう会わない方がいい」
「何ですか敵国って。先輩の中でどういう設定になってるんですか」
「うるさい黙れ。お前は俺の言うことを聞いていればいいんだ」
「いきなり亭主関白ですね」
あまりイジめるのも可哀想なのでネタばらしすることにする。
「実はさっきのお父さんなんです。てへっ☆」
私は舌をだしてコツンと頭を打つ。
「なんだって! それならすぐにこっちからかけ直して挨拶しなければ……!」
樹先輩はいきなりポケットからPCを取り出した。
あれ? 先輩、うちのお父さんのPCの番号なんか知って――
よく見ると私のPCだった。
「い、いつの間に……! か、返してくださいよ!」
私はポケットにしまった筈のそれがないと気づき先輩に詰め寄った。
「あ、もしもし。わたくし新谷樹と申す者ですが」
『――――?』
「突然ですが、娘さんを下さい」
「キャーーーーーーーーー!」
私は慌てて樹先輩の手からPCを奪い通話を切った。
PCを胸に抱き、ほっとする私。
「な、何てこと言うんですか!」
きっと私の顔は真っ赤になっていることだろう。
「安心してくれ。菊っちのお父さんのPCにかけたわけじゃない」
「……へ? それなら誰に……?」
確かに誰かへかけていたはずなのに。
「菊っちの家にかけたら、菊っちのお母さんが出た」
「同じじゃないですか!」
そして気付いた。いつの間にか胸のもやもやが薄れていることに。
私は思わず感心してしまう。
こうやってこの人は簡単に私の不安を取り除いてしまうのだ。
「? どうした、菊っち。もしかしてお父さんと喧嘩でもしたのか?」
「してませんよ。何か様子は変でしたけど……」
すっ。
瞬間。
ほんの一瞬。樹先輩の眼の色が変わった。
物思いにふけっている時の――遠くにいる時の彼の眼が姿を現したのだ。
きっと彼をよく知る人でも気付かないだろうささいな変化。
それでも先輩を見続けてきた私には分かる。
「様子が変って、いつから?」
そして次の瞬間にはもういつもの何でもない風の彼に戻っている。
だから私も深くは触れない。
触れられない。
「最近、研究所が変わったんですよ、お父さん。元々は普通の研究所だったんですけど、テトラポッド社にヘッドハンティングを受けたんです。最初は断っていたんですけど、気がついたら異動を受けることにしていて……最近は私に『何も起こってないか?』とか訊いてきたり、何かいっつも慌ててる感じがするんですよ」
「んー、研究所だもんなぁ。きっと毎日実験とかして忙しいんだろうさ」
なんだか知った風に腕を組んで『うん、うん』と頷いている先輩。
そうして樹先輩と話していると、すぐに別れ道まで辿りついてしまう。
ここからは私と樹先輩は違う道なのだ。
「それじゃあ、また明日ですね」
「ああ。また明日な!」
いつまでもこっちに向かって手を振っている樹先輩にくすりと笑いながら私は帰路を歩いて行った。
ちなみに家に帰ると意地悪そうな顔をしたお母さんが待っていた。
そしてその第一声はこうだ。
「新谷樹くんって菊の彼氏? ねえねえ、どんな子なの?」
思わず私はため息を吐いてしまうのでした。
◇◇◇
「そうか。やはりそうか」
私の報告を聞いて長官は渋い顔をした。
「やはりって長官。まさかこの事を知っていたんですか!?」
思わずばんっとデスクを叩いてしまう。
「いや私も詳しい部分は知らなかった。だが最近のテトラポッド社は怪しい動きをしていたのでな。テトラポッド社は政府役人の中枢と通じているので確信を持てるまで表沙汰にはできなかったのだ」
長官はぎしりと深く椅子に身を預けた。
「長官。まさかこのことは――」
長官は立ち上がると窓から外を眺めた。
「ああ独断だ。お前がどういう任務についているのか知っているのはお前を担当しているサーチャーだけだ」
そしてゆっくりと振り返る。
「分かっているだろうが口外するなよ。テトラポッド社が何かをしようとしているのは間違いない。だが証拠が無い。お前にはその証拠を掴んできてもらいたい」
内ポケットからカードキーを取り出すと、すっとそれをデスクの上に置いた。
「テトラポッド社の研究所近くにあるマンションの一室を借りておいた。有効な使い方をしてくれ」
「分かりました。必ず証拠をあげてみせます」




