其の2
放課後になると俺は部室に向かった。
部室に行ったところで特にやることもないのだが、とりあえず顔は出しておくのだ。
家に帰っても暇だしね!
「ちーっす」
俺は部室の扉を開けた。
部室には一人の少女がいた。その少女はパイプ椅子に座ってノートパソコンを覗き込んでいる。
経済研究部の部長である川澄みちる先輩だ。軽くウェーブがかった長髪が大人っぽい先輩をさらに大人にみせている。
みちる先輩は俺に気がつくとパソコンから顔をあげて柔らかい笑みを見せた。
「こんにちは。新谷くん」
「あなたの恋人、新谷樹。ただいま参上いたしました」
「あらまあ。私ったらいつの間にか素敵な恋人さんを捕まえていたんですね」
少し驚いたように言うみちる先輩。
「ええ、そうですよ。俺はあなたのものになるために生まれ、あなたは俺のものになるために生まれたのです。その二人が出会えば恋に落ちるのは必然っ!」
びしっと親指を立ててみせる。
「でも私、浮気や不倫は大嫌いなんです。もし私が現場を見たらきっと嫉妬にかられて新谷くんを包丁で刺してしまうわ」
みちる先輩はあくまで笑顔だが、彼女が本気で言っているのだと俺は理解していた。
「ああ、なんて残酷な運命だ。みちる先輩。俺たちはどうやら愛し合ってはいけないみたいだ。別れましょう」
「あらあらまあまあ。残念ですね。せっかく可愛い恋人ができたと思ったんですが……。フられてしまいました」
本当に残念に思っているのか怪しい笑顔だが俺はあえてそこには触れないでおく。
「ところで先輩、何をしていたんですか?」
「株価を見ていたんです」
「ああ、どうなってますか、株価。儲かってます?」
うちの経済研究部は経済の研究として株価の購入をしているのだ。それが部活動ともいえよう。なので部費のほとんどが株の購入に使われている。初期投資は十万程度だったのだが、今ではとんでもない額になっていた。株というのはやりようによっては素晴らしい金儲けになるのだと分かる。しかし、リスクももちろんある。みちる先輩いわく株はどうやって儲けるのかではなく、どうやってそのリスクを最低限にするからしい。そうしていれば割合お金は増えていくのだとか。
と、言っても言うは安く行うは難しだ。そう簡単にいくものではないだろう。
そんなみちる先輩がほとんど株の購入と売却をしているのだが、先輩一人で部費を十倍どころか百倍にしてしまうのが彼女の凄いところである。
「駄目ですねぇ。昨日の事件のせいかMSNの株価が急に下がってしまいました」
「ありゃりゃ、もしかして損しちゃいました?」
「多少は……ですね。ニュースで流れる前にネット上で情報を仕入れていたんです。それを見て株価が下がる前に売ってしまったので損害は最小限に抑えられたはずですよ」
なんとも頼もしい先輩だ。
「あ、そうだ、新谷くん。今日、暇かしら?」
「特に用事はないですけど。デートのお誘いですか? 俺はもちろんOKですよ。どこに行きます? この時間からだと映画を見て晩御飯を一緒に食べてってコースですかね」
「ちょっと調べものをしてもらいたいんです。アンサラーはご存知ですよね?」
俺の話にはまったく触れることなく会話を続けるみちる先輩。
「アンサラーを調べるんですか?」
「世の中ではかなりの話題になっているらしいじゃないですか。経済研究部としては経済に影響を及ぼすものが、どのようなものなのか調べる義務があります」
「まさか先輩もアンサラーなんてものを信じているんですか?」
「結論から言うと私は半々ですね。ですが、もしいたとしたら経済にとっては脅威となるのは間違いありません。
なにせアンサラーと呼ばれる人たちは今回のMSNの事件のように一夜で株の値を激動させる出来事を起こすのですから……。しかも、故意に……です。
まあ、それは建前で私の心情としてはアンサラーはとても興味深い存在だと思っています。実在するとしたら驚くべき事実ですし、実在しなくてもなぜそう騒がれたのか真実を追究しなくてはなりませんし。それに夢があるじゃないですか。もしアンサラーという人たちがいるのなら一度会ってみたいものです」
「どちらにしても話題にはなる、ということですね」
「そういうことです。それで調べていただけませんか?」
「あまり気は乗りませんがねー。だけど、大好きなみちる先輩に言われたらやるしかないでしょう」
「あらまぁ。有難うございます」と微笑む先輩。
「それじゃあ大國図書館にでも行って調べてきますかね。何か面白いものがあればファイリングしておきますね」
「流石、新谷くん。頼りにしてますよ」
にこりと笑顔をみせる先輩。それを俺は手で応答して部室を後にした。
◇◇◇
大國図書館とは国が運営する図書館である。巨大なデータベースはインターネットに接続されており、リアルタイムで情報を収集し増幅していく、あらかたの情報はここに来れば得ることができるのだ。
その大國図書館に俺は訪れていた。言うまでもなくみちる先輩に頼まれたアンサラーについて調べるためだ。しかし俺はあまり乗り気ではなかった。それに存在するかどうかも確かではないものの情報なんてどれだけ集められることやら。
俺は検索機器の前に座り収集を開始した。
すぐに膨大な量の情報が検索に引っかかった。いや情報と呼ぶにはあまりにもお粗末なものだ。アンサラーは実は宇宙人であると掲示板に書かれているかと思えば、雑談チャットではアンサラーは超能力者だ、と話し合っている。要するに噂の域を出ないのである。だが、概して言われているアンサラーというものがどういった存在かは分かった。
アンサラー。都市伝説。大金の報酬を受け取るかわりにありとあらゆる願いに応える何でも屋。
それが基本的なアンサラー像のようであった。
俺はその後、アンサラーが関わっているといわれる事件の数々を調べファイリングしておく。
これでみちる先輩に面目はたつだろう。
「ん~~~~」
俺は伸びをした。何時間も椅子に座っていたせいか体のふしぶしが固くなっている。ふと窓から外を見るともう真っ暗になっていた。PCで時間を確認すると、もう八時を超えている。
うおぉおおぉ! なんてことだ! アニメを見逃してしまった……!
俺はこれ以上被害が拡大しないうちに帰宅することにする。
図書館から外に出ると口から白い息が出た。冬が近づいてきているせいか、夜になると見事に寒くなる。
そんな寒い中、体を縮こませて帰路を歩いている時だった。
街頭の下に一人の女性が立っているのが目に入った。
腕を組んで電信柱に背を預けている。
綺麗な女性だ。
この国の人ではないのか。ここからでも分かるほどサラサラの金髪が肩まで流れている。
不意にその女性が口を開いた。
「そこのあんた」
俺は周りを見回してみた。辺りに人は俺しかいない。つまりこの美しい女性は俺に声をかけているのだと、俺のスーパーコンピューターが答えを弾き出す。
これは……! まさか逆ナンパ!?
男が一度は憧れるシチュじゃないですか。神様ありがとう。悔い改めます。
「あんたが新谷樹ね」
天に向かって手を組んでいた俺はつい訝しげな顔をしてしまう。
あれ? なんでこの人、俺の名前――
と思ったその刹那!
その女性は風の如き速さで俺に肉薄してきた。その手に持っているのは――
コンバットナイフ!?
咄嗟に学生鞄で首を隠す。
学生鞄にナイフが刺さり、貫通して自分の目の前で刃先が止まった。
おいおいおいおいおいおい! 冗談じゃない! こいつマジで俺を殺す気かよ!
俺は鞄をひねることで刺さったナイフを奪い取る。だがその女の攻撃は終わっていなかった。鞄をどけて視界が開けると女はすでに回転蹴りのモーションに入っていたのだ。
こいつ……慣れてやがる! ナイフでの攻撃は大技に繋げるためのいわば捨て攻撃……! 最初から二段構えの攻撃だったのか! つまり、この蹴りが本命……!
ぎゅるんっ!
回転をうまく利用した女の鋭い蹴りが俺の顔面へと迫る。それはただの回し蹴りではない。人の脳に直接影響を与え、息の根を止める蹴り方だ。もし首筋に入っても血管を圧迫させ脳震盪を起こし結果的には死に至らしめるだろう。
ズガンッ!
左からきたその蹴りを俺はなんとか肘で止めた。鈍い感覚が腕を通して肩まで響く。
それを俺が防ぐと女は後ろに跳んで間合いを開けた。
この衝撃……つま先に金属を仕込んでやがったか……! これじゃあ左腕が痺れて使いものにならない。腕でガードしてたら骨もっていかれてたか……。
どうする……?
俺のそんな思考をよそに女は急に構えを解いた。
「なるほど。それなりの力量は持っているみたいね」
「貴女みたいな綺麗なおね~さんがつま先に鉄板なんて仕込んじゃって……。それ最新のファッション?」
俺がそう言ってやると女はつま先で地面を蹴る。するとゴッゴッと金属がぶつかる音がした。
「もう気づいてるでしょ? 私はアンサラーよ。といっても国家所属だからガーディアンと言った方が理解しやすいかしら?」
「ア、アンサラーだって……!? 本当に存在していたのか!?」
俺は大げさに驚いてみせる。
「…………白々しい」
「それでアンサラー……じゃなくてガーディアンのお姉さんが俺に何の用?」
「依頼を持ってきたのよ。国家直々の依頼をね」
「おいおい、学生の俺にか?」
「いいえ。アンサラーである――」
ひゅぉおおおお……。
冷たい風が俺と女の間を吹き抜ける。
「――貴方に」