其の4
「あーもう。あんたのせいで中までびしょびしょに濡れちゃったじゃない」
水崎はずくずくに濡れたウェアにうんざりして呟いた。
俺たちはロッジに戻ってきていた。
「悪かったな、水崎。ほら、頭こっち向けろ」
俺はバスタオルで彼女の髪の毛をわしゃわしゃとふいていく。
ちなみに菊りんは暖炉の前で小刻みに震えながら暖をとっている。よく見るまでもなく唇が紫色になっていた。
その姿を見ると流石に可哀相なことをしたなーと思うが……。
ま、いっか! 菊だし!
と心の中で勝手に踏ん切りをつけた瞬間。
まるで俺の心の声を聞いたかのように菊が俺に憎悪を込めて睨みつけてきた。負のオーラで髪がゆらゆらと揺れ、両の瞳が赤く輝いている。いかにも『視線で人が殺せたら』という感じだが……。
はっはっは、女の子がそんな顔しちゃダメだぞ、菊っち……お兄さん、さすがに怖いなー。
「ちょっと!? もっと優しくしてよ!」
「ああ、すまんすまん」
よそ見しながら拭いてたせいで水崎の髪の毛が暴風に吹かれたように無茶苦茶になってしまっていた。ナチュラルヘアーを通り越して先鋭的としか言いようが無い髪型だな。
俺は彼女の髪を拭うのを止め、彼女のウェアのジッパーを降ろして彼女の濡れたウェアを勝手に剥ぎ取った。
「ほら、セーターも脱がすぞ。濡れた服を着てたら風邪をひいちまうからな」
「服はいいわよ! 自分でやるから!」
「ああ、すまんすまん」と言いつつ俺は水崎のセーターをがっと掴んで脱がそうとする。
「キャーキャー! 変態! セクハラ!」
必死にセーターを下に伸ばして俺に脱がせられないように押さえる。
「ああ、すまんすまん」
仕方ないので俺は水崎のズボンに手をかけた。
「いい加減にしろ、このどすけべえぇ!」
「ごふ!」
水崎の膝蹴りが鼻柱に突き刺さってゴロゴロと床を転がる俺。
「い、いってぇ! 強くツッコミすぎだぞ、水崎! 俺の高い鼻が凹んだらどうしてくれるんだ! 美少年は国家の宝なのに!」
俺は蹴られた鼻をさすりながら涙眼で文句をぶつけた。
「あ、ご、ごめん……! つい力が……」
「あー、こりゃダメだ。起き上がれそうにない。体の節々が痛ぇ。意識が朦朧としてきた……」
さすがに悪いと思ったのか水崎が俺のところまできて心配そうに顔を覗き込んできた。
「だ、大丈夫? ごめんね。ちょっとやり過ぎたわ……。ほら、手を貸すから」
となんだかんだ言って優しいツンデレが俺に手を伸ばしたその時。
「うふふ。昼食ができましたよ~。手を洗って食卓にきてくださいね~」
すくっ。
「はーい!」
俺はみちる先輩の声を聞いて子供のように大きく返事をすると、何事もなかったかのようにスキップをしながら洗面所へと向かった。
「あらら。水崎さんどうかしたんですか? ぷるぷる震えてしまって……」
みちる先輩が俯いている水崎を見て小首を傾げる。すると『くわっ!』と顔をあげ、水崎は目を三角にして叫んだ。
「しんたにぃいぃぃ! 騙したわねえぇ!」
「はっはっは! 俺は貴様が悪い男に騙されないように身を持って体験させてあげただけさ! 感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないよ、チミィ!」
テーブルの上に立ってビシリとツンデレラを指差す俺。
「あらあら。新谷くん、テーブルから降りてください。危ないですよ」
やはりにこやかな笑顔で注意するみちる先輩。
「あ、はい。すいません先輩。すぐ降ります。
はっはっは! 捕まえてみたまへ、明智くん!」
俺は先輩に謝ってから、かの怪盗のようにテーブルから颯爽と飛び降りて走り出した。
「誰が明智よ! アンサラーに暗殺されてしまえ!」
ばたばたっ!
俺と水崎が菊が座るソファーの周りを駆け回り始める。
アンサラーという言葉に俺はふと足を止めた。そして真剣な顔で水崎に向き直った。
もし俺がアンサラーだと知ったら、こいつはどんな反応をするのだろうか。
いきなり俺が立ち止まったことに訝しがるツンデレ。
俺はがしりと水崎の肩を掴んで言葉を紡いだ。
「実はな、水崎……。俺は……」
そこで少し迷うように顔を反らし、
「なによ」とジト眼な水崎。
意を決めて彼女の眼を見る。
「俺はアンサラーなんだ」
「あっそ」
「いや、マジで」
「へー。凄いじゃない」
「本当なんだって! これは真剣に!」
「だから認めてるじゃない」
その言葉と裏腹に水崎は『あー、はいはい』と受け流すような表情だった。
あぁん! 本当なのに!
仕方ないので俺は諦めて、とぼとぼと洗面所に向かうのだった。
◇◇◇
「ひゃっほー!」
俺はジャンプ台から一気に飛び立つ。
昼食を摂った後、俺は再びスキー場へ来ていた。
そして、うまく着地すると両のエッジを効かせてブレーキをかける。
散った雪がきらきらと太陽の光を浴びて輝く。
すちゃりとゴーグルをあげ、俺は空を見上げた。
「チョー気持ちいい!」
どこかの金メダル獲得者のように叫んでみる。
この爽快感がスキーの醍醐味なんだよなー。
午前中は菊と水崎のせいで俺自身はまったく滑ることができなかったが、今は存分にスキーを満喫している。
ちなみに、あの二人はみちる先輩に預けてきた。今頃はまだふもとの方ですっ転げていらっしゃることだろう。
周りを見回すと周囲ではきゃっきゃと家族連れやカップルなどがスキーを楽しんでいた。
レジャー施設というものは、その周りの楽しそうな雰囲気にも当てられて、テンションが上がったりするものなのだろう。
ああ、微笑ましいな。本当に来て良かった。ほら、あそこにいる金髪ツインテールの小さい女の子なんてソリでジャンプ台を超えて――
「あやややや! これ面白いや~!」
ぴぎっ!
俺の笑顔にヒビが入る。
おかしいな。ジャンプした女の子が一番日本で会いたくない奴に見えてしまった。
そのツインテールの女の子は器用に体をひねってブレーキをかけると、またジャンプ台のところまでぱたぱたと雪坂を昇る。
疲れているんだな、と俺は指で眼の間を摘んで揉んでみる。そして再度、恐る恐るそちらの方に目線をやってみる。
ズゴオオオォォォォオオッッ!
やっぱりゴシックアンドロリータ調の服を着た金髪ツインテールが赤いソリでジャンプから飛び立っていた。しかも、『テポドンか!』ってな速度でだ。
周りにいたスキーヤーやスノーボーダーたちがソリで上空を飛んでいく彼女を見て唖然としている。
そりゃそうだろう。
ウェアも着ず、スキー坂をソリで下っていりゃ注目されない方がおかしい。
そもそもスキーヤーやスノーボーダーに混ざってこのジャンプ台にくるか、普通!? 小さいとはいえジャンプ台だぞ!?
「………………」
俺は何も言わずあからさまに体勢を変えた。
と振り返った先で、
「ほらほら、邪魔よ! どかないと刺さるわよ!」
ズシャアアァァッン!
愛用の洋剣をスノボのボード代わりにしてジャンプ台から飛び立つ赤髪が通り抜けた。
スキー客が驚きのあまり固まっている。
そりゃそうだろう。
洋剣をスノボ変わりにして滑る人間がどこの世界にいるというのか。
そして赤髪が着地しようとするが、
ぐさっ!
雪坂に洋剣の先が刺さってしまう。
「しまったわね。なかなか難しいわ」
赤髪は洋剣を引き抜くと再びジャンプ台へと昇り始めた。
「……………………」
見なかったことにしよう。
再び、無言で振り返ると、
「じーー」
いつの間にこちらに来ていたのか先ほどの赤ソリで坂を滑っていた金髪ツインテールがこちらを見ていた。
そして俺だと判るとぱっと明るい笑顔になる。
「あやー! やっぱり樹だー! わーい、樹ー!」
こちらに走ってきて胸に飛び込もうと雪を蹴ってジャンプする金髪ツインテール。
そんな笑顔の葉月を俺は横に避け、奴の後頭部に手を添えて、勢いを殺さずそのまま地面に彼女の顔を叩きつける。
ズボォ!
彼女の顔が雪の中に半分埋まる。
じたっばたっ!
息ができないのだろう。葉月はどうにか顔を上げようとバタバタと暴れ始める。
だが俺は鬼の心で後頭部を押さえつける手を緩めなかった。
しばらくして力尽きたのか葉月はぴくりともしなくなる。
「南無大師遍照金剛」
俺は片手で印を切ると、彼女の後頭部から手を離して額の脂汗をぬぐう。
だが――
「あやー」と葉月は何でもなかったかのように顔を上げた。しかも風呂上りのようなほんわかした笑顔でだ。
「ぎゃあああああああああ! 死ね! はやく死ね! 助けて、陰陽師!」
「やぁん。もう樹ったら照・れ・屋・さ・ん」
つんつんと俺の頬をつついてくる葉月。
「お前、何でこんな所にいるんだよ!?」
俺がそう問うと、葉月は目線を上にし、少し考える素振りを見せてから笑顔で答えた。
「樹がいる所に行くのが私の趣味だからー」
「ぎゃああ! ストーカー! ストーカー!」
俺は雪を掴んで葉月に投げつけまくった。
「あやー。分かった! 私と雪遊びがしたいんだね!」
そう言うと葉月は後ろに振り返って何かを掴む素振りを見せる。
「よっこいしょー」
そしてどこから取り出しのか葉月は雪だるまの下の段みたくでかい雪玉を頭の上に持ち上げた。
「どぅええええええええええええ!? ちょ、ちょっと待って下さいよ! どう考えても今までそんなものなか――」
「えいやー☆」
ずぼっ!
俺の頭に雪玉が刺さる。
「きゃー、樹可愛いやー! 雪だるまみたーい!」
ぱちんと両手を合わせて眼をきらきらさせる葉月。
「ふごふごふごっ!」
俺は足をふらつかせながら頭に刺さった雪玉をなんとか持ち上げようとする。だが思った以上に重量があり、なかなか持ち上がる気配はなかった。
「ふごへ! はふひ!(外せ! 葉月!)」
「あやー。可愛いのにー。仕方ないやー」
葉月は持っていた赤ソリをぎゅるんっと振りかぶる。
豪ッ!
そして葉月は思いっきり俺の頭(雪玉)目掛けて赤ソリをスウィングした。
どぎゃーん!
俺はぐるぐると回転しながら吹っ飛んで雪の上に四肢を投げだす。
ぴくっぴく。
嗚呼、体が痙攣しているのが自分でも分かっちゃうよ、葉月さん……。
「あやー、樹ー。無事かやー?」
「無事なわけねぇだろ、うらぁ! 耳がキーンってなってんぞ、ミミガー!」
俺は片手で葉月の胸倉を掴んで足を払い雪の上に引き倒す。
「あやー!」
しかし、何が楽しいのか倒されてきゃっきゃと笑う葉月。どうやら彼女は俺とじゃれているものだと認識しているようだ。
こいつ……全然懲りてねぇ……! どうしてくれようか……!
と俺が処罰を考えようとすると、葉月の手から俺の体の節々にしゅるっと銀糸が飛び出してきて巻きついた。そして体がぐいっと引き倒された。
「ぬおっ!?」
慌てて手をついたが、なんというか葉月の上に覆いかぶさる形になってしまった。
「あやー! 樹、やめて~! 押し倒して何するつもりかやー!」
大声で騒ぎ始めるストーカー。
「何もしねぇよ! つか勝手に俺の体を操るな!」
操り人形よろしく葉月はくいくいと指で俺の体に巻きついた糸を操る。
すると俺の手が勝手に動いてっておいおいおいおいっ!
「あやややや! 樹っ、だめっ! こんなところでそんなところっ……ふわっ……んっ……!」
「ぎゃああああ! 悶えるなあああああ! 変な声をあげるなああああ! R規制されるううう!」
と、その時だった。
じとーっとした視線を感じ、そちらに顔を向けると、エリ様がこちらを見ていらっしゃるではないか。
「………………」
これはマズい。いや、もうなんていうかマズいってレベルじゃねー!
大変遺憾なことではあるが、それでなくても俺の人となりが不埒な方向で勘違いされているというのに、こんなシーンを見られては彼女の中での俺のイメージが固定されてしまうじゃないか!
「か、かかかかかか、勘違いしないでくれよ! 違うからな! こいつが自分から――」
「別にいいわよ。いつものことだし」
とどこか無感情に呟くと、再び坂を下っていくエリ様。
「手遅れえええええええええ!?」




