其の3
ザザー!
みちる先輩が綺麗にシュプールを描きながら斜面を降ってきた。そして、俺のところまできてブレーキをかける。
「さすがみちる先輩、スキーもうまいですね」
「はい。小さい頃からよく連れていってもらいましたので」
先輩はゴーグルを上にあげ、にこりと笑顔で応えた。
続いて廉人も俺たちの所へ戻ってくる。
「廉人も意外に滑れたんだな」
「みちる先輩ほどじゃないけどな」と廉人は肩をすくめてみせた。
「それに比べてあの二人は……」
俺は問題の二人の方に視線をやった。
「きゃーきゃー! 水崎先輩、手を離さないでくださいよ!? 絶対離さないでくださいよ!? 絶対ですよ!?」
「ちょっと暴れないでってば! きゃっ!」
すてーん!
二人して仲良くすっころげていなさる。
うーむ。菊はともかくツンデレは運動神経良かったはずなんだが……。
「新谷! 見てないで助けなさいよ!」
水崎は上半身を起こすと俺に向かって雪を投げてきた。
「おっとすまん。ほら」
そうだった。俺はこの二人にスキーのなんたるかを教えるべく、コーチをしている途中だったのだ。
俺は尻餅をついている水崎に手を差しのべる。
「まったく」
水崎が俺の手を掴んだ瞬間、俺はぱっと手を離してみた。
どしゃ!
腰を浮かしかけてた水崎が再び雪に、というかちょうど菊の背中に尻餅をつく。
「ぎゃひん!」
菊は背中を弓なりに反らして、ガクリと力尽きる。あ、菊りんから魂が抜けかけているのが見える。
「し・ん・た・にぃ~~! あんたね……!」
一方、ツンデレは顔を真っ赤にして右拳をぷるぷると震わせている。
「あ、すまん。お前って怒った顔も可愛いから、つい」
ジタバタッ!
「ついじゃないわよ! ふざけてんの!?」
「そんなことより、さっさとどいてやらないと菊が死ぬぞ」
「へ?」
「うわーん! スキーダイエットなんて全然水崎先輩に効果が表れてないじゃないですか、樹先輩のバカー!」
菊が水崎の下でジタバタと暴れている。
「ご、ごめん菊! しっかりして! っていうか、今かなり失礼なこと言わなかった?」
慌てて横にどいたツンデレラだったが、菊の発言にぴくりと眉を跳ね上げる。
「は、はあ……。死ぬかと思いました。さすがは四六キぎゃひん!」
菊が何かを言いかけようとすると、水崎が菊の髪を引っ張った。その反動で菊の首がゴキリと生々しい音をたてる。
「菊ちゃ~ん? よんじゅうなんだって~?」
にこにことした笑顔でくいくいと髪の毛を引っ張るドSな水崎。対して菊は目の幅の涙を流しながら許しを請う。
「きゃー! すいませんでしたー! 髪を引っ張らないでくださーい! ちょっとした冗談なんですぅー!」
なんだか女の子二人できゃっきゃと楽しそうだ。仲が良いのは嬉しいことだけど、こういう時はちょっとした疎外感を受けるよね!
と、俺はそこでふと疑問に思ったことを口にした。
「ツンデレよ。お前もしかしてスキー経験ないのか?」
運動神経の良いコヤツがこれ程までに滑れない理由となれば、最初に思いつくのが未経験という理由だが。
「ぐっ。悪い!? このクソ寒い中わざわざ冷たい雪を滑らなくてもいいじゃない!」
明らかに悔し紛れの言葉を吐くツンデレ。
「ははぁん、分かったぞ。最初、合宿に行くのを渋ったのも格好悪いところを見られたくなかったからか。可愛いよなぁ」
俺は腕を組むとしみじみと頷いた。
水崎は顔を紅潮させて「くぅ~~」と唸っている。
「やーい! ねえ、今どんな気分? 立ち上がることもできないってどんな気分? くやしいのぅ、くやしいのぅ!」
とはやしたてる俺。とその時だった。
いつの間にか足下へ匍匐前進していたらしい菊が俺の足をスキー板でひっかける。
「自力で立ってみ――ぬぉるんがっ!」
俺は顔から雪の中に倒れる。
「あははは! よくやった、菊!」
ばたばたと腹を抱えて笑う水崎(スキー経験無し)。
「はい! やりました、先輩!」
菊は菊でビッと親指を立てた。雪の上に倒れたまま。
俺は無言で雪から顔を離してパンパンと体についた雪を払う。
「樹……先輩……?」
「新谷……?」
俺が無言であることを訝しがる二人。
俺は深呼吸をするようにすぅ~~っと息を吸い込んだ。
そして次の瞬間。
俺は怒りを爆発させていた。
「上ッ等だてめぇらっ! 凍死させてやるから覚悟しろぉおぉおっ!」
俺は傍においてあった幼児用のソリを雪山にザクリと刺してごっそりと雪を乗せる。そして、それをそのまま未だ立てないでいる二人に降りかけた。
「ちょっと新谷! 落ち着きキャー!」
ばさばさ!
「樹先輩! すいませんでした! 水崎先輩はともかく私だけはお見逃しをいやあー!」
ばさばさ!
二人に雪をどんどんかけていく。
「お怒りじゃー! 雪神様のお怒りじゃー!」
「きみたち! 何をしているんだ!」
インストラクターなのか、それともスキー場の警備員なのか。騒ぎを聞きつけたらしい男が止めに走ってくる。
「他のお客さんの迷惑になるから――」
がし。
注意をしようとした警備員の胸元を俺は無言で掴んだ。
「へ?」
そしてそのまま近くの木に向かって警備員を投げ飛ばす!
「エターナル・フォース・ブリザードオオオオオ!」
「なんでえええええ!?」
投げ飛ばされた警備員は木にぶつかると枝から降り注がれる雪の下敷きになった。
「よし、1KILL」
フンと鼻を鳴らして誇らしげに手の突き出た雪山を眺める。
「よしじゃないぞ、樹! いくらなんでもスキー場の人にまで手を――」
カチャン。
俺は金属のチェーンを廉人の腰ベルトに繋げる。
「いってらっしゃい」
俺は笑顔で彼に別れを告げた。
「は? いってらっしゃいって何が――」
廉人は自分に繋がれたチェーンの先を見る。そして一瞬で顔色が変わった。
そこには誰も乗ってない雪上走行可能なATV(四輪バギー)がエンジンを震わせていた。
「自動前進ON! レディ、ゴー!」
俺がぽちっとスイッチを押すと、廉人の体を引きずってATVが走り始める。
「いつきいいいいい、てめえええええええええ! おぼえてろよおおぉおぉぉ――」
山彦のように声を反響させて、すぐに廉人の姿が見えなくなってしまった。
ははは、あいつ、変わった楽しみ方するやつだなぁ。
「もうやめて樹先輩! 私のために争わないで!」
ドラマっぽく俺の腰にすがりついてくる菊。
キュピーン!
俺の眼が光る。
ガード入力発動!
説明しよう! 新谷樹は攻撃をガードした瞬間にコマンドを入力することで、投げ技へと繋げることができるのである!
「飛天〇剣流奥義!」
がしっと菊の腰を掴む。
「はえ?」
「雪積もる獅子の閃き!」
俺はそのまま体を後ろに反らして菊を雪の上に叩きつける。
ゴキッ!
再び菊の首が異様な音を鳴らした。
「じゃ、じゃーまんすーぷれっくす……。せ、先輩……相手が女の子でも容赦ない……です……ね……ガク……」
ちーん。
菊がすっとセピア色になった。
「きゃー! 菊―! しっかりして! 死んじゃだめよーー!」
水崎が菊の胸倉を掴んでがくがくと揺さぶる。
そして俺は次の獲物を求めて走り出す。
「カップル、コラアアアァァ!」
「な、なんだあいつ! こっちに向かってギャアアアアアア!」
「きゃー! まーくん!? ちょっと私のまーくんになんてことイェアアアア!」
「に、逃げろおおお! 殺されるぞおお!」
スキー客が叫び声をあげて逃げ始める。
その様は大怪獣が街で暴れているような風景だった。
すぐさま他の警備員たちがかけつけてくる。
「キミは完全に包囲されている! 無駄な抵抗はやめて、大人しく投降しなさい!」
警備員たちが麻酔銃を持ち出してきた。だがしかし!
「おしとおおーーぉおおる!」
俺はどこかのアシタカさんのように勇ましく警備員の群れに向かって走って行く。
「ちっ。仕方ない。撃て!」
ダンッ!
麻酔銃が発射された。
しかし、俺はダーツのようなその麻酔銃の弾を素手で掴みとる。
「馬鹿な!? 矢をキャッチしただとおおお!?」
そして俺はダーツさながらに麻酔銃の弾を近場の警備員に投げた。
とす、と額に矢が刺さってすとんとその場に膝を落とす警備員。どこかの小五郎さん並に麻酔が効く体質であった。
「こんなもんで今の俺を止められると思うなああ!」
俺は警備員のリーダー格っぽい奴に掴みかかった。
「ぎゃあああああああああああああああ!」
掴まれた警備員は目を見開いて叫び声をあげる。
『ぎゃーぎゃー!』
「あらあら。みなさん元気ですねぇ」
阿鼻叫喚となりつつある俺たちを眺めながら朗らかに笑っているみちる先輩。
流れ弾の雪の玉や麻酔弾を微笑みながら難なくひょいひょい避けているあたり彼女だ。
「アンタら……本当に何しにきたのよ」
エリは呆れたように俺たちを見ていた。
その場にいた警備員の男の一人は後に語る。
『あ、ありのままに起こったことを話すぜ……! 俺は奴に麻酔銃を撃ったと思ったらいつの間にか俺が撃たれていた……! な、何を言っているかわからねーと思うが俺も何をされたか分からなかった……! 催眠術とか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃ断じてねぇ……! もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……!』
“経済研究部合宿事件”と呼ばれるようになったこの出来事はこのスキー場で末永く語り継がれたという。




