其の9
『こっちにはいなかった! もう中に入ってるはずなんだが……!』
『くそっ! どこいきやがった!』
ばたばたばた!
下の廊下をストレンジャーたちが駆け抜けていく。
そう、下。下と言うからには俺とエリは今、上にいるわけで。詰まる所、俺たちは廊下の天井にある換気口の中に寝そべったかたちで身を潜めているのであった。
おーおー、奴ら血眼になって探してるなぁ。
と、見下ろしながら匍匐前進していると、
ガツ!
「いて!」
先を進んでいるお尻――あ、いやエリに頭を蹴られた。
ついつい声を出してしまい慌てて口を塞ぐ。
『ん? 今、何か聞こえたような……』
「なーお」
エリが猫の声真似をする。
『なんだ。猫か』
今時、猫で納得するとは……。
俺は下にいるストレンジャーに呆れてしまう。
バレなかったことに、ほっとして顔をあげるとエリは裏社会特有の手文字を使って俺に『右の部屋へ降りるわよ。誰もいないわ』と指示を送ってくる。
俺はこくりと頷いた。
再び、匍匐前進で進み始めるお尻もといエリ。
それにしてもなんて美尻だ。右へ左へとふりふり動いて、俺を挑発しているとしか思えない。
鉄のスカートは健在だし……。
気付けば俺はその魅惑の果実に手を伸ばしていた。
「っ!」
するとその気配を感じたとったのか、エリが振り返り、俺の腕を股に挟んで固める。
いわゆる腕ひしぎ逆十字固めと呼ばれるプロレス技だ。
ギチギチ!
『ぐあ! ギブギブ! こんな狭い所で逆十字なんてするな!』
俺が手文字でそう言うと、
『こんな狭い所でセクハラしようとしてんじゃないわよ!』
と言い返された。
しかし、腕を胸元まで引っ張られているせいで手の甲に柔らかい感触が……! ああ、なにこのマシュマロみたいなの……!? ねえ、なに!? なんなのこの懐かしい感覚……!?
「ぐへへ……」
俺の顔つきが緩んだのを見て、そのことに気付くエリ。
「こぉの……!」
エリが逆十字をしたまま、片方の踵を振り上げる。
と、その時だった。
バキャゴン!
古い建物だということもあってか、換気口がぶっ壊れる。
「へ?」
「え?」
俺とエリは逆十字を極めた格好のまま、間抜けな顔で下へと落下した。
どてーん!
大きな音をたてて廊下に落ちる俺。その俺の背中に尻餅をつくエリ。
「ぐえっ」
肺の中の空気をすべて吐き出し一瞬呼吸困難になってしまう。
「お、おも……い……!」
「し、失礼ね! 私は軽いわよ!」
げしっ、と上から後頭部を蹴られる。
空気を求めて顔をあげると、そこには先ほどエリの猫マネを真に受けたストレンジャーの男が立っていた。
「なっ!? お前らどこから――!」
エリが俺の背中を踏んで跳び、長い脚で男の足にスライディングをかける。
あっ、見えた! 今、俺の頭超えた時に黒いの見えた! 鉄のスカート破れたり!
おもいっきりバランスを崩した男の腹へエリは立ち上がり様に掌底を叩きこむ!
俺が慌てて廊下の右にある部屋の扉を開くと、吹っ飛んだ男が開けた部屋の中に転がっていく。
それを追ってエリはすたすたと部屋の中に歩いて行く。そして俺も中に入って扉を閉めた。
うーん、なかなかの連携っぷりだ。あと一人加われば“乱れ雪月花”の三連携技も夢じゃない連携率だな。
先ほど上で確認した通り、部屋の中には誰もいなかった。
エリはお腹をおせえて床に倒れている男の腹を踏んづけて動けないようにすると銃口を突きつけた。
「うるさくすると額に穴が開くわよ」
その様はどっからどう見ても悪役である。
そして哀しいことに似合っている。
「ひ、ひぃっ!」と怯えるストレンジャー。
「近頃の異常殺人事件、あんたらの仕業でしょ?」
「お、俺たちじゃねぇよ! 俺たちだってその事件について調べてるんだよ!」
「だってさ。あてが外れたな」
「嘘をついているだけかもしれないわ。締め上げましょう」
言って懐から手の平サイズの爪剥ぎ器を取り出して、ガチャンと床に放る。
それを見た男の顔がサーッと青くなった。
「あ、おい、やめろって。こいつは嘘ついてないって」
「どうして分かるのよ」
「フ、言ったろ」
俺はめい一杯カッコつけて髪を掻き揚げるとエリの眼を真っ向から見据えた。
「俺は真実に敏感なんだ」
…………キマった……。
「はいはい。そうだったわね」
既に俺を見ていないエリ。
「えええええ! それだけええ!?」
「うるさい」
「げぶる!」
エリの回し蹴りを頬に受けて俺は地面に倒れ伏した。
この人のツッコミ……いちいち痛すぎるんですけど……。
「アンタ、おかしなことを言ったわね。私たちが調べてる異常殺人事件は政府の重要な人間にしかまだ知らされていないことよ。
どうしてストレンジャーのあなたが知っているのかしら?」
チャキ、と銃の撃鉄を起こすエリ。
「ちょっと前に貧民街で同じことが起こってたんだよ! 最初の被害者は俺たちだ! だから調べてただけだ……!」
「な……んですって……?」
銃口が揺らぐ。
「だから言ったろ。ストレンジャーは白だって。橘さんの下着の色は黒だったけど」
シュッ! ざく!
俺の横を投げナイフが通り過ぎた。間を置いてから頬をたらーっと血が垂れる。
ボ、ボケるのも命がけだぜ……!
しっかし、まぁた訳の分からないことになってきたな……。
このストレンジャーの言う事が事実だとすれば疑問が残る。現在、異常殺人の被害者は政治に関わる者のみ。しかし、その前には政治になんら関連性の無い貧民街の人間が襲われていたという。一体、貧民街の人間を襲うことに何の意味があるというのか……。
「だとしたら、振り出しね。
アンタ、さっき調べてたって言ったわよね。ストレンジャーはこの事件について何か掴んだの?」
「あ、ああ! ある企業がやばい研究をしてるらしい!」
研究。
その言葉に俺の眼がすっと細くなる。
「企業はいつだってやばい研究しているものよ」
「そんなレベルじゃねー! あいつら戦争する気だ……!」
「戦争、ねぇ……。その企業っていうのは?」
「そ、そんなもん知るかよ! リーダーに聞いてくれよ!」
「……はあ。そんなに簡単にはいかないわよね。他の奴ら呼ばれても面倒だし、とりあえず死んどいて」
再び銃口が男の脳天を捉える。
「ひぃっ! お助けぇ!」
「こらこら。とりあえずで殺すなよ。俺たちで調べればいいだけの話じゃん?」
見るに見かねて俺は止めに入る。
「俺たちって……。どうせ調べるのは私でしょ!?」
とエリが言ったその時。
不意に声がした。
「相変わらず甘いな、君は」
「リ、リーダー!」とエリに銃口を突きつけられていた男が叫ぶ。
いつの間にそこにいたのだろう。
部屋の扉を固めるように男たちが立っていた。
その中央に立っているリーダー格の男。歳の頃は二十台後半だろうか。茶色の色眼鏡をつけた黒髪長髪の男。その長身は青いローブに包まれている。
その後ろには十数人の男たちがつき従っていてこちらに銃口を構えていた。
エリは瞬時に取り調べていた男を立たせると背後に回って男のこめかみに銃口を突きつけていた。
その姿はまるでCQCの基本を思い出した某蛇さんのようだった。
彼は人質というわけだろう。
もしこんな狭い部屋で撃ち合えば俺たちに勝ち目はない。
ストレンジャーたちは妥当国家政府という理念の元に動いている組織だ。その組織のリーダーともあろう人物が部下を見捨てたとあれば、ストレンジャーたちの士気はガタ落ちするだろう。
つまり、人質がいる限り手出しはできない。
エリの行動はその事を理解した上でのことだろう。
リーダーと呼ばれた男。
その男の顔に俺は見覚えがあった。
「ありゃあー?」と思わず呆けた顔で指をさしてしまう。
「久しぶりだな、樹」と視線もくれずに言う男。
「あれま。ストレンジャーのリーダーってお前だったのか」
「…………なに? あんたの知り合い?」
人質の背中で眉をひそめるエリ。
「工藤宏治。元アンサラーだよ、こいつ。昔はよく仕事で組んでたんだ」
「アンサラー? どうしてアンサラーがストレンジャーなんかにいるのよ」
「樹の言った通り私は元アンサラー。国家政府側の人間だった。
しかし私が理想としていたものと、国家が築こうとしているものは別物だった……。
そう別物だったのだ」
悔しそうに拳を握る宏治。
「私がどれだけ人を殺めようと貧民街の人間は救われはしない……!
この国をよくするために!
そんなことを声高らかに言いながら、国家がやっていることは企業にすがってこの国を維持し続けるのがやっと……!
もはや任せてはいられない! 今の国家政府に、存在価値などない!」
まるで演説でもするように拳をふるう。
実際、それは仲間の結束を固めるための演説でもあるのだろう。
周りの部下たちが何か熱中するように夢中になるように宏治を見つめている。
「だから私は今ここにいる! 君たちも知っているだろう! 貧民街の様子を! 今日食べるものにも困窮している人々を!
だから私は今ここにいる!
ふざけた国家政府をうち滅ぼすために!
貧民街の人々を悪政から解放するために!」
そう宣言すると、
『うおおおおおおおおおおおおお!』
ストレンジャーたちの気持ちが一気に高ぶる。
さすが宏治だ。貧民街の人々の心をよく掴んでいる。
宏治は昔から口がうまかった。覚えてる範囲で俺は彼に口論して勝てたことがない。
「話が通じる相手がいて良かった。銃を降ろすんだ」
宏治が部下たちに指示を送る。
「し、しかし……!」
「降ろすんだ」
有無を言わさぬ宏治の威圧感。
渋々と銃を降ろす部下たち。
「君ももう私の部下を解放してくれないか。君たちが望んでいるのは情報だろう。彼の尊い命ではないはずだ」
あまり納得のいってない顔でだが、エリは男を解放した。
「では、私の部屋で話そうか」
青いローブを翻してカツカツと宏治は歩き始める。
それに俺とエリは顔を見合わせ、ついて行くのだった。




