青春スクエア ~綾崎翼の片思い~ 小学生編16
翼は深い溜め息を押し殺す。
ここ最近溜め息を付き過ぎだと自分でも流石に思う。
だが、それも仕方ないのだ。
好きで付きたくて付いているわけではない。
少し病院内を歩き回りながら考えてみる。
学校行事など、本当に必要なのだろうかと。
酷い場合だと強く願ってしまう事もある。
学校行事など、無くなってしまえば良いのにと。
そう思う理由は、恐らく普通の人とは違うだろう。
練習や準備が面倒なだけの考えとは違う。
もう一度、深い溜め息を零す。
「おゥ、翼じゃねェか」
「――樹姫さん」
「樹姫で良いつってンだろォ? ま、良いけどよォ。で? 修学旅行、どうだったんだァ? ここ数日見掛けなかったから修学旅行だろ?」
「――何故学校行事は全て団体行動や二人一組なのか一瞬疑問に思った」
「あははははっ! またかァ。まァ、仕方ねェだろ。アタシがお前と同じ学年で同じクラスだったら一緒に居てやったンだけどなァ」
「……お気遣い、ありがとうございます」
――そう、理由は学校行事だ。
十一月に入る前にもう既に大きな学校行事は終わっていた。
学校行事の中でも一番嫌だったのは、修学旅行だったのだ。
小学生での一番の思い出になるはずの修学旅行。
何一つ、楽しくなかった。
友達が居なかった為、自由行動時は常に一人。
班行動時は自分だけ存在を完全に無視された。
その為、修学旅行では教師とばかり話をしていた。
更には、夜になり消灯時間になっても同室のクラスメイト達が喋り続けていた為ほとんど眠れなかった。
そんなのが二泊三日の内二晩続いた。
修学旅行で無ければ体育祭ではペア競技時。
体育祭当日までペアが見つからなかった。
それも教師に指摘され、嫌々ペアになってやったというような顔をしていた。
そして文化祭では――
準備のほとんどを翼に押し付けられた挙句に、ほとんど休みがなく自分のクラスの展示ばかりをしていた。
休みがなかった為、一人で校内を回らずに済んだのは良かったのだが。
一人で文化祭を見て回る程つまらないものはない。
そんな、小学生最後の思い出。
団体行動や一人二組が嫌になったが……。
それは社会的に必要な事だとわかっている為、否定はしない。
「まァよ。そう暗くなンな。アタシ等はまだ若ェンだぜ? こっから先、何があるかなんてわかんねェだろ? どんな出逢いがあるかもわかんねェぜ?」
樹姫のいう事も一理ある。
けれど、これから先友達など出来る気がしない。
恐らく中学はそれなりに学力の高い所か、一番学力の高い中学校へ行く事になるだろう。
高校もそのようにして。
そして大学は医大へ通う事になる。
両親によって決められたレールの上を歩くしかない。
「――――」
そんな、決められた人生が嫌だ。
もっと自由に生きたい。
自分のしたい事をして、生きていたい。
だけども、翼にはそれが出来ない。
決められたレールの上を歩くしかないのだ。
――誰かに助けを求めたい――
この運命から逃してくれと、縋り付きたい。
だが、そんな事を言える人など居ない。
この世には、居ない。
そんな事を考えていると、ふと視線の先に大きく伸びをしている藤森先生の姿が見えた。
「藤森先生」
「ん? あぁ、翼君と樹姫ちゃんか。どうかした?」
「いえ。クリスマスイベントの計画が出来上がったので確認してもらおうと……」
そう呟きながらクリスマスイベントの計画を書いた紙を藤森先生に渡す。
前回同様に翼の考えたシナリオも付け加えて。
前回のハロウィンよりもシナリオを練ってみたのだが。
どうだろうか。
不安に思いながらも藤森先生の顔を見つめていると。
藤森先生は受け取った紙に目を通していき、まるで子供のように目を輝かせて告げた。
「いいよこれ。面白いね。是非やらせてくれないかな?」
「今回の衣装は俺が用意――」
「いや、今回も僕がするよ」
「ですけど……」
「100円ショップに行けば全部揃うだろうし。後は僕に任せて。翼君は十二月に入ったらクリスマスパーティーの宣伝、よろしくね」
小さく手を上げてそう言うと藤森先生は渡した紙を手にして行ってしまった。
こういうイベントの時、藤森先生が乗り気なのは嬉しい。
正直、翼自身もクリスマスパーティーが楽しみだった。
早く、クリスマスが来れば良いのにと思う。
クリスマスは、初めてのイベントであり嗄の誕生日だ。
嗄へのプレゼントは先日手に入れた。
昨年よりも良いと思ったプレゼントだ。
しかし――
早くクリスマスが来て欲しいと思うと同時に来なければ良いのにとも思う。
クリスマスが来てしまえば、すぐに正月が来てしまい。
来年の春には中学生になってしまう。
また一歩、医者への道が近付いてしまう。
「お、とうとう降り出したな。雪」
そんな樹姫の声が聞こえ、窓の外に視線を向ける。
曇った空からは白い雪がちらほらと見えた。
やがて雪の降る勢いが増していき、まるで桜のように雪が空から舞う。
この勢いだと恐らくは積もるだろう。
積もったならば、世界中が白一色で埋め尽くされてしまう。
雪が積もった時の事を想像し、少しだけ嫌だと思った。
雪は嫌いではない。
〝白一色〟の世界が嫌なのだ。
白が嫌いになったのは恐らく、夢を奪われたあの時から。
あの時から、この清潔感の溢れる白一色の病院が嫌いになった。
しかし、皮肉にもその嫌いな病院に翼は今居る。
翼は小さく笑った。
それは苦笑いでなければ思い出し笑いでもない。
笑止だった。
本当に自分でも呆れる。
ここに居たくないと思いながらもここに居る。
医者になりたくないと思いながらも医者のような事をしている。
本当に、馬鹿馬鹿しい。
冷たい表情を顔に張り付けて廊下を歩き出す。
自分の選ぶ道はそれしかないのだと強く言い聞かせながら――
数日後、十二月に入った。
十二月に入ると翼はすぐに病室から出られない年の近い患者や子供達の病室へと通い、クリスマスパーティーの宣伝をする。
初めてのクリスマスパーティーだという事もあり、大抵の子供達は喜んでくれた。
このまま上手くいけば良いと思う。
いつものように病院内を歩いていると――
「翼。良い所に来た」
空き病室の扉が開くと同時に聞こえたその声。
絶対に聞きたくはない声。
しかし、振り返らなければいけない。
逆らってはいけないと、頭の中で警告の声が響く。
翼は恐る恐る振り返り、声を掛けて来た人物を見つめて尋ねる。
「――何か用でしょうか。父さん」
そこにはやはり、翼の父の姿が。
変わりない威圧感を発する父が。
厳しい目で見下ろして来る父の姿があった。
父は翼を見つめ、厳しい声音で告げた。
「今月の五日くらいに小児科の方へ新しい患者が入る」
「新しい患者、ですか……?」
「お前と同い年で複雑開放骨折をしている。その上に頭部を強打しているらしい。目を覚ましたとしても麻痺が残るか、植物状態になる可能性のある患者だ」
「――――」
翼と同い年。
なのに酷い状況に置かれている。
自分よりも酷い状況に。
話を聞いた瞬間、その患者に同情してしまった。
「詳しい事は五日、資料と共に渡す」
「……わかりました」
言う事だけ告げると父はその場を去った。
父の去って行く背中をしばらく見つめていた。
――正直、驚いていた。
自分と同い年。
それなのに複雑開放骨折。
医療知識を手にした翼にはわかっていた。
複雑開放骨折の手術は難しいものだと。
失敗すれば足を切断するか、義足になるだろう。
目を覚ましても、目を覚まさずともその患者に待っているのは絶望だけだ。
それを知って少し思う。
探してみれば自分よりも上はいくらでも居る。
自分が世界一不幸なわけじゃない。
なんとなくそう思えた。
その患者と逢った時、自分は何を思うのだろうか。
一体、何を考えるのだろうか。
翼はそんな事を考えながら廊下を歩き始める。
そこで、ふとある事に気付く。
一度通り過ぎた病室の前に戻って来る。
その病室は202号室。
中を覗いてみればいつも以上に念入りに掃除をしている掃除婦の姿が見える。
この病室は、良く翼が入り浸っていた病室だ。
今までずっと使われていなかった病室。
念入りに掃除をしているという事は、人が入るのだろうか。
少し寂しく思いながら病室に足を踏み入れ、掃除婦に尋ねた。
「……すみません。この病室に新しい患者さんが入るんですか?」
「ええ。五日くらいに入るみたいですよ?」
掃除婦の言葉を聞き、大抵想像が出来た。
この病室は恐らく、今度入って来る翼と同い年の患者が入る病室だろう。
この病室は好きだった。
それに、気になる患者がこの病室に入る。
気にならないわけがない。
父から同い年の患者の話を聞いてずっと考えていた。
その患者に対して、自分は何が出来るだろうか。
出来る事はあるのだろうか。
そんな事を考えている間にも五日はすぐにやって来た。
その日は学校が終わるとすぐに病院へと足を向けた。
どうしてか、凄く同い年の患者の事が気になった。
多分、初めてだからだろう。
同い年の患者と逢うのは。
病院に着いて最初に向かったのは子供達の元ではなく、同い年の患者の入った病室だった。
だが、病室へ行っても誰も居なかった。
もちろん、ベットが使われた様子もない。
つまり、この病室はまだ使われていないという事になる。
よく考えてみれば当然だ。
複雑開放骨折をしている上に頭部を強打している。
ならば病室ではなく、最初に入るのは集中治療室。
ICUに入るのが先だ。
ここへ移る前の病院で一週間ICUに入っていたのならば、もう一週間程ICUに入る事になる。
流石に翼でもICUに入る事は出来ない。
つまり、同い年の患者と逢えるのは一週間後となる。
そんな簡単な事もわからなかった。
「――――」
また、一週間後に来よう。
そうすれば顔を見る事も出来る。
考えを切り替えて翼は再び歩き出す。
そこで気が付いた。
背にランドセルを背負ったままだという事に。
ランドセルを背負ったまま病院内を彷徨くわけにはいかない。
とりあえずナースステーションにランドセルを預けよう。
ランドセルを預けた後はいつものように病室を回って行く。
最後の三十分程で子供達と遊ぶ。
そのようにしてこれからの計画を立てる。
そこで翼は一瞬歩みを止めた。
視線の先には医師と話している父の姿。
最近、よく父と逢う。
普段ならば逢う事の方が珍しいと言うのに。
正直、あまり父と話をしたくない。
出来れば顔も見たくない。
だが、父の手には資料の入った分厚い茶封筒が握られていた。
もしかすればあの手に握られている封筒が同い年の患者のカルテ等かもしれない。
その患者の事は気になる。
しかし、自分から父に話し掛けるのは嫌だ。
色々と考え、思い付いた結果が父の横を通り過ぎる事だった。
翼に何か用事があるのならば向こうから声を掛けて来るだろう。
話し掛けて来なかったとしても小さく会釈くらいはするつもりだ。
そう決めて翼は廊下を歩き出す。
父は医師とずっと話しているようで、翼が通り過ぎても気が付かない。
少し安心したようで、期待を裏切られたような気持ちになった。
(ほとんど逢わないんだから封筒は郵送でもすればいいじゃないか)
そんな事を考える。
それはただの我儘かもしれないが。
その方が良いのではないかと思う。
お互い干渉しないくせにこうして逢うのならば徹底すれば良いのに。
徹底して、逢わないようにすれば良いのに。
患者のカルテ等も郵送すれば良いのに。
「…………」
「翼」
不意に背後から父の声が聞こえた。
完全に油断していた為、心臓が止まるのではないかと思う程に驚いた。
心臓を手で少し押さえて、落ち着くように言い聞かせながら振り返る。
振り返ると、やはり圧倒的な威圧感を放つ父の姿が。
「前に言っていた患者の資料だ」
「……ありがとうございます」
翼が茶封筒を受け取ると、父はすぐにその場から立ち去った。
本当に渡すだけの為に声を掛けて来た。
それだけならば家に送れば良いのにと本当に思う。
再び歩き出し、渡された茶封筒を開けて中身に目を通す。
同い年の患者の名前は柳葉李哉。
誕生日は十一月二十五日。血液型はRH+A型。
十一月二十八日に大型トラックに撥ねられ、左膝下から複雑開放骨折。
撥ねられた時に頭部を強打した為、未だ意識は戻っていない。
他に入っていたのは李哉という患者の現状やカルテのコピー等だった。
封筒に入っていた資料を見て改めて思う。
この李哉という患者は自分よりも残酷な運命に立たされている。
翼ではこの患者の足元にも及ばない。
上には上が居る。
探せばその李哉という患者よりも、翼よりも酷い人生を送っている人が居るかもしれない。
そう思っても、明るい気持ちにはなれなかった。
自分よりも上は居る。
ほんの少しだけそう思えば楽になったが――
今立たされている現状が変わるわけではない。
目の前にある壁を乗り越えなければいけない。
それは変わらない。
どうしても翼はそう考えてしまっていた。
新しい患者が来て一週間が経った。
学校が終わると翼はすぐに李哉という患者の元へ行きたかった。
だが、クリスマスパーティーの宣伝の為にも患者の病室を回らなくてはいけない。
行けたとしても、顔を覗くくらいしか出来ないだろう。
それに、あの患者は未だに目を覚ましてはいない。
このままずっと、目を覚まさないのだろうか。
――その方が幸せなのではないだろうか――
眠っていれば夢を見る。
現実の事など、何一つ考えなくて済む。
目を覚まして残酷な運命を迎えるよりも、ずっと……。
眠っている方が幸せじゃないだろうか。
ずっと、覚めない夢を見続けている方が幸せだ。
けれどそれは〝逃げる〟事にならないだろうか。
目の前にある現実から目を背ける事になるのではないだろうか。
「――――」
歩きながら深い溜め息を吐き出す。
そして、少しだけ目を閉じて。
数秒後、目を開いて考えも気持ちも切り替える。
余計な事は考えない。
目の前にある課題をこなす。
それで良い。
他には何もない。
そうして病院内へ足を踏み入れる。
ナースステーションの前でいつものようにランドセルを預けてから廊下を歩いて行く。
最近、子供達とは遊べていない。
子供達には悪いと思っているが、今はどうしても両立出来ない。
小さく溜め息を吐き、病室の扉をノックする。
返事が返って来ると病室に足を踏み入れた。
患者の顔を見てすぐにクリスマスパーティーの宣伝をする。
「二十五日にクリスマスパーティーをする予定ですので、良ければ参加してみてください」
「へぇ、クリパなんて初めてじゃね?」
「ええ。今年から始めたんです。参加する場合はプレゼントを持って来てください。プレゼント交換がありますので」
「りょーかい」
「それでは、失礼します」
時には相談に乗ったりしてクリスマスパーティーの宣伝。
病室を回っては宣伝。
クリスマスが近付けばクリスマスパーティーの準備もしなくてはいけない。
思わず溜め息が零れる。
そこでふと、足を止めた。
足を止めた病室は、あの患者の病室だった。
どうしても、ここへ来てしまうようだ。
元々この病室は翼が入り浸っていた病室だ。
自然と足が向いてしまうのも仕方ないだろう。
病室の扉の前で立ち尽くし、腕時計を見つめる。
挨拶をするくらいの時間はある。
それにこれは、両親から言われた事をやっているだけだ。
この病室の患者に対しては同情する。
だが、そこまでだ。
それ以上もそれ以下もない。
自分でも冷たいと思う。
けれど、翼にとって患者とはそれぐらいにしか思っていない。
自分は医師免許を持っていないただの子供だ。
今はそこまで関わらなくても良い。
翼は静かに病室の扉をノックしてみる。
――返事がない。
一瞬中に入るのを躊躇ったが、ドアノブに手を掛けてみる。
「……失礼します」
小さく声を掛けて病室に足を踏み入れた。
病室に入り、気が付いた。
部屋の隅の椅子には鞄が置かれていた。
恐らく、家族のものだろう。
病室には居ないという事は、トイレにでも行っているのだろうか。
しかし、荷物を置いたまま病室を出るとは……。
患者が目を覚ましている時ならまだしも。
無用心過ぎる。
この病室には翼を含んで二人居るのだが――
ベットの上で眠っている患者、柳葉李哉は未だに目覚めない。
翼は李哉の顔が見えるように、ベットに近寄る。
至って普通そうな顔立ちの少年。
事故に遭う前は至って普通な。
幸せそうに育ったような顔立ちをしている。
「――柳葉さん。わかりますか?」
やはり、返事はない。
――このまま、目を覚まさなければ幸せだろう――
このままずっと目を覚まさなければ。
目を一度覚ましてしまうともう、深い眠りには付けない。
待っているのは地獄のような日々。
手術の成功率は限りなく低い。
絶望しか待っていない。
「――――」
どんなに翼がそう思っても、それを決めるのは神だ。
神の与えた試練をこの患者が乗り越えられるかどうかの問題だ。
翼は少しだけ想像してみる。
目を覚ました時、体には麻痺が残る。
そうでなければ一生植物状態だ。
きっとそんな状況に置かれた場合、諦めてしまうだろう。
この患者の家族も。
自分自身でも。
少なくとも翼だったら諦めてしまう。
「……失礼しました」
それだけ言い残し、病室を後にする。
あの患者は、一体どういう人間なのだろうか。
学校のクラスメイト達と同じような人間だろうか。
それとも――
そこまで考えて窓の外を見つめる。
また、雪が降って来そうな雲行きだ。
――その時の翼は知らなかった。
柳葉李哉が翼の人生に影響を及ぼすような人物になる事を。
また、同じように柳葉李哉にとっても人生に影響を及ぼす事など。
そんな事、知る由もない。
翌日、翼は降り積もった雪の中を歩いていた。
学生服に手袋とマフラー。
それだけではこの寒さには耐えられない。
出来る事ならば私服で登校したいと思う。
それが出来ないのならば、せめてコートを着る事を許して欲しい。
そう思いながらも病院の敷地内に入り、小走りで正面玄関から病院へ入る。
外は本当に寒い。
手袋をしているというのに手が悴んでしまっている。
手袋を外しながら手を擦って暖め、ナースステーションへ向かう。
病院の空気は暖かく、外とはまるで別世界のようだ。
ランドセルと手袋とマフラーをナースステーションに預けて今日も考える。
クリスマスパーティーの宣伝をしなくてはいけない。
参加者が想像していた数よりも少なかった為、今まで以上に宣伝をしなくては。
クリスマスまであと十三日。
とにかく宣伝をしなくては。
その為にはどうすれば良いだろうか。
クリスマスパーティーの宣伝チラシを作り、病室を回る時に渡したりするのはどうだろうか。
チラシを配っていけば宣伝効果も大幅に上がるだろう。
宣伝チラシを思い付き、帰ってすぐに作ろうと思う。
このクリスマスパーティーだけは絶対に成功させたい。
宣伝の為に他には何をすれば良いだろうか。
色々と考えながら歩いていると、不意に声を掛けられた。
「やぁ、翼君」
考えるのを少しやめて振り返る。
とりあえず宣伝について考えるのは帰ってからだ。
声を掛けて来た人物を見つめ、その人物の名を口にする。
「藤森先生」
「クリスマスパーティーの方はどう?」
「参加者が思っていたよりも少なくて困っていた所です。なので今日帰ってから宣伝チラシを作ります」
「熱心だね、翼君も。僕達も宣伝するの手伝うよ」
「ありがとうございます」
「それで、あれなんだけど……。翼君、小児科病棟の202号室の患者さん、知ってる?」
「柳葉李哉さん、ですか? 俺と同い年の」
「……やっぱり、知ってるよね」
「あの患者さんがどうかしましたか?」
藤森先生は少しだけ悲しげな表情をしてみせた。
どうしたのかと思いながらも藤森先生の言葉を待つ。
「翼君にお願いがあるんだけど……。李哉君がもしも目を覚ましたら気に掛けてあげてくれないかな?」
「……俺が同い年だからですか?」
「それもあるけど……。あの子、両親が一度も面会に来てないんだ。入院してから一度もね。何か家庭の事情があるのかもしれないから。不安だと思うんだ」
「……わかりました」
「僕も気になってはいるんだ。一応担当医だし。それに、いつも面会に来るのはおばあさんだから」
「そうですか」
あの患者が目を覚ました場合、運が良ければ身体に麻痺が残るだろう。
もしかすれば、麻痺で喋れないかもしれない。
そうなった場合、毎日あの患者の元へ足を運ばなければいけないだろう。
その場合、自分には何が出来るだろうか。
少しだけそんな事を考えていた。
その時だった。
慌ただしくこちらへ走って来るナースの足音が耳に届いた。
藤森先生を呼びに来たのだろう。
翼がそう思っていると案の定ナースが藤森先生を呼んだ。
「藤森先生!!」
ナースが藤森先生の名を口にした瞬間。
藤森先生は顔から表情を消し去り、真剣な顔付きへと瞬時に変わる。
ナースの様子から、只事ではない事がすぐにわかる。
「どうかしました?」
「小児科病棟の202号室の患者さんが目を覚ましました!」
202号室。
今、先程まで話をしていたあの患者の病室だ。
聞いた瞬間にわかり、藤森先生がナースに聞く。
「容態は?」
「まだわかりません。ですが、自分の事もわからないと答えたそうです」
「とにかく病室へ!」
そう言うと藤森先生はあの患者の病室へと向かって走り出した。
そんな藤森先生に釣られて翼も走り出していた。
あの患者が目を覚ました。
自分の事がわからない。
答えられたという事は、麻痺は残っていないのだろうか。
それとも部分的に麻痺が残っているのだろうか。
植物状態になる事だけはなんとか避けられたようだが。
麻痺が半身に残っている場合、植物状態と同じような日々が待っている。
頭の片隅でそんな事を考え、柳葉李哉の病室前まで来て足を止めた。
――自分はただの子供だ。
更には縁もゆかりもない赤の他人の間に割って入り、患者の状況を知る。
それは許されない事だ。
そう思い直し、翼は病室へは入らなかった。
入らない代わりに病室の前で耳を澄ませる。
本当はこれもいけないのだろうが。
どうしても、この病室の患者の事が気になっていた。
耳を澄ませると藤森先生の声が聞こえて来る。
診察する声が聞こえ、やがて藤森先生が診断結果を告げる。
『李哉君、君は――逆行性健忘と診断します』
逆行性健忘。
藤森先生の言葉を聞いて驚く。
自分の事がわからないと言ったのは、混乱していて答えたものだと思っていたが。
まさか、記憶がないとは。
藤森先生の言葉を聞く限りでは、麻痺は右手だけのようで。
右手の麻痺は軽いもので、しばらくすれば消えるとの事。
どうやら柳葉李哉は幸運の持ち主らしい。
植物状態になる事はなく。
麻痺が残るとしてもすぐに消える程度の軽度なもの。
けれど、その代償は記憶だった。
翼は少し柳葉李哉の立場になって考えてみる。
目を覚ませば自分が何処に居るのかわからない。
自分が誰なのかもわからない。
更には左足に激痛が伴うのであろう。
激痛が何処まで酷いものなのかは想像出来ないが。
恐らくは辛く苦しいものであろう。
翼の想像を遥かに超えるような、絶望的な状況なのだろう。
『でも、何かの拍子で記憶が戻ってパニックになると思うから、退院するまではその事故について考える事も、思い出す事もしないように。今はその足を治す事だけを考えよう』
そんな藤森先生の声と共に椅子から立ち上がる音が耳に届く。
藤森先生が病室から出て来る。
慌てて翼は病室の扉から数歩後ろへと後退った。
すると、丁度藤森先生が扉を開けて出て来た。
扉を開けた瞬間、目の前に翼が居たので藤森先生は少し驚いた表情をして見せた。
だが、翼は藤森先生よりも病室に居る患者――
柳葉李哉の方を見ていた。
向こうも同じように翼を見つめていた為、目が合った。
やはり、至って普通そうな顔立ちの少年。
事故に遭う前は幸せそうにその顔で笑っていたのだろう。
けれど、その顔からは表情が消えていた。
強いて言うならば、少しだけ悲しげな表情をしていた。
今、柳葉李哉は一体何を思っているのだろうか。
これから先の事だろうか。
それならばもっと悲しげな、絶望に満ちた表情をしているであろう。
お互いに見つめ合い、翼は心の中で尋ねてみる。
〝今、何を考えてる?〟
柳葉李哉の瞳は、自分を捉えて離さない。
自分の事を考えているのだろうか。
ならば、柳葉李哉の目に自分はどう映っているのだろうか。
少しだけそれを知りたいと思った。
それから、少し思ってしまう。
――奇跡が起きた――
けれど、柳葉李哉は知らない。
これから味わうであろう地獄の日々を。
やはり、どうしても考えてしまう。
目覚めなかった方が、幸せだったのではないかと。
そして思う。
どうしてこの世界はこんなにも残酷な事ばかり与えるのだろうかと。
そんな事を考えながら柳葉李哉を見つめていた。
柳葉李哉は一体今、何を感じているのだろうか。
その瞳で、何を見つめているのだろうか。
そんな事を考えている間にも、扉は閉まっていった。
扉が二人を遮るまでの間。
お互いがお互いをずっと見つめ合っていた。
扉が閉まり、翼は考えた。
自分は柳葉李哉に、何が出来るだろうか。
家に帰り、嗄がいつものように家庭教師に来たとしても。
嗄が帰った後でも、ずっと自室で一人考えていた。
絶望の中に居る人に、一体何が出来るだろうか。
こんな自分が光を、与える事は出来るのだろうか。
「……光……」
クリスマスパーティーの宣伝チラシをパソコンで制作していた手を止め呟く。
――光――
それが一番欲しいのは恐らく翼だ。
確かにこのまま医者になる為、中学校、高校。そして大学へと進む道を誰かに止めて欲しいと思う。
救いの光が欲しいと思う。
ならば、今自分が求めるものは何?
(求めるもの――)
自分を医者の息子という器から。
この籠から解放して欲しい。
自由が、欲しい。
けれど、それは誰も与えてはくれない。
誰一人として翼を逃がしてくれようとはしない。
翼には〝逃げる〟という選択肢は最初からない。
「――――」
そこで一度、考えるのを全てやめる。
自分が欲しいものではなく、柳葉李哉が求めるものだ。
柳葉李哉として考える事にしてみた。
記憶喪失、更には左足の激痛。
記憶喪失。
それだけは体験した事がない。
経験したのならば、今こんなにも悩み苦しんではいないだろう。
不意に翼は本棚の方へと視線を投げ掛ける。
嗄から貰った本と、自分で集めた本の中に記憶喪失の話が数冊ある。
記憶喪失の知識は全て本から得たものだけだ。
基本的に翼の知識は全て本から得たものが多いのだが。
記憶喪失の人間に対して、自分は一体何が出来るだろうか。
その答えは未だ見つかっていない。
柳葉李哉と逢う前からずっとそれは考えていたのだが。
しかし、答えは見つからない。
翌日、翼は辺り一面の雪の中を歩く。
出来上がったクリスマスパーティーの宣伝チラシを手にして。
いつもより少し早めに家を出て来た。
病院へ行き、チラシをナースに渡してから学校へ向かうつもりだった。
夕方にチラシを渡すよりも朝に渡した方が宣伝効果があると思ったからだ。
病院に着き、ナースステーションにチラシを渡したのは良い。
これで本来の目的は果たせた。
だが、腕時計を目にすると時間が余ってしまっていた。
早めに学校へ行っても良いのだが、早めに行ったら行ったらで虐めを受ける。
ここはいつも通りの時間に学校へ向かうべきだ。
時間を潰そうと思った時、脳裏に柳葉李哉の事が浮かんだ。
――少しだけ、様子を見に行こう。
そう思い、翼の足は202号室へと向かった。
病室の前まで来たのは良いのだが……。
どうやら朝食の時間のようだった。
タイミングの悪い時に来てしまった。
また後日改めて病室へ来よう。
今日はいつもより遅く歩いて学校へ向かおう。
踵を返そうとした時。
病室から聞こえて来た。
『げほっ…ごほっ!』
『ちょ、ちょっと待ってて!』
そんなナースの慌てる声と慌ただしい足音が耳に届く。
ナースの邪魔にならないよう、扉から少し離れる。
扉が勢い良く開き、ナースが飛び出して来る。
翼の事など目にもくれず、ナースは廊下を走って行った。
ナースが走って行く背中を見つめ、病室の中へと目を向ける。
ベットの上に居る柳葉李哉を見つめてた。
その顔は苦痛に歪み、辛そうなのが伝わって来る。
昨日は翼に気付いてくれたのだが。
今はそんな余裕がないのだろう。
きっと、翼が思っているのよりも遥かに辛いのだろう。
それは、翼にはわからない痛み。
それでも伝わって来る。
柳葉李哉が酷い痛みに苦しみ、耐えているのだと。
――そんな彼に、何が出来る?――
扉が閉まるまでの間、翼はずっと考えていた。
それから翼が柳葉李哉の様子を見に行くと、ずっと吐いてばかりだった。
そうでない時は、ただ窓の外を見つめているだけ。
何を考えているのか読めない表情で。
死んだように、目には全く光がない。
まるで生きながら死んでいるように見えた。
藤森先生から左足の太腿を殴り付け、痣が出来ていたと聞いた。
夜中に泣き叫び、安定剤を投与したと聞いた。
そんな人に、一体何が出来るだろうか。
自分のような人間が、光を与えるような事が出来るだろうか。
あんな姿を見てしまえば、自分の方が楽に思える。
まだ、可愛い方だ。
翼は必死に考える。
自室で、本棚の前で。
記憶喪失の主人公が描かれている本を手に取って。
――どうやったら、彼等のように柳葉李哉を明るくさせる事が出来るだろうか。
改めて本を読み返しながら考える。
そこで、ある事に気が付いた。
彼等には、支えてくれる人が居た。
応援してくれる人が傍に居る事に。
〝だから僕は頑張れた。一人じゃないと思えたから〟
小説の一文を読み、一瞬思考回路が停止した。
――柳葉李哉のあの姿は、自分のようでもある?――
――柳葉李哉は独りだと思っている?――
――誰にも、頼れずに居る?――
そんな彼に、自分は手を差し伸べる事は出来るだろうか?
いや、出来るはず。
そう思った瞬間、翼は本棚から本を数冊手に取る。
それは全て、記憶喪失の主人公の物語。
手に取った本を速読で読んでいき、本を分けていく。
そして、本を一冊に絞り込んだ。
その本は、先程翼が手にしていた本だった。
自分に出来る事。
それは毎日病室へ通う事。
自分から話を振るのは苦手だが――
本の朗読は出来る。
恐らく、まだ麻痺は抜けてはいないだろう。
本を自分で読む事は出来ないだろう。
出来れば、この小説の主人公のようになって欲しいと思う。
明るく元気で、凄く前向きな人間に。
今とは全くの別人のような人間になって欲しいと思った。
そして翌日。
翼は柳葉李哉の元へと向かった。
一冊の本を手にして。
だが、今までにない程心臓が煩い。
未だに自分から相手に声を掛けるのは苦手だ。
声を掛ける時はいつも心臓が煩い。
それでも気持ちを落ち着けて声を掛けていた。
やがて、翼の足は202号室の前で止まる。
緊張で心臓が煩いが、深呼吸を一つする。
それから、少し目を閉じて心を落ち着かせた。
心を落ち着け、心の準備が出来ると目を開き――
思い切って扉をノックする。
起きていてくれたら良いと思いながら。
今日は気を失っていない事を祈って。
「はい、どうぞ…」
少し戸惑うような返事が返って来た。
柳葉李哉の声だ。
その声にまたも緊張するが、いつものように振る舞うように心掛ける。
扉を静かに開け、病室内に足を踏み入れた。
病室内へ入り、柳葉李哉に小さく会釈する。
柳葉李哉は驚いたような表情をしていたが、そんな事は気にしない。
顔を合わせるのはこれで二回目。
目を覚ましたあの日と、今日だ。
けれど、話をするのは今回が初めてだ。
柳葉李哉の前に置かれた椅子に腰を下ろす。
静かに目の前の柳葉李哉を見据えて口を開く。
「俺の名前は綾崎翼。よろしく」
緊張のせいからか、いつもの敬語が抜けてしまっている。
自分でも少しだけしまったと思った。
だが、柳葉李哉の反応は――
「あ――よ、よろしく…?」
戸惑うような、疑問系の反応。
やはり、唐突だっただろうか。
そう思いながらも静かに手にしていた本を開く。
少しだけ間を置き、口を開いた。
「未来への道標。『――目を開けるとそこは一面が白い世界だった。全ての色が白の世界。そこに僕は一人。僕以外には誰もいない。 自分が誰なのか――わからない』」
翼は小説の朗読を始めた。
それを、柳葉李哉は静かに。
黙って聞いてくれていた。
これが、柳葉李哉と綾崎翼の出逢い。
お互いの人生を変える事になる出逢い。
掛け替えのない人との出逢いだった――
~To be continued~




