青春スクエア ~綾崎翼の片思い~ 小学生編12
――知ってしまった。
〝恋〟というものを、翼は知ってしまった。
それは、自覚してはいけない感情。
知らない方が幸せだった恋。
翼の恋は普通の恋よりも苦しくて、辛い、決して叶わない片思いなのだから――
しかし、その事を翼は知る由もない。
知っていたのならば、嗄に恋をする事もなかっただろう。
〝さぁ、夢の中へ飛び込もう。
いっその事、夢の中で暮らしてしまおうか。
現実の事など忘れてしまい、夢に溺れよう――〟
夢中になって話を書いていた時。
力を込めてペンを握り、改行の為に腕を動かすと――
右肘が隣に山積みとなっていた本へと当たった。
「あ――」
次の瞬間。
山積みにされた本が翼の方へと向かって倒れて来た。
椅子から立ち上がった時に翼の背と対して変わらない本の山が。
驚きながらも反射的にシャーペンを投げ捨てて倒れて来る本を抑える。
抑えたおかげで本の山が倒れるのを免れた。
だが、そう思ったのも束の間。
両手で本の山を支え、倒れて来ないと安堵して少し後ろに下がった時。
左肘が左側に積まれていた本の山に当たり――
まるでスローモーションの映像でも見るかのように、左側の本が床へと落ちて行く。
そっちに気を取られ、左側の本を止めようとした時だった。
再び右側に積まれた本の山が再度、翼の方へ向かって倒れて来た。
そして、大惨事を迎える事となった。
幸い、翼も本にも傷はなかったのだが。
床には本が散らばり、机の上から本が雪崩を起こしている状況だ。
それを見て翼は深い溜め息を吐き出す。
流石に、もう本棚を買わなくてはいけない。
椅子から立ち上がり、散らばった本を一冊一冊拾い上げて行く。
再び本を積み上げて本の山を作り、今度は倒れないように部屋の隅へと置く。
これでもう雪崩は起こさないだろう。
部屋を片付け、それから机の上に置かれた卓上型のカレンダーを見つめる。
――あれから、嗄への想いを自覚してから一週間が経った。
それでもまだ、嗄は本棚を買いに行こうとは言い出さなかった。
まだ、バイトが忙しいのだろうか?
「――――」
近々、自分一人で買いに行こうか。
買ったものは後で家に送ってもらえば良い。
それか、ネット通販で買った方が良いのだろうか。
しかし、そのどちらも配達料が掛かる。
これはやはり、嗄と一緒に買いに言った方が賢明だろうか。
唸りながらもそんな事を考える。
だが、嗄にそんな事してもらっても良いのだろうか。
(でも、この本って全部嗄さんから貰ったものだし……)
どうしたものかと考え込む。
すると、呼び鈴の押される音が家中に響いた。
時計の針が示す時間は、午後五時五十分だ。
丁度、嗄の来る時間だ。
今日は病院へは行かず、そのまま真っ直ぐ家へと帰って来た。
ナース達から子供達の相手ばかりしてるので、家でゆっくりするようにと言われたのだ。
別に無理はしていなかったが、久々にゆっくりと話を書きたかったのでその言葉に甘える事にした。
最近あまり話を書いていなかったので書き溜めているのだ。
すぐに一階へと降りて行き、玄関の扉を開ける。
扉を開けると、門の前に居た嗄が驚いたような表情を見せた。
「今日は帰ってたんだねぇ。びっくりしちゃったぁ……」
そんな事を言いながら、嗄は門を開けて家の敷地内に入って来る。
嗄にそう言われ、初めて気が付いた。
このように玄関を開けて、家の中から嗄を出迎えるのは初めてだと。
いつもは病院帰りなので、嗄の方が先に家に来ている事の方が多い。
「今日は病院に行かなかったんです」
「どうしたの? 珍しいねぇ」
「ナースさん達に家で休むように言われました」
「そうだったんだぁ。あ、そうだぁ!」
嗄が家の中に入って来て、リビングにお茶を取りに行こうとしたらそんな声が聞こえた。
足を止めて、嗄の方を振り返って見つめる。
対する嗄は嬉しそうに微笑んで口を開いた。
「明日のバイトが休みになってねぇ、明日本棚を買いに行こうかと思うんだぁ」
嗄の表情と言葉に胸が高鳴る。
せっかくの休みを、自分の為に使ってくれる。
その事が凄く嬉しい。
「…………いいんですか?」
「うん、大丈夫だよぉ。後は翼君次第なんだけど……」
そんなの、断るわけがない。
嗄の方から言い出してくれたのだ。
それこそ願ったり叶ったりだ。
「俺の方は平気です」
「良かったぁ。じゃあ明日の十時頃に迎えに来るけど良い?」
「はい、大丈夫です」
「本当に良かったぁ。じゃあ先に部屋に行ってるねぇ」
「お茶を用意して持って行きますね」
「うん。わかったぁ」
嗄が階段を上がって行く足音が耳に届く。
リビングの扉を開け、翼は嗄の言葉を思い返す。
――嬉しくて堪らない――
思わず、表情が綻んでいた。
お茶を注ぎ、リビングから出ようとした時。
リビングの扉のガラスに自分の顔が映った。
ガラスに映った自分の顔は嬉しそうに微笑んでいる。
いつか見た悲しそうな表情とは対照的だった。
これが、恋というものなのだろうか。
そう思いながら、翼はリビングの扉を開け放った。
翌日の朝。
本日は土曜日。翼はやはり目覚まし時計が鳴るよりも早く起きた。
前回同様、早く起き過ぎてしまい全ての準備が整っている状態だ。
以前は初めての外出という事で緊張していたが――
今回は違う。
嗄への想いに気付いてしまったからだろう。
こんなにも緊張するのは。
こんなにも心臓が煩いのは。
それに、想いに気付いてから初めての共に外出だ。
(着る服は決まってる……髪は――)
鏡の前に来て、自分の姿を今一度確認する。
今日の髪型は以前に比べると完璧に決まっている。
しかも、今日は一度も髪にブラシは入れていない。
空気を読み過ぎている天然パーマだと自分で思う。
それから、腕時計で時間を確認する。
まだ八時三十五分だ。
「…………早すぎる」
我ながらそう口にする。
たかが本棚を買いに行くだけだ。
なのに、何故こんなにも気合を入れる必要が何処にある?
部屋の中を落ち着き無く歩き回りながら、自問自答を繰り返す。
すると――
足元を全く見ていなかった為、床に積み上げていた本の山を蹴ってしまった。
本の山が崩れるのを抑えようとして両手で抑え、本が倒れるのは免れた。
安堵の息を漏らし、恐る恐る倒れそうだった本の山から手を放す。
倒れないかと警戒しながら、ゆっくりと後ろへ数歩下がる。
少しずつ、少しずつ……。
その時、後ろに積み上げていた本に足が当たった。
「あ」
嫌な予感がしつつも後ろを振り返ってみると。
案の定、背後に積まれていた本が翼に向かって傾いていた。
これはもう、支えられない。
そう判断した時。
先程まで抑えていた本の山が再び倒れ始めた。
それには流石に尽くす手がなく――
再び大惨事を迎える事となった。
本に埋もれながらも、少し安心する自分が居た。
何もする事がなかったので、本を積み上げて行く為の時間が出来たからだ。
少し起き上がり、本を一冊ずつ手に取って行く。
それから、深い溜め息を吐き出す。
「……らしくないな……」
今のは、自分らしくない。
自分でもそう思うのだ。
こんな姿を嗄が見たら何と言うだろうか。
本をいつもよりゆっくりと積み上げて行き、時間を潰した。
やがて、九時五十分になり呼び鈴の音が家中に響き渡る。
翼はすぐに一階に降りて、玄関の扉を開けた。
そこには、いつもと変わらない嗄の姿が。
「おはよう、翼君」
「おはよう……ございます……」
いつもと変わらない――
だが、今日はいつもとは一つだけ違った所があった。
それは、いつもならば右肩に鞄の紐を掛けているのだが……。
今日は鞄を肩から掛けていなかった。
その事に対して違和感を感じていると。
「じゃあ、行こうか」
「あ、はい……」
嗄に促されて家から出る。
玄関の扉に鍵を掛けて嗄の方を見ると、嗄は優しく微笑んでいた。
その微笑みに、心を射抜かれてしまう。
赤くなっていく顔を隠しながら、嗄の後ろを歩く。
だが、嗄はホームセンターのある方向とは逆の方角へと向かって歩き出した。
歩みを止め、方向が違うと言おうとして口を開いた時。
嗄は翼の家の庭がある方へと入って行った。
一体どうしたのかと思っているのも束の間。
嗄の後を追って驚いた。
――完全に、ここの存在を忘れていた。
客があまり来ないこの家。
ガレージを使う事などない。
その為、ガレージの存在など完全に忘れていたのだ。
使われていないガレージには車が停車していた。
恐らく、嗄が乗って来た車だろう。
その証拠に嗄は助手席のドアを開けて、乗車するように促してくれている。
驚きながらも翼は車の中に乗り、シートベルトを締める。
嗄が助手席側のドアを閉めると、やがて嗄も運転席へと乗り込む。
シートベルトを締める嗄が嬉しそうに口を開いた。
「驚くと思ったんだぁ」
「嗄さん、免許持ってたんですか……!?」
「うん、持ってたよぉ。免許は去年取ったんだぁ」
「そうだったんですか……」
しかし、車は確かに妥当だと思う。
本棚を持って帰るのだから、車が一番良いだろう。
そんな事を考えていると嗄はハンドルを握り、車を動かし始めた。
嗄の運転する車に乗っていて気が付いた。
車に乗る事自体が、初めてだと。
――車内で嗄と二人きり――
その上に車に乗るのは初めて。
そんな二つのせいで心臓がとにかく煩い。
何か話した方が良いのかと思い、嗄の方へと視線を泳がせるが。
嗄の方は、今までに見た事のないような真面目な顔付きで運転していた。
――初めて見る、嗄の新しい一面。
こんなにも真面目な顔をした嗄は見た事がない。
思わず、嗄の横顔に見蕩れてしまう。
やはり、兄弟が芸能人なだけある容姿だ。
本当に嗄の顔は綺麗に整っている。
嗄の方ばかりを見つめ、見蕩れていると――
「実はこの車ねぇ、知り合いから借りてるんだぁ。中々車を借りられなくて今頃になっちゃったんだぁ。ごめんねぇ」
嗄はこちらを見ずにそう口にした。
緊張しながらも翼は嗄の言葉に答える。
「いえ、全然大丈夫です……」
「なら良かったぁ」
そう呟くと嗄はラジオを付けてくれた。
そのおかげで少しだけ緊張が和らいだ。
ラジオを聴きながらも、嗄はいつものように話をしてくれる。
今日はいつものように本の話ではなく、この車の持ち主の話。
その他には、バイト先での出来事等。
嗄は自分の事について、今日は話してくれた。
そのおかげで、ホームセンターに着いた頃にはすっかりと緊張は解れていた。
しかし、やはり車だったのですぐにホームセンターへと着いた。
車から降りて本棚を見に行ったのだが……。
本棚の値段を見て翼と嗄は唸っていた。
一番安くて三千九百八十円。
翼の理想とする大きさの本棚ならば七千円以上はする。
七千円以上の本棚を二つか三つ、いや四つくらいはいるあの本の量だ。
下手をしたら五つ分はあるかもしれない。
(これはちょっと、高いな……)
翼の想像では二千円代であると思っていたのだが。
どうやらその考えは甘かったようだ。
ここはリサイクルショップで買った方がもっと格安で手に入るかもしれない。
ここにある本棚より大きいのがあるかもしれない。
そう思い、嗄に声を掛ける。
「嗄さん。リサイクルショップの方に行ってみましょ――」
嗄の方を向いて翼は一瞬戸惑った。
何故なら、嗄の姿がそこにはなかったからだ。
先程までは隣に居たと言うのに。
少し慌てながら視線を巡らせていると――
嗄の姿を捉える事が出来た。
安心しながら嗄の元へと駆け寄って行き、口を開く。
「びっくりしたじゃないですか。急に居なくなって――」
「ねぇ、翼君」
「なんですか?」
「買ったら高いなら、自分で作れば良いんじゃないかなぁ?」
「何を言って――」
そこで、翼は口を閉じた。
嗄の居るこの場所は、木材売り場だった。
木の香りに包まれていた事に今気付く。
それから、嗄の見つめている木材の値段に目を向ける。
嗄の見つめる木材の値札には半額の札が貼ってあった。
千二十円が半額になると、五百十円だ。
その上、木材三つで五百十円という出血大サービス中だった。
それにこの木材ならば丈夫で、本棚を作るのに向いている。
更にはこの木材ならば出来上がっている本棚の分、この木材を買えば倍の数は本棚を作れそうだ。
「翼君はどう思う?」
どう考えても買うよりも自分で作った方が安上がりだ。
それにこの機会を逃すともう次はないだろう。
流石は嗄だと思いながらも答える。
「こっちの方が安上がりですね」
「うん。じゃあこっちで決まりだね。僕も明日の夕方までバイト入ってないから大丈夫だし。よし、そうしよう!」
明るくそう言うと嗄は――
木材を持ってレジには向かわず、また反対方向へと向かって歩き出した。
木材を買うのではないのだろうか?
疑問に思い、嗄の後を追いながら嗄に聞く。
「あの……木材を買うんじゃないんですか……?」
「買うよ? でも釘とか買った方が良いと思って。ん~……でもどっちの方が良いかなぁ。釘よりもネジの方が丈夫かなぁ…。本棚を作るんだからネジの方が良いよねぇ」
そう呟くと嗄はネジ売り場の方へと足を向けた。
――こういう事に関して翼は全くの無知だ。
釘と鋸と金槌さえあれば出来るのではないだろうか。
それぐらいにしか考えていない。
しかし、嗄の考えは違っていた。
紙やすりを数枚買い、ネジを手に取り。
そして最後に木材を買ったのだ。
買ったのは良いのだが――
買った木材は車の中に入るだろうか。
翼の身長を超える長さだ。
そんな事を心配しながら嗄が買った木材を車に入れる姿を見つめていた。
後部座席を倒し、嗄は木材を真っ直ぐ入れたのだが。入らない。
ギリギリ後ろのドアが閉まらない。
一体どうするのかと思っている翼などは余所に。
嗄は涼しい顔で、鼻歌交じりに木材を真っ直ぐではなく斜めにして入れた。
残りの木材も最初に入れた木材とは反対にして斜めに入れ、クロスするようにして車の中へ。
そうすると嗄はまるで何事もなかったかのように後ろのドアを閉めた。
先程とは違い、すんなりとドアは閉まった。
やはり、流石は嗄だ。
ドアを閉め、納得したように少し頷くと嗄は助手席側へ回ってドアを開けてくれた。
翼に乗車するように促してくれたのだ。
翼は慌てて車に乗り込み、シートベルトを締めると嗄も運転席へ乗り込む。
今度はシートベルトを締める嗄に翼が言う。
「嗄さんって、すごいですね…」
「そんな事ないよぉ」
笑いながらそう言うと、翼がちゃんとシートベルトを締めたのを確認すると車を走らせる。
そんな嗄の横顔を見つめながら、改めて嗄に惚れ直す。
惚れ直してから、自分と嗄は人間としての質が違うのだと気が付く。
嗄は日本一学力の高い中学校、高校。そして大学に居た。
大学自体には行かなかったが、日本一の試験を一位で受かった。
「――――」
嗄への想いに気付いた時、嗄の事をもっと知りたくてネットで調べた。
有名な大学に入試一位で受かりながらも通わなかった。
そんな人が居れば、大学内で噂になりネットで調べればすぐに出て来るだろう。
そう思い調べてみると、案の定すぐに出て来た。
しかし、それは想像を絶するものだった。
嗄は小学生の頃から取れる賞を取れるだけ手にしていたのだ。
小学生、中学生、高校と。
今までに多くの賞を手にしている。
嗄は以前、自分は一般人だと口にしていた。
だが、それは違っていた。
嗄も十分、有名人だったのだ。
決して表に出て、明るいスポットライトが当たる事はないが。
影では、知る人ぞ知る有名人だった。
隠された有名人だったのだ。
(……釣り合わないな……)
その時に思った事を改めて思う。
嗄は天才だ。
隠された、天才。
それに比べて自分は――
「ごめん、少し待っててねぇ。必要な物を持って来るからぁ」
そんな嗄の声が聞こえた。
嗄の声で我に返り、嗄の方を見る。
嗄は翼の返事も待たずにシートベルトを外し、車から降りて行ってしまった。
ここは何処だろうかと、周りの景色を見渡す。
レストランの駐車場に車を停め、嗄は何処かへ行ってしまった。
しかし、駐車場には翼の乗っている車しか停まっていない。
どうしてなのかと思っていると、どうやらレストランは定休日の様子だった。
しばらくすると、嗄が道具箱を手にして戻って来た。
そして、翼の家へと向かったのだった。
家に着くと、嗄は車の中から木材を取り出して庭へと運ぶ。
全ての木材を運び終えると、嗄は口を開いた。
「じゃあ、これから僕が木を切っていくから翼君は切った木を紙やすりで研いでいってね」
「良いですけど……紙やすりって何の為に?」
「買ったままの木じゃささくれとかあって危ないからねぇ。紙やすりでそのささくれを綺麗にしてツルツルにするんだ。そうすると危なくないんだよぉ」
「へぇ……」
「じゃあ、大丈夫?」
「はい」
翼は答えると、嗄は先程持って来た電気鋸をコンセントに差し込み。
買って来た木を台にし、切る分の木は宙に浮かせるようにして準備は万端の様子だ。
更には、嗄の服装は腕を捲り両手には軍手。
頭にはバスタオルを巻いており、前髪が降りて来ないようにしていた。
――完全武装だ。
だが、翼が紙やすりを買って来た袋から取り出している時に嗄の小さな呟きが聞こえた。
「ちょっと、盲点だったかなぁ……」
「どうかしました?」
「いや、多分大丈夫だとは思うけどねぇ。ちょぉっと近所迷惑になるかもしれないからこっちは手短にやるね」
嗄がそう言った刹那。
電気鋸のスイッチを入れた嗄は鋸の刃を木に当てる。
その瞬間、ギュイイイイイイイイイイインと木を切っていく凄まじい音が翼を襲った。
初めて聞く電気鋸の音。
思わず両耳を塞いでしまった。
――これは、確かに近所から苦情が出るかもしれない。
そんな事を考えている間にも、すぐに電気鋸が木を切る音は終わった。
驚きながらも嗄の方を見てみると、もう全ての木を切り終えた後だった。
三分くらいしか電気鋸を使っていなかったのだが――
やはり、流石嗄だ。
電気鋸を片付けながら嗄は言う。
「じゃあ、紙やすりで研いでいこうかぁ」
「はい……」
その後は嗄と共に紙やすりで切っていった木材を研いでいった。
いつものように本の内容について話しながら。
休憩も挟みながら。
午後から切った本棚を組み立てる事になっていた。
今度は電気ドリルを手に取り、嗄は板にネジを埋め込んで行く。
ネジで木と木を繋ぐ音は、先程よりは静かだった。
いや、電気鋸と比べる事自体が可笑しいのだが。
時に、嗄からネジを打ち込むのを一緒にやらないかと言われ、教えてもらったりしたのだが。
意外と電気ドリルが重く、思うようにネジを入れる事が出来なかった。
それを見た嗄が優しく翼の背後に立ち。
「大丈夫、僕が支えててあげるから。教えたようにやってみて」
そう、耳元で囁いた。
その上に後ろから包み込むようにして、電気ドリルと板を抑えてくれる。
自分とは比べものにならない程に、力強い手。
嗄の事を意識した瞬間、心臓が煩く跳ねる。
必死に嗄に気付かれないように作業を進めた。
そのようにして、時折り嗄の手伝いもして本棚は完成した。
完成した本棚の数は六つ。
翼の予想していた数よりも一つ多かった。
完成したのは良いのだが――
問題は、これだけの本棚が翼の部屋に収まるかどうかだ。
本棚が完成すると、嗄は電気ドリルやネジ等を片付ける。
そして持って来た道具箱を車へ乗せて来ると、今度は本棚を担いで二階の翼の部屋まで持って行く。
全ての本棚を担いで部屋に向かった嗄を見届けてから翼も自室へ足を踏み入れる。
一体、本棚をどうやって置いたのだろうか。
しかし、部屋に入った瞬間その心配は消えた。
一つは勉強机の左側の空いたスペースに置き。
もう一つも勉強机の右側の空いたスペースに。
残り二つはベットの左側に本棚を置けるスペースがあったのでそこに置いてくれていた。
それも本棚を二つ積み上げて。
最後に残った本棚は前から置いてあった本棚の横へ。
翼の部屋に出来上がった本棚達が綺麗に収納されていた。
出来上がったばかりの本棚が部屋に運ばれた瞬間、部屋に新しい木の香りが広がった。
「よし、これで終わりだねぇ。後は本を入れていくだけ」
「はい」
嗄は本棚を全て運び終えると座り込んで休む。
流石にあれほど動いたのだから疲れないはずがない。
そんな嗄を横目で見ながら作ってもらった本棚に本を詰めていく。
紙やすりで研いだおかげで表面が滑らかで手触りも良い。
ずっと山積みにされていた本は全て本棚へと収まり、部屋も随分広くなったように感じられた。
本の入った本棚を二人で見つめ、今度は本の話をする。
こういう時でも、やはりいつもと変わらない。
変わらないが――
こうやっていつもより近くに居れば普段は見られない嗄が見れる。
――もっと、色んな嗄さんの姿が見たい――
そう思うのは、いけない事なのだろうか。
(……もっと、嗄さんと近付きたい……)
しかし、近付くと言ってもこれ以上に近付きようもない。
嗄と翼の関係はただの家庭教師と生徒だ。
これ以上もそれ以下もない関係。
そんな事を思っている内にも。
「あ、もうこんな時間だねぇ」
「え? あ――」
時計を見てみると、もう六時を回っていた。
大抵、勉強をする事以外だとこの時間になれば嗄は帰ってしまう。
――帰って欲しくない。
心の中でだけ、そんな我が儘を呟いてみる。
「ん~……そうだねぇ……」
嗄の呟き声が聞こえた。
別れの言葉を、その口から聞きたくない。
いっその事、時間なんて止まってしまえば良いのにと強く願う。
そうすれば、ずっと嗄と一緒に居られるのに。
「――今日、泊まっても良い?」
「へ?」
想像もしていなかった嗄の言葉に思わずなんとも間抜けな声を出してしまった。
(今、嗄さん……なんて言った――?)
聞き間違いをしていなければ、泊まっても良いかと聞こえた。
だが、翼は自分の耳を疑う。
帰って欲しくないと思っていた。だから聞こえた幻聴だと。
嗄がそんな事を言い出すはずがないと――
しかし、嗄の一言で全ての考えが覆された。
「いや、本当はねぇ。もっと仕上がるのが遅いと思ってたんだぁ。その時はその時で泊めてもらおうと思ってたから、結局は泊めてもらうつもりだったんだぁ」
「――――」
そんなの、願ったり叶ったりだ。
それに嗄の方からそう言われたら断る事なんて出来ない。
出来ない以前にしないが……。
「泊まっても良い…?」
「……はい。大丈夫です。部屋なら幾らでもありますから」
「良かったぁ。あ、じゃあ夕食作って来るねぇ」
それだけ言い残すと、嗄は一階へと降りて行った。
……これは、夢なのだろうか。
こんな事、あっても良いのだろうか。
少しだけ目の前の光景が夢じゃないかと不安になり、頬を抓ってみる。
「……痛い」
つまり、夢ではないと言う事だ。
そう思うと急に嬉しくなり、手伝う為に翼も一階へと降りて行った。
嗄と共に作った夕食は、今までに食べた事のない程に美味しかった。
本物のシェフが作ったのではないかと思うくらいに。
嗄はレストランで働いているから上手くなったと言っていたが――
レストランと聞き、今日道具箱を取りに行った時に停車したレストランを思い出した。
恐らく、あのレストランで働いているのだろう。
(――今度、行ってみようかな……)
そんな事を考えながら嗄の作った料理を食べていた。
食事を済ませ、風呂に入り終えると今度は入れ替わりに嗄が入る。
嗄が風呂に入っている間、翼は自室に戻ってノートを開いていた。
そのノートは、嗄への想いばかりを綴っている日記。
しばらくの間ノートを見つめ、やがてペンを手に取る。
今日あった事をノートに書き記す。
〝今日は嗄さんが俺の為に本棚を作ってくれた。
嗄さんの想いが何より嬉しい――〟
〝更には泊まらせてくれと言い出したのだ〟
〝一瞬、夢なのではないかと疑ってしまった〟
〝こんなにも嬉しい事があるだろうか――〟
「こんな時間まで勉強してるんだねぇ。関心、関心」
不意に嗄の声が耳元で聞こえた。
その声に驚き、思わず身体が飛び跳ねる。
「うわああああっ!?」
恐らく、今までにこんなに驚いた事はないだろう。
驚きながらも、声の聞こえた方に目をやる。
――いつの間に出て来たのだろうか。
嗄は翼の後ろに立っていた。
慌てて時計を見てみると、あれからもう四十分も経っていた。
タイムスリップしたような気分だ。
「あっ、いや、そのっ…これは…日記……ですから……」
驚きからなのか、それとも嗄のせいか心臓がとにかく煩い。
嗄に見られまいとして、すぐにノートを閉じる。
日記を、見られていないだろうか。
しかし、開いていたページには〝好き〟や〝愛しい〟などは書いていなかった。
…………はずだ。
それでもやはり、恥ずかしい。
「あ~、日記だったんだぁ。なら声掛けてごめんねぇ」
「いえ……気にしないでください…」
そんな事を言いながら、嗄の方へと視線を向ける。
髪には雫が垂れ、綺麗に輝くそれをタオルで拭う嗄。
風呂上がりの嗄を見るのは初めてだ。
初めてで当然なのだが。
そこで、ようやくある事に気が付いた。
客が来た時用に、ちゃんとした客室はある。
そこには嗄に使ってもらおうとして綺麗に整えた布団が――
何故か、翼の部屋にある。
更にはテーブルを移動させてその布団をいそいそと敷く嗄の姿が。
「……あの、なにしてるんですか」
「え、一緒に寝るんじゃないのぉ?」
何をどう考えたら一緒に寝る事になるのだろうか。
嗄が風呂に入る前に確か、言ったはずだ。
布団を敷いて置きましたからと。
客室を教えたはずだが……。
「客室、用意したじゃないですか……」
「え…あぁ。そうだったんだ。ごめんねぇ。僕、一人で寝てたのって小学生以来でその後は寮生活とかでずっと人と一緒に寝てたからぁ。その癖かなぁ」
「寮で生活してたんですか?」
「うん、中学高校はねぇ。ルームメイトが居たから、二人で居たら一緒に寝るものだと。それに、今は一人じゃ眠れないのかも。今ね、猫を飼ってるんだぁ。その子のおかげで一人でも眠れるようになったんだけどぉ」
「……そう、なんですか」
まぁ、いいかと思いそのままにしておく。
それから、なんとなくわかるような気がした。
翼の場合、一人で眠れない事はない。
ずっと一人で眠るように育てられてきたから。
その代わり、暗闇に不安を感じた事はある。
暗闇を見つめていると色んな事を考えてしまい、自分はずっと一人なんじゃないかと。
不安に思ってしまう事がある。
それと、同じようなものだろうか。
しばらくして、電気を消すとすぐに嗄の寝息が聞こえて来る。
自分の部屋に人を入れて眠るのは初めてだったので、嗄の寝息が気になって眠れない。
一時間くらい経ち、スタンドの電気を付けてみる。
眩しくて嗄が目を覚ますかと思ったが、そうではなかった。
規則正しい寝息が耳に届く。
少しベットから降りて、寝ている嗄の顔を覗き込む。
無防備で、子供のような寝顔。
そんな嗄の顔を見るのもまた、初めてだ。
嗄の顔を見ているだけで、この胸は高鳴る。
「ん、ん~……」
嗄が寝返りを打って反対の方に向いてしまった。
そんな嗄を見ている事しか出来ない。
嗄に触れたいと思うが、顔を見ただけで心臓がこんなにも鳴っていて煩い。
触れてしまったら、どうなるのだろうか……。
「――――」
翼は静かに嗄の背を見つめる。
眠っている事を確認してから、翼はそっと呟く。
「嗄さん。好きです」
溢れそうになる想いを、そっと。
溢れ出しそうな想いを抑えて、そう告げた。
しかし、聞こえて来るのは嗄の寝息だけ。
少しだけ寂しさを感じたが、これで良かった。
翼は布団の中に入り、スタンドの電気を消す。
そして、幸せを感じながら眠りに落ちていったのだった――
~To be continued~




