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青春スクエア ~綾崎翼の片思い~ 小学生編1

少年は知らなかった。

〝病院を継ぐ〟という言葉の意味を。

幼い少年には知る由もなかった。

その言葉の真の意味など――

               序章 自由を奪われた少年



 少年の人生は、この一言から始まった。

『お前はこの病院が好きか?』

白衣を着た、少年の父親が少年にそう聞いて来た。

少年は無邪気に――

素直に、純粋に答えた。

『うん! ぼく、このびょーいんだーいすき!』

幼かった少年は、素直に答えた。

少年はこの病院の雰囲気が好きだった。

広い空間の全てが白一色で、清楚な雰囲気が好きだった。

その白い世界に溶け込んでいる、白衣を着た父親やナース服を着た母親が少年は好きだった。

この白い世界で、白い服を身に纏い。

様々な人の命を救う、そんな両親が大好きだった。

少年の父親は、少年の純粋な返事を聞くと――

少年の父親は厳しい声音で少年に言った。

『ならば。お前は将来、この病院を継ぐんだ』

幼い少年には、父親の言った言葉の意味がわからなかった。

〝病院を継ぐ〟という意味を。

だから少年は無邪気に大好きな父親に聞く。

『びょーいんをついだら、どうなるの? ずぅっとこのびょーいんにいられるの?』

父親はすぐには答えなかった。

ただ、幼い少年を見つめ――

やがて、口を開いた。

『――そうだ』

『じゃあぼく、びょーいんつぐ! ぼく、このびょーいんがだいすきだから!』

何も知らない、とても純粋だった頃の少年の記憶。

今はもう、跡形も無く消えてしまった――淡い記憶。

三歳の少年は、何も知らなかった。

何も知らずに、自分が誰よりも幸せな生活を送っていると思っていた。

いや、信じていた。

だけど、それは違っていた。

それは全て、少年の思い過ごし。

本当は幸せなどではなかった。

少年は当時。

何も知らない、ただの少年だった――




 三歳の少年は父とある約束を交わした。

それは〝病院を継ぐ〟事。

当時三歳だった少年にはその言葉の意味がわからなかった。

現在五歳になった少年の〝病院を継ぐ〟という言葉の認識は、ただ病院に居るだけで良い、監視役のようなものだと思っていた。

そう、少年は何も知らなかったのだ。

そのまま、知らなければ良かったというのに。

少年は、その言葉の意味を知ろうとしてしまったのだ。

何も知らないままの子供で居れば良かったと言うのに。

――遠くから、目覚まし時計の音が聞こえる。

少年は手を伸ばし、頭の上に置かれていた音の元凶である目覚まし時計を止める。

少年――綾崎翼は目覚まし時計を止めるとすぐに起き上がった。

起き上がるとすぐにベットの横に昨晩自分で畳んで置いた学生服に着替え始める。

誰にも着替えを手伝ってもらわず、一人で全て着替え終えた。

ボタンを掛け違える事もなく綺麗に制服を着こなせているのだが――

部屋にある姿見で見た自分の姿は、何処からどう見ても制服が大き過ぎる。

その姿はまるで、小学校一年生だ。

そう、今日は小学校の入学式の日だ。

翼は期待を胸に、ぴかぴかのランドセルを手にして学校へ持って行く物の確認をする。

小学校生活、どんなものが待っているのだろうか。

どのように楽しい生活が待っているのだろうか。

期待を膨らませながら最終確認を終え、翼はランドセルを手にして自分の部屋から出て行こうとし――

脱いだ服をそのままにしていた事を思い出して一度部屋に戻り。

脱いだ服を綺麗に畳み、再びランドセルを手にして部屋から飛び出した。

部屋から出て、短い廊下を歩き。

階段を元気良く降りて行く。

普段ならば静かに降りるのだが、今日は入学式という事ではしゃいでいたのだ。

階段を降りてリビングの扉を開けて言う。

「おはようございます!」

「おはようございます。翼様」

翼の挨拶に答えたのは台所に立っていた女性だった。

その女性は四十代ほどの女性で、とてもじゃないが翼とは全く似ていなかった。

翼は二重だが、その女性は一重。

翼は整った顔立ちをしているが、女性の鼻は低い。

翼とその女性は、何一つ似ていなかった。

親でここまで似ていない人はいないだろう。

祖母でも、似ていない事もないだろう。

まるで、別人のようだ。

それもそのはず。

「森さん、今日はぼくのにゅーがくしきだよ!」

「そうですね。行ければ行かせてもらいますね。少し予定が入っているので、それが終わってからですけど――それでもいいですか?」

「うん! きてくれるんだったらいいよ!」

この女性――森さんは翼の母親ではなく、ましてや祖母でもない。

ただの家政婦なのだから。

翼と似ているわけがないのだ。

森さんはいつも朝と夕方に来てくれ、料理を作ってくれる。

その他に、家事全般をしてくれている。

翼の母の代わりに――

「今日、おとうさんとおかあさんきてくれるかな?」

「お二人とも、忙しい様子ですからねぇ……。もしかしたら、お休みの時間に来てくれるかもしれませんよ?」

「そうだったらいいな」

翼はそう呟きながら食台の決められた自分の椅子に座る。

そして、本来なら父が座る椅子を見つめる。

その次に、本来なら母が座る椅子を見つめる。

――この家には、翼の両親は居ない。

その代わりに家政婦の森さんが居てくれる。

翼の父親は、病院の院長。

翼の母親は、病院の総師長。

両親は病院で働いており、家に帰って来る事など全くと言って良いほどにない。

家には一年に一度か二度ほどしか帰って来ないのだ。

それも翼の誕生日でも、クリスマスでも、年越しでもないごく普通な平日の日。

しかも翼が寝ている時間に帰り、翼が起きる頃にはもう家から出ているのだ。

なので、帰って来ている時にたまたまトイレに起きて逢うぐらいで。

逢えるのは、運が良い時だけなのだ。

そのような生活をしており、翼はもう少しで両親の顔を忘れそうになっていた。

更には、幼稚園の卒業式にも顔を見ていないのだ。

幼稚園の卒業式は森さんだけしか、来てくれなかった。

祖母も祖父も、来てくれなかった。

それでも翼は文句を言わなかった。

来ないのは、忙しいからだと理解していたからだ。

だが、もう一年半以上両親とは顔を逢わせていない。

そしてこの生活は、翼が物心付いた頃には既にこの生活だった。

なので何も知らない少年は知る由も無い。

これが普通ではない生活だとは、わからなかったのだ。

今日までは――

翼は朝食を食べ終わると、ランドセルを背負って玄関へと向かい。

靴を履いてから見送ってくれる森さんに言う。

「よていがおわったら、ぜったいにきてね。まってるから!」

「はい、わかりました」

森さんは微笑んで答えてくれて。

翼は手を振ってから外に飛び出す。

暖かい春の風に包まれながら、翼は学校へと向かう。

そこで、ある事に気付いた。

学校へと向かっていると、周りには自分と同じく入学式に出る子供達が両親と一緒に学校へと向かっている事に。

それも、見渡せば周りにいる子供達全員にみんな両親が傍に居る。

そこで翼は不思議に思った。

(どうしてみんなには、おとうさんやおかあさんがいるの……?)

見れば見るほど、学校へ近付けば近付くほどに。

親子連れの姿が多くなる。

自分のように、両親の居ない子供を捜す方が難しかった。

両親の傍に居て楽しそうに笑う子供を見て、少し感じた。

自分だけ――

翼一人だけがこの世界に取り残されたような感覚が。

どうしてそう思うのか、わからない。

でもみんなと違う事はわかっている。

自分の隣には、両親が居ない事。

みんなのように、手を繋いで一緒に学校に向かって居る訳じゃない事。

(――ぼくのおとうさんとおかあさんは、いそがしいからこれないんだ)

それだけだ。

みんなと違うのは、そこだと翼は思う。

きっとここにいる子供達の両親はみんな、暇だから来て居るのだと。

そう思いながら学校へ行くのだが――

両親と居て笑って居る子供達を見ると、胸に何か冷たいものを感じた。

それが一体何なのか、翼にはわからなかった。

学校へと着き、正門を抜けて下駄箱へ行く。

下駄箱の所にクラス分けの紙が張られており、翼は森さんに言われたように自分の名前を探す。

自分の名前を見つければ、自分の名前のあったクラスの下駄箱へ行き。

自分の名前のあったクラスへ行くと。

森さんの言葉を思い出しながら、翼は自分の名前を探す。

すると、一組の一番目に自分の名前があった。

翼は自分の名前のあった一組の下駄箱に向かい、そこで自分の名前の書かれてある下駄箱に靴を入れて上履きに履き替えていると――

「一組の生徒さん?」

上級生の女の子が翼に声を掛けて来た。

翼は驚きながらも上履きに履き替えて答える。

「はい」

「じゃあ君はこっちだね。付いて来て」

そう言うと上級生は廊下を歩き出した。

翼もその後を付いて行く。

学校の広い廊下を翼は見渡しながら歩く。

今までは幼稚園の小さな廊下を見ていたので少し新鮮だったが。

やはり父と母が働いている病院の廊下に比べれば、まだ小さかった。

なので周りの同級生と比べれば、あまり周りを見る事はしなかった。

そして一年一組に着き、自分の席へと上級生に案内されて。

机の上に置かれていた紙で作られた赤い薔薇のネームを胸に付けてもらった。

恐らく、上級生が作ってくれたのだろう。

「入学おめでとう。綾崎翼君」

そう言って上級生は笑った。

その言葉に翼は頭を下げてから。

「ありがとうございます。おねえさん」

ちゃんとお礼を言った。

すると上級生は少し驚いていたが、やがて笑って手を振ってから行ってしまった。

上級生が行ってしまうと、翼は自分の席に座る。

黒板にはひらがなで。

〝みんなにゅうがくおめでとう! せんせいがくるまでおとなしくしていましょう〟と書かれていた。

翼は黒板に書かれているように、大人しく待っていると――

「めぐみ! おなじクラスになったんだ!」

声を掛けられて、翼は声のした方に視線を向けると。

そこには幼稚園で仲の良かった友達が居た。

「ジョージ! そうだったんだ!」

一人でも知って居る人が居て、少し安心した。

誰も知らない中で一人というものは、辛かったのだ。

翼は先生が来るまでジョージと話しており。

先生が来るとすぐに出席番号順に廊下に並ぶ事になった。

廊下に並ぶとしばらくして体育館へと移動する事になったのだが。

体育館の目と鼻の先で新入生紹介の番が来るまで待機する事になった。

体育館の前には多くの両親がおり、我が子の晴れ姿を写真で取っていたりした。

そこで翼は自分の両親が居ないかと周りを見渡してみたが――

やはり両親の姿はなかった。

せめて森さんの姿がないかと探してみたのだが。

やはり、森さんの姿も無かった。

周りを見てみると、両親の姿を見つけた子供達が嬉しそうに手を振っている姿が見えた。

何処を見ても、自分のような子供は居なかった。

そんな周りを見て、自分が他の人とは違う事は痛いほどわかった。

それでも幼い少年は、自分は幸せな生活をしているのだと思い込んでいた。




 一体、いつから自分の家庭が普通じゃないのか。

幼い少年にわかるわけがない。

物心付いた時には既に、このような家庭なのだから。

朝起きて、リビングで朝食の用意をしてくれるのが母親ではなく。

赤の他人である家政婦だと言うのが、少年にとっては当然の事だった。

これが普通だと思い込んでいるのだ。

これが、幸せだと少年は信じているのだ。

翼は森さんが用意してくれた朝食を食べ、ランドセルを背負って玄関へと向かう。

その後を森さんが追って来て、見送ってくれる。

そんな森さんに手を振って、家から出る。

今日は、入学式の時のように両親と一緒に居る子供はいなかった。

それに気付くと、翼はみんな自分と同じに戻ったのだと安心する。

入学式の日が、みんな異常だと思ったのだ。

自分の家庭が異常だという事には気付かずに。

学校へ行き、ジョージと担任が来るまで話をする。

それが、翼の新しい生活。

だが、そんな翼の生活を更に変える出来事が起きた。

それは、至って当たり前の事だった。

翼のクラス全員にあった事だ。

担任が教室に来て、言った一言が――

後に翼に背負っているものを自覚させる言葉だった。

「さぁ、みなさん。今日は図書室に行ってみましょう」

「としょしつ~?」

「そこにはたくさんの本があるの。今からみんなでそこへ行きましょう」

担任はそう言うと、クラス全員を廊下へ並ぶように促す。

全員が廊下に並ぶと、担任が先頭を歩き出す。

出席番号順に並ぶと翼は一番前だった。

担任は図書室へ行く道すがら、学校案内をしてくれる。

翼もみんなと同じように興味を持っていたりした。

理科室の人体模型等に。

音楽室の楽器や、図書室へ行く間に色んなものを見た。

後ろにいる男子と、楽しく話したりもしていた。

さっきのはすごい、さっきのは怖い等。

そして、図書室へ着く。

図書室に着いた瞬間、翼は言葉を失ってしまった。

他のクラスメイト達は驚いた声を上げたりしているのだが。

翼は、少し衝撃を受けた。

自分の周りには、本がある。

初めて、こんなにも多くの本を目にした。

本の匂いが図書室にはしており、その匂いがなんだか落ち着く。

翼は学校の中で図書室が一番気に入った。

「みんな、ここが図書室よ。ここでは静かにしないといけないけど、たくさんの本が読めるの。それに借りる事も出来るの。だから、みんなたくさんの本を読んでね」

担任の言葉を聞いて、みんなが一斉に本棚へと移動する。

各自、自分の興味のある本を手に取ってはその場で読んだり。

女子は椅子に座って本を読んだりしている。

翼も皆と同じように興味のある本を手に取る。

みんなが手にしてるような、絵本を手に取って読む。

翼は本から視線を外し、図書室を見渡す。

何処を見ても本ばかりがあり。

翼は思う。

この図書室の本を、全てを読んでみたいと。

担任もたくさんの本を読んでと言ったので、図書室の本を全部読む事に挑戦する事にしたのだ。

とりあえず、図書室を出る時に本を借りる人は借りていたので。

翼は十冊ほど絵本を手にして、本を借りてから図書室から出た。

「あやさきくん、そんなにほんをかりるの?」

「うん。としょしつのほん、ぜんぶよもうと思って」

「へぇ、偉いね綾崎君。図書館の本、制覇するんだ」

「せんせぇ、どれくらいでぜんぶよめる?」

「そうだねぇ。みんな五年生か六年生かな。早くて四年生の終わり頃とかだね」

「じゃあぼく、やってみる」

翼は、無邪気に微笑んでそう言った。

これが、綾崎翼が本と出逢った時の事。

しかし翼は半日で借りた本を全部読んでしまった。

休み時間の間に絵本を全部読み終えてしまい――

放課後にはまた本を借りていた。

残っていた絵本、二十冊ほどを借りたのだ。

それを読み終われば、絵本は読破する事になる。

翼は大量の本を自分の持っていた手提げに入れて家へと急いだ。

早く、帰って本を読みたい。

気付いたら翼は走って家に帰っており、家に着いた頃にはすっかり息が荒くなっていた。

翼が家に戻るとすぐに森さんが玄関に来て出迎えてくれるのだが。

森さんは翼の顔を見て驚いた。

「どうしたんですか!? そんなに息を荒くして――誰かに追われたのですか!?」

動揺しながら、森さんはそう言っていたのだが。

翼は息を整えながら答える。

「ちがうよ……。今日としょしつでほんをかりてきて、早くよみたかったからはしってかえってきたんだ」

「そうだったんですか……」

森さんが安堵の息を漏らしながら、そう呟く。

翼は息を整えて、靴を脱いでから洗面所へと向かう。

手洗いうがいを済ませてから、自分の部屋へと足を向けた。

部屋に戻る途中で翼は足を止め。

本の入っていた手提げは廊下の一番下に置いてから自分の部屋へと戻った。

部屋に戻って翼は制服から私服に着替える。

脱いだ制服をちゃんとハンガーに掛け、着ていたポロシャツは洗濯するので手にしてリビングへと行く。

洗面所の前に来ると翼は着ていたポロシャツを洗濯機の中に放り込んだ。

それから廊下で手提げを手にして、そのままリビングの扉を開ける。

食台のいつも翼の座る席に座り、手提げの中の本を広げて読み始める。

その姿を見た森さんが夕食を作りながら翼に声を掛ける。

「そんなに本を借りて来たんですか?」

「うん、としょしつのほんぜんぶよんでみようかと思って」

「本の読むのは良い事ですよ。本を読めば、色んな事を知る事が出来ますから。たくさんの本を読むと、その分知識を手に入れる事が出来ますよ」

「そっか……。じゃあぼく、たくさんのほんをよむ! でもこれをぜんぶよみおえたらえほんはぜんぶよんだ事になるんだよ」

「次は、何をお読みになるんですか?」

「マンガかな。そのつぎはしょーせつよむ」

「図書室の本、読破頑張ってくださいね」

「うん!」

そして、その日翼は絵本を全て読み終えてしまったのだ。

翌日、学校へ行って翼は休み時間にすぐまた図書室へと向かった。

昨日読んだ本を返して、今度は漫画を二十冊ほど借りる。

漫画本は絵本とは違い、二十冊あるだけで重みが全く違う。

翼の持っていた手提げだけでは入らず。

特別に図書室に居た先生が手提げを貸してくれた。

手提げを貸してもらって、翼は放課後に持って帰れるかと不安に思った。

とりあえず、帰りに少しは荷物を軽くしたいと思いながら翼は教室に戻った。

休み時間に借りて来た漫画を読み始めるのだが――

すぐにページを捲る手が止まってしまう。

翼はその字を見つめながら、考える。

(このじ、なんてよむんだろう……?)

首を傾げてみたり、必死に考えてみる。

だが、どうしても読めない。

そこで、担任が教室に入って来たので翼は担任の元へ行く。

「せんせぇ、このじなんてよむの?」

そう言って、翼は漫画に書かれている字を見せて聞く。

担任はそれを見て、優しく答えてくれる。

「これはね、〝どうよう〟って読むんだよ。でも翼君、いきなりルビの振っていない漫画を読むのは難しいんじゃないかな。字の横にひらがなが書いてある漫画から読んでみたらいいんじゃないかな?」

確かに、今の自分ではまだこの本は読めないと感じた。

担任にそう言われ、翼はすぐにルビの振ってある漫画を読み始める。

しかし、漢字の横にルビが振ってあって読めるのは読めるのだが。

その言葉の意味がわからない。

それでも翼は読み進めた。

そうやって読み進め、帰る頃には十冊ほどまで減っていた。

図書室に本と、図書室に居た先生から借りていた手提げを返した。

そして、本を読んでいて読めなかったり意味がわからなかった所を聞こうとした。

「せんせぇ、ほんをよんでいてわからなかったことばや、じがあったんですけど……」

「翼君、熱心に読んでるね。じゃあそんな翼君に良い事を教えてあげようか。人にそうやって聞くのも大事だけど、自分で調べる事も必要だよ」

「しらべる……?」

「お家に帰ったらお家の人に〝辞書は何処にある?〟って聞いてみたらいいよ。そこに翼君の知りたい漢字や言葉があるから」

「じゃあ、そうする。せんせぇ、おしえてくれてありがとう」

図書室の先生にそう言うと、翼は図書室から出て行った。

帰りが楽になり、翼は昨日のように急ぎ足で家へと戻った。

そして家に戻って制服から私服に着替えてから翼は森さんに聞く。

「森さん、〝じしょってどこにあるの?〟」

「どうしたんですか? 翼様。辞書なんて言い出して――」

「今日からマンガをよみはじめたんだけど、わからないことばやじがでてきて。せんせぇにきくとじしょをみたらわかるっていってたから」

「そうですか。では少し待っていてくださいね」

そう言うと、森さんは分厚い本を二冊持って来た。

翼は辞書の分厚さに、一瞬驚いた。

森さんは作業を一時やめて、翼に辞書の引き方を教えてくれる。

「まず、こちらが国語辞典ですね」

「じしょじゃ、ないの?」

「正確には国語辞典と言うんですよ。みなさん辞書と言いますけどね」

「そうなんだ……」

そう言うと森さんは国語辞典を翼の右手側に置いた。

そして、漢和辞典を翼の左手側に置いて口を開く。

「こちらは、漢和辞典です」

「どうちがうの?」

「国語辞典は、調べたい言葉があいうえお順に並べてありまして。様々な言葉があります。それに比べて漢和辞典は、漢字ばかりが載っているのです。調べ方は――」

森さんは、実際に辞書を手に取って辞書の引き方を教えてくれる。

翼はそれを真剣に聞いて、覚える。

やり方がわかると、今度は実際に辞書を引いて言葉を調べてみる。

辞書を捲っているだけで、様々な言葉が出て来る。

自分の知らなかった言葉ばかりがあり、翼はすぐに辞書に興味を持った。

それに、昨日森さんの言っていた通りに本を読むだけで知識を手に入れる事が出来る。

いつも使う言葉に漢字があったのだと、知る事が出来た。

そうやって翼は、辞書を引く事を覚えた。

次に、辞書を引きながら漫画を読み始めた。

そして――

少しずつ、気付き始めた。

絵本や漫画の中で、主人公が家族みんなで食事をする場面があった。

その場面を見て、自分はそうでない事に気付く。

どうして、家族みんなで食事をするのかがわからなかった。

その理由がわからなかった。

でも、森さんとは一緒に食事をしたりしなかったりする。

翼は、一度も家族三人で食事を摂った事がなかった。

なので、翼はまたも思った。

この話の中の主人公の両親も余程暇なのだと。

幼い少年は、そう思うしかなかったのだ。

 それからの翼は。

翌日から下校時間になるまでずっと図書室で本を読む事にしたのだ。

そうやって本を読み進めていた。

だが、翼は四日で漫画を全て読み終えてしまった。

今はもう小説を読み始めていた。

辞書を引きながらでも。

そんなある日。

テストの日がやって来た。

翼は今まで普通に勉強していたように、テストを受けた。

そして帰って来た点数は――

翼の平均点は七十二点だった。

最高点で八十点。

翼にとって、それが良い点のか悪い点なのかわからなかった。

周りを見てみると、百点を取って喜んでいるクラスメイトや。

翼より低い点を取って担任にもう少し頑張りましょうと言われているクラスメイトも居る。

何も言われない自分の点は、普通なのだろうか。

翼はそう思いながらも、放課後は図書室へと向かった。

下校時間になるまで図書室でいつも、翼は本を読む。

図書室のグランド側の窓から二番目。

そこがいつも翼の特等席だ。

窓の前に置かれている椅子に腰を降ろし、本を開く。

この場所には人が来ない。

別にグラウンドの声がうるさいわけではなく。

この辺りには六年生でも見ないような難しい本しか置かれていないのだ。

なのでこの辺りに来る人は翼のように図書室の本を全て読破しようとしている人くらいだ。

その場所を翼は気に入っている。

翼だけの特等席で今日も本を読むのだが――

今日はページを捲る手が止まってばかりだ。

やはり、テストの点について気になっていたのだ。

翼の取った点は良い点なのか。

それとも悪い点なのか。

翼にはそれがわからない。

そして、気が付くと下校時間になっていた。

下校時間になり、翼の足は自然と家へと向かう。

このテストの点を見せたら、森さんはなんて言うだろうか?

怒るだろうか。

それとも褒めてくれるだろうか。

それがわからない。

そんな事を考えている内に家に着いた。

玄関の扉を開けると、リビングの方から水の音が聞こえて来た。

どうやら森さんは洗い物をしているようで、翼には気付いていない様子だった。

翼はすぐに洗面所へ行き、手洗いうがいをする。

それから、その日だけはそのまま自分の部屋へと上がって行った。

制服を脱ぎ、私服へと着替える。

制服を綺麗に畳み、ランドセルを見つめる。

少ししてランドセルからテストを取り出す。

返って来たテストをしばらく見つめ――

テストを手にしたまま階段を降りて、リビングへと向かった。

リビングへと行くと、森さんが少し驚きながら翼を見て口を開いた。

「おかえりなさい、翼様。洗い物をしていて気付きませんでした」

「うん、ただいま。あのね……」

「はい、なんでしょう?」

森さんは微笑んで聞いて来る。

翼は少しテストを差し出すのに躊躇った。

もしも、怒られたら――

そう思って、躊躇しているのだ。

だが、渡してみないと森さんの反応はわからない。

躊躇いながらも。

翼は森さんに今日帰って来たテストを差し出して口を開く。

「今日、テストかえってきたんだ……」

「見てもいいですか?」

「……うん」

翼が小さく頷くと、森さんは手が濡れていたようで。

タオルで手を拭いてからテストを受け取った。

森さんは翼の渡したテストに目を通す。

怒られるかもしれないと思い、翼は目を瞑る。

「翼様……」

森さんの声が聞こえ、更に目を瞑ると。

「これは平均点ですね。これなら、まだ大丈夫でしょう。これからも頑張って勉強してくださいね」

森さんの優しい声が聞こえ。

目を開けてみるとそこには――

森さんの優しい微笑みがあった。

その優しい微笑みを見て、安心した。

それを聞いて翼は本を読む事に熱中した。

今まで通りに授業を受けて勉強をする事にした。

怒られないという事は、今のままでもいいという事だと翼は判断したのだ。

そのようにして、翼は普通に――

翼の信じていた〝幸せな日常〟を過ごしていた。

だが、そんな日常もある出来事によって変わってしまう。

この生活が、丸っきり変わってしまう出来事が起きた。

いつもと何も変わらない一日。

いつもと何も変わらない朝。

いつもと同じように、翼は起きてからすぐに制服へと着替える。

着替え終わると、ランドセルを手にして一階へと降り。

いつものようにリビングの扉を開け放つ。

何も変わらない。

そのはずだったのだが――

翼が食台の自分の席に座った時。

台所に立っていた森さんが悲しそうな声で口を開いた。

「――本日から、家庭教師の方が家に来る事になりました」

「かてーきょーし?」

翼には、森さんの言った言葉が理解出来なかった。

まだ〝家庭教師〟という意味を知らなかったのだ。

なので首を傾げながら森さんの方を見て聞くと。

森さんは躊躇うように翼の顔を見た。

翼の顔を見る森さんの表情は。

どうしてだか、悲しそうだったのが強く印象に残っている。

「家庭教師とは、家に来てくれて勉強を教えてくれる先生の事ですよ」

「どうしてそのせんせぇが家に来るの?」

翼がそう聞くと――

森さんが、珍しく翼から目を叛けた。

その事が初めてだったので、翼は不思議に思いながらも森さんの顔を見る。

「――先日、翼様が持って帰ったテストの点数を旦那様に報告しますと。昨夜、旦那様から電話がありまして。〝家庭教師を今日から家に向かわせる〟との事でして――」

森さんは、翼の顔を見ずにそう言った。

それを聞いて翼はすぐに理解した。

森さんは褒めてくれた。

だが、両親は――

父はあの点では満足していないのだと。

まだまだ、勉強が足りていないのだと。

あの点では、ダメなのだと。

あの点は、悪い点だったのだと。

「……………ぼくの点が、わるかったから……だよね…?」

「そう、なるのでしょうね……」

悲しげな声で、森さんはそう答えた。

それを聞いて、翼は強く思った。

本ばかり読んでいるのではなく、もっと勉強をしなくてはいけないのだと。

父は、あの点では褒めてはくれない。

ならば、もっと良い点を取らなくては。

父に褒めてもらえるような点を取らなくては。

そのためには、今まで以上に頑張らなくてはと。

もっと勉強をしなくてはと、心に誓った。

きっと頑張れば、両親に逢えるのだと翼は思ったのだ。

今逢えないのは、自分がダメだからだと。

ダメじゃなくなれば、両親に逢えるのだと。

そう思い、翼はその日から今まで以上に授業を真剣に受け始めた。

本ばかり読むのではなく。

本だけで知識を得るのではなく。

授業からも知識を得る事にしたのだ。

そうやって翼は、授業に熱心に耳を傾ける事にした。

そして夕方。

その日は家庭教師が何時から来るのかがわからず、ホームルームが終わると同時に家へと帰った。

家に帰り、森さんの作ってくれた夕食を食べる。

結局、家庭教師が家に来る時間は六時だった。

その間に森さんと夕食を食べ。

森さんが使った後の食器を洗い終わると丁度家庭教師が家に来た。

家庭教師が来ると、森さんは入れ替わりのように帰って行ってしまった。

家には翼と、家庭教師の二人だけとなり。

「初めまして、翼君。家庭教師の出海です。よろしくね」

「よろしくおねがいします」

「じゃあ、翼君の部屋を教えてくれないかな。そこで今何処まで勉強が進んでるか教えてね」

「はい」

出海と名乗った女性の家庭教師を、翼は自分の部屋へと案内する。

部屋に入るとすぐに、出海に言われた通りに教科書とノートを広げてみせる。

出海は教科書とノートを見て、何処まで勉強が進んでいるのかわかったようで。

それから勉強を教えてくれ始めた。

そのようにして、翼の生活は変わっていった。

平日は朝から学校。

学校から戻り、夕方の六時からは家庭教師が家に来て勉強。

土日は出海さんが来るのは昼の三時から。

つまり、毎日出海さんが家に来るようになったのだ。

そのようにして、翼の生活リズムは以前とは変わってしまった。

しかしそんな中。

土曜日の朝十時頃、翼は一人で病院へと向かった。

その理由は――

漢字のテストで百点を取ったからだった。

それをどうしても見せたいと思った。

そして気が付くと、病院の前に居たのだ。

だが、両親に逢う事は出来なかった。

幼い頃から顔見知りのナースに逢えないかと聞いてみたのだが。

忙しいから逢えないだろうと言われたのだ。

仕方ないと思うのだが。

やはり、このテストを見て欲しかった。

それで、褒めて欲しかった。

だが、両親と逢う事は出来なかった。

翼は残念に思いながら、テストを見つめて溜息を吐き出す。

その時。

翼の隣を三歳ほどの少女が通り過ぎた。

それが視界の端に入り、翼は通り過ぎた少女を見つめる。

すると翼から少し離れた所で、その少女が転んでしまった。

更には、転んだ女の子は擦り剥いてしまった膝を抱えて泣き出してしまった。

その姿を見て翼が駆け寄ろうとした時。

「大丈夫かい!?」

そう声を掛けながら少女に駆け寄って来たのは。

白衣を着た男性だった。

白衣を着た男性は、少女の顔を覗き込みながら聞く。

すると少女は鼻を啜りながら答える。

「ひざが……」

「膝?」

そう言い、男性は少女の膝を診る。

すぐに状態を見てから。

微笑んで優しく少女に言う。

「これなら大丈夫だよ。だたの掠り傷だから」

「でもいたいよぉ……!」

そう言うと、少女は更に泣き出す。

少女が泣き止まないので男性は少し混乱し始めた。

そんな男性と少女の姿を見た翼は――

いつの間にか走り出し、男性と少女の元へと来ていた。

それから翼は少女と目線を合わせるようにして座り。

少女に優しく言う。

「だいじょうぶ。ぼくが手当てしてあげるから」

そして、優しく微笑む。

「え……」

少女は驚いて翼の顔を見つめる。

そんな少女の視線など気にせずに。

翼は持って来ていた鞄の中から、消毒薬、絆創膏。

それからポケットに入れていたハンカチを取り出した。

「ちょっといたいから、ガマンしてね」

それだけ言うと翼はハンカチを少女の傷口の下に当て。

傷口に消毒薬を吹き掛ける。

零れた消毒薬はハンカチで拭き取り、消毒薬が乾くのを待つ。

消毒薬が乾くと最後に。

翼は傷口に絆創膏を張ってあげた。

「はい、これでもうだいじょうぶだよ」

優しく翼はそう言い、微笑んだ。

すると先程まで少女は泣いていたのだが。

元気良く立ち上がった。

それから、嬉しそうな表情を浮かべて。

「ありがとうおにいちゃん!」

元気良く、嬉しそうに笑ってそう言うと。

まるで何事も無かったかのように走り去って行った。

翼はその女の子に手を振り続けた。

少女の姿が見えなくなるまで、ずっと、ずっと。

それを男性は黙って見ていた。

少女が居なくなると、その男性に翼は言う。

「ケガをしてる人がいたら手当てしてあげないとダメだよ。その服をきてるって事はせんせぇなんでしょ? ぼくじゃなくてせんせぇが手当てしないといけないんだよ」

「――そうだね。でも僕はまだちゃんとした先生じゃないんだ。ここに来たばかりだし」

「そうなの?」

「お医者さんになるために勉強してるんだ」

「せんせぇになるにはせんせぇもべんきょうしないといけないの?」

「そうだよ。ここに来るまでにたくさん勉強したし、これからもたくさん勉強しないといけないんだ」

「せんせぇになるのって、たいへんなんだね」

「そうなんだよ。……所で君、名前はなんて言うの?」

「あやさきめぐみ!」

「めぐみ君だね。僕は藤森拓斗。よろしくね」

そう言って優しく男性――

いや、藤森先生は翼に向けて手を差し伸べてくれた。

表情には優しい微笑みを浮かべて。

翼はそんな藤森先生の手を取った。

それが、綾崎翼と藤森先生との出逢い。

綾崎翼、六歳の春の事だ――









                                              ~To be continued~

三人目の主人公ですね。

もう文章は流石に慣れてますwww

最初の來が痛くて読めないですwww

三番目辺りが一番いいですねw

慣れているのでw

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