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少年少女の結婚過程《ハイラート》  作者: 三月弥生
紅蓮の炎に誓いを込めて
8/25

   猫耳少女は婚約者 (3)



「ふぅ……さっぱりした」


 湯船に浸かり汗と疲れをしっかりと流した焔は、タオル片手に自室へと戻ろうとしていた。時間的には、そこまで遅くはない。とは言え、庚と手合わせで疲れたのだろう。眠そうに眼を擦っている。


「さすがにきつかったな、今日はもう寝よ」


 自室のドアを開けてすぐに、ベッドへ倒れ込もうとした焔。だが、そのベッドの上に先客がいた。


「おかえり」


「………………」


 レイリアの言葉に焔は返事を返せず、再び無言になる。


「寝ないの?」


「………………」


 焔は更に黙り込む。せっかく風呂に入ったというのに額から冷や汗が滝のように流れ落ち、眠気は綺麗さっぱり消えてしまった。


「ほ、本当にここで寝るのか?」


「うん」


 レイリアは何の迷いもなく頷く、その様子に焔はいっそう追いつめられる。


(ああ、もう! 何してもピンチだ!!)


 自分の部屋にレイリアが居た事をすっかり忘れていた。今日一日、起きてしまった変化に対応しきれてない。けれど、何とか一緒にいるのは少しずつ慣れてきている。

 それでもだ、一つ屋根のしたどころか同じ空間で寝起きを共にするという事実だけで自分の心臓は持たない。ましてこの部屋に置いてあるベッドは一つだけ、自分が取るべき行動は考えるまでもなく決まっている。


「レイリアはベッドで寝てくれ! 俺は床で寝るから!」


 焔は急いでクローゼットから予備の布団を引っ張り出す、ここで一緒のベッドで寝てしまえば自分から結婚を認めた事にされてしまうのはわかっていた。


「広さは……ある」


 レイリアは椅子代わりに座っているベッドを一瞥、一緒に眠れるスペースがある事を教える為なのかポンポンと寝床を軽く叩く。


(何この子! いくら婚約したからってそれはおかしいでしょ! 普通は警戒するところでしょ!! っていうか少しは躊躇ってえぇぇ!!)


 レイリアの方から積極的に接してきてくれるのは正直言って嬉しい……嬉しいのだがどうして彼女がここまで自分と触れ合おうとするのか分からない。

 というより、その理由を考えるよりも先に直面している問題を解決しなければ。


「……俺、寝相が悪いからそっちの方がいいよ」


 勿論これは嘘だ。一緒に寝ようと言われて「はい、そうですね」と言える甲斐性は自分には無い。甲斐性どころか度胸も無い。無いったら無いのである。

 だが、いくら恥ずかしいからと言って嘘をついてしまったのは気まずい。

 そんな後ろめたさに負け、焔はレイリアから顔を逸らす。


「……わかった」


 同じベッドで寝る事を拒む焔に特に意見する事もなく、シーツを手に取り横になるレイリア。

 すぐに返事を返してくれなかったのが気になるが一緒に寝ないと伝えた途端、レイリアの後ろで大きくゆらゆらと揺れていた尻尾が音もなくダラリと下がってしまった事の方が気になった。


(もしかして……落ち込んだ?)


 彼女の表情から考えを読み取るのは難しい、そういった何気ない仕草で判断するようにはしているが尻尾の動きを猫と同じように解釈すれば自分の考えはさほど間違っていないはず。落ち込ませてしまった事は悪いと思う。それでも、一緒のベッドで朝を迎えるのはいただけない。

 せっかくレイリアが自分の意見をくんでくれたのだ。ここは、このままの流れでいった方が良い。


「じゃあ……その、おやすみ」


「……おやすみ、焔」


 焔はレイリアが眼を閉じるのを確認し、二人の間にあるテーブルを境にして敷いた布団に入り明かりを消した。

 当然のことだが視界は真っ暗になり部屋には焔とレイリアだけとなる、そんな暗闇の中で彼の耳に届くのはレイリアの規則正しい寝息だった。焔は可能な限り意識しないよう努め、眠る事だけを考える。


(眠れれば意識しなくて済む、済むんだけど……)


 異性と一緒の部屋で寝るのは初めての体験だった。

 小さい頃は母親とっしょに寝ていたことはあったがそれはカウントには入らない。


(えーっと、確かこんな時は羊を数えると良いんだっけ?)


 焔はレイリアを意識しないよう一心不乱に羊の数を数える。慣れない状況にしばらく眠れないと思っていた焔だったが、庚との訓練が功を奏したのか気を失うように眠りにつく。

 しかし、眠りについた焔は夢を見た。どこか懐かしく、そして悲しく感じるそんな夢を。



                   ◇



「何だ……ここ?」


 眼に映るのは見渡す限り真っさらな、何もない世界だった。

 この世界には自分しかおらず妙な浮遊感を感じる、これは夢だと確信するのにもそんなに時間は掛からなかった。


「変わった夢だな、自分で動ける」


 明晰夢、夢の中で自分の意思通りに動くことができる夢。人によっては望む夢を見ることもできると聞いたことがある。


「でも、何で真っ白なんだ?」


『ここが精神世界だからだ』


 この純白の夢の中にいるのは自分だけ……。

 そう思っていた焔の目の前に、何の前触れも無く現れたのは全身を紅い鎧で包んだ巨躯の騎士。その身長はゆうに三メートルはあるだろう、騎士の手には焔と同じ身の丈の大剣が握られていた。


(こいつ……いつの間に)


 何時現れたのか分からない相手に警戒する焔。それでも焔に怯えた様子はなく、そのまま疑問を口にする。


「誰だ、お前?」


『……そうか、代償にしたのだったな。願わくば、とは思っていたが一欠片も残っていないか』


「代償って、さっきから何を言ってるんだ?」


『分からぬか』


 屈強な体躯に見合う品位がる低い声には、懇願にも感情が籠もっていた。

 そして、その声音はまるで――


「泣いてるのか?」


 顔は完全に渦中に隠れ、表情を見ることは出来ない。だと言うのに、焔は目の前にいる騎士から悲哀を感じ取る。


『我が泣いている、か……何故その様な事を?』


「何故って言われても……」


 理由があるとしたら、この真っ白な世界のせいかもしれない。

 人も動物も、空も地面も……見覚えのある物が何一つ無い光景を見ては、寂しさが胸の奥からこみ上げてくる。

 だから……


「そんな気がした、ってしか言えないな」


『ならば、泣いているのはお前の方だ』


「えっ?」


『ここは、お前の心の在り方に左右される。今この世界に何も無いのは、お前が自分にとって掛け替えのない物を失った事を理解しているからだ……思い当たることが有るのではないか?』


「………………」


 騎士の言葉に焔はある一人の少女を思い浮かべる。幼い頃に出会い婚約を交わしそして今、その約束を果たすために自分に会いに来てくれた女の子の事を。

 レイリアは自分の事を憶えているのに自分は彼女に関することを何一つ憶えていない……その事に責任を感じていたのは事実だった。それがこの世界に影響していると言われれば、確かにそうなのかもしれない。


『レイリア嬢のことを憶えていないのは、お前にとっても彼女にとっても……辛いものでしかないだろう』


「……っ! 何でレイリアの事を知ってるんだ!!」


『レイリア嬢の事だけではない、お前の事も良く知っている、幼き日から今に至るまで共にいるのだからな』


「小さい頃からずっと? お前はいったい――」


 沸き上がる疑問と動揺を抑えきれず紅い騎士へ掴みかかろうとした時、世界が突然ブレた。


「何だ!」


『時間のようだな』


「時間!?」


 世界のブレが大きくなるにつれ、紅い騎士の姿がまるで霧が霧散するように崩れ始める。


『意識が覚醒を始めたのだ、朝になる』


「眼が覚めるって事か? いや、それより俺はどうしてレイリアの事を、お前の事を憶えてないんだ!」


『教えるには、時間が…………。だが、いずれ……ここへ……。その…………で……』


 騎士の声が雑音(ノイズ)のようなものに遮られ聞こえない、それだけでなく意識も繋ぎ止められない。

 眼が覚めるはずなのにこの、意識が深く沈むような感覚は眠りに落ちる感覚に近かった。


「ま……て」


『さ……だ、焔』


 騎士の言葉を最後に、焔は自分の意志とは関係なく閉じていく瞼に逆らえず意識を手放してしまうのだった。



                    ◇



「待て!」


 焔はベッドから跳ね起き声を上げる、彼の額には少しだけ汗が浮かんでいた。


「……夢、だったのか?」


 額の汗を拭い、さっきまでの事を思い出そうとする焔。

 夢の内容を全部憶えているワケではないが、見ていた夢はレイリアに関するものだった。あのまま夢を見続けられれば何かを思い出したかもしれない、そして夢に出てきた騎士のことも。

 何より気になったのは紅い騎士が言っていた『代償』とい言う言葉、自分がレイリアと紅い騎士の事を憶えていないことに何か関係しているのだろうか?

 もう一度、眠ればあの紅い騎士に会えるだろうか……。

 レイリアの事を思い出すことができるだろうか……。

 知る事ができるだろうか、忘れてしまった――憶えていない理由を。

 焔は心に引っかかるものを感じたが、眼が覚めてしまった以上は考えても仕方ないと割り切る。気を取り直しベッドから降りて朝食の準備をしようと立ち上がろうとした時、今度は脳裏に引っかかるものがあった。


(ベッド? 俺、昨日は床に敷いた布団で寝たよな?)



「――クシュン」



 焔のすぐ隣で可愛らしい小さなくしゃみが上がる。

 ギギギッと首を動かしながら焔は、自分の傍らで眠っている人物に視線を移す。

 そこで視線を外す事ができれば良かったが眼にはいってきたそれは、焔の思考回路を麻痺させ視線を逸らすという選択肢すら考えつかない状況に追い込む。


「へ?」


 隣にいたのはレイリアだった。

 自分の意志とは関係なく、眼下に広がる光景に焔の口から間の抜けた声がもれる。


(何がどうなっ……て? ??)


 レイリアは身体の右側を下にして、焔の方を向いた状態でシーツの上に手足を投げ出すような恰好で眠っていた。

 長い純白の髪がシーツの上に広がり髪の下には白い小さな横顔がある。閉じた瞳には長い睫毛がかかっており整った形の鼻の下には軽く開いた淡い桜色の唇、更にその下に白い喉が続いて柔らかな曲線を持ったむき出しの肩。

 長く細い腕はこの世界の神の計らいなのか、絶妙な配置で局部の頂点を隠していた。そんな腕の下にはお椀型の見事なふくらみが存在しており、ふくらみの下には引き締まった腹部と麗しい腰のくびれ。

 そして、みずみずしい太股とハリのあるふくらはぎが続き、きゅっと締まった足首のラインを経由した後、しなやかな足の指先でやっと終点を迎えた。 


「……………………」


 理想的なボディラインを眼に焼きつけた焔は、その抜群のスタイルを持つレイリアの安らかな寝顔を見る。


「………………」


 声が出ない。


「…………」


 まだ出ない。

 放心したまま、もう一度その身体を見下ろす。何度か眼を擦ったが見えるものは変わらない。


「……っ」


 自分の頬を思いっきりつねる。


(……うん、痛い――痛いだと!?)


 焔は頬の痛みに心を揺さぶられ、半ば無意識的にシーツをレイリアの身体に被せ直す。

 そして、狼狽えながらも口を押さえ、漏れそうになった心の叫びを飲み込む。そこから自分の背中をめり込むのではないかと思えるほど壁に押しつけ、レイリアから少しでも離れようとする。

 ただベッドから降りればいい、だがそうすると立ちあがった拍子にレイリアを起こしてしまう可能性がある。何より自分が彼女に何かしてしまったのでは、という動揺が焔から冷静さを奪っていた。


(昨日の夜は床の敷いた布団で寝て、朝はレイリアの横で、俺は服着てるけどレイリアは着てない。寝ぼけた俺がレイリアの寝てるベッドに潜り込んで、パジャマから始まり下着まで脱がした――いや、そんなわけがない!!)


 自問自答を繰り返し自分の無実を主張する焔、それでもレイリアが身に付けていたはずのパジャマや下着がベッドの周りに散らばっている光景が彼の混乱を強めていく。必死に昨晩のことを思い出そうと、焔は口を押さえていた両手でガリガリと頭を掻きむしる。

 それこそ血が出るのではないかと思えるほど爪を立てて。

 その振動のせいなのか、レイリアが眼をこすりながらベッドから上体を起こす。


「……ほむら?」


 完全に眼が覚めていないのか焔の名前を呼ぶものの視点が合っていない、しかも上体を起こしたため焔が掛けたシーツがスルッと落ちる。


「っ――!!」


 焔は反射的に眼を閉じ苦しい言い訳をまくしたてる。


「違う、違うんだ! 起きたらこうなってて脱がしたわけじゃなくて、見たかったわけじゃなくて見たくないわけでもなくて? とととにかく全部誤解だ!!」


 眼を瞑っているためレイリアがどんな顔をしてこちらを見ているのかわからない。シーツがこすれる音だけが耳に届く。


「……おはよう、ほむら」


 レイリアはまだ眠そうにしていたが一糸まとわぬ身体を焔に預け、むき出しの肌をすり寄せる。その姿はまるで猫が見せる好きな人間に甘える仕草そのものだった。


「ッ!」


 首筋に掛かる吐息に驚き、眼を見開く焔。

 その視界には可愛らしい猫耳がちらついている。強ばった身体もレイリアの体温と形が変わるほど押しつけられた早急の柔らかな感触をしっかりと感じとっていた。

 そんな刺激的すぎる状況に、焔の顔は一気に茹であがり飲み込んだはずの心の叫びが……



「イ――――――――――――――――――ヤ――――――――――――――――――ッ!!」



 溢れた。

 焔の叫びは家中に響きわたり、寝ていた庚達が驚いて焔の部屋に駆け込んで来る程だった。そして何事かと庚達が室内に入った時、焔は大量の鼻血を流しながら気を失っていたという。






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