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少年少女の結婚過程《ハイラート》  作者: 三月弥生
紅蓮の炎に誓いを込めて
7/25

   猫耳少女は婚約者 (2)



 レイリアの下着を見てしまった恥ずかしさから自分の部屋から逃げ出した焔は、自宅にある地下に設けられた訓練場にいた。

 

「ここに来るの久しぶりだな」


 訓練場の内装は古代ローマの円形闘技場、所謂コロシアムのような作りになっている。その歴史的価値観を感じさせる風貌は、その手の関係者が見れば写真等の記録を残そうとするだろう。

 だと言うのに、その贅沢な訓練場は近頃使われていなかった為に少し埃っぽい。

 そんな埃っぽさに咳き込む焔だったが、彼にしてみればあのまま部屋で何もせず待っているよりは気楽なのは確かだ。

 此処に来てしばらく時間が経つ、その事もあり今の焔の表情に赤みも堅さも無い。


「せっかく此処に来たんだし訓練でもって思ったけど……俺一人じゃいつもと変わんないしなー」


 普段この訓練場を使うのは庚か響、どちらかと一緒に模擬戦闘をする時だけ。《契約術》を使えない自分に誰でも使える基本的な魔術と戦闘技法を教える為の場として、両親が用意してくれた。だが、一人で魔力制御の訓練しかしていない今は宝の持ち腐れ状態になっていた。


「ここにいたんだね」


 焔が訓練場で何をしようかと迷っていると、黒のスポーツウェアに身を包んだ庚が姿を現す。


「兄ちゃん」


「慌てて下に降りて行ったっきり全然戻ってこないから気になってね。何があったかは分からないけど……大丈夫だった?」


「大丈夫じゃなかったから逃げてきたんだよ」


「あはは、それもそうだね。じゃあ、そんな焔の気分転換もかねて久しぶりにやってみる?」


 焔が返事を返す前に、庚から闇を体現したような黒い魔力が滲み出る。

 庚が契約したのは四大悪魔の中で最強と謳われた一柱、破壊神アモン。

 破壊を象徴とする次元体。その力は如何なる者も屈服させる甚大な力を持ち、世界を無に帰す程の力を持っているとまで言われている。そんなアモンと契約を交わせるのは、その力の魅力に惑わされない心の強い者だけ。そうでなければ、その力を借り受ける事は出来ない。


「ちゃんと手加減してくれるんだよな?」


「心配しないで、借りるのは翼だけだから」


 その言葉の通り庚の背に滲んでいた黒い魔力は、かつてアモンが背負っていたであろう一対の翼へと形を変える。

 庚の背に具現化された翼はコウモリの翼に似ていた。

 それでも庚の背に形作られたソレは、コウモリのように脆弱なものではない。羽ばたくだけで小柄な焔を吹き飛ばす事が出来るのでは無いかと思わせるほど、屈強で禍々しい巨大な物だ。


「よく言うよ、それだけで充分強いくせに」


 庚がアモンから借りた力は、ほんの一部でしかない。だがしかし、その一部の力でさえ上位の契約術師に匹敵する……《契約術》の使えない焔では傷一つつけるだけでもほぼ不可能に近い。


「まあまあ、そう言わないで。僕に一撃を入れられたら焔が欲しがってた『世界動物図鑑』を買ってあげるよ」


「ほ、本当か?」


 思春期まっただ中である男子が買うには別な意味で恥ずかしい本。とは言え、動物好きとしては見逃せない一品でもある。値段もなかなか高く庚の提案は正直嬉しかった。

 餌に釣られる形ではあるが焔はシャツの袖を捲る。


「うん、本当だよ。あっ! でも、アレは無しだよ。アレばっかりは僕も少し本気にならなきゃいけないから」


「……やっぱ、無理そう」


 唯一の勝機をうかがわせる何かを封じられた焔は小さくため息を漏らすも、その言葉とは裏腹に表情を引き締め左足を大きく後ろに引き体勢を低く構える。庚も体勢は整えるものの、構えることなく自然体のまま静かに佇む。


「行くぞ」


「うん、いつでも」


「――っ!」


 広げた両足に魔力を集中させる焔、それは響から習った基本魔術の一つ『縮地』

 両足もしくは片足に一定以上の魔力を込め地面をはじくように解放することで、瞬く間に相手との距離を詰める事が出来る高速歩法術。しかし、加減を間違えると足が吹き飛んでしまう危険性もあった。

 その為、この魔術を使用しているのは他種族が主で人間では焔だけである。

 《契約術》を使える人間はすでに『縮地』を体得した状態に近い速度で動く事が出来る。つまり、これが出来なくてはまともに戦うのも難しい。

 そして『縮地』と同時に、自分が身体に付与できる最大の魔力で肉体強化を施す焔。

 次の瞬間、蒼い光を纏った焔は庚の視界から消えた。


「あっ、また速くなったね」


 焔の速力に眼を見張る庚だったが、すぐにその動きを眼で捉える。

 庚の眼に映るのは自分の懐に潜り込み、右腕を振りかぶる焔の姿。


(先手必勝! 俺にはそれしか無い!!)


 これも響からの教えであり実力の差がある敵に勝つ場合は距離を取るのではなく、むしろ接近戦に持ち込むこと。距離を取ったところで相手に次の手を用意させる時間を与えてしまうだけ……何より、庚との実力差は焔が誰よりも良く知っている。


「おおおおっ!」


 焔は身体中に巡らせた肉体強化を維持し、地面を踏みしめ大砲のごとく拳を打ち出す――が、そこに庚の姿は無かった。


「今のは良い感じだったよ」


「っ、後ろ!?」


 背後から聞こえてきた声に焔はすぐに振り、自分の瞳に映った光景に息を呑む。


「次は僕の番だよ」


 焔の視線の先には、静かに立ち右手を頭上に掲げる庚。

 掲げた手の先には直径十メートルは有るであろう黒い球体。庚とアモンの魔力が混ざり合い圧縮された魔力球は、焔を殺せてしまう十分な威力を持っていた。


「……手加減する気ないだろ」


 前に一度あの黒球を受けた時、肌を焼き尽くすような痛みと全身の骨を砕かれるような衝撃に息が出できず死にかけたことを思い出す焔。


「前は駄目でも今の焔なら大丈夫だよ、多分」


「疑問に思うなら使うなよ!」


「あはは、そうだね」


 屈託のない笑顔を見せながら、庚は何の躊躇いもなく黒球を焔に向けて投げ放った。


「本当に投げた――っ!」


 嘆くような声を上げ、魔力球を避けようとする焔。だが、いきなり背中に激痛が走る。


「か、はっ…………!」


 痛みを感じた時、黒い球体が速さを増してこっちに向かってくる。だが、それは球体の速度が上がったのではなく、単純に自分が球の方へと殴り飛ばされたのだと気づく。


「駄目だよ、ちゃんと気を張ってなきゃ」


 自分のすぐ後ろに庚がいる事は声で分かる……が、全く庚の動きについていけなかった。確かに庚は魔力球を投げ飛ばすまでは視界にいたのだ。しかし一瞬、ほんの一瞬だけ庚から眼を離した時にはもう手遅れだった。


「さあどうする、焔?」


 庚は焔の背後から首を掴み黒球へと突き進む。優しい声で語りかけてはいても、その行動に優しさは微塵もない。


「くっ……そ…………」


 放たれた黒い球体と身動きができない焔が接触した瞬間、眩い光と共に凄まじい爆発音がまるで断末魔のようにが訓練場内に響き渡る。



                   ◇ 



「……焔、いない」


「庚君もだよ、何処に行ったんだろうね? 響さんは知ってますか?」


 焔と庚が地下の訓練場で手合わせをしている頃、二人が家のどこにも居ないことに気付いたレイリアとミルディ。

 家の中を探し回っても焔達を見付けられなかったレイリア達は、響に心当たりが無いか助言を求めていた。


「あら? じゃあ地下の訓練場かしらー」


「地下にそんな広い場所があるんですか?」


「違うわよー、地下の小部屋に魔法球を置いてあるの。その中に訓練場を用意してあるのよー」


「魔法球って言ったら第四位の魔法具ですよ! それも空間系なんて……そんな貴重な物、どうやって手に入れたんですか?」


 魔法具とは、この世界を生み出した『創造神』の力、神のみが使うことが出来る魔法が込められた法具の総称である。人の世の繁栄を願い造られた魔法具は、様々な形状と効果を持つ。

 だが、魔法具を使うには強大な魔力が必要であり、第四位以上に振り分けられている物はどれもが大変貴重な物だった。神月家にある魔法球一つで、日本の国家予算に匹敵する程の価値がある。


「司さんがお友達から貰って来たのよー、もういらないからって」


「いらないって……」


 それだけ貴重な魔法具をいらないからといって手放す者がいるとは……出来るなら顔が見てみたいと思ったミルディ。


「……地下室は?」


 しかし、レイリアは魔法具よりも焔の方が気になるようで、リビングのドアをじっと見つめる。


「一階の階段の裏にある押し入れの中よー。梯子が付いてるから、それを下りればすぐに――ああ、私も行くわね。タオルとか傷を治すお薬も持っていってあげなきゃだしー」


 そう言うと響は冷蔵庫から小さな小瓶を取り出し、脱衣所にも寄って棚からタオルを手に取りレイリア達と一緒に魔法球がある地下室へと向かう。地下室の中は薄暗かったが、部屋の中央にあるテーブルの上で輝く魔法球のお陰で歩くのに支障はなかった。


「この中に……いる?」


「多分」


 レイリアとミルディはテーブルの上に無造作に乗っていた直径十センチ程の水晶の中を覗き込む。


「ほら、中で煙が上がってるでしょ。ちゃんと闘ってるわよー」


「闘ってるって……焔君は《契約術》が使えないんじゃ!?」


 ミルディは慌てて魔法球の中を覗き込むも、戦闘の影響で立ち上っている煙が邪魔で中の様子を見えにくくしていた。


「まあまあ、行けば分かるから。二人とも私に掴まってちょうだい、今から中にはいるわよー」


 二人はそれぞれ響の肩に手を乗せる、そして響が魔法球に触れた次の瞬間には目の前の光景が変わる。


「…………焔」


「これが魔法球の中。でも、煙で周りが見えない」


 二人は辺りを見回したが煙がひどく視界が悪かった、響は咳き込みながらも焔達を呼ぶ。


「ゴホゴホッ……これは思ったより派手に、やってるわねー。焔ちゃーん……庚ちゃーん、どこー?」


 そんな響の呼びかけに答えるように煙が三人の横を通り抜ける、次第に晴れていく煙の先にいたのは庚だった。どうやら漂っていた煙をアモンの翼を羽ばたかせる事で吹き飛ばしたようだ。


「母さん、入ってくる時は危ないんだから先に教えてよ」


「大丈夫よー、母さんを甘く見ちゃいけません。それに、レイリアちゃん達だって強いんだしー」


「そういう問題じゃなくてだね」


「焔ちゃんは?」


「はあ……焔ならあそこだよ」


 いかなる時もマイペースを崩さない母に呆れながら、庚は闘いの影響で出来た瓦礫の山を指さす。


「あらー、今日はちょっと厳しめね。まだ、そこまで借りなくても良かったんじゃない?」


 焔の心配をしつつ、響は契約状態の庚に視線を向ける。

 訓練開始時は黒い翼だけだったはずの《契約術》は更に魔力を支払ったのか、翼程の変化はないが両腕にも黒い魔力が纏わりつき悪魔の腕を形作っていた。


「そんなことないよ。久しぶりに手合わせしたけど、焔だいぶ強くなってたよ」


「だからって、両腕まで借りなくてもねー」


「でも、そうしないと腕を折られてたと思う」


「はいはい」


 自分の目測よりも強くなっていた焔を褒める庚、いっけん慌てたような口ぶりではあったが余裕が感じられる。

 そんな庚に響は苦笑したが、すぐ横にいたミルディは二人の会話に顔色を青くしていく。


「そんなこと言ってる場合ですか!? 焔君を早く出してあげないと――」


「大丈夫です、僕達がこうやって話している間は休んでる筈ですから」


「そうそう、ちゃんと休憩は取らないと駄目よー」


「休憩って……」


 世間話をするかのように話を続ける庚達に声をつまらせるミルディ、その一方でそんな三人の輪に加わることなく、レイリアは焔が埋まっている瓦礫の山から眼を離さなかった。


「……来る」


 そして、その言葉通り瓦礫の隙間から蒼い光が漏れ始め徐々に輝きを増していく。


「みんなは下がってて」


「……分かった」


「はーい」


「気を付けてね、庚君」


 庚はレイリア達を後ろに下がらせる。その瞬間、爆音と共に瓦礫が飛び散った。


「ハアハア……ハア……ッ」


 惜しげも無く放出した魔力で岩の残骸を押しのける焔だったが、呼吸の深さと回数からかなり疲労している事が分かる。全身傷だらけではあったが、焔の瞳からはまだ闘うという意思が見てとれた。


「まだやれる?」


「……ああ」


「なら……行くよ」


 今度は庚から距離をつめる、その速度は焔の『縮地』を上回る。

 庚はその勢いを殺さず、焔の頭部めがけて右回し蹴りを放つ。

 焔も庚の動きに反応し何とか受け止める。が、蹴りの重さと威力に肉体強化を施した身体が悲鳴を上げる。


(重、い――)

 攻撃を受け止めた腕からミシミシと骨がきしむ音が聞こえる、あと少しでも強化術式が弱ければ折れていた。


 焔は歯を食いしばり受け止めた庚の足を払いのけ、同時に一歩踏み込み庚の顔面へと右拳を叩き込む――が、庚は余裕を持って首を傾け攻撃を避けていた。

 そして焔の腕が伸びきった瞬間に、今度は庚が脇腹めがけ左足を振り上げる。


「っ!」


 焔は突きだしていた右手を引き戻し、咄嗟に庚の肩を掴みそのまま真上に飛び上がり蹴りを回避。その直後、不安定な体勢ながらも左手を握り込み正拳を突き出すがそれも難なく躱される。


「甘いよ、焔」


 庚は肩を掴んでいる右手と不用意に突きだした左手を掴み、背負い投げの要領で焔をコロシアムのリングに叩きつけた。


「がはっ!」


 両腕を封じられ地面に叩き付けられた衝撃は逃げる事無く焔の身体に叩き込まれる、リングも庚の投げ技に耐えられず簡単に砕け焔の身体がめり込む。

 これでも手加減されているものの、何の魔術も施していなかったら無事では済まないだろう。


「こ……のっ!」


 焔は全身を襲う痛みに耐え仰向けのままで蹴りを放つ、肉体強化をしているとはいえこの状態では充分な威力は見込めないが今はそれでもかまわなかった。

 こんな体勢で自分が攻撃してくるとは思っていないはず、そんな焔の思惑を通り庚は掴んでいた両手を離し焔の蹴りを受け止めるが素っ頓狂な声をもらす。


「あれ?」


 それは自由にしてしまった手で右足を捕まれていたからだ。

 焔は庚の見せた僅かな隙に付け入ろうと彼の右足を掴み、すかさず体勢を立て直し力任せに庚を壁へと投げ飛ばす。その速度は並の契約術師では体勢を立て直すことのできない圧力が掛かっている。それでもアモンの翼を持つ庚にはあまり意味がない、鳥のように一度羽ばたいただけでふわりと宙に浮かび上がる。


「これでお終いかな?」


「まだまだ!」


 闘志の高ぶった焔の咆哮と共に、リングの盤上に額が擦れてしまいそうな前傾姿勢から一気に駆け出す焔、それを合図にしたかのように庚は右手を焔に向け魔力球を撃つ。その大きさは拳大、最初に見せた物に比べれば小さな物だ。だがやはり、くらえば決して軽くは無いダメージを負うだろう。


 一呼吸に十七、恐ろしいまでの連射速度でそれを撃ち続ける庚。


「ぐぅっ!」


 容赦なく襲いかかってくる黒い弾丸を右、左と躱し疾駆する焔。

 リング上を縦横無尽に駆け回り、それでいて躱す動きは出来る限り最小限に。

だと言うのに、難なく自分の動きを捉えられ圧倒的な攻撃密度で攻め立てられては避けきる事は出来ない。

 躱しきれなかった魔力球は魔力を纏わせた拳で打ち払う。それでも防ぎきれない物は歯を食いしばり身体で受け止め、痛みに堪え、ひたすら距離を詰める。


「おおああああっ!!」


 そして接近戦に持ち込み、幾重にも拳打を浴びせる焔。しかし、何度も放たれる彼の攻撃は無情にも、一度も庚を捉える事無く空を打つ。

 明確なまでに庚との力の差を思い知らされながらも、休むこと無く拳を、蹴りを、時には肘や膝、出来る限りの攻撃手段を用いて庚に食らい付く焔。

 その猛攻はまさしく暴風。訓練とはあまりにもかけ離れた二人の闘いにレイリアとミルディは眼を見張った。


「………………」


「凄い……」


「ふふ、驚いちゃった? 庚ちゃんならこのくらいは朝飯前だし、それについてく焔ちゃんだって結構やるもんでしょー!」


 焔達の闘いを見て驚いている二人の反応が嬉しかったのか、響は何故か自慢げに胸を張る。


「お、驚いたどころの話じゃ無いですよ! 何なんですか、あれ!?」


「何がー?」


「焔君ですよ。肉体強化はどの種族でも使える基本魔術です。なのに、それだけで今の庚君と渡り合えるなんて……この眼で見ても信じられないですよ」


「そうねー。まあ、焔ちゃんは魔力の総量だけなら神位級。私達が《契約術》で力を借りる次元体に匹敵するからー」


「つまり、焔君は肉体強化だけで私達と渡り合える、そう言うことですか?」


「それはないわねー」


 真剣な眼差しで焔達を見つめるミルディの言葉に、困ったような表情で即答する響。


「総量はある、でもね……その入れ物である身体の方が保たないのよー」


 響は眼を細める、その眼には傷つき疲弊しながらも攻撃の手を緩めない焔が映る。


「肉体に宿った膨大な魔力を使うことはできる。でも、使った分だけ焔ちゃんの身体は傷ついてしまうの。今見てもだいぶ傷だらけだけど、あの半分くらいは身体に付与した魔力の出力に耐えられなかった裂傷ねー」


 人の身でありながら人ならざる者達……悪魔と呼ばれ天使と呼ばれ、神とも呼ばれた存在と同等の魔力を宿して焔は生まれた。

 《契約術》が使えたなら彼等に名を連ねるだけの偉業をなしえたかもしれない。

 しかし、それだけの力を秘めてはいても扱えきれないのだ。


「どれくらいまで保つんですか?」


「負担を考えると肉体強化を使っていられる時間は平均で五分強くらい。どんなに長く見積もっても十分超えるか超えないかねー、じゃないと……」


「じゃないと?」


「あんな感じかしらー」


 限界を超えた結果がどうなるのか、焔を指さす事でその答えを返す響。

 指先が示したのは、息一つ乱れていない庚と地面に膝をつきかなりの量の血を吐いている焔だった。吐血の原因は庚から受けた攻撃によるものだけでなく、自身の魔力に耐えきれなかった内臓器官の負荷の方が大きい。


「……これ以上は、駄目」


 これには口を挟むこと無く戦いを見守っていたレイリアも、訓練の中断を響に進言した。


「それが良いわー。二人とも、焔ちゃん達にこれを持っていってあげてちょうだい」


「うん」


「わかりました」


 レイリア達は響からタオルと治療薬が入った小瓶を受け取り、それぞれ焔と庚の元へと向かう。そんな二人の姿が眼に入ったのか庚は呼気を荒くしている焔に声をかける。


「今日はここまでにしよう、これ以上は焔の身体が保たないと思う」


「ま、まだ……やれるって」


 焔は血で汚れた口元を拭い震える両足に力を込め立上がる。

 立つことはできても膝が震え立っているのもやっとという状態、焔は再び構えをとるが全身に纏っていた蒼い光は弱まり消えかけていた。


「うう、今日はここまで。切り札を使わなくても闘えてたし、限界時間も少しだけど引き延ばせたんだから充分だよ」


 《契約術》を解除したのか、庚の背と両腕に宿していたアモンの力が黒い霧となり消えていく。


(やっぱ強いな……兄ちゃんは……)


 焔もまた肉体強化を解く、解くと言うよりは維持できなくなったと言った方が適切だろう。庚との実戦じみた訓練は開始から十分を超えており、闘っていられる時間を僅かにだが超えていた。焔は額から流れ頬に伝う汗を拭って、その場に座り込む。


(勝てないのは分かってるけど、それでも傷一つつけられないのは……きついな)


 自分が全力で攻撃を仕掛けても手加減している庚にさえ歯が立たない。小さい頃からこうして模擬戦をしてきたが……一度も勝てた事はない。

 庚との差をまったく縮められていない感覚に、焔は歯がみするが――


「お疲れ様、庚君」


「模擬戦とか最近やってなかったですからね、久しぶりで疲れました」


「そうみたいだね。はい、これ」


 ミルディは庚に治癒薬を渡し手に持っているタオルを使って、慣れた手つきで彼の額にじんわりと浮かんでいる汗を拭き取っていく。


「ちょっと動かないでね、もう少しで終わるから」


「ありがとうございます、ミルディさん」


「いえいえ、このくらいおやすいご用だよ」


 ――人目も気にせず互いを想い合える庚達を見て感心していた。

 自分が同じような事をされたら反射的に心も身体も引けてしまう。

 今日も登校中に武に「お前は女の子に免疫がない」と言われてしまったが、こればかりは性格の問題だ。

 性格はそうころころ変えられるものではない、なんとも言えない敗北感に俯く焔。


「……大丈夫? これ、飲んで」


 力の差もさることながら、男としてもまだまだ子供っぽい自分に意気消沈している焔の傍に立つレイリア。

 レイリアも持ってきた小瓶を焔に渡そうと手を伸ばす。


「ありが、とう」


 口の中が切れている状態で飲めば傷に染みる上に苦い、あまり飲みたくは無いのだが飲まなくてはまともに動く事も出来ない。焔は途切れ途切れではあったが、レイリアから小瓶を受け取り少しずつ飲み下していく。


「……動かないで」


 レイリアは焔の隣に座り、汚れ一つ無いふわふわな白いタオルでミルディと同じように汗と土で汚れた焔の顔を優しく拭いていく。


「ちょっ!」


 レイリアのあまりにも自然すぎる寄り添い方に驚き、焔は身体を引く事すら満足に出来ず固まってしまう。しかも、レイリアの左手が頬に添えられているせいで逃げようと思っても逃げられない。


(何でこう近いかな!)


 仮に体調が万全だったとしても、今の焔ではレイリアから離れると言う考えも思いつかなかっただろう。


「傷……痛い?」


「傷は薬を飲んだから、全然、まったく痛くないぞ!」


「そう」


「それより……」


 「照れてませんよ」と強がりながらも、焔は頬を赤くしてレイリアから眼を逸らす。

 レイリアの顔が目の前にあるという事もあるが、彼女が隣に来たことで気付いてしまった事がある。

 庚と闘っている時は周りを見る余裕などないのだから当然なのだが、薬を受け取った辺りから彼女の服装に疑問を感じていた。何故なら……


「それ、俺のパジャマ……だよな」


「うん」


 レイリアは一言だけ返事をしてまたタオルで焔の汚れた顔を拭う。


「うん、じゃなくて何で着てるんだ?」


「響が、出してくれた……変?」


「いや、変とかそういう問題じゃなくて」


 レイリアが自分のパジャマを着ているからといって別に文句を言うつもりはない、むしろパジャマもレイリアのような美少女に着てもらって幸せに違いない。性別が男だったとしたら泣いて喜んでいるだろう。


「……似合わない?」


「そうでもなくて!」


 しかし、焔はその服装で気になっている事をレイリアにどう説明したら良いものか迷っていた。


(女の子ってみんなこんなに無防備なのか?)


 視線を少し下げるだけで、マシュマロのように白く柔らかなレイリアの胸の谷間が見えてしまう。

 パジャマその物のサイズは合っているようだが、体つきの違いからか胸元のボタンを上から二つも外している。単に掛け忘れなのか、それとも別の意図があるのかはわからない。

 焔は意を決して胸元の状況を指摘する。


「ボボボタン! 閉め忘れてるぞ!」


「苦しいから外した……それに」


「それに?」


「……焔が見たいなら見てもいい」


「………………」


 焔は何も言えず唇をギュッときつく噤む。

 レイリアと出会ってからというもの焔は絶句してばかり、怒って喋れなくなるのではなく恥ずかしさのあまり言葉が出てこないのだ。

 脳内で上手い返し方はないものかと何度も繰り返し考える焔。しかし、表情とは反対に分かり易すぎる程ストレートに好意を向けてくるレイリアの振る舞いに焔は対応できないでいた。


「……どうしたの?」


「何でもない! それより俺、風呂に入るからもう行くな!」


 乱暴にならないようにレイリアの手を止め立ち上がる焔。身体も薬が効き始めたのか、自分の意志を尊重してくれているのか、動けるくらいには回復していた。


「ゆっくり……ね」


「そ、そうするよ」


 疲れた身体では足下がおぼつかなかったがレイリアに優しく見送られ、焔はまた熱を持ち始めた顔を見られないよう早足で訓練場を後にしたのだった。





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