03 猫耳少女は婚約者 (1)
食後の一時、それは家族団欒の時間。
家族が集まるリビングでゆっくりとお茶を傾けながら、テレビを見たりその日に起きた出来事を互いに面白おかしく話し合うものだ。時には話したくない様な辛い事にも向き合い励まし合う。
そんな家族の結束を高め、絆を確かめ合う憩いの時間であるはずなのだが……
「――というわけで、獣人の人達と亜人のレイリアちゃんは十五歳になったら結婚できるの。法律的には焔ちゃんがレイリアちゃんのお婿さんになれば全然問題ないのよー」
「問題ないのよー、じゃない! あるから、問題ありすぎるから! 聞き捨てならない問題が! ちゃんと一から十まで説明してくれ!!」
焔は三種族の関係をより良いものにする為のホームステイが何故、自分とレイリアの結婚話になってしまったのか。のんびりとソファーに腰掛けている響に説明を求めていた。
その場には庚達もいるのだが、衝撃的な事実を知って慌てふためく焔を肴にでもしているかのようにお茶を楽しんでいた。なんとも言えない温度差である。
「さっきも言ったでしょー? お母さん達とガリアさん達の間に子供が生まれたら結婚させちゃおうって事になっててね、それを〈イリス〉のみんなで種族間交流の要にしようって話になったの。だから、焔ちゃん達が結婚すれば万事解決ってわけー」
「達ってまさか! っていうか、もしかしなくても兄ちゃんも!?」
色々とツッコミどころ満載だったが、自分だけで無く庚も結婚することになっているとは思わず驚きの眼を兄に向ける焔。しかし、考えて見れば夕食の前の庚とミルディの様子を思い出してみると、逆に自然な流れかもしれない。
「僕の場合は何回かミルディさんの家に行ってご両親とも挨拶を済ませたし、式の日取りとかどのくらい人を呼ぶとか。次に会った時にでも話を決めてしまおうって事になってるんだよ」
慌てている焔に比べて庚の方は普段通り、落ち着いた様子でミルディとの結婚を受け入れていた。何とも冷静かつ大人な対応だろう。
「小さい頃から『ぜったいミルディさんと結婚するんだ!』って、面と向かって私達に宣言してたくらいだものねー」
「母さん、それは言わないでってお願いしてたよね」
「あらー、そうだったかしら?」
「そうでした」
「あっ、もしかして照れてるの庚君? 何か可愛いかも!」
「ミルディさんもからかわないで下さい。まったく、ミルディさんじゃなかったら怒ってますよ」
庚は響とミルディにからかわれながらも満更でもない様子で話を続ける。
「ふふ、ごめんね。でも、庚君のそういう優しいところも好きだよ」
「僕もミルディさんのそういうお茶目なところ好きですよ」
甘い雰囲気をかもし出す庚とミルディ、焔達に見られていても気にならないのか恥ずかしがることなく寄り添う二人。これはもう誰が見ても恋人同士のである事は間違いない。そんな二人のやり取りに、自分とレイリアの結婚が紛れもない事実でなのだと感じた焔。いっこうに収まらない動悸を押さえ込もうとするだけで精一杯だった。
「で、話を戻すと庚ちゃん達だけだと呼べるお友達や関係者が少ないの、だから少し早いかもしれないけどこの際だから焔ちゃんとレイリアちゃんも結婚させちゃおって事になってねー」
「この際って何!? 何そのついで感!!」
「いいじゃないの、ガリアさんからも承諾はとってるしー」
「おかしいだろ!」
「何がおかしいのー?」
「何がおかしいって何から何までだよ!」
焔は勢いよくソファーから立ち上がり響にくってかかる。
「会って間もない! すぐに結婚! おじさんの承諾も取ってある! 展開早すぎだろ!! 俺達の意志はどうなるんですか!?」
「あら? レイリアちゃんは良いのよね?」
「うん」
「あなた正気ですかああアアァァァァ!!」
一切の間をおかず答えるレイリアに、悲鳴とも奇声とも取れる叫び声を上げてしまう焔。
実際、結婚相手に『正気』か、と言うのではなく『本気』なのかと聞くべきなのだが……そんな些細な違いまで気にしていられる余裕は今の焔には無かった。
「いったい何時からこんな事に……」
焔以外の全員が落ち着いており、焔だけが惜しげも無くつっこみを続けるというシュールな状況。考えなくても焔に疲れが溜まってきている、もちろん精神的に。
「やっぱり思い出せないのね、焔ちゃん」
「思い出せないって、何を?」
「……十年前の約束」
「その約束が……結婚?」
「うん」
「………………」
それが本当の事なら食事の前に、みんなが親しげに話をしていた事に納得がいく。
しかし……
「やっぱり前に会った事があるのか、俺達?」
「……ある」
「ある、のか」
焔の感じていた違和感の正体、それはレイリアとの面識の有無にあった。
学園の校門で聞いた庚の話では、焔は十年前に知人であるがリアの元を訪ねている。その時の事は憶えてはいても、そこでレイリアと出会い結婚の約束をした記憶が焔には無い。
だが、レイリアや庚達はその事を憶えている。その辻褄が合わない認識のずれが今の状況を作っていた。
「十年前、焔ちゃんもレイリアちゃんと結婚する約束をしたのよ? それも私達とガリアさん達の前で」
「十年前だと俺が五歳の時か、……いくら小さい頃の話でも結婚するなんて言ったら普通は憶えてるだろ?」
そんな印象に残りやすい内容の約束ならそう簡単に忘れるとは思えない……自分が言えた義理ではないが。
「僕達もそう思って結婚の話を進めていたんだよ。四人で結婚式をするのも楽しいよねって」
「そんなこと言われても……」
レイリアとの約束を抜きにしても、庚達が口裏を合わせて自分を騙そうとしているとも思えない。そもそもこんな嘘をでっち上げた所で意味はない。種族間交流の件を考えても庚達が結婚するだけで関係緩和の証としては充分なのだから。
(俺はレイリアと会った事があるはずなんだ……なのに、どうして)
庚達の話に戸惑うもののレイリアの事を思い出そうと焔は眼を瞑る、すると脳裏にレイリアと出会った朝の光景がよぎった。
あの時、涙が流れた。理由はわからなかったがレイリアを見た時、確かに自分は泣いたのだ。あの時に感じた感覚は懐かしい感じがしてそれでいて切なくて……レイリアと出会った事があると自分の中の何かがそう言っていた気がする。そして、護れるはずのない約束を交わしてしまった。
何の力も無い自分がこの少女に誓ったのだ、自分を慕ってくれているであろう少女に何もしてあげる事ができないというのに。
「思い出せないからって、あんまり思いつめちゃ駄目よー」
「母さん」
落ち込む焔に優しく声をかける響、その声には母として我が子を気遣う心が感じられた。
「とりあえず結婚する方針で行くから、安心して良いわー」
「安心できない!?」
さっきの優しさに満ちたセリフは何だったのか、もう何が優しさなの分からない。
「何? 嫌なの? こんな可愛い子がずーっと約束を忘れないで焔ちゃんを想い続けてくれてたのに?」
「思い出せないのは悪いと思ってるよ。でも、俺には……」
焔は抗議のために上げた顔を俯かせる、それは恥ずかしさのせいではなく無力な自分に怯え踏み出せない心の弱さがそうさせた。
その心境を感じ取ったのか庚が助け船を出す。
「焔とレイリアさんの話は、お互いの事をもっと知ってからって事でいいんじゃないかな? しばらく一緒に暮らすことになるし、そしたらレイリアさんの事や約束した時のことも思い出すかもしれない」
「庚君の言う通りかも、あたし達が焦ったところで結局は二人の問題だしね」
「そうねぇ、気長に行きましょうかー」
「気長にって……」
結局、何も変わらないまま話が終わってしまい肩を落とす焔。
「じゃあ、僕は部屋に戻るよ。まだ部屋の片付け終わってないから」
「あたしも部屋に戻るね」
焔が意気消沈する中、庚とミルディは仲睦まじく手を取り合って自室へと向かっていった。
「はあ……それじゃ、俺は風呂の準備でも」
「それはお母さんがやっておくから、焔ちゃんは休んでて。色々あったから疲れたでしょー」
「ほんとにな」
「準備ができたらレイリアちゃん達から先に入ってもらうわねー、二人がお風呂から上がるまでゆっくりしてるといいわー」
「そうする」
焔は冷めてしまったお茶を飲み干し、自分の部屋へと向かう。だが、背後に妙な気配を感じそっと振り返る。
そこには何も喋らず虚ろな色違いの瞳で自分を見ているレイリアが立っていた。
「レイリアの部屋は?」
「……ここ」
「ここって言われても……」
また予感めいたものがよぎった、それもあまり良くない方向で。
「俺の部屋なんだけど」
「響がここって」
「母さんは何を考えてるんだか」
焔はため息を吐きつつ階段へ向かおうとしたが、階段を挟んで反対にある庚の部屋からミルディが出てくる。
「飲み物とってくるから、ちょっと待ってて」
「すみません、お願いしますね」
ドアが開いたままの部屋から庚の返事をする声が聞こえた、どうやら同じ部屋にいるようだ。
ミルディは部屋のドアを閉め、焔達に気づくと手を振りながら階段を降りていった。
「ミルディさん、なんで兄ちゃんと同じ部屋に?」
「プレート」
焔の疑問に答えるように、レイリアは庚の部屋のドアに駆けられているプレートを指さす。
「プレートって――なっ!」
焔の眼に入ってきたのは『庚とミルディの部屋』と書き換えられていたプレートだった。
焔は何度も眼を擦り、何度も瞬きをして確認するが彼の眼に映り脳内に送られる情報はやはり同じものだった。そして、予感めいたモノは予感を通り越して現実となる。
「あれ」
レイリアはいつの間にか焔の部屋のドアを開けていた。しかも、室内にある大きめのテーブルの上に眼を疑う物が置かれている。それはこの部屋の使用者『達』のプレート。
――『焔とレイリアの部屋』と書かれたプレートだった。
「………………」
焔は言葉を失った、二人の名前が書かれたプレートが存在してしまっている事実に。
理解した、幼い頃から疑問に思っていた部屋の広さに。
何故、他にもあるスペースの残っている部屋のほとんどが物置として使われているのか。
そう……長年の疑問が今晴れた。全ては今日、この日この瞬間。この家にある部屋の全てが、何処を使っても二人で過ごせる様に造られていたのだと。
「ここまでするのか、うちの親は」
「……私と一緒は、嫌?」
「い、嫌じゃない! いや、そういう問題じゃなくて。年頃の男女が一つ屋根の下にいるのは百歩譲って良しとしても、同じ部屋で……その……一緒に寝るのはどうかと」
「私はかまわない」
「いっ!」
ボンッ! と、焔の頭から湯気が上がる。もちろんそんな音がするわけはない。が、効果音としてはこの表現が正しいだろう。
なにせ婚約者であるレイリアの方からこう言われてしまっては、どう言葉を返したらいいのか自分には思いつかない。まして、レイリアは自分の事をすでに伴侶と認識しての発言だ。
結婚してしまえばこの亜人の少女と一生を共にする、そうなれば映画やドラマのように甘い言葉を囁きあったりするかもしれない。そうなれば当然その場の雰囲気に流され口づけや、もっとその先も――
「――――っ!」
焔は思わず想像してしまった事に耐えきれず頭を抱え込む。
(何を考えてるんだ俺はあぁぁ!?)
いつの間にか結婚前提で考えてしまっている自分を自覚してしまい、ブンブンとかぶりを振り熱くなってしまった頭を冷やす。
まさか自分でもここまで状況に流されやすいとは思っていなかった。
まして恋愛沙汰など、問題外もいいところだ。穴があったら入りたいという気持ちに駆られるが当然そんな穴は無い、有るのは逃げ場の無い自分の部屋だけである。
「部屋、入らないの?」
「……入ります」
覚悟を決めきれず部屋の中に入ったものの、この後どうすれば良いのか分からないずおろおろする焔。
普段なら授業の予習や復習、たまに庚と一緒にゲームをしたりしてのんびりしているはずのこの部屋でどう行動したらいいのか考えつかない。
女の子との接し方に悩む焔をよそに、レイリアは焔のベッドに腰掛ける。
「………………」
レイリアも何か喋るわけでもなく黙って焔を見つめていた、それが焔の緊張に拍車を掛ける。
(――ど、どうしたら)
女の子と二人きり、しかも密室というこの状況に落ち着いていられる男がこの世にいるだろうか。
レイリアはどうなのかと、横目で様子を窺う焔。
「………………」
無表情であまり喋ってくれないのだが、何度見ても眼を奪われてしまう。
朝もレイリアの姿に見とれてしまったのだ、テレビや雑誌で紹介される芸能人やモデルは綺麗だなとか可愛いなとか思うのだがレイリアの容姿や佇まいは、そういったモノとは別種の……この世界とは別の……おとぎ話に出てくるような、形容できない種類のモノで。
うまく言葉にできないとしか言えなかった。
そんな事を考えていたらレイリアと出会った時に感じた不思議な気持ちが蘇ってきた。胸の奥を刺すような痛みが突き上げてきて、意味もわからないまま泣きたくなってくる。
「……どうしたの?」
「へっ? あっ! いや、何でも無い!!」
いつの間にか、向き合う形でレイリアを見ていたらしい。
焔は慌てて話をそらそうとしたが、不意にレイリアが首に結んでいたリボンに眼がとまる。
(――どうして、知ってるんだこんな事)
焔は恐る恐るレイリアに声をかけ首のリボンを指さした。
「そのリボン……もしかして俺が?」
「思い出した?」
レイリアは首のリボンを解き焔に見せるため、手のひらに乗せゆっくりと両手を差し出す。
「このリボンだけじゃない、髪を束ねてるのも……焔がくれた」
焔は差し出されたリボンをじっと見つめる、それはレイリアが身につけている服と同じ色だった。
(……確かに俺はこのリボンを知ってる、商店街で……買った記憶がある。だけど、何のために買ったのかが思い出せない)
『誰か』に渡すためでもなければ自分がリボンといった、女の子らしい物を買う訳が無い。
その『誰か』がレイリアなのは彼女の話からして間違いない。なのに霧がかかって思い出せないどころか最初からそんな事が無かったというように、思い出をたぐり寄せる事すらできない。
「私に似合うからって……小さい頃にくれたの」
「そうだったのか……」
レイリアの声に嘘は感じない、それが余計に焔の表情を暗くさせる。
(……何でリボンの事は憶えてて、レイリアの事を忘れてるんだ)
幼少の頃とはいえ五歳の頃の事なら憶えている。家族で出かけたことや誕生日を祝ったこと、それに風邪をひいて寝込んだことも。何気ない日常の出来事でさえ思い出す事が出来るのに彼女の事だけが思い出せない。
「ごめんな、レイリアの事……思い出せなくて」
理由はどうあれ自分は傍にいてくれる女の子の事を忘れてしまった、そんな間抜けな自分がどうしようもなく歯がゆかった。
「気にしないで、少しだけでも思いだしてくれたなら良い」
「え、あ、……うん」
レイリアの答えが自分を責めるものではなかった為、口ごもってしまう焔。
それ以外にもレイリアの声は小さく顔つきも変わらないが、平板な声音の底にはなんだか嬉しそうな感情が見え隠れしており、それが焔の戸惑いにつながる結果になっていた。
「「………………」」
お互い無言になるも、さっきまでのように気まずいものでは無い。どこか優しい雰囲気に包まれている。
(やっぱり、このまま思い出せないのは駄目だよな。面と向かって女の子と話をするのは得意じゃないけど頑張らないと――覚悟を決めるんだ俺!!)
まるで戦場に赴く戦士のような顔と覚悟をした意気込みでレイリアと話すことを決めた焔。異性と話をしようとするだけで、ここまで真剣な決意表明をするのは彼くらいのものだろう。
そこが焔らしいといえばらしいのだが……。
(……よし、やるか!!)
少しでもレイリアの事を思い出すべく努力しようとした焔だったが、いきなり部屋のドアがノックも無しに勢いよく開く。
「レイリアちゃん、お風呂の準備が出来たから入って良いわよー!」
「……母さん」
いくら息子の部屋に入るとは言え、事前にノックをするか声をかけるかしてドアを開けるのがマナーである。だが、そういった気遣いが微塵もなかった響に出鼻を挫かれてしまった焔は、恨めしさが滲み出る視線を向けた。
「あらー、お邪魔だったかしら?」
「別に、何にもなかったよ」
「ふふ、それは残念ねー」
響は言葉とは反対に笑みを浮かべ、レイリアに手招きをする。
レイリアは静かに立ち上がりテーブルの下に置いてあった大きめのバックを取り出す。帰ってきた時には気づかなかったが、バックはレイリアが直接学園に来てしまったので代わりにミルディが焔の部屋まで運んでおいたものらしい。
そのバックの中から、レイリアはタオルと妙に面積の少ない布地のものを取り出す。
彼女が手にしている物が下着である事を理解した焔は、慌てて眼を反らし――
「あー、急に体を動かしたくなった! 何かそんな気分!!」
――とってつけた無理矢理感満載な理由で部屋から飛び出していった。
「あらあら、下着くらいで照れちゃって。まったく誰かさんみたいねー」
レイリアが身につける下着を見てしまった焔の慌てぶりに響はここににいない最愛の夫、焔と庚の父親である司のことを思い出す。
「見た目は私だけど、性格は司さんそっくりだわー」
「……そう」
「司さんより恥ずかしがり屋さんな所が心配ねー。まあ、そんな焔ちゃんだからこそレイリアちゃんを幸せにしてくれると思うわー。我が家で一番一途な子だもの」
「…………知ってる」
レイリアは部屋から飛び出していった焔の姿を思い出し頬を朱く染める、それは近くで見なければわからないような変化だがこの時やっと表情が変わった瞬間だった。
そんなレイリアを見て口元が緩む響。
「さっ、お風呂まで案内するわ」
「うん」
レイリアは響と一緒にバスルームへと向かうのだった。