02 確かに事実は小説よりも奇なり (1)
学園からの帰り道。
焔は男女関係なくすれ違う人々が足を止め振り返ってしまうほどの美少女、レイリアと手を繋いで歩くという普段とは違いすぎる状況に居心地の悪さを感じながら目的地へと到着した。
(家に帰る前に夕食の材料を買いに来ただけなのに……)
行き違う人達がレイリアを見てしまうのは仕方のない事だと自分でも分かる。
自分も同じように彼女を見た時、息を飲み込み言葉を失った。
手入れのいきとどいた真っ白な長い髪、雪のような白い肌に神秘的な印象を感じさせる色違いの瞳。そして、意識しなくても視線を向けてしまう頭の上にある猫耳と腰の辺りで揺れる白い尻尾……一目で自分達とは違う種族で違う国の少女だと理解出来る。
(でも、変わった子だな)
そんな感想を焔に抱かせた理由は、幻想的とも言える容姿だけではない。
目的地に着くまで、焔と一緒に多くの人から視線を向けられたというのに彼女が何の反応も見せなかったからだ。
(……とりあえず、買い物を済ませないとな)
焔は気を取り直し目的地の中へ足を進める。
そこは普段から焔が通っている商店街。食料品から生活用品まで必ずここで購入している。
その中で肉や魚に野菜等を売っている店の殆どは、各店舗の主である店主達が朝早くから取れたての食材を扱っている市場まで出向き、自分達の眼で品質を確かめ納得がいく品物しか仕入れていないのだ。
焔はそこが気に入っているため、もう少し歩くとある百貨店といった大型店舗の食料品売り場には殆ど行くことは無かった。
青春真っ盛りの少年が何故主婦のような事をしているのか、と疑問に思うかもしれない。だが、焔から言わせれば学園での授業が終われば特にやる事がないからだった。
授業が終われば生徒達は部活動に汗を流し、委員会などに所属していれば雑務に励む事になる。
しかし、その活動の多くが《契約術》が使える普通の人間を前提にした物である。光稜学園には人間以外も居るのだが、種族の違いがあっても基本的に《契約術》とは別の強力な力を持っている事に変わりはない。
その事もあり、焔は庚や武達とは違い、放課後の部活動や委員会活動に参加する事が無い。そのため、空いてしまった時間で少しでも家族の役に立とうと料理や洗濯、掃除といった家事に専念する事にしたのだ。
(さて、今日は鍋にするから……まずは野菜から買うか。先に入れる野菜を決めてからの方が肉か魚、どっちが良いか決められ――る?)
焔は響の満面の笑顔を思い出しながら、鍋の材料を揃えるべく商店街の奥で店を構えている八百屋に向かおうと歩き出した。しかし、その足がすぐに止まる。足が止まったというより先に動かなくなったのはレイリアに握られている左手だった。それもそのはずだ、手を繋いでいるレイリアがとある店の、ある物を食い入るように凝視して立ち止まっていたのだから。
(もしかして……)
それは魚屋の店先に並べられている新鮮な魚。勿論、魚だけでなくホタテやウニと言った様々な海の幸が売り出されていた。
「……魚、好きなのか?」
「うん」
焔は魚を見るレイリアの様子を静かに見守る、やはり彼女の顔つきから考えは読めないのだが焔の視線は表情以外で変化を見せるモノに移った。
眼に映ったのはレイリアの白い尻尾、好きな物を見つけて嬉しいのか猫と同じように大きくしなやかに揺れる動きに自然と笑みがこぼれる。
「おっちゃん、いるー?」
店舗の奥にある部屋にいるはずの人物に出てきてもらおうと大きめな声で呼びかける焔、それから少しして前掛けをした中年の男性が帽子をかぶりながら店先へと姿を現した。
「よう来たな、坊主。今日は何に――!」
魚屋の主人は焔に声をかけるも、その途中で声が止まり何かに驚いている表情を見せる。
「やるじゃないか! えっ、坊主!」
「やるって、何が…………はっ!」
主人のキラキラと輝く視線の先にはレイリアがいた。しかも握られている手を交互に見た後に自分へ視線を戻す。
「こ、ここここれには事情があってだな!」
「皆まで言うな! 分かる分かるぞ、坊主」
「うん、何が!?」
言われた通り焔は何も言ってないのだが、今の流れで何が分かったのだろう。
魚屋の主人は焔のツッコミを聞き流し、被っていた帽子を握りしめ嬉しそうに涙を流す。
「種族を超えた愛……その年の頃は何があってもおかしくねぇ、自分の気持ちに素直になるのが一番の幸せってやつよ」
「愛って! ちょっと、おっちゃん!?」
「愛し合う二人……昔は俺も母ちゃんと愛しあったもんよ、惚れた女が傍にいてくれるってのは良いもんだぞ。そりゃあもお周りの反対を押し切ってだなあ――」
(あぁ、全然分かってない! しかも聞いてもいないのに何か熱く語りだしちゃったよ! ここはさっさと話を切り上げて帰ろう。うん、それが良い!)
焔は聞くも涙、語るも涙の主人の熱愛語りを止めようとわざとらしく声を張り上げる。
「おっちゃん! マグロとサーモンにイカとイクラ。それと甘エビ、ホタテ。あとはタイをくれ!!」
「おお! 気合いが入ってるねぇ、坊主。よし! 今日はめでてぇ日だ。ウニとアワビにカニも持って行きやがれぇ!!」
魚屋の主人は焔が注文したもの以外のオマケも含め、手際よく新聞紙に包んでいく。本当ならお礼を言うべきだが今は恥ずかしさのあまり、とにかくこの場所を離れなければならないと焔は急いで代金を払う。
そのやりとりをしている間、入り口付近とはいえ主人の声は商店街の奥まで響き渡り会話が筒抜けになっていたらしく……
「可愛らしいカップルじゃないか、仲良くな!」
「ちゃんとエスコートしてあげるのよ、彼氏君!」
「お兄ちゃんとお姉ちゃん結婚するのー? おめでとー!!」
大人から子供まで、周りにいる人々から祝福の歓声と拍手を送られてしまった。
「誤解なんだああああああああああああ!」
大声で叫び涙を流しながら商店街を後にする焔……もちろん手は繋いだままである。
その後、焔達は無事に? 家に着くことができた。
焔はレイリアに手を離してもらい、買ってきた食材を冷蔵庫に入れてから自分の部屋に戻った。
「…………はあ」
部屋に入った途端に身体の力が抜けたのか焔はベッドに倒れ込む。
窓の外はすでに夕日が沈んでいる。時計を見ると時刻は六時半を過ぎていた、今から鍋の準備をするのは些か億劫だ。
「メニュー変更しておいて良かった」
焔は疲れた身体をゆっくりと起こしクローゼットを開く。
制服から私服に着替る中、こんなに疲れた事はないと弱音を吐き疲労困憊の原因に思いを馳せる。
自分が今まで生きてきた十五年の人生で、学園から家までの距離をずっと女の子の手を握って帰ってきたことなど一度もない。ただ手を繋いだだけで、こんなに疲れるものだとは思わなかった。
「レイリア、か」
焔はレイリアと手を繋いだ事を思い出し頬を朱くする。
レイリアの手は柔らかくて、自分より小さくて、こっちが力を込めて握ってしまえばすぐに指が折れてしまいそうで……
「あんな可愛い子の手を握ってたんだから、緊張するのは当たり前か」
「……何が?」
「はぅあっ!?」
背後から聞こえた声に、焔は素っ頓狂な声を漏らす。
「レ、レイリア」
「……どうしたの?」
「いつから、そこに」
気配どころか部屋のドアを開けた音にすら気づけなかった。
「今……来たばかり」
「そ、そっか」
焔はレイリアに見えないように小さくため息を吐く。
(さっきのは聞かれてないみたいだな……危なかった~)
声に出してしまった本音は決してレイリアを非難するものではない。
それでも彼女に聞かれていないと分かり焔は心の中で一安心するも、驚いて出してしまった声が聞こえたのか庚が姿を見せる。
「どうしたの焔、変な声が聞こえたんだけど?」
「何でもないよ兄ちゃん……? えっと、後ろの人は……」
「君と会うのは初めてだね、あたしはミルディ。よろしくね、焔君」
「……はあ、よろしく」
庚と一緒に部屋に入ってきたミルディという名の少女は、絵画からそのまま抜け出したような美少女だった。
肩まで伸びた夜目にも鮮やかな金髪。強気にこちらを見おろす碧の瞳……そしてレイリアと同じく亜人特有の動物の耳と尻尾、形状からすると犬の物だろうか。
ミルディも異性だけでなく同性からも声があがる程の容姿だ。年は兄と同じくらいだろう、背も自分より高い……少しだけ視界が潤む。
「ミルディさんも今日から家に住むことになったんだ」
「じゃあ、レイリアとミルディさんが……」
自分が置かれている状況を理解した焔を見て優しく微笑む庚。
「うん、母さんが話してた亜人の子達だよ」
「………………」
一言一句違わずに自分の予想通りに答える庚の姿に焔は何も言えず目頭を押さえた。
「焔?」
「何でもない、眼に塵が入っただけだから。……先に下に行っててくれ、レイリアも一緒に連れてって」
「分かった、お茶の用意はしておくから焔もすぐ来るんだよ」
庚はレイリアとミルディを連れて下の階へと向かう。
三人が部屋を出て行った後、焔は涙声のようなくぐもった声で呟く。
「まだ着替えの途中だったのに……」
先にシャツを着ていたとは言えパンツが丸見えの状態。そんなみっともない姿を晒していた自分と話をして、何もなかったように部屋を出て行ったレイリア達の後ろ姿を思い出す。
(レイリアの時もそうだったけど……俺って情けないところばっかり見られてないか?)
学園ではレイリアに抱きつかれ気絶した姿をあの場にいた全員に見られ、庚はともかくとして今度は着替えている姿をレイリアだけでなく初対面のミルディにも見られた。
「日頃の行いが悪いと自分の身に悪い事が帰ってくるって聞いた事あるけど……俺、そんなに悪くないと思うんだけどな」
焔は憔悴した表情でジーパンを履くしかなかった、もちろん重いため息と共に。