『再会』だけど初対面? (2)
「……保健室?」
焔が眼を覚ました時、そこには見覚えのある白い天井が広がっていた。
学園の実技授業で怪我をする度に来る事になる場所。
どうして自分は保健室のベッドで寝ていたのだろう。そう疑問に思いながら身体を起こし背伸びをしながら欠伸をした時、聞き覚えのある声がすぐ隣から聞こえてきた。
「……おはよう」
焔は背伸びの状態のまま首だけを動かし声の主へと顔を向ける。
「………………」
そこにいたのは桜の木の下で出会った亜人の少女、彼女は焔が寝ていたベッドの横に置いてあった椅子に腰掛けていた。
焔は欠伸をして開けた口をそのままに現状を整理する。
(ここは保健室でいるのは俺とこの子だけ……でも、何でここにいるのか分からなくてこの子の事も名前も知らない。そもそも俺はさっき登校したはずなのに、どうして窓から見える太陽はもう沈みかけてるんだ? ああ、夕日の光が眼に染みるなあ)
「………………」
亜人の少女は表情を変えずにこっちを見ている。何を考えているのか分からないが確かなのは現在進行形で大口を開けてしまった自分の顔と、その間抜けな状態のまま動けないでいる姿を見られ続けているということ。
(どうしてこんな事に……誰でも良いから助けてぇ!)
焔はとめどなく流れでる心の汗を拭いもせず思考を働かせる。それでも解決策が浮かばずどうしたものかと途方に暮れていたが、そこに助け船が来るのだった。
「焔、もう起きてるか?」
(助かったあぁぁ!)
それはクラスメイトである武の声だった。焔は今この時ほど、彼に感謝した事はないだろう。
「起きてる! もう起きてるから入ってきてくれ!!」
「そうか、なら遠慮無く」
焔達がいるベッドまでゆっくりと歩く武、彼の手には焔の鞄と昼食だったはず弁当箱が入っている包みが握られていた。
「ほれ、お前の荷物」
「悪いな、持ってきてもらっ……て?」
武から鞄と弁当箱を受け取った焔は、ほんの少し違和感を感じた。
「弁当ならその子に食べてもらったぞ、春とはいえ駄目になるかもしれないと思ってな。それにその子、昼飯を持ってきてないみたいだったし」
「別にいいよ、逆に助かった」
空になった弁当箱を鞄に詰め込む焔、掛けられていたシーツも綺麗にたたみベッドから立上がる。
「もう起きて大丈夫なのか? お前、その子に抱きつかれて気絶したんだぞ」
「……怪我してるところは特にないみたいだから大丈夫だと思う」
念のために身体を動かしてみても特に痛みはない。だが、女の子に抱きつかれただけで気絶するとは我ながら何とも情けない。
異性に対する体勢の無さに、がっくりと肩を落とす焔。
「それなら良いけどよ……ちょっとこっち来い」
武は椅子に座っている少女から離れるように距離をとり声を潜める。
「あの子のこと本当に知らないのか?」
「全然心当たりがない、他種族の知り合いでって事になると年の離れた人が数人くらいだ」
「でも、お前が眼を覚ますまでずっと傍にいたんだぞ」
「ずっとって……」
焔達は気づかれないようにそっと少女に視線を向ける。少女は相変わらず動かない機械のような表情をしていた。
「……何で?」
「そんなもん俺が聞きてえよ。休み時間に何回かここに来て話しかけたんだけどな、うんともすんとも――くっ!」
何とかうち解けようとした数時間前の事を思い出し武は目元を押さえる、その素振りが涙ぐましい努力があった事を感じさせる。
「まあ、あれだ。俺は先に帰るからあとは頑張れよ」
「えっ? そんなの無理――」
武は無言で焔の肩を軽く叩き、まるで逃げるように保健室から出て行った。彼が扉を閉めた音が、会話の無くなった室内に大きな残響を残す。その場に残された焔はただ唖然とするしかなかった。
「………………」
相変わらず少女は何も喋らずに静かに焔を見つめている。そんな彼女の視線を背中に感じつつ、焔は何度か深呼吸を繰り返す。
(とにかく話をしないと先に進まないか……)
心の準備を整えた焔が少女に向きなおろうとした時、再び保健室の扉が開かれた。
「起きたようだね、神月君」
声の主は保健室の主である養護教諭だった。外は夕暮れ、すでに下校時刻になっていたのだろう。彼の手には小さな鞄が握られていた。
「さっき日向君と行き違ってね、君が眼を覚ましたと聞いて伝言を伝えにきたんだ」
「伝言? 武からですか?」
「いや、お母様からだよ」
「母さんから?」
この時、焔の脳裏に予感めいたモノが過ぎる。
今まで緊急の要件でもない限り響が学園にいる自分と連絡を取ることはなかった。けれど、連絡があったのにこうして放課後まで眠っていたということは緊急ではないが、何か重要な要件である事が分かる。それも自分の後ろにいる少女に関係している気がする、というかそれしかない。そうじゃなかったらおかしい。
「母さんは……何て言ってました?」
「あー、『一緒に帰って来てねー』……と」
養護教諭の口から出た響の簡潔すぎる伝言を聞いた瞬間、膝から崩れ落ちた焔は床に手をついた。
その様子に養護教諭は戸惑った様子を見せたが一言励ましの言葉をかけ帰ってしまった、ちなみにこのとき何を言われたかは覚えていない。
「……えっと」
気を持ち直した焔はゆっくりと立ち上がり、引き攣った笑みを浮かべながら少女へと向き直った。
伝言から察するにどうやらこの少女が朝の話に出てきた種族間交流の子らしい。名前も分からないのでは声もかけずづらい、ここは自己紹介がベストなはず。
「俺の名前は神月――」
「焔」
自己紹介を終える前に亜人の少女がまた自分の名前を呟いた。
「……知ってる、あなたは……焔」
「俺のこと知ってるのか? 初対面だとおも――」
質問の途中で焔は息を飲んだ。初対面と言う言葉を口にした時、感情を見せなかった少女の顔が一瞬だけ悲しみに染まった様に見えたのだ。焔は眼を擦りもう一度少女の顔を見るが彼女の表情と眼差しに変化は見受けられない。
(気のせい、だったかな)
もしかしたら窓から入る夕日の光で眼が眩み見間違えたのかもしれないと、ほっと一息つくもすぐに緊張状態に引き戻された。
「……レイリア」
「えっ?」
「私は……レイリア」
レイリアは焔の右手を取り小さな声で自分の名前を告げる。
「そ、それが君の名前?」
何の前触れもなく手を握られた焔は動揺を隠す事がでず、うわずった声をもらしてしまう。だが、焔の視線はレイリアの手に釘付けだ。
自分は背が高くない、百六十を超える位で身長に比例するように手も小さい。だが、レイリアの手はそんな自分の手よりも小さかった。それでも、男の手とは違う包み込んでくれるような柔らかな感触に鼓動が早まる。
「憶えて……ない?」
自分より少し小さいくらいのレイリアが顔を覗き込んでくる、そのため距離が自然と近づき息がかかる距離に彼女の顔がある。
「ごご、ごめんな。忘れちゃったみたいで、とりあえず離れよう」
「……本当に?」
レイリアは離れて欲しいという焔のお願いを聞いていないのか更に近づく。
「ごめ、ごめんなさい! だから離れよう、な!」
「………………」
尚も無言で距離をつめるレイリア。
「はな、はなれ……」
気絶した時と同様、再び二人の身体が密着する。レイリアの小さな肢体は、焔が腕を背中に回すだけで抱き合う形になってしまう。その事実に焔の顔は赤く茹であがり、苦い記憶が蘇る。
(こ、このままじゃまた気絶する!)
焔は唯一自由な左手をバタバタと動かし、何とかレイリアとの距離を取ろうとする。しかし、左手を動かしているだけでは何の解決にもならない。
焔の意識が遠のき始めた時、感じていた柔らかな感触と温もりが消える。
「…………」
レイリアは口を閉ざし耳まで赤くなっている焔の顔を見つめていたが、落ち着きのない焔を心配してか減り張りのない声で気遣う言葉をかけた。
「……大丈夫?」
「ワザと? ワザとやってる!?」
「ワザと……?」
切羽詰まった焔の問いかけにレイリアは小首を傾げる。表情から何を考えているかは分からないが首を傾げるという事はどうやら他意は無いようだ。とは言え、素でこうも密着されるのでは焔の心臓はどこまで保つだろうか。
「と、とりあえず家に行こう。詳しい話はそれからで!」
焔はレイリアとの思わぬ触れ合いで動揺した心を誤魔化すように急いで保健室を出ようとした。ところが今度は左手を握られ、慌てて彼女の方に振り返るものの当の本人は繋いだ手をジッと見ていた。
「手を繋いで帰りたい……とか?」
焔の質問に小さく頷くレイリア、その仕草に異性と手を繋ぐという行為に対して躊躇いは感じられない。
「でも、ほら、誰かに見られたら困ったことに……なったり?」
「家、分からない」
「一緒に来てくれれば大丈夫だぞ、だから別に手を繋ぐ必要は……」
「………………」
レイリアは握った手から視線を外さない。それは手を繋いだまま帰ると言われているようで、何より少しずつで自分の手を握る彼女の手がどんどん力強くなっている気がした。
「分かった、繋いだままで良いから! ……少し力を緩めてもらって良いか?」
「……うん」
手を繋いだままで良いと言われて安心したのかレイリアの手が少しだけ緩む。
その力は誰かに見られてもすぐに手を離せるくらいに弱まっていた。焔もほっと胸を撫で下ろすも、すぐにまた気を引き締める。
「それじゃ、行こう」
レイリアは静かに頷き、焔は保健室の扉を開き辺りの様子を覗う。放課後であったため周りに人影はなく生徒達の話し声も聞こえない、殆どの生徒はもう下校したようだ。
(今なら何とか
)
焔は唾を飲み込み一歩踏み出した。その勢いに身を任せ生徒用玄関へと早足で向かい外靴に履き替える。どうしてなのかレイリアの靴も自分の下足箱に入っていたが、その事に関して今は置いておこう。
玄関を出て校門へと走るがその間には非常識な広さの校庭がある、陸上競技場から野球場にサッカー場とテニスコート、弓道場に剣道場等々。運動部系の専用設備は充分なスペースが取られており陸上競技場に野球場、サッカー場に至ってはプロ選手が使用するものと同じレベルで設置されている。
そんな広大な広さの校庭を一気に駆け抜ける二人。
「……誰にも見られていないよな」
校門前に到着した焔は、軽く息を切らしながらも念には念をともう一度周りを見回す。
学園の生徒達が何人か歩いてはいたが、この時間帯だと殆どが恋人同士の生徒達しかいない。そのお陰か誰も自分達の事など気にも止めていなかった。
(……恋人同士?)
ふと思い浮かんだ言葉に握られている自分の手を見る焔、この状況下では見る者の捉え方によっては自分達も――
「お似合いのカップルだね、仲が良くて何よりだよ」
「おわっ!」
焔の肩が突然声をかけられた驚きで跳ね上がる。咄嗟に手を放そうとしたが、反対に離すまいとレイリアに手を強く握られてしまい解くことはできなかった。
焔は慌てて声のした方向に向きを変える。
「今帰るの、焔?」
「……なんだ、兄ちゃんか。びっくりさせないでくれ」
「どうしたの? 何かやましい事でもあった?」
「いや、この状況だと驚きもするって」
焔は頬を朱く染め視線を泳がせる、見られたのが庚だったのは不幸中の幸いだった。
これが武だったら羨望の眼差し向けながら、殴りかかってきてもおかしくない状況だった。
だが、家族だとしても女の子と手を繋いでいる姿を見られるのは気まずい事この上ない。
「確かにね、まさかレイリアさんが直接学園に来るとは僕も思ってもみなかったよ」
「はい?」
庚の口から出たレイリアの名前に耳を疑う焔。
「兄ちゃんが何でこの子の名前知ってるんだよ!?」
「何でって……」
口元に手を添え考え込む仕草を見せつつ庚はレイリアに視線を向ける。レイリアは庚の何かを問いかけるような視線に、首を小さく横に振った。
「……小さい頃に何度か会ってるんだけど、憶えてないの?」
「小さい頃って?」
「ほら、十年前に父さんと一緒にベルディナスさんの家に遊びに行ったよね? 彼女はおじさんの娘さんだよ」
庚の言葉に焔は眼を丸くする。
「……レイリア、レイリア・ベルディナス。それが私の名前」
「おじさんの……娘さん!?」
焔は裂けんばかりに眼を見開く。レイリアの父、ガリア・ベルディナスは焔の父である司と旧知の仲。しかも獣人の中でも〈獅子王〉の異名を持つ程の実力を持つ白虎の獣人で、獣人だけでなく亜人の長としても名が知れ渡っている。
つまり、彼の隣にいる少女は獣人と亜人の二種族を束ねる長の娘なのだ。
「まあ、詳しいことは家で母さんが話してくれると思うから夕飯の買い出し頼んだよ」
「あ、うん……」
庚の言葉に驚きを隠しきれず焔はしばらくその場に立ちつくす。
少し時間が経ってから正気に戻った焔はすぐさま庚の姿を探すが……当然のごとく庚の姿は見あたらなかった。
「一緒に帰ってもらえば良かった」
重いため息と共に肩を落とす焔、庚と一緒に帰ってもらえば落ち着くことができる時間を作ることができたが今の状況ではそれはまだ当分先のことのようだ。
「買い物……行かないの?」
「……行こうか、レイリアさん」
「レイリア、で良い」
「でも――」
「小さい頃は、そう呼んでた」
「うっ!」
レイリアの指摘に焔は思わず声を漏らす。
自分は物覚えが悪い方ではないと思っていたが、何度か会った事のある女の子のことを名前どころか会った事すら憶えていない……その罪悪感で胸が一杯になる。
「じゃあ行こう、レイリア」
「……うん」
力のない笑みを浮かべる焔の言葉にレイリアこくりと頷き、今度は優しく焔の手を握りしめる。美少女と手を繋ぐ、そんな嬉し恥ずかしい仕打ちに耐えながら、焔はレイリアを連れて近くの商店街へと向かうのだった。