寄り添う資格(3)
「………………」
時刻は夕方を回り、既に夜。
一日の終わりを締めくくる食事を終えた神月家の台所で焔は一人、浮かない表情で食器洗いにいそしんでいた。
(…………はあ、どうしたら良いんだ……)
手際よく食器を洗い進めていく軽快な手つきとは裏腹に焔の胸の内は重い、それでも手が止まらないのは長年に渡り神月家の台所を預かった主夫として染みついた家事スキルのたまものだろう。
しかしながら、今の焔が直面している問題の解決には繋がらない。
(俺のクラス……だけじゃ無くて、一学年全部のクラスに俺とレイリアの関係を不満なく認めさせる為にレイリアと戦わなきゃいけないなんて
)
光稜学園は世界公認の異種族交流教育機関。
当然の事ながら不純異性交遊の校訓や罰則に掛からない、清い交際であれば種族が異なる男女が交友を交わし深い仲になる事に異を唱えることは無い。焔とレイリアの交際、ひいては学園の教師陣も度が過ぎなければ温かく見守る体制を取っている。
だが、光稜学園に在籍する生徒全員が、突如知らされた二人の婚約に何の疑問を抱かないと都合良く行くことはなかった。
幾ら政府公認の元で行われているにしても、彼等は良くも悪くも近くで焔を見てきた。彼等の目にはつい最近まで《契約術》が使えない落ちこぼれで、世界の種族バランスを壊してしまうかも知れない異質な少年として映っていた。
せめて何事も無く焔が《契約術》を使えていたのなら、周りからしても対等な関係で結ばれた婚約だと違和感を感じること無く受け入れていたに違いない。
今の焔はヴォルカニカの力を取り戻しては言え、響が用意した焔が《契約術》を使えなかった経緯は個人の力を重視しがちな年頃の世代には、すんなりと納得できるものではなかった事が最大の要因だろう。幾ら種族交流に理解がある子供達が集まるとは言っても、自身の家柄や力が物事を判断する基盤になる以上、優劣で物事を考えてしまうのはそう簡単に変えられるものではなかった。
だからこそ昼食時、問題の解決策にとリーに提示された焔とレイリアの直接戦闘は単純ながらも効果的なものだった。
問題は、
(――いや、出来ない、出来ないから! 普通に考えなくても勝ち負け関係なくレイリアと戦うなんて出来ませんから!?)
焔に実行できるだけの胆力が無かった事だった。
(レイリアを護る為に強くなろうって決めたばかりだって言うのに、護りたい相手と戦うとか…………想像するだけで足がすくむ)
〈ディパーチャー〉との一件以来、日課の鍛錬にレイリアとの模擬戦は組み込まれている。あくまで模擬戦な為、怪我をしない程度の力での手合わせ。それでも体力、魔力総量、戦闘スタイル、《契約術》の継続時間等々。全力で手合わせをする事は無くとも、焔とレイリアが互いの実力を大まかに把握する分には充分だった。
しかし、リーの提案を実行すれば各種族から選ばれた未来有望な学生達の前で手を抜くことは出来ない。学生の身とは言え性別、種族に関係なく相対する相手の実力を見抜く眼識を持っている。
《契約術》を使えなかった焔では、如何に神位級の魔力で肉体強化を施しても彼等に一歩も二歩も劣っていた。だからこそ無意識に焔を下に位置づけ、焔自身では無く優秀な契約術士である庚と響と関わりを持つ為の関係を維持していたのだ。
だが、ヴォルカニカの力を取り戻した焔は、慢心していたクラスメイト達を一気に追い抜き庚に匹敵する契約術士へとなった。その事実に焦り、罪悪感、後ろめたさを抱く物は多い。
けれど、同時にその力を確かめようと焔自身に眼を向ける。そこがリーが提案したレイリアとの直接対決が最大限の効果を発揮してくるのだが――
『――良い、弟君。レイリア様と戦う前準備として、まずは弟君には午後の授業は全部休んでお家に帰ってもらいます』
『授業やす、えっ、家に帰る? それ何の意味が??』
レイリアと戦う、その言葉だけでも戸惑い受け止め切れていない焔。追い打ち、では無くてもリーの言葉に更に焔は顔を顰める。それもそうだろう、午後の授業は《契約術》を使う実践形式。リーの作戦を実行するには都合が良い、だと言うのに帰宅を推奨されてしまっては理解が追いつかないのも当然だろう。
『理由は全部で三つ。一つは弟君の実力を一学年だけじゃなくて全校生徒、全教員に見せる為。クラスの子達だけに弟君の力を見せつけても、他のクラスの子達が納得するとは思えないからね』
なまじ戦える力を持っているからこそ直に戦うまでは自身の負けを認めず、焔に対する認識を変えようとしないだろう。この手の問題は時間を掛けて周知の事実にするのも手ではあるが、焔の場合は相手に言い訳させない状況を作る必要がある。
その為に焔とレイリアの一対一の模擬戦を〈イリス〉からも交流試合の一環として要請する準備は整っている。
見方によっては茶番ではあるが、これも人間と準人族達の関係をより良くするための策。とは言え、焔がレイリアに無残な負け方をしてしまえば破綻する事を考えれば賭けの要素の方が大きい。
だが、結果としては勝っても負けても然して問題はない。勿論、焔が勝つ事が理想ではあるが、負けて無様な姿をさらすことさえしなければ大丈夫だ。《契約術》が使えなかった焔だったら難題ではあったが、今の焔であればおいそれと負けることもない。
『二つ目は弟君の精神状態の安定を図ることかな、レイリア様は大丈夫みたいだけど私の話を聞いてから落ち着きが無もの』
『それはそうですよ……レイリアと戦うだなんて……考えても見なかった』
『だから弟君にお家に帰って気持ちを落ち着かせて欲しいんだ。出来るならレイリア様に勝ってもらいたいし。庚君と良い勝負が出来るならそれも無茶な話じゃ無いから』
『……それで、三つ目の理由は?』
『話が戻っちゃうけど確実に弟君がレイリア様と戦うに当たっての準備かな、授業中だと他の生徒さん達と組んでレイリア様と戦えないかも知れないし。それにこういうことはインパクトが大事だからね、弟君の力を強く印象づける為にも最初が肝心だよ。私からはこれで終わり』
何か質問はある? っと、午後の授業を休む必要性を解き終わったリーは一息ついて此処までの話で焔に質問の有無を問いかける。
『その、レイリアと戦うとして……勝負の方法とか、勝ち負けの判断はどんな感じになるんですか?』
『形式は普段の授業でもやってる《契約術》ありの模擬戦だよ。勝敗に関しては勝っても負けても大丈夫、でも弟君が勝つのが理想的ではあるかな。流石に庚君のお墨付きがあってもレイリア様が相手じゃ難しいと思うけど、婚約者として以前に一人の男の子として女の子を護れる力があるって証明できれば納得させやすいからね』
『………………』
勝ち負けに拘らないとは言っても勝利と敗北、字面だけで判断しても受ける印象は正反対だ。断然、負けるより勝った方が印象が良い上に、レイリアを護りたいと奮起する焔としてもレイリアより弱くては意味が無い。
事実、アスクとの戦いでは何とか場を凌いだ事で戦況を好転させる事に成功しただけに過ぎない……ヴォルカニカの力を取り戻す事が出来たと言っても、まだ《契約術》に不慣れな焔ではレイリアを護りきれるとは言えなかった。
その事を誰よりも分かっている焔はリーの言葉に無言になるしか無かったが、そんな焔の様子を見て質問が無いと判断したリーは腰を上げる。
『そろそろお昼休みも終わる頃だし話は終わり、明日の準備もあるから今日はこれで。弟君とレイリア様じは午後の授業は休んできたくしてくださいね、それじゃ』
昼休みの終了を告げる予鈴が鳴る前に自分のクラスへと戻る為、リーは踵を返し屋上を後にした。焔やレイリア達も教室に戻らなくてはならないのだが、残された四人の足が動くことは無い。
『焔、シャーフ先輩はああ言ってたけど……どうすんだ?』
『焔君次第だと思うけど私は悪くない案だと思うわよ、今回みたいな話は変に作戦を練るよりハッキリと分かりやすい方が効果も期待できるんじゃない?』
『……それは、そうかもしれないけど……』
『…………焔』
『………………考える時間が欲しい、しか今は言葉が思い浮かばない』
――昼休み、リーと話す事が出来たお陰で取るべき打開策は見えた。
それでも色々と理由を付けて作ってくれた準備の時間は、今も納得がいっていない焔の悶々と決断しきれない迷いに着々と減らされていく。
(駄目だ……周りにどうやったら認められるかより、どうやったらレイリアと戦わずに済むかばっかり考えてる。これじゃ何の解決にもならないって分かってるのに……はぁ……)
リーの提案に乗ってレイリアと戦ったとしても、きっと自分はレイリアに全力で剣を振るう事は出来ない。それは体術でも同じだ、拳も蹴りも当たる直前で力も心も抜ける……そんな攻撃がレイリアに通用しないことは分かっている。
全力で戦った事は無いが、アスクとの戦いで見せた動き。
(今の俺なら、あの動きにもついて行けるはず。でも《契約術》を使った状態だとどうなるか……)
レイリアの《契約術》は意志を宿すあらゆる存在と心を通わせ、その力の一端を行使させることが出来る。《魔装術》という《契約術》よりも上の術式でヴォルカニカと契約を結ぶ自分と戦いでは充分にその効力を発揮する事は難しいだろう。
だが、《契約術》を発動するだけ基礎魔術の肉体強化以上の強化効果を得られる事に変わりは無い。
アスクと戦った時は、相手が天魔人という事もあり《契約術》の力で戦いを有利に持ち込めないと温存する事に決め逆に窮地に追い詰められてしまう事になってしまった。こればかりはアスクの言う通り戦闘経験の差による詰めの甘さが致命的だった。
尤も、それはレイリアだけでなく自分にも言えることだが、今回は命がけの戦いでは無く如何に全力で戦い自分の力を認めさせるかである。
命の危険が無い以上、自分もレイリアも何の気兼ねなく《契約術》を使える。使えるのだが……
(あの時よりずっと速いのは確実……レイリアの速さについて行けるか?)
《契約術》と獣人特有の高い身体能力、そのどちらも有している両有種である事も考えれば恐らく速度だけならレイリアは庚をも上回っている。《契約術》を問題なく発動する事が出来るとは言え、レイリアや庚だけでなく武や志保、他の同世代と比べても安定性で考えれば不安定だろう。
ちょっとした動揺や攻撃の影響で《契約術》を解除してしまう可能性がある。
もしレイリアと戦っている最中に《契約術》が切れてしまえば、戦局は一気に傾き勝敗はレイリアに上がるのは間違いない。無様に負けるのは拙いが契約術士として未熟な姿を見せるのもまずい。
勝ち負けにこだわっていないとは言っても、やはりレイリアに勝つのが最善手。しかし、レイリアに勝つには必然的に全力で挑まなくてはならない。そうなれば剣を向ける事になる、拳を振り上げる事になる。
そして、全力を振るえず負ける。そんな悪い未来予想が繰り返し焔の脳内で導き出される悪循環が続き――
(はあぁぁ……どうしたら良いんだ)
胸中で重いため息と何度目かも分からない自問自答を繰り返す焔だった。
だが、時間は有限。明日も平日、学園に登校しなくてはならない。登校すれば直ぐにでもレイリアとの直接対決が待ち受けている。焔に残されているのはレイリアと戦う覚悟を決めるという事だけ。
何時しか食器洗いも終わり、キッチン周りも綺麗にし終わっている。
それでもキッチンから動かず立ち尽くしている姿から、レイリアと戦うという決断がどれだけ焔に取って大きな問題なのかが窺えた。
「――お風呂あがったよ、焔」
焔がキッチンで一人思い悩む中、焔に声を掛けながら冷蔵庫に入っているミネラルウォーターを取り出す庚。風呂上がりだというのに庚の顔色は心なしか青く、足取りも心なしか重い。
「顔色良くなってきたな、兄ちゃん」
「うん、まだ胃が痛むけど吐き気は治まったよ。明日は普通にご飯食べられるようになってると思う……レイリアさんには悪いけどね」
今日一日の殆どを家での療養に充てたことでレイリアお手製の朝食によるダメージから大分回復することが出来た庚。ミルディと響も吐き気と戦って吐いたが二人も普通に話せるまでになった……が、それでもまだ食事は消化に良い物で無ければならない。
レイリアの頑張りを無碍にしてしまう己の発言を申し訳なく思うものの、体調を崩している自分以上に浮かない顔をしている焔を見て庚は腹部をさすりながら苦笑を溢す。
「まだ悩んでるみたいだね」
「まだって……そう簡単に言うけど、悩まない方がおかしいって」
「焔がレイリアさんの事を大切に思ってるのは知ってるから気持ちは分かるよ。けど、降ってわいたような問題でも先延ばしにしてたら後で大変になるかもしれない。僕もリーさんの考えは悪くないと思うし、タイミングも良かったと思う。協力してくれる人が居てくれるのは心強いしね」
リーが焔達の事を慮って接触を試みてくれなければ事態はもっと拗れていたかも知れない。庚とミルディ、そして〈イリス〉の責任者である響の助けが見込めると言っても四六時中は不可能。
レイリアや武達の協力は見込めても言い方は悪いが三人は焔側。
昔から付き合いのある武と志保は勿論のこと、レイリアも今日の自己紹介で焔との婚約を進める側だと言う事がハッキリと伝わったはず。
焔達だけで周りを納得させようと動いても、上手くいかないのは眼に見えていた。
「一学生のちょっとした不満とは言っても種族交流の事を考えれば軽率に扱う訳にはいかない……むしろ学園側からしてみれば体のいい道徳の授業なのかも、だから先生達も変に騒がないんだと思うよ」
個性の伸長、相互理解と寛容。公正、公平に基づいた異文化に対する尊重と友好的認知の推進。
他にも上げるべき指導指針はあるが、焔とレイリアの婚約とそれに対する一部の生徒達が見せる反応は教師達側にしてみれば、種族間交流の観点で見れば避けては通れない問題であり同時に生徒達の道徳観を養うには丁度良い教材。
自分の力を示し理解を求め、相手の行動を見つめ考え受け入れる。
言うほど簡単な事では無いが、他種族との交流を促進する側に立つ事になる焔や他の生徒達が決して避けてはいけない事柄。
種族の違いから生まれる価値観の差異、種族的に劣る能力痛いする己が自尊心の肥大。それらを教職者の制止無しで自制し納めることが出来れば、種族交流を推奨する学園側としては言うこと無しだろう。
それが出来る者と出来ない者の査定、今後の情操教育に対する的確な授業を汲む一つの指針としては今回の一件は渡りに船だったに違いない。
仮に焔に過度な接触があれば教師側も動くだろうが、契約術士となった焔個人の実力と精神状態の変化を確認する為にも余程の事が無ければ表だって動くことは無いだろう。
つまり、
「結局、俺がレイリアと戦って何とかするのが一番……って事か」
「そういう事になるかな……それじゃ僕はもう行くね。明日は身体の調子が戻ったら学校行くつもりだし、手助けするにはもう遅いけど何か出来る事があるかもしれない」
「無理しなくて良いよ、ゆっくり休んでくれ。まだ胃が痛いんだろ? 兄ちゃんが言ったみたいにシャーフ先輩や他の先輩達が色々と動いてくれるみていだから、その気持ちだけで充分」
「そう言ってくれると気が楽になるよ……とにかく、明日は頑張るんだよ。応援してるからね」
そう言って庚はレイリアの手料理から受けたダメージが抜けきらない身体に鞭を打ってキッチンを後にした。あの様子では明日の登校も難しいだろう、学園でリー達の援護が見込めるのだ、これ以上は高望みというもの。
「……俺も風呂に入ろう、リラックスすればもしかしたら良い考えが浮かぶかもしれない」
庚のお陰で幾らか落ち着けた焔はエプロンを畳み、着替えを取りに部屋へと向かう。
「……ご苦労様、焔……」
扉を開くとテーブルの上に教科書とノートを広げ筆を執るレイリアの姿があった。
転入したばかりとは言え、レイリアにも今日受けた授業の他の教科からも課題が出されておりその量は多い。早く帰宅できたこともあって焔もレイリアも余裕を持って終わらせたのだが、こうして教科書を開いている所を見ると終わった範囲の復習と言ったところか。
「レイリア、ちょっと待たせるかも知れないんだけど今日は俺が先にお風呂入っても良いか?」
「……うん、大丈夫」
「ごめんな、悪いけど先に入ってくる。上がったら声かけるから」
「……声、掛けなくて良い」
「そうか? でも、なるべく早く上がるようにはするから」
レイリアに先に入る断りを入れ、焔は着替えを手にもう一悩みに備えるべく風呂場へと向かうのだった。
◇
「……ふう、生き返るなぁ」
その日一日の締めくくり、朝から積み重ね溜まった疲れを洗い流す憩いの一時。
焔は頭にタオルを乗せ湯船に浸かり緩みきった表情で声を溢した。肉体的、精神的にも疲れを取るのなら風呂に限る。
レイリアと同棲生活を始めてから二週間、焔の中で風呂場が自室よりも気を抜ける場所になっていた。
一般的か過激かは個人の判断によるだろうが、レイリアの距離感が限りなく零に近いスキンシップは普通に生活するだけで焔の精神をじわじわと、時には一気に削っていく。だが、流石に入浴まで一緒とはならなかった。彼女の線引きでも裸の付き合いまでは早々越えてくることが無いと知って焔は安心して湯船に浸かっていた。
『――それで、明日のレイリア嬢との決闘はどうするつもりなのだ?』
「決闘じゃない、模擬戦だよ模擬戦。そんな物騒な話じゃ無いって…………けど、ヴォルカニカはどう思う?」
『戦うという行為自体には問題ではないだろう、それにお前も今し方口にしたではないか。決闘では無く模擬戦だと、つまり日々の成果を確かめるための手合わせでしか無いのだろう?』
「そうだけどさ……家でやるのと違って力を押さえながらじゃ無くなる。出来ないよ、レイリアを傷つけることになるかも知れない」
正確に言えば出来ない、では無く怖いだ。
護ると決めたレイリアを傷つける事が、痛みを与えてしまう事が怖い。自分の手で苦しみを与えてしまう事が恐ろしくて仕方ない。彼女と戦う事を考えればアスクとの戦いで見た弱ったレイリアを嫌でも思い出す。
あのときは直接的な攻撃で傷つけられたわけじゃない……けれど魔力を魔法具に吸い上げられ苦しむレイリアの姿は自分が死にかけた事よりもずっと怖くて辛かった。
「……今までは俺が我慢すれば全部済んでた。《契約術》を使えない事を馬鹿にされても、弱い事に陰口を叩かれても俺が耐えるだけで済んでたんだ……でも、今度は違う」
今回も自分がレイリアの婚約者としてふさわしくない、そう表だって糾弾されたとしてもおかしくは無いし返す言葉も無くて、それは歴とした事実で、ヴォルカニカの力を取り戻したからと見返そうとも思わない。
だって、この力はレイリアを……たった一人の女の子を護りたくて願った力。
「俺もレイリアも全力を出すような事にはならないって分かってる。でも、それでも……レイリアとは戦いたくないって思うのは我が儘なのか?」
護ると誓った女の子を、大切な人を傷つけるような事はしたくない。自分のせいでレイリアの心は削れ、掛け替えのない二人の思い出を失った……自分はもう取り返しの付かない傷を負わせてしまっているから。
『焔……』
直に言葉にすることは無くては小さく、震えている焔の声にヴォルカニカは焔が何を考え恐れ後悔しているのかを理解した。理解したからこそヴォルカニカは焔に答えを返すことが出来なかった。力が及ばなかったのは彼も同じ、同じ悔恨を抱える者として下手な慰めはそれこそ傷の舐め合いでしかないと分かっているが為に。
「…………焔」
「――っ!?」
焔とヴォルカニカの会話が途切れ気まずい雰囲気が浴室を満たしかけたその時、浴室と脱衣所を隔てる扉の向こうからレイリアの声が上がる。
「……大丈夫?」
「だ、大丈夫だ……もしかして結構時間経ったのか?」
頭と身体を洗って湯船に使ってヴォルカニカと話をしていたとは言え、それほど時間が経ったような感じはしなかった。けれど、こうしてレイリアが声を掛けに来てくれたことを考えると自分が思っていた以上に長居しすぎたのかも知れない。
焔は慌てて湯船から出ようとするが、それより早くレイリアが声を掛ける。
「ううん、時間は経ってない……けど、心配になったから来た」
「心配って……ああ、上せるかもってことか。大丈夫だ、レイリアが声かけに来てくれたしそろそろ上がろうと思って――」
「……私と戦うって話を聞いてから焔、様子変だったから……」
「それは……」
核心を突くレイリアの言葉に口ごもる焔。
ここで直ぐに何か言い返すことが出来れば話を誤魔化せたかも知れないが、庚や響と違って焔は隠し事を隠しきれる器用な真似は出来なかった。何より誰よりも焔を想い気遣うレイリアの眼を誤魔化せるはずも無かった。
「一人で悩まないで……私もいる」
そんなレイリアの自分を気遣う声に、暖かい湯でも抜けきれなかった身体の力が抜ける。
「そうだよな、俺一人の問題じゃ無いもんな。一緒に考えれば、変に悩まずに済んだかも知れないのに……」
「もう、大丈夫?」
「ああ、レイリアのお陰だ。明日のこと一緒に考えよう」
「分かった――じゃあ、入る」
「ん?」
しゅるしゅる、と扉越しに衣擦れの音が聞こえてくる。その音が何なのかという疑問と思い当たる危険すぎる答えを同時に導き出した焔だったが、思い違いであってくれと恐る恐る脱衣所にいるレイリアに質問を投げかける。
「レ、レイリアさん? もしかして服を――」
「明日の事、お風呂に入りながら考える」
「――――――――――――――ッ!?!?」
焔が問いかけ終わる前に脱衣所と浴室を隔てていた扉が開いてしまう。それは無慈悲かつ容赦なく、けれど煌びやかで蠱惑的に……。
止める暇も顔を背ける隙もなく、焔の真紅の双眸に開かれた扉の向こうに広がる光景が焼き付けられた。