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少年少女の結婚過程《ハイラート》  作者: 三月弥生
消えても変わらぬ証明を
21/25

        嵐の前のなんとやら(3)



(……ん、そうか……勉強してて……そのまま寝ちゃったか)


 いつもよりも深い眠り、それでいて感じた肌寒さに眼を覚ます焔。

 彼が身体を預けていたのは愛用の布団では無く、冷たい机と堅い椅子。自分が何処で眠っていたのか理解して身体を起こすと、焔は背中に何か掛けられていることに気付く。


(……これ、レイリアが掛けてくれたんだな)


 それは愛用しているものの一枚である薄手の掛け布団。今回は勉強していたと言う事もあってか、レイリアが焔をベッドに連れ込むことは無かった。

 仮眠を取っているだけという可能性を考えてのことだろう。


(布団は掛けてくれたけど。やっぱりレイリアと一緒じゃないと寒く感じ……――)


 レイリアの気遣いに感謝する焔だったが、彼女の温もりを感じられなかったことに寂しさを覚えている自分を自覚してしまい慌てて頭を振った。

 無意識でもレイリアの刺激的な触れ合いを受け入れ始めてしまっている己を叱咤するように、両手で自分の顔を何度も叩く焔。


「~~っ!!」


『朝から何をやっておるのだ、お前は』


「ちょっと……流されやすい自分に喝を入れてました」


『何をそんなに悩むのだ? レイリア嬢の温もりを感じたいのであれば抱きしめれば良いだけの事ではないか。お前と彼女は近いうちに夫婦になるのだぞ、何を遠慮する必要があるのだ』


「ふ、普通に考えればヴォルカニカの言う通りだと思う。だけど、だけどな……恥ずかしいものは恥ずかしいんだ!!」


 自分からレイリアを抱きしめる、そう考えただけで叩いて痛くなった頬がもっと痛く熱くなっていくのが分かる。これなら無理に気合いを入れなくても良かったかもしれない。


『……情けないとじゃ言わぬが、愛する者に触れる事に対して羞恥心を抱く事を恥じろ。まったくレイリア嬢の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ』


「言ってる、それ言ってるから! 回りくどくなっても情けないって言ってるのと同じだからな!!」


『そうか、我としてはオブラートとやらに包んだつもりだったのだが』


「………………」


 オブラートに包むつもりが少しも感じられないヴォルカニカに焔は口を噤み、方を落としながら出かかった反論を飲み込んだ。


『それはそうと時間は良いのか?』


「時間?」


『今日から学び舎に出向くのだろう。朝餉は響殿が用意してくれているだろうが、急がなくてはならない事に変わりはあるまい』


 ヴォルカニカの言葉に焔は椅子から勢いよく立ち上がり、テーブルの上に置いてある目覚まし時計を見る。

 時計が指し示す時間は午前七時四十五分、ゆっくりと朝食を取っている時間は無かった。


「やっば! 寝過ごした!!」


 予想以上に時間的余裕が無いことに狼狽するも、焔はクローゼットから制服を取り出し急いで着替える。


(鞄に教科書とか詰めて、寝癖は直してらんない――ご飯も流し込まないと間に合わない!)


 制服に袖を通しながら取るべき行動を考える焔。復学一日目の朝としては何とも騒がしいものになってしまたが、必要最低限でしか無いとは言っても準備を整える動きに面倒くさがっている節は見られない。

 学業に勤しむ学生からしてみれば、日々の勉強は解きに投げ出したくなるものだろう。

 だが、久しぶりの投稿と友人である武達との約束のお陰か、慌てては居ても何処か焔の顔は明るい。そうこうしている内に焔は準備を整え鞄を手に部屋を出る。


「きゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 部屋を出ると同時にレイリアと同じく婚約者――兄、庚の『嫁』として共に暮らしていたミルディの甲高い悲鳴が聞こえた。


「な、何だ!?」


『今の声はミルディ嬢のようだ、的らしい魔力は感じないが我の剣を!』


「ああ!」


 焔は紅剣を手下の階へ、この時間帯なら全員がリビングに集まっている。何が起きているのか分からない状況だったが焔は構うこと無くリビングの扉を勢い良く開く。


「みんな! どうした――んだっ!?」


 ドアを開けた瞬間、焔は室内から漂ってきた異臭に鼻を押さえる。


『これは……』


「母さん……兄ちゃん……」


「庚君……しっかりして!」


 そして焔の眼に映ったのは料理が並ぶテーブルの上に口から泡を吹いて突っ伏している響よ庚の異様な姿。


「ミルディさん、母さん達はいったい……それにこの匂いは?」


「あたしがもう少し早く気がついていたらこんな事には……ごめんね、焔君。気付いたときにはもう手遅れだったの」


「手遅れって何が……っ!」


 焔はミルディの言葉に眉を寄せ倒れている二人を介抱しようと近づいた時、テーブルの上に並んでいる器の中身を眼にして絶句する。

 テーブルの上には主食である炊きあげられた白米からおかずである主菜や副菜である汁物がしっかりと用意されていた。

 主菜である皿の上に乗っていてのは黒……そう、黒い何か。白いご飯とはあまりにも対照的なソレは元が何だったのか分からない程に焦げきっており、味噌汁であろうモノが入っているお椀は紫色の液体で満たされていた。入っている具材はジャガイモに人参、ゴボウに豚肉と具だくさんなのだが、そのどれもが汁と同じ色に変色してすでにお椀によそわれた状態だと言うのに時折「ゴポッ……」と気泡が浮かび上がる。


「……おはよう、焔」


「おはよう、レイリア」


「これ、焔の……」


「そ、そうか」


 焔が愛用しているキジトラ猫が描かれているエプロンに身を包み、キッチンから自分の分の朝食を持ってきたレイリア。あの二人の死体のような姿を見ていなければ、きっと見惚れていたであろう可愛らしい姿が……今はただただ恐ろしい。


「これは、レイリアが作ったのか?」


「うん、焔は眠ってたから……代わりに」


「あ、ありがとな」


 ありがとうと言ってはいても、焔は自分が冷や汗を掻いていることに気付いてしまう。だが、それが分かったところで何かが変わる訳では無い。手にしていた紅剣をかき消し焔は椅子に座って、レイリアが用意してくれた食事に手を付けようと箸を持った。


「レイリア、この黒いのは?」


「……卵焼き」


「卵焼きだな、それじゃこっちの……汁物は?」


「お味噌汁」


「うん、味噌汁だな」


 違う、自分が知ってる卵焼きとか味噌汁とかとだいぶ違う。卵焼きが黒焦げになってしまうのはまだ分かる。けれど、味噌汁の身に何が起こったのか全く想像できない。

 買っておいた材料や調味料をどう使えば紫色になるのだろうか? そして何故に汁なのにドロドロとしていて粘性まであるのだろうか? そもそも味噌汁としての味噌の味がするのだろうか?

 そんな心の声を飲み込み焔は卵焼きだった物に箸を付ける。箸で割った瞬間にジャリッと音がした、箸先から伝わってくる感触も炭を砕いているようだ。


「……いただきます」


 そう言ってレイリアお手製の卵焼きを頬張る焔。

 見た目通り、その歯触りと味は炭以外の何物でも無かった。


「どう?」


「少し、苦い……かな」


 口元を隠し味の感想を伝える焔、飲み込んでも口の中に残る独特の食感と苦味に浮かべた笑みにも苦みを感じる。


「次は味噌汁を」


 一息吐く間もなく今度は味噌汁が入ったお椀を手に取る焔。蠢くように揺れる汁に良くない物を感じ、一口だけとは言え焔は味わうことなく汁を飲み込んだ。


(何……だ、これ……っ! 味噌汁、云々の……話じゃないっ!!)


 味噌汁を飲み下した瞬間、焔の冷や汗は脂汗へとシフトチェンジ。まるで煮立ったマグマ――あくまでレイリアが作った味噌汁――を飲み込んだかのような焼ける痛みが彼の舌を襲う。すでに適温までに冷めているはずだというのに、その信じられない熱量が舌だけで無く食道を、胃を、容赦なく蹂躙していく感触。そんな身体の中を遠慮無く暴れ回る激痛に焔の表情が青くなっていく。


「……無理しなくて良い」


 これには先だって尊い二人の犠牲者を出してしまったレイリアも、焔なら大丈夫かもしれないという淡い期待を押し込める。そして、如何に自分が造り出してしまった暗黒物質よろしくな手料理が危険な物か理解せざるを得なかった。

 愛らしい猫耳はへにゃりと萎れ、表情も暗い……酷く落ち込みながらもレイリアは殆ど残っている料理を片付けようと手を伸ばす。

 しかし、


「大、丈夫!!」


 レイリアが料理を片付ける前に、焔は残っていた卵焼きと味噌汁を吐くまいと一緒に口に流し込み一気に平らげる。


「ご、ごちそうさまでした……」


 初めてレイリアに作って貰った料理は正直、驚きを越えて戦慄を感じさせられた。けれど、好きな女の子からの手料理を食べる事が出来るのだ。

 味も見た目もへってくれもない、食べる食べないではない――食べるしかないのだ!!


「……焔」


「も、もう学校に行くな。朝……ご飯、作ってくれてありがとな」


「焔君、その……お昼は?」


「学食で……何か適当に食べるから、だいじょ……うぷっ」


 喋るとこみ上げてくる物を堪え、焔は鞄を手に玄関へと向かった。レイリアもエプロン姿のまま焔の後を追う。


「そ、それじゃ行ってくるよ。早く帰るようにするから」


「……うん」


「………………」


 いつも以上に沈んだ声が、彼女の落ち込み具合を示している。こう言う時、すぐに励ますことが出来れば良いのだろうが自分は励ますと言うより励まされる側だった。その上、へたに喋ろうとすると吐きそうになる……もう閉門まで時間が無い。残り少ない時間で、どうすればレイリアを励ますことが出来るだろう。

 焔は落ち込んだ相手の励まし方と胃に重くのし掛かる鈍痛に表情を歪めながら、必死に自分が励まされたときの事を思い出す。

 両親である司と響は弱いことに悩んでいた自分を抱きしめ、泣き止むまで優しく言葉をかけ続けてくれた。庚や武達は自分が好きな物を買って元気づけようとしてくれた。

 今すぐレイリアを励ましたい焔としては実行に移すべきは前者。彼女を優しく抱きしめ次はもっとうまく作れると伝えれば、少なからずレイリアの曇った表情を晴らすことが出来るだろう。しかし、焔にそれが出来るなら苦労は無いだろう。


(……励ます為に抱きしめるって、俺にはハードルが高すぎる!)


 アスクとの戦いの最中、自分の意志でレイリアを抱きしめたことはある。あるが、それとこれとは別の話だ。あの時は感情というか気分が上がりに上がっていた状態だったから出来た、でも今は感情の高ぶりに任せてという雰囲気では無いし、そもそも絶対にうまくいくとは限らない。

 と言うか、うまくいきすぎて日常的にして欲しいと言われてしまったら……間違いなく今以上の羞恥心に身もだえる日々が待っている。

 レイリアの事を心配しながらも、己の保身も考えずにはいられない焔。だが、焔は大きく深呼吸を一回。今の自分に出来る事を行動に移した。


 

 ――俯きがちなレイリアの頭を撫でる。



 それも遠慮がちに、ゆっくりと。それが今の焔に出来る精一杯の励まし方だった。


「さっきも言ったけど、朝ご飯作ってくれてありがとう。その、嬉しかった」


「怒ってないの?」


「ああ、レイリアのこと……苦手なことだったけど知ることが出来て嬉しかった。レイリアとの思い出が増えたから」


「………………」


「ほら、俺ってレイリアとの思い出を無くしちゃっただろ。無くした物を取り戻せたみたいで嬉しくて、だから落ち込まないでくれ。今日はちょっと失敗したみたいだけど、明日は大丈夫だって感じで行けない良い……と思う」


 レイリアの頭から手を離し、素直な気持ちを伝えた事への気恥ずかしさで額に浮かんだ汗を拭う焔。


「えっと、元気……でたか?」


「うん、心配してくれてありがとう。次は沢山練習してもっと上手に作る……また食べてくれる?」


「もちろん」


 不安そうにしながらも次の機会に意気込みを見せるレイリア、焔もそんなレイリアの言葉に照れた笑みで答えた。


「あっと、遅刻しそうだからもう行くな」


 そう長く話し込んでいたわけではなかったが、思いの外時間を使ってしまった焔はせっせと靴を履きながら怜悧に声を掛ける。


「それじゃ行ってくるな、レイリア」


「行ってらっしゃい、焔」



 ――チュッ



 と、抑揚の無い送り出す言葉と共にレイリアは焔の頬にそっと唇を当てた。


「………………俺の馬鹿」


「どうしたの……?」


「何でも無い……行ってきます」


「うん、行ってらっしゃい」


 またもや予期せぬタイミングでレイリアの愛情表現を受け、焔は自分がレイリアを元気づけ過ぎた事に気づく。

 気付いたところでどうしようも無い罵倒を自分に溢し、朱く茹で上がった顔を隠して焔は今度こそ学園へと向かい、レイリアはそんな彼の姿が見えなくなるまで見送っていた。


「…………私も準備しなきゃ」


 そう、静かに呟いて。










 種族に関わらず多くの若き少年少女達が集う学び舎――光陵学園の教室の一つである一年E組。

 騒がしいようで静か。互いに相反するはずの雰囲気が介在する教室で、焔は窓際最奧にある自分の席に座って窓の外に広がる青空を見上げていた。


「……はあ」


 青い空を見るその紅い双眸と溢れ出た吐息には、未だ冷め切らない熱が篭もっている。


(結婚したら……こんな感じ、なんだろうな。………はっ!?)


 焔の脳裏には家での一幕が何度も繰り返し流れていた。レイリアが作ってくれた手料理で優雅な朝食を取り、登校前の甘い見送り。その後は昨日の体験をなぞって帰宅後に出迎えのキス、そして眠る前にもおやすみのキス。

 ……一部、捏造された回想が流れはしたが、焔は自分が先走った妄想にはまり込んでしまったことに気づき慌てて机に覆い被さる。


(ああ、もうっ! 何を考えてるんだ俺は!! 今は学校だぞ、こんなこと考えてたら授業に集中できないじゃないか!?)


 焔は頭をかきむしって高い確率で現実になり得る妄想を追い出すも、そんな彼が心配になったのか二人の生徒が彼の元に歩み寄ってきていた。


「朝から何身もだえてるんだよ、焔」


「おはよう、焔君。顔と言うか耳まで真っ赤よ」


 言うまでもなく武と志保の二人が挙動不審になっていた焔に声をかける。


「いや……何でも無い」


 どうやら身もだえていた自分は相当おかしかったのだろう、焔は乱れた髪を整え姿勢を正す。


「何でも無いって事はないだろ、あんなに取り乱しておいて……あっ! さては朝からレイリ――あひゅんっ!?」


「朝から具合が悪いの?」


 武の口から出てはいけない類の声が漏れる、家の時と同様に志保の手刀が武の身体にめり込んでいる……それだけで志保が昨日の約束を守ろうとしてくれたことが分かる。


「顔が赤いって事は熱でもあるの?」


 レイリアとの結婚のことは話さない。そう自信満々だった武は焔との約束を忘れ、志保はそんな彼を止めつつ罰を与えた……という構図なのだが、何とも惨たらしい光景である。周りに居る生徒達も何事かと眼を向けたようだが、その表情は一様に青い。


「そんなところ……かな」


 この話題を続ければ武の命が危険だ、そう判断した焔はすぐに話題を逸らす。


「昨日はありがとな、課題持ってきてくれて」


「気にしないで、私達友達じゃない」


 志保も武の愚行を止める事が出来た事もあってか、柔らかな表情を浮かべる。最もその一方で武は額から脂汗を流しながら覚束ない足取りで立っている、が持ち前の回復力のお陰か苦痛に悶えながらも口を開く。


「ど、どごろでぼむら……アレは話でいいんだよな?」


「あれ?」


「《契約術》の事よ。まあ、眼の色が変わっちゃってるから隠すも何も無いんだけど」


 《契約術》は持って生まれる魔力と魂の特性によって契約で結ばれた存在。次元体と呼ばれるかつて世界に存在していた高位次元の生命体の力を自身の魔力を代償に、彼等の力を嘉永受け振るうことが出来る人間固有の力である。

 そして固有技能を使える物は髪か瞳の色が変化している。焔もアスクとの死闘を経て力を取り戻し、黒かった瞳が鮮やかな真紅へと変わったのだ。体現した真紅の瞳が示すのは《契約術》を使うことが出来なかった焔が、その力を皆と同じように扱えるようになったという事実。


「ああ、それは普通に話しても良いぞ。母さんが政府機関に連絡してくれたから特に問題ない」


「そっか-! やったな、焔! やっと《契約術》が使えるようになったんだな!」


 明らかにあからさまに声を張り上げて喋る武、その声に焔達の様子を窺っていた生徒達の表情が一気に気まずそうなものに変わっていく。


「た、武?」


「し・か・も! 庚さんにも加減を忘れるなって言われるくらい強力な奴なんだろー、すげーなー! いやー、この前の実技試験に間に合ってたら間違いなく学年トップだったかもな!!」


「はあ、武ったら」


 焔に疑問の声をかけられても声を張り上げる武に志保は溜め息を溢した。

 この教室にいる大半の生徒は焔の事を落ちこぼれだと見下していた、その事で腹を立てているが為に、武はわざわざ聞こえるような言い方をしているのだ。もっとも志保も武と同様に思っているのか止めさせる気配はない。


「まったく、わざとらしすぎるのよ。やるならもう少しうまくやりなさい、それにあんまりあること無いこと言いふらすんじゃないわよ。後々、焔君が大変になるんだから」


「はて、いったい何のことでしょう? ちょこ~っと話が盛り上がっちまったのは認めるけどなー」


 志保の注意に武は悪びれもなく口笛を吹いてみせる、その顔はとても清々しく満足げである。


「……ありがとな、武」


「ふっふっふ、何の事かさっぱりだが昼飯で手を打とうじゃないか!」


「分かった、好きなの奢るよ」


「うっし、言質とったかんなー!」


 静かに焔達の様子を伺い居づらそうにしている生徒達を余所に、焔と武達はまた一つ友情をはぐくめたようだ。もちろん《契約術》が使えるようになったからといって、焔が仕返しのような物をすることはない。が、武の一芝居に少しだけ気持ちが軽くなっていたのも確かだった。

 そんな中、朝のホームルームを告げるチャイムがなり程なくして担任である男性教師が教室に姿を見せる。


「おはよぉさん、立ってる奴はとっとと席に戻れえ」


「じゃあ、席に戻るわ」


「また後でね」


「ああ」


 教師の一言で席に戻る二人。教師も全員が席に着いたことを確認を進める。


「全員座ったな、朝令始めんぞ」


 気怠げな声を上げ教壇に立つのは一年E組担任、九重刳朗。

 教師として生徒達の模範的振る舞いをすべき立場にある刳朗だが、その身なりはたった一言――だらしないとしか言えない。

 教員用に支給されるスーツを着崩し、ネクタイを締めず、シャツの裾は所々ズボンからはみ出している。髪こそ短いものの、無精髭は伸び、足下も革靴ではなくスーツには絶対的に合わないサンダルだ。

 とても世界政府が運営する教育機関に就職できるとは思えないのだが、そんな当然の疑問すらどうでも良さそうに刳朗は朝令を進める。


「今日は出席を取る前に一つ話がある、その件について色々説明…………するのが面倒だからそこは省く」


(((((いや、省いたら駄目だろ!)))))


 担任のあまりの物言いに、焔や武達生徒一同が胸の内でツッコミを入れてしまう。刳朗の教鞭を受ける様になって約一ヶ月弱。授業はいたって普通なのだがm重要性が高い物ほど途端に面倒くさがり説明をはしょってしまう癖がある。そんな担任との接し方に戸惑う者は未だに多かった。


「とにかくだ、俺等のクラスに一人転入生が来る。亜人の女だ」


「「おおっ!!」」


(この時期に転入生か、何か変わった子が来そうだな)


 口が悪いのも教師としてどうなのかと思いつつも他の男子生徒達が期待の声に苦笑を溢す焔。女子生徒達も焔と同じく苦笑を溢してみせるという大人の対応を見せるのだが、刳朗は心の底から憐れな物を見るように男子達を見た――――特に焔を。


(ん? 何か九重先生に凄い見られてる気が……何だ、何かもやもやしたものが……?)


 刳朗の奇妙な視線を受けた焔は、その視線に不穏なものを感じ取ってしまう。


「女共は仲良くしてやれ、男共は色めき立つな。――神月の一人勝ちだからな」


 その言葉で教室内が一瞬で静まりかえり、全員の視線が焔に集まる。


「………………」


 焔の頬に汗が伝う。


(何で転入生が来ただけで俺の一人勝ちなん……だ…………ま、まさか…………)


 何故こんな大事な事を忘れていたのだろう……いや、今日まで過ごした日々の濃さを考えれば、思い出した事など些細なことだ。

 だが……思い出してしまった今は違う。


「入って良いぞ転入生、とっとと自己紹介をすませてくれい」


「…………はい」


 刳朗の言葉が、彼女の声がゆっくりと、それでいて容赦なく自分の胸に突き刺さるのを感じる焔。開かれる扉も、その向こうから見えてしまった彼女の姿がとても眩しく感じる……眼を背けたくなるほどに。




「レイリア・ベルディナス……焔の妻、です」




 そして自分と同じ学園の女子生徒用の制服を身を包むレイリアの、短くも紛うこと無き事実だけの自己紹介に焔は教室の空気が固まるのを感じた。





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