嵐の前のなんとやら(2)
焔がレイリアの熱い抱擁から解放されたのは、あれから五分後。時間にしてみれば大したものでは無かったが、純真な心の持ち主である少年は傷が無くてもボロボロである。
そして、味方では無いが擁護が見込めた響の姿はなく部屋に居るのは、背中を丸め縮こまる焔と変わらず動じないレイリア。そんな二人とテーブルを囲むのは厳しい表情を浮かべる武と背筋を伸ばして座る志保だった。
「……焔、もう一度確認するぞ」
「あ、ああ」
「レイリアちゃんの豊満な胸に顔を埋めて寝ていたのは、レイリアちゃんがお前を抱きしめて眠ったからであってお前の意志じゃない。自分には何の責任も無いと言うんだな?」
「そ、それはそうだろ? 俺が眠ってる間のこ――」
「言い訳は見苦しいぞ」
友人同士の触れ合いと言うには相応しくない、明確な怒りと失望が篭もった声で武は焔の言い分を切り捨てる。
しかし、その切り捨てられた言い分こそが真実なのだ。
焔がレイリアと一緒に生活するようになってからと言うもの、彼の睡眠時間は著しく低下していた。それでも焔の方からレイリアに一緒に寝ようと言ったことは今日にいたるまで一度たりともない。
今回のことも焔ではなくレイリアからの行動を起こしたが所以である。
「たとえ、お前が眠っていた間に起きてしまった事だったとしても、お前がレイリアちゃんの胸に顔を埋めて気持ち良さそうに眠っていたことに変わりは無い……それを、それをお前は…………っ!?」
だが、レイリアが焔とのスキンシップを好むことを知らない武に焔の正論は通じない。通じないと言うより聞かない。
「おでこにチュッチュッされたのも頭をなでなでされたのも、あくまでレイリアちゃんがしたいことであって、自分は嬉しいより恥ずかしいだと? 彼女がいないモテない男達の儚い夢を、たわいのない願いを、求めて止まない理想を手にいれておきながら……それを拒むだと? ――ふぅざぁけぇるぅなぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ブチブチッっと筋繊維が裂ける程に力の限り握りしめた拳を振るわせ、血の涙を流し、惜しげもなく欲望に染まりきった叫声を上げ勢いよく立ち上がる武。焔が享受している日々に羨望を抱き、怒り狂うその姿は無残を通り越して憐れである。この様では、誰が何を言っても事の真実を受け入れる訳がなかった。
「眼を閉じろ! 歯を食いしばれ!! 俺という親友を差し置いて恋人どころか超絶美少女に婿入りしくさった裏切り者には、俺の胸に渦巻く嫉妬をくれてや――」
「うるさい!」
「――るふぅんっ!?」
逆恨みも甚だしい激情を振り上げた拳を込め、焔に飛びかかろうとした武。だがそれよりも早く、いきり立った武の無防備な右脇腹に志保の左手刀が突き刺さる。
「っぐ、はっ……あ! し……ほ、何しや……だっ!?」
「ちょっと黙っててくれる? 武に任せてたら話が進まないから」
志保のえげつない一撃に武は苦悶の表情を浮かべ、碌な反論も出来ず木目豊かなフローリングへと倒れ込む。
細い指で形作った手刀が肉に突き刺さっていると言っても過言ではない、そんな一撃を武に見舞っていながら何も無かったように話を引き継ぐ志保。
「えっと、色々と騒がしくなってしまったけど元気そうで良かった。響さんは病気も怪我もしてないって言ってたけど本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だ……」
いくら武の自業自得とは言え、原因はやはり自分であるのだが……擁護してやれないのがちょっとだけ罪悪感だ。床の上で悶え苦しむ武の姿から眼を逸らし、引きつった表情で返事を返す焔。
「そ、それで今日はどうしたんだ? 制服のままだから遊びに来たって訳じゃないんだろ」
「はあぁ、焔君。彼方、隣にいるレイリアさんに抱きしめられて気絶して、そこから何の音沙汰も無しに二週間も休んだじゃない。心配して見に来るのは普通の事だと思うんだけど?」
「あ、あはは…………それはそうだな」
額に手をあて呆れた、と呟く志保に焔は苦笑いを浮かべた。
この二週間、色々な事があった。高校に入学したばかりの少年が体験するには日常から逸脱しすぎた出来事ばかりだった。
焔がレイリアと出会い結婚の話に戸惑っていたら、他種族同士の交流を良く思わない組織の一員に命を狙われ生死の境を彷徨った……そんな目に遭っては苦笑いを浮かべるのも無理はない。むしろ、苦笑いですませた焔を褒めるべきだろう。
「どうしたの焔君? 何か顔色が悪くなってきてるわよ」
「いや、結構休んだから課題とかたまってるんだろうなって考えたら気が重くて」
「そうだろうよ、ほれ! お前が休んでた間に出された課題だ、提出はしなくても良いけど必ずやるようにって先生方のありがたい伝言付きだぜ」
「提出しなくても良いのは正直助かった……けど、武って相変わらず回復するのだけは早いよな」
「ふっ、褒めるな褒めるな。この位ならどんとこいってもんよ!」
「………………」
志保の手刀に悶え苦しんでいたはずの武の復活に、焔はなんとも言えない表情を浮かべ課題を受け取った。
「でだな、そろそろと言うか……な?」
「プライベートなことだから、私達が口出しするようなことじゃないと思うんだけど……」
武も志保も遠慮がちではあったが、焔の口から説明を求めていた。言葉も濁してはいても二人の視線は、自然とと言うより必然的にレイリアへと向けられた。
「あー、何から聞きたい?」
「何からって言われてもな……響さんからはお前が婿に行くって言われたぞ」
「右に同じ、それって本当なの?」
「……本当だ」
二人の追求とは言えない問いかけを肯定し、焔は視線を彷徨わせ赤くなった頬を掻く。
「俺とレイリアは……け、け、結婚……する事になってて……」
「マジか!?」
「十五歳で結婚って、こうして聞いても信じられないわね」
「小さい頃からの約束で、母さん達の間でも話が決まってる……って感じだ」
「俗に言う婚約者ってやつか」
「何て言うか、ドラマとか小説みたいね」
当事者である焔から話を聞いたことで、二人の疑問は解決された。しかし、これだけでは不十分だと理解している焔は話を続ける。
「学校で会った時は、その約束の事を覚えてなくて戸惑ってたんだ。でも、その話が本当だって分かって、一緒に過ごして嬉しかったし楽しかった。ずっと一緒にいられたら……幸せ……かなー、なんて……思ってだな」
隣にレイリアが居る状態で、自分の素直な気持ちを口にする焔。最初はうまく喋れていたものの、最後の方は自分が何を言っているのか理解してしまい顔を真っ赤にしてしまう。
レイリアとの結婚についての説明としては他にも話さなくてはならない事もある。それを言えていない時点で落第ものだが、彼女の事を思う一人の男として好いている事を証明する物なら及第点は取れたはずだ。
「……私は焔と一緒にいる。私の居場所は、彼方の隣だから」
「はっ、ちょっ……そ……そか」
「うん……ずっと一緒」
「………………」
変化のない表情に抑揚の無い声。殆ど感情が感じられない面持ちでありながらレイリアの言葉には、甘く暑い響きがあった。自分とは比べるまでも無い程にストレートな言葉に、焔は何も言えなくなり顔を俯かせた。
「「………………」」
そんなやり取りを目の当たりにした武と志保は、響が用意してくれたジュースに手を付ける。二人が口にしたのはの何処のスーパーでも売っている炭酸飲料。
舌を甘さで、喉を程良い刺激で潤すそれを口にして武は神妙な顔つきになる。
「なあ、志保。これって炭酸水か? 全然甘くないぞ」
「いいえ、ちゃんと甘いわよ。角砂糖が十個も入ってるんだもの、甘くないわけ無いじゃない」
「そうか? 俺のだけただの炭酸水ってことねえか?」
「だから甘いわよ。……ただ、焔君とレイリアさんがもっと甘いものを見せつけてくれてるから甘く感じないだけの話」
「はっ!?」
甘くても甘さを失ったジュースを口にしながら、よそよそしい視線を自分に向けている武達に気づき焔は慌てて顔を上げた。
「俺達は邪魔者みたいだし、そろそろ帰ろうぜ」
「そうね、あんまり長居しても悪いものね」
「いやいや、まだ来たばっかりだろ! ゆっくりしてけよ!!」
とは言っても、自然とさらけ出してしまったピンク色の空気に帰ろうとする二人を引き留める理由が思い当たらない。武も志保もいきなり休んだ自分を心配してきてくれた、そして無事な姿を見てしまえば目的は達成している。
学校から出された課題で話をしようとしても、特に提出する必要も無いと聞かされれば他に聞くような事も無い。
(駄目だ! このまま武達を帰したら……何が駄目なのか分からないが、とにかく駄目だ!!)
奇しくもレイリアと一緒に暮らすようになって磨かれた焔の第六感が武達との友好関係にある種の問題――これから先、からかわれることが確定――を感じ取った。だが、焔にそれ以上の事が出来るわけも無く、武達は帰ろうと鞄を手に取る。
「みんなー、ちょっと良いかしら? 開けるわよー」
あくまで焔にとってのみ嫌な流れを断ち切るように、ノックの音ともに響が扉を開き顔を覗かせた。
「楽しくお喋りしてるところなのにごめんねー。レイリアちゃん、お母さんミルディちゃんと一緒にお出かけするんだけどレイリアちゃんにも付いて来て欲しいのよ。良いかしらー?」
「……うん、分かった」
「ありがとーレイリアちゃん! あっ、武ちゃん達はゆっくりしていってね。積もる話もあるでしょから」
「うっす!」
「それじゃ、もう少しだけ」
「……行ってきます」
「ああ、母さん達が一緒だから大丈夫だと思うけど気をつけてな」
焔は内心ほっとしたものの顔には出さず、レイリアを笑顔で送り出す。部屋から遠ざかっていく足音に、早鐘のように鳴っていた鼓動が落ち着きを取り戻していくのが分かる。
「はあ……ようやく落ち着いて話せる」
「レイリアちゃんがいなくなった途端にだらけたな」
「誤解しないように言っておくけど、レイリアが嫌いだからじゃ無いからな。その……さっきも言ったけど」
「はいはい、分かってるから。焔君、レイリアさんと一緒だと緊張しっぱなしだったものね。好きな女の子だとより一層って感じは見てれば私達じゃ無くても分かるくらいに……それより、休んだ理由は彼女の事だけじゃないんでしょ?」
「その理由、なんだけどな……」
レイリアと物理的距離を置けた事もあり、普段の調子を取り戻す焔。
思い返してみれば自分の生まれ育った家だというのに、ここしばらくはこうして肩から力を抜くことが出来たのは随分と久しぶりな気さえする。
(レイリアとの事はともかく、アスクや〈ディパーチャー〉の事は話せない)
他種族決別組織〈ディパーチャー〉
その全容は種族間交流促進機関〈イリス〉でも完全に把握しきれていない。だがその活動は人間、獣人に亜人、天魔人等。種族を問わず、種族感における交流活動の妨害である。
表だって動く事無く反対勢力に組みし力を振るっている為に、その存在を一般人達に知られることは無い。そんな組織の一員である天魔人アスク・ミックとの戦いが自分が学園を病欠――表面上は――した理由。
二度も死にかけたから休んだとは口が裂けても言えない。
焔はアスクとの一件を伏せたまま自分の生活と〈イリス〉の活動に差し支えない、それでいて武達も気になって居るであろう自分の変化を引き合いに出した。
「二人も気付いてるだろ、俺の眼の色が変わってるってこと」
「当然! 黒から赤に変わってれば普通に気付くっての」
「焔君も《契約術》が使えるようになったて事よね、それもレイリアさんと関係あるのかしら?」
「ああ。レイリアは亜人の中でも珍しい両有種で、《契約術》も使えるんだ。レイリアの《契約術》のお陰で俺も契約術士の仲間入りって事になるかな」
レイリアが契約したのは『クレアシオン』。意志を宿すあらゆる存在と心を通わせ、その力の一端を行使させることが出来る疑似契約術のような力を持つ次元体である。
「次元体と話せるってチートすぎんだろ、力のうまい使い方を本人に直接聞けるなんて普通はねえぞ!」
「いや、ちゃんと話せる訳じゃないらしい。何て言うか漠然とした感じで、何となく言いたいことが分かる……程度だってレイリアは言ってたぞ」
「それでも充分すげえから、普通は喋るも何も出来ねえんだからな。力を借りるって言っても、意思疎通なんて出来た試しがねえし」
「まあ、そうだよな」
自分と契約したヴォルカニカ、彼の力の一端である紅剣を具現化すれば武と志保も簡単に話をすることができる。しかし、ソレをしてしまえばまた世界政府に何かしろの名目で監視を強化されてしまいかねない。更には《契約術》の上位術、次元体の姿と能力、存在の全てを纏うことが出来る《魔装術》まで使えるよう二ってしまったのだ。
二人を信じていないわけでは無いが、《契約術》が使えない特異ケースから普通の子供にランクアップしたのだ。神位級の魔力を持っていると言うだけでも充分な監視理由があるのだから、あまり迂闊なことは出来ないだろう。
「それで《契約術》が使えなかった原因は何だったの?」
「レイリアが言うには俺が自分の魔力を制御しきれてなかったのが原因だったみたいだ、譲渡する俺の魔力が安定しないから俺と契約した次元体もどの位の力を貸せば良いのか分からなかった……らしい」
「こうして聞いてみるとあれだな……その、意外と簡単にどうにか出来たような感じだな」
「言うな……俺も同じような事を考えた」
レイリアのお陰と言う事と《契約術》の話に嘘はない。だが、本当は記憶を失ったから使えなかったと言えない以上は神位級の魔力を引き合いに出してそれらしい理由を付けた方がむしろ納得しやすいはずだ。
焔は胸の内で二人に手を合わせて謝る。
「で、どんな力が使えるようになったんだ?」
「私も知りたい、教えてくれる」
二人から《契約術》が使えるようになった事への祝福の言葉は無かったが、小さな頃から不必要な偏見を向けることも無く、特別扱いすることも無かった武石達の変わらない反応に焔は口元を綻ばせた。
「期待を裏切るようで悪いけど、そんな仰々しいのじゃないよ。魔力で造った剣に炎を纏わせて放つ、言ってみればオーバーエンドの炎バージョンってところ。今度からは負担もなく何時でも使えるようになったってだけだ」
「へー、良いじゃんか! 炎の力なんてお前の名前にピッタリで」
「名前とピッタリはどうでも良いとして、《契約術》としては特に珍しい訳では無いけど焔君の魔力量を生かせるのは結構強みね。庚先輩や響さんは何て?」
「他の人達と比べても不慣れなのは間違いないから単純な力でちょうど良かったて。あと今更で後付け感もあるけど、《契約術》の練習もあって学校を休んだんだ」
「色々と聞かせて貰った話の中じゃ、今のが一番もっともらしい理由だな」
「そうね、婿に行くから休んだって言うより信憑性があるもの」
「俺もそう思う」
誰からとも無く、三人は苦笑を向け合う。
「ほんじゃま、事情も聞けたことだし今度こそ帰えろうぜ」
「そうね、焔君も焔君でやる事があるでしょ?」
武と志保はテーブルの上に乗っている目覚まし時計を見やる。彼等が焔を訪ねてから三十分、見舞う為の訪問としては充分な時間だ。
「そうだな、そろそろ夕食の準備をしないとだ。人数も増えたから作る量もそれなりだしな」
「さっすが神月家の主夫。いつ婿に言っても大丈夫そうで何よりだよ、こんちくしょーめ!」
「その話とは関係ないって、好きでやってるんだからな。それより、明日から俺も学校に行くけどレイリアの事は内緒にしててくれよ」
「心配すんな、誰にも言わねって」
「プライベートな事でしょ、無闇に話したりしないから安心して」
「恩にきるよ」
「おう、ありがたみをしっかりと感じろ。んじゃな!」
「また明日」
来たときとは反対に騒がしくも、あっさりと帰って行く二人。気さくなやり取りではあったが、だからこそ三人の関係が良好な物であることが分かる。
『――――良き友を持ったな、焔』
焔以外にいない部屋に、落ち着きのある低い声が響く。正確言えば焔と契約を交わした次元体、ヴォルカニカの声が焔の頭の中で。
『彼等のことも見ていたが、若いながらも力の有無に囚われず相対した者の内をしっかりと見極める眼を持っている。この縁、無くさぬようにするのだぞ』
「分かってる……というか、そんな難しく言わなくても友達は大切にしろで良いんじゃないか?」
前触れも無く聞こえてくるヴォルカニカの呼びかけにも慣れたもので、動じること無く焔は話を続ける。
「何時か、あいつ等とも喋れると良いな。きっと驚く」
『容易に想像できるな。が、止めておけ。我の事でお前に要らぬ苦労を掛けたくは無い』
「ヴォルカニカならそう言うだろうと思った」
ヴォルカニカの気遣いに感謝しつつも、それでも何れはと焔は苦笑を返す。
「よし、レイリア達が帰ってくる前に夕食の準備準備っと」
『今晩は何を作るのだ?』
「そうだな……――――」
武達と話した事で気分転換が出来たのか、焔はヴォルカニカと言葉を交わしつつも意気揚々と我が家の台所へと向かうのだった。
◆
夕暮れ時の騒ぎの余韻も薄れた夜。
夕食を終え入浴もすませた焔は部屋で一人、机の上で確かな存在感を漂わせている課題と向き合っていた。
「はあぁ……何度見ても凄い量だな」
命が掛かっていないとは言え、これは別な意味で危機的状況だ。明日から学業に復帰する身としては目の前の課題が提出する必要が無いものだとしても、休んだ分の遅れである事を知る以上やるしかない。
その遅れを取り戻す為にも少しでも多く課題をこなしておかなければ。
『学生というのは気苦労が絶えんものだな』
「ヴォルカニカ……」
『我が生きていた時代では口答で後世に知識を残したものだが、今の世は調法できるものが多い。「ぱそこん」や「すまほ」と言ったか? 書物だけで無くでーたとやらで情報や知識を残せるのだろう、実に豊かな世になったものだ』
「だけどその分、現代文や数学、歴史に科学と《契約術》関連。覚えなくちゃいけない事、守らなくちゃならない決まり事……色々ありすぎて大変だけどな」
溜め息と共に焔は教科書片手に課題へと取りかかる。
『ならば邪魔にならぬよう我は沈む、あまり根を詰めすぎるでないぞ。ではな』
そう言い残してヴォルカニカは精神世界に意識を沈めた。それから焔は一人黙々と手を動かす。
プリントにかかれている問題に眼を通し、回答欄に答えを記入。途中で分からない問題があったら教科書や参考書に手を伸ばし見付けた答えと関連性の高そうな部位にはマーカーで印を付ける。
手順としては単純、勉強法としても特別なものではない。しかし焔は順調に問題を解き進めていく。このままのペースであれば半分までは出来なくとも、それに近い量の課題を終わらせることが出来るだろう。
しかし――
「……眠らないの?」
と、部屋に入ってきたパジャマ姿のレイリアの声が焔の耳に届く。
ショートパンツからすらりと伸びる太腿から指先までの露出はデザイン上やむおえないとしても、無地でありながら優雅さを感じさせる紫色の一着は実にレイリアの華麗さと合う物だった。サイズも丁度良く焔の寝間着を着ていたときとは違い、魅惑的な胸元も見えないようしっかりと包まれている。
「あ、うん。まだ……寝ないな」
低刺激な格好であったからこそ、まじまじとレイリアを見てしまったことに気がついた焔は何事も無かったように視線を手元に戻す。
「明日から学校に行くし、今少しでもやっておかないと授業とか大変でさ」
「そう……」
「どうした?」
「二人でいられる時間、少なくなる……」
「な、なるべく早く帰ってくるようにするから……それじゃ駄目か?」
「ううん、それで充分。ごめんなさい……我が儘言って」
「謝らなくても良いよ、俺も……レイリアとの時間は大切にしたいし……さ」
「……うん」
レイリアのどことなく嬉しそうな声に、彼女から眼を逸らしていて良かったと焔は残念に思いつつも安堵のため息を溢す。
我ながら恥ずかしいことを言って朱くなった顔を見られずにすんだ事もそうだが、レイリアの嬉しそうな顔を見てしまったら自習に身が入らなくなってしまうのは分かりきっていたから。
「それじゃレイリアは先に寝ててくれ、俺はキリが良いところまで終わらせてから寝るからさ」
「うん、分かった」
焔は机の上にあるスタンドライトの電源を入れ、レイリアはテーブルの上にあるルームライトのリモコンを手に取る。
そして、
「焔」
「ん、灯りなら消してい――」
自分を呼ぶ声が思いの外大きく聞こえた焔は何の気なしにレイリアの方へと顔を向ける。次の瞬間、焔は自分の額に柔らかな感触を感じた。
「おやすみ、焔……」
「……おや、すみ」
それはつい数時間前にも体験したレイリアの唇の感触。今度も当然のようにと言って良いほどに自然な口づけ焔はかたまり、茫然と返事を返すことしか出来なかった。その一方でレイリアは満足げにベッドに横たわり、灯りを消して眠りについた。
「………………」
そんなレイリアに背を向け無言で机と向きなおした焔は、額に残る微かな熱と甘い感触に動揺し鼓動を高鳴らせる。
(……勉強、勉強しよう! うん、それしかない!!)
焔はまたもやキスされたという事実を忘れようと一心不乱に課題に取り組む。だがやはり、そう簡単に忘れられるわけもなく結局その後の自習は捗ることは無かった。




