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少年少女の結婚過程《ハイラート》  作者: 三月弥生
紅蓮の炎に誓いを込めて
2/25

01 『再会』だけど初対面? (1)


 世界人口約七十億の中で最も数の多い人間、順を追って動物の外見を持つ獣人、人間と獣人の混血である亜人、そして世界の調停者と呼ばれる天魔人(てんまびと)等――各種族が科学や自然、均衡などと言った事柄や思想を軸にそれぞれの社会文化を築き上げていた。

 その為、文化や考え方の違いから種族間での争いも少なくない。

 お互いを奇異し闘い恐れ遠ざける、気が遠くなるような遙か昔からそれは続けられていた。

 しかし、そんな時の流れの中でも数はほんの僅かだが確かに手を取り合い共存する道を選んだ者達もいる。

 そんな少数側にいる少年が一人、今日も日々の日課に励んでいた。



 種族交流特別指定国〈日本〉暁日市第十七地区――朝。



 朝と言っても、そこに住む住人と動物達は深い眠りについている時間帯。そんな薄暗い空の下、区域内にある小さな公園の広場で一人の少年が額から汗を流しながら立っていた。

 直立不動と言う通り微塵も揺らぐことなく。

 ――ただ、少年の全身が淡く蒼い光に包まれているという点を除いて。


「……ふぅ」


 少年は小さく息を吐く。それと同時に全身を覆っていた蒼い光もゆっくりと消えていった。


「魔力制御訓練終わり!」


 少年は近くの鉄棒に掛けてあったタオルに手をのばし、額から流れ落ちる汗を拭く。

 黒い髪の少年。まだ幼さが残る中性的な顔立ちに、十代の少年特有といえる細く小柄な肢体。

 ――まだ十代半ばくらいだろう、もしかしたらもっと下とも取れる若い外見だった。黒い髪は癖なのかあちらこちらに立つ髪で、そのせいかより幼い印象をうける。


「そろそろ戻らないと、ご飯の準備に間に合わないな」


 汗を拭いながら公園のほぼ中心に建てられた大きな時計を見上げる少年。人間の築き上げた科学が生み出した時の流れを示すそれは、少年に二本の指針を使い時間を告げていた。

 時刻は朝の五時を回っており、少年はタオルを首に巻き付け自宅へと駆ける。

 家に着いた少年は真っ先にシャワーを浴びる。

 汗でベタついた身体を流し着替えを済ませた後、キッチンへと向かい颯爽と朝食の準備に取りかかった。


「確か昨日の煮物が残ってたから朝ご飯はそれと味噌汁と焼き魚、あとは……厚焼き卵にしよう」


 少年は朝食の定番といえる献立を口にしながら冷蔵庫から味噌と魚の切り身、そして卵等使う材料を取り出す。最初に手を付けたのは焼き魚だった。焼き魚は他のものより少し時間が掛かるため最初にグリルに入れて火にかける、もちろん生臭さを取る下準備は昨晩のうちに済ませてあった。

 卵も慣れた手つきで殻を割り手際よく混ていく、上手に焼くコツは空気が入るようにかき混ぜること。そうすることで卵をふんわりとした舌触りで焼くことができる、火力はもちろん強めで。


「えっと、だし汁は何処だったかな?」


 次に少年は味噌汁に取り掛かった、お湯はすでに煮立っているのであとは一口大に切っておいた具材を投入、だしで溶いた味噌をいれる。豆腐は熱が通りやすいので一番最後に入れ一煮立ちさせた後すぐに火を止めた。


「だいたいこんな感じかな、準備も出来たし母さん達を起こすか」


 三人分の料理とお椀などの食器類をテーブルに並べる少年。男が付けるには少し不釣り合いな可愛らしいキジドラ猫が描かれているエプロンを外し、休む間もなく自宅の二階へと向かう。 二階へと上がり幾つもある部屋の一つ、ハート型のシールがこれでもかと言う程に貼られているネームプレートが掛かった部屋の前で足を止める少年。

 思わずドン引き為てしまいそうなプレートには『司と響のお部屋』と書かれている。こんな物がドアにぶら下がっていては声をかけるのを躊躇ってしまってもおかしく無い。だが、少年は怯むこと無くドアをノックする。


「母さん、もう朝だぞ。起きろー」


 部屋の中から返事の代わりにゴソゴソという音が聞こえてくる。毛布と掛け布団を払いのけ着替えをしているのだろうが、その物音を聞く限りでは動きはかなり遅い。


「本当に朝弱いな」


 少年は苦笑しながら母が出てくるのを待つ。しばらくして、やっとドアが開かれた。


「……おふぁよう、(ほむら)ちゃん」


 眠そうな声とは反対に、けしの花を思わせる鮮やかな橙色の髪を手で梳かしながら部屋から出てくる響。

 染み一つ無い白いYシャツと黒のスーツパンツという軽装で出てきた響は眠い眼を擦りあくびを噛み殺しながら我が子――焔との朝の挨拶をすませる。


「おはよう、母さん。先に下に行ってて」


「はぁい」


 響は寝ぼけた表情のまま返事を返しながら階段を下りていった。


「あとは兄ちゃんだな」


 気怠げな母を見送った焔は、まだ眠っているであろう兄を起こそうと今度は三階へ向かう。

 この家は三階建てであるのだが一部屋一部屋全てが広めに設計されている、そのため三階の間取りも階段を上るとすぐ正面に物置として使われる部屋が眼に入る。そして階段を挟むように自分と兄の部屋が向かい合う形で造られていた。

 小さい頃は掃除が大変で不思議に思っていたが、今では部屋が広い事にこしたことはないと気にも止めていなかった。今は物置として使える部屋がある事に有り難みさえ感じている。


「さてと……」


 そんな数ある部屋の中で焔が立ち止まった部屋のプレートには、シンプルに『(かのえ)』とだけ書かれていた。

 庚を起こそうと焔はノックをしようとしたが、それよりも早くドアが開く。


「おはよう、焔」


「おはよう兄ちゃん、もう起きてたんだ?」


「うん、少し前くらいに。焔が作ったご飯の匂いもしてたしね」


「そっか」


 部屋から姿を見せたのは焔と同じ黒い髪を肩の辺りまで伸ばし、白い制服に身を包んだ青年。響とは違い完全に起きているようで、凛々しい表情に似合う薄い灰色の瞳から眠気は微塵も感じられなかった。


(俺も兄ちゃんみたいになれたら……)


 三歳しか違わないというのにどこか大人びている兄の姿。兄弟とは言え、自分の憧れであり理想と言っても過言ではない。

 そんな羨望の眼差しを向けていられる事を知らない庚は、焔の頭に手を乗せ優しく撫でる。


「今日も魔力の制御訓練してきたの?」


「日課だからな」


 焔は頭を撫でている庚の手を静かに払いのける、嫌では無いのだが身長差があるせいかよく頭の上に手をのせられる事が多い。

 自分が男としては小柄な体格だという事くらい焔も分かっていた。

 悪気が無いのは分かっているが頭を撫でられてしまうと、より身長差を意識してしまう。背が小さいと指摘されているようで、あまり良い気分ではない。


「まあ、焔には必要な事だからね。でも、あんまり無理はしちゃ駄目だよ」


「分かってるって、それより誤判できてるから早く行こう」


 焔は乱れた髪を直しながら、庚と共に一階のリビングへ。

 そこには二人の到着を待たずさきに食事を始め、もう終盤にさしかかっている響の姿があった。


「相変わらず食べるのは早いな、もう眼は覚めた?」


 焔は自分と庚の分の白米をよそいながら響に話しかける。


「昨日は遅くまで仕事だったから起きるの大変だったわー。でも、焔ちゃんが作ってくれたご飯のお陰でバッチリ眼が覚めたから大丈夫!」


 響は満面の笑みで答え、それに続くように庚も味噌汁を口にして表情をほころばせる。


「本当に焔の作る食事は美味しいから毎日楽しみだよ、特に煮物とか美味しいしね」


 庚は味の染み込んだ大根を頬張り幸せそうな声を溢す。


「褒めても何も出ないぞ」


 響と庚は笑みを溢しながら食事を続ける、焔は美味しそうに食べてくれる二人の笑顔を嬉しく思う一方で心が重くなっていくのを感じる。


「俺にはこれくらいしか出来ないからな、だって――」



 パアァン!



 まるで焔の声を遮るように大きな音が響く、それは響が両手を合わせ食事が終わったという合図だった。


「ごちそうさま! 今日も美味しかったわー」


「……どういたしまして」


 満足そうな顔を見せる響に焔は続きを口にする事なく小さな笑みを浮かべた。焔達も程なく食事を終え、三人分の食器を洗い終わった焔は兄と同じ白い制服を羽織る。

 庚も教科書等、授業で使う物で忘れている物がないか鞄の中身を確認しながら席を立つ。


「焔ちゃん、庚ちゃん。ちょっと座ってちょうだい、話があるのよー」


 だが、響は自分で入れたインスタントコーヒーに大量の砂糖を入れながら、登校しようとしていた二人を呼び止める。


「話はいいけど……いくら何でも砂糖入れすぎじゃないか?」


「そんなに入れたら身体に悪いよ」


 焔と庚はテーブルの上に乗っている調味料入れ、その中でも砂糖が入っている容器からそれを惜しげもなくコーヒーに投入していく響に苦言をこぼす。

 響は息子二人の心配をよそに、とろみが付いてしまったコーヒーを啜り満足げに話を進める。


「いきなりで悪いんだけど、今日から家に種族間交流の目的で亜人の子が二人来るのよー」


「……本当にいきなりだな」


「来て貰えるのは嬉しいけど大丈夫なの? 僕達もだけど、二人も色々と準備が必要だったんじゃ……」


 焔は何の相談もない母の言葉に困惑し、庚は順応して見せたものの苦笑を浮かべていた。


「事前に連絡しておいたから、問題なはずよー」


「それなら良いんだけど、もう少し早めに教えて欲しかったかな」


「でもでも、お母さんは世界政府機構にある〈イリス〉の職員ですもの。何時こういう事になっても驚かないでねって前から言っておいたじゃないの。ねー、焔ちゃん?」


「それは、そうだけどさ……」


 唐突に切り出されたホームステイの話に、焔は戸惑いの表情を浮かべ頬を掻く。それも仕方がない事である、何故なら人間と獣人、そして亜人の三種族の種族間交流が正式な形で始まったのはほんの十数年前のことなのだ。

 響が所属している世界政府機構の一部門。正式名称〈種族間交流促進機関・イリス〉は対立関係にあった種族間の関係緩和を目的とした組織で、その発生は五百年程前まで遡る。

 その五百年の中でも三種族の交流は他の種族間と比べてあまり進んでおらず、その現状を何とか打破できないかと考えたのが響達の世代だった。現在、上層部メンバーのほとんどが各種族でも力をもった者達で堅められており、交流の円滑化を促進しようと活動する〈イリス〉は世界政府機構の中でも最重要組織なのだ。

 種族間交流については若かりし頃から獣人達と少なからず交流を持っていた響が適任だと判断され、世界政府から全面的に指揮を任されていた。今回のホームステイも彼女の発案だろう。


「詳しい話は帰ってきてからするから。焔ちゃん、今日の晩ご飯は――」


「多めに作ればいいんだろ?」


「お願いねー!」


 大きくため息を吐く我が子とは裏腹に、響は何の悪気も感じられない笑顔を見せた。


「それで何時頃来るの? 部屋の準備とかしておかないといけないよね、荷物とかも多いだろうし」


 庚も響が相談もなく大事な事を決めてしまう事を良く知っている為、特に反論することなく話を続ける。


「夕方くらいとは言ってたけど、もしかしたら早めに来るかもしれないわー」


「うん、分かった。それはそうと――」


 短く返事を返しつつ庚は壁に掛けられていた時計を見る。時刻は八時、もう少しすれば学校の校門が閉まってしまう時間になっていた。


「焔はもう行った方がいいよ、遅れると色々言われるでしょ」


「そうだな、そろそろ行くよ」


 焔は鞄と昼食の弁当箱を手にし玄関へと向かう。


「今日は夕飯の買い出しもあるから遅くなっても心配しないでくれ」


「今日は何にするの、焔ちゃん?」


「そうだな……人数も多いし鍋にしようか?」


「ヤッター!! 焔ちゃんのお料理の中で一番美味しいのよね、キムチ鍋? 豆乳鍋? それともねぎま鍋かしらねー」


 思い浮かべる鍋料理に響は子供のように眼を輝かせる。とても重要機関に所属している立場の人間とは思えない反応に焔は呆れ顔を浮かべ、庚は苦笑しながらもう一度焔に声をかける。


「焔、本当に遅れちゃうよ?」


「ヤバッ! 行ってきます!!」


「「行ってらっしゃーい」」


 焔は二人に見送られ一足早く家を出る。

 今日の天気は雲一つ無い快晴、こんな天気の日は気分が良い。それに今の季節は春、自分が走っている舗装された道には淡いピンクの花びらが落ちていた。


「桜も見頃だな」


 焔は走りながら、ある場所に咲いている桜の木を眼に映す。

 その桜の木は自分が向かっている目的地、光稜学園に植えられている一本桜であり樹齢は三百年を超える。大きさも学園周辺にいればどこからでも見る事ができる程だ。

 光稜学園――それは〈イリス〉と同じく種族交流を良好にする為に立てられた世界政府が運営する育成機関。生徒の殆どが各種族で上位の力を秘めた者達であり、そんな若者達が力の使い方を間違わないよう良識ある先達者達が教鞭を振るう場所である。そのため世間一般的にエリートが集められていると言っていい。


「こうして毎日通ってるけど今でも信じられないな、何で俺が通えてるんだろ?」


 考え事をしたせいで焔の走るペースが落ちる。


(やっぱりアレ……使えないからだよな)


 焔は一つしか思い当たらない理由にため息をこぼし気が滅入りそうになったが、それをかき消すような声を後ろから掛けられた。


「おーい、焔! 待ってくれよ!」


「おはよう武。今日はギリギリまで寝てたな?」


 焔は立ち止まり息を切らしながら走り寄ってくる空のような淡い青色の髪をした少年に向きなおる、名前は日向武。学園に通うクラスメイトで、数人いる友人の一人である。


「何で……わかっ……んだよ」


 武は乱れた呼吸を整えるため深呼吸を繰り返す、焔は彼の息が整うのを見計らい再び歩き出す。


「思いっきり寝癖ついてるぞ」


「……確かに」


 焔の一言に武は自分の頭に手を伸ばす、何度も髪を撫でたり梳かしたりしても一度ついた寝癖はその程度では直らない代物だった。


「寝坊するなんて珍しいな」


 焔はからかうような笑みを浮かべ、武に棒状の携帯食を渡す。何かあった時のために普段から持っている非常食、今日は朝食を食べていないであろう親友に譲る。


「おっ、サンキュー」


 礼を言いながら自分が渡した携帯食を頬張る武、味はあまり美味くはないが栄養バランスが良く腹持ちも良いので商品としての売れ行きは上々らしい。


「仕方ないだろ、だって今日は《契約術》の実技授業なんだぞ!? 緊張して眠れなかったんだよ。お前だって――!」


 焔に話を振ってすぐに武はしまった、という表情を浮かべる。そんな彼を見て焔は小さく肩をすくめる。


「武が気にする事じゃないだろ、そんな顔しないでくれ」


「だけどよ……」


「良いって、それよりあと一本あるけど食べるか?」


「おう!」


 焔は気まずそうにしている武に残りの携帯食を渡し、武も雰囲気を切り替える為か、明るい表情でそれを受け取った。


(《契約術》か……そうだよな、普通はそうなんだよな)


 焔は笑顔で話をしながらも心の中で自分が学園に通っている理由、いや――通わされている理由を考えた。


(俺だけなんだよな、使えないの)


 この多種族が存在する世の中で、自分は人間として生まれた。なのに、その人間が生まれながらにして使うことができる固有技能《契約術》が使えない。

 人間であれば誰しも生まれた瞬間に魔力の質と魔力総量、そして魂の波長によりこの世界にかつて存在していた者達との契約が交わされ、自我が芽生えると共に契約した存在が持つ力を扱う事ができる。

 自身の魔力を代価として支払うことで行使できる力、《契約術》を……。

 その固有技能が使えるか使えないか見分ける方法は意外と単純で、使える者は髪か瞳の色のどちらかに変化がある。

 響は橙色の髪、庚は灰色の瞳、武は青い髪というように。


(俺はどっちも黒だから使えないって誰でも分かるからなぁ。まあ、悪い意味とはいえ特別扱いされてるから……この先困る事もない、か)


 《契約術》は人間社会おいて身分制度のような役割も果たしていた。

 魔力が強大であればある程、契約した存在が強力であればある程、社会的に優遇される。能力の低いモノが奴隷のように扱われることはないが、公務員等のある程度の権限を持つことができる仕事や地位を手にするにはそういった要素が大きく影響してくる。

 その為、自分と武。そして兄である庚が通う光稜学園は他種族との交流を目的としているが、そんな人間社会の縮図も再現していると言っていい。だからこそ《契約術》が使えない自分が学園に通える理由もそこにあった。

 人間という種族の中で自分だけが、固有技能を使う事ができない初めてのケース。

 それは、この世界にとって歴史に名前を残す程の異例であり、種族間の勢力バランスが崩れるという危険性を示唆する存在だからだ。

 現時点では自分だけだが近い将来、《契約術》が使えない特異体質の子供達が生まれてきてしまう可能性の証例でもある。

 それが現実になれば人間は互いに共存の道を模索し合っている他種族の心変わりで、瞬く間に制圧され種族の交流どころか、存在そのものが滅ぼされてしまう可能性もある。

 当初、自分は特異体質の原因を解明するための実験体として隔離、管理されるはずだった。しかし、その行為は命への冒涜であり『創造神』により種として生み出された自分達が超えてはならない領域に入る事になる、何より人道的モラルに反すると良識ある者達の手によって撤回された。

 だが、種族間の勢力バランスが崩れるという危険は見過ごす事はできない。

 世界政府は法律に則って正式な手順で許可を取り、どんな異変があっても対応できるようにと保護観察という名目で自分を光稜学園に入学させたのだ。


(政府の連中も世界の事を考えれば、これ以上譲歩できないって言ってたっけ……)


 世界政府も自分達の目論見を表沙汰にするわけにはいかないのだろう、学費や諸経費に関しては一切援助しないとの事だった。それについては皮肉だと悔いるべきか幸運と言うべきか、世界政府の一員である響と同じく政府の任務で世界各地を転々としている父の司。両親のおかげで金銭面では何も心配はいらない。それでも様々な要因が絡み合った結果、光稜学園に通わされている事を再確認し気が重くなる。

 焔は《契約術》が使えないながらも裕福な生活を送っている。それでも素直に喜べない感情に思い悩んでいた。


(本当に俺の事を見てくれてるのは……ほんの数人だろうな)


 小さい頃は落ちこぼれと言われていた、それが学園に入学と同時に周りにいる者達の接し方が激変したのだ。

 手のひらを返したように態度を変え友人と言い張る同世代の子供、自分に利用価値があると判ると見たくもない作り笑いをして寄ってくる大人達。

 そんな輩から自分を護ってくれたのは家族と本当に数人の友達。

 両親や兄、そして本当の自分を見てくれる数少ない友人達には感謝している。感謝しているのだが、その裏では護られてばかりで何も返すことができない自分が嫌だった。


「………………」


 そんな自分に嫌悪しても世界は無慈悲に回り続ける、太陽と月が空を巡るように。

「……ら」


 この世界にある全てのモノが良くも悪くも変わり続ける。その中で変わらないモノがあるとすれば、それはきっと無力な自分だけ。

 それが運命だというなら自分に出来る事は何もない。


「お……、…………ら」


 それでも、力が欲しかった。

 誰かを護れる力が。

 それが叶わないなら、せめて誰かの助けになれるだけの力が……。


「おい、焔ってば!」


「おわっ!」


 焔は耳元で響いた大声に驚き声を漏らす、そこでやっと武が自分を呼んでいる事に気づいた。


「大丈夫かよ? ボーッとして」


「あ、うん。大丈夫、ちょっと考え事してた」


「……やっぱ、さっきの事か?」


 つい口を滑らせてしまった事とはいえ、焔が体質の事を気にしているのは今までの付き合いで分かっていた武。配慮が足らなかった事を自覚した彼は表情を曇らせる。


「いや、そうじゃなくて……」


 このままだと暗い雰囲気のまま話が進んでしまう。

 そう思った焔は、何か良い話はないかと話題を模索する、すると響から聞いた話を思い出した。


「家に亜人の子が来ることになってさ、それも今日」


「へー、響さんの仕事関係?」


「そっ、だから今日の夕飯はどうしようかなって。いきなりだったから部屋の掃除とかもしなくちゃならないしな」


「何て言うか相変わらず、お前の母さんはサプライズが好きだな」


 全くだ、と二人は小さく笑いあう。


「で、来るのは男なのか?」


「聞いてないけどそうなんじゃないか? 種族が違うわけだし、いきなり女の子は呼ばないだろ。俺と兄ちゃんは男なんだしさ」


 これで家に来るのが女の子であればもっと前に話が出ていただろう。男女別に部屋を分けなければならないし、共同で使用する物に関しても使用時間等の線引きも決めなくてはならない。

 部屋の用意だけで無く、他にも色々と準備は必要だ。


「そりゃそうか……焔と庚さんなら問題になるような事は起こさないだろうけど、そこは配慮してるか。でも、本当にそうだったら大変だったな、お前は女の子に免疫ないからな……くふふっ!」


 武は歩きながら声を殺して笑い、それに対し焔は顔をしかめる。


「笑わなくたっていいだろ? ただ……どう接したら良いか分かんないだけだ」


「世間一般ではそれを免疫が無いというのだよ、焔君」


 焔に寄りかかり首に右腕を回しす武。

 確かに武の言う通り、焔は自分の特異体質を気にしてあまり他人とコミュニケーションをとらなかった。そのせいか、同年代の女子ともあまり会話をした事がないため話しかけられるだけでも緊張してしまうのだ。まして手など握られては、顔が一気に茹であがってしまうだろう。


「ほっとけ! 別に彼女がほしいわけじゃないんだから」


「何血迷ったことを言ってんだ! 高校生にもなって彼女がいないんじゃ青春を謳歌できないだろ!」


 武は焔の胸にぐりぐりと人差し指を押し当てる、その指には力だけではなく何らかの強い思いが込められている気がした。


「そんなんだからいつまで経ってもお前は駄目なんだよ、もう少し女の子に興味を……まさかこっち、なのか?」


 声を潜め左手を口元に添える武、顔色もどことなく青くなっているように見える。


「断じて違う!」


 そういう方々がいるのは知っているが自分は女の子に興味がある普通の男子、異界としか思えない世界の扉は開けたくもない。

 焔は乱暴に武の右腕を払いのけ距離を取る。


「はは、冗談だってそう怒るな」


「そういう冗談はよしてくれ」


 普段と変わらないやり取りに安心しつつも、焔は唇をとがらせ武に抗議する。こういうやり取りはいつものことなのだが弱点とも言える部分を話題にされると対応に困る。武の場合、それをおもしろがっている節があるので辛いところだ。


「なあ、焔」


「今度は何だ?」


「何だろうな、あの人集り……有名人でも来てんのかね?」


 武は眼を細め、覗き込むような仕草で前を見る。

 焔も武が見ている方向に眼を向ける。話しに夢中で気がつかなかったが、すでに学園の校門が見えており、そこにはかなりの生徒達が集まっていた。よく見ると生徒だけでなく、数人ではあったが教師の姿も確認できた。


「事故でもあったのかな? とりあえず、行ってみるか」


「おうさっ!」


 焔達は小走りで人集りのある校門へと向かう、人集りに近づいたものの集まっている生徒達の数が思っていたよりも多い。これでは何が起きているのか見る事も出来ない。


「全然、前が見えないな」


「仕方無いな、ちょっときついけど間に割り込みながら前に行こうぜ。今ならどさくさにまぎれて女子と触れ合えるしな!」


「今ならの後はともかく、それしかなさそ――」


「か、神月君!」


「はい?」


 少しでも状況を知る為に人混みを分けて進もうとした焔達だったが、一番近くにいた教員が声を上げて駆け寄ってくる。しかも、焔に声をかけた教員は何故か狼狽していた。


「すまないんだが彼女を早く学園から連れ出してくれないか」


「彼女?」


 突然の事で相手が何を言っているのか理解できなかったのか、焔は思わず教員の言葉を聞き返す。


「この学園は正式な手続きをした子達が入る場所なんだ、いくら関係者だからと言っても何の許可も無く敷地に入られるとまずいんだよ」


「あの、いったい何の事ですか?」


「君の関係者じゃないのか? さっきから何度話をしても君に会いたいとしか言わないんだ、それに無理矢理ではないにしろ学園から追い出したとなると外交問題になりかねないし……」


「――? ――――??」


「とにかくだ! 早く彼女と話をして帰ってもらいなさい!」


「は、はあ……わかりました」


 集まっていた生徒達に大声で道を空けるよう指示を出す教員、モーゼの十戒を連想させるその道をゆっくりと歩いていく焔。武もその場の流れなのか焔のあとに続く。


「お前いつの間に彼女が出来たんだよ! この裏切り者が!!」


「彼女なんていないって! 俺だって何の事だか全然身に覚えがないぞ!!」


「本当だな!」


「本当に本当だよ!」


 涙を流し語尾を強める武、さっきの話のせいなのか彼女という単語に過敏になっているようだった。


 そんな武を宥めつつ足を速める焔。


(でも、本当にどういう事だ……?)


 教員の話を聞いた限りでは、この騒ぎの原因は自分だと思われている。この場を治めるにはその正体不明の少女に会って、一刻も早く帰ってもらうのが唯一の解決策だろう。


「……?」


 そんな事を考えていると意味もなく胸が高鳴り心臓が大きく脈を打ったのを感じる、この感覚を自分は知っている……気がした。

 怪我をしているわけでも、病気にかかっているわけでもない。なのに突然胸が苦しくなる。

 焔が言い表せない感覚に眉を寄せた時、一陣の風が吹く。その風に運ばれてきたのか焔の眼には宙に浮かぶ無数の桜の花びらが踊っているように見えた……そして、風が弱まると花びらも地面に落ち、遮られていた視界が一気に鮮鋭となる。その目の前に広がった光景に焔は言葉を失う。



 ――そこには一人の少女がいた。


 桜の木に右手を添え、満開の桜を見上げている少女の姿。

 頭の上で少しだけ前に傾いている猫の耳に、そよ風に靡く首の後ろで束ねられた純白の長い髪。前髪の隙間からは彼女の虚ろげな金の右眼と蒼の左眼が垣間見え、通った微量に艶のある薄い唇。そして少女の背後には、つい眼で追ってしまいたくなるような、しなやかにゆっくりと揺れる尻尾があった。

 着ている服は白と黒の風合いある布地で作られた和風テイストの民族衣装を連想させる。

 着物のようでありながら裾は短く、そこから伸びる柔らかな曲線を見せる太ももに肩がむき出し同然の特徴的な着こなし。

 艶やかな作りの衣服と少女の独特な佇まいが相まって、神秘的な色気を醸し出している。そんな彼女の姿は、この晴れ渡った空の下で何よりも鮮明に焔の脳裏に焼き付いた。


「君……は……」


 焔に呼ばれた事に気づいた少女は見上げていた桜から視線を外し、生気のない色違いの(オツドアイ)を焔へと向ける。


「………………」


 向けられたのは活力が感じられない人形のような表情。しかし、虚ろな瞳に自分の姿が映った時、意思という光が灯ったように見えた。


(何で……泣いてるんだ?)


 見知らぬ少女と眼が合った時、自分の頬を流れる雫に気づき慌てて制服の袖で拭う焔。涙と一緒に突き上がってしまいそうになる呼吸を唇を強く結び押さえ込む。

 自分は何処かで同じように、少女の顔を眺めながら涙を流したことがあるような気がした。

 訳もわからないまま涙を拭う焔ではあったが、彼と同じように少女の頬にも一筋の涙が流れる。


(あの子も、泣いてる)


 色素のない彼女の皮膚を伝う涙の筋が、焔にはハッキリと見て取れた。

 その少女は泣いているとは思えない無表情な顔で焔をしばらく見つめた後、彼の元へと歩み寄る。


「「………………」」


 少女は何も喋らずに焔を見つめ、焔も無言で少女を見つめ返す。焔にいたっては、後ろに武がいる事すら忘れているだろう。

 それ程に、焔は目の前にいる少女から眼を離す事ができなかった。

 しばらくこの時間が続く……そう思われたが、先にこの静寂を破ったのは少女の方だった。


「……焔」


「――っ!」


 少女が呟いた最初の言葉、それは焔の名前だった。焔は何故自分の名前を、と口にしようとしたがそれは叶わない。

 何故なら亜人の少女が何の迷いも見せず焔を抱きしめていたからだ。その状況に焔だけでなく、すぐ後ろにいた武と周囲で事の成り行きを見ていた生徒と教員達も驚きのあまり言葉を失っていた。


「……う……あ、あう」


 頭の中で今起きているこの状況を整理しようとする焔。

 いったいこの少女は何者なのか、どうして自分の名前を知っているのか、何故大衆の面前で抱きしめられているのか。

 しかし、自分が置かれている状況を理解しようとすればする程、焔にはそれができなかった。


(な……なっ、何がどうなって!?)


 自分の身体が感じている少女の体温と鼻先を擽る髪から香る優しく甘い匂い。そして何より抱きつかれ、必然的に押しつけられている少女の豊かな胸の感触に焔の思考は完全に砕かれてしまっていた。


(女の子が、こんな可愛い子が……俺に抱きついて……っ!?)


 焔の顔色は見知らぬ少女の柔らかな感触に、見る見るうちに赤く染め上げられていき――


「……はぅ~」


 情けない声を絞り出すと同時に気を失うのだった。




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