02-01 嵐の前のなんとやら(1)
「ど、どう思う?」
「どう思うって聞かれても……響さんが嘘を吐いてるようには見えなかったわ」
響に招き入れられた武達は、事の事情を聞く間もなく焔の部屋へ行くよう促された。焔の部屋へ向かう途中、二人は混乱する頭と心を落ち着けようと必要以上にゆっくりと歩を進め小声で疑問を交わし合う。
「その話が本当だとすると相手はやっぱり焔に抱きついた女の子が一番有力だな……でも焔のやつ、女子が苦手の筈だよな?」
「問題にするところが違う! 女の子が苦手云々より結婚するって事の方が大問題でしょうが!?」
響が嘘を吐いていない以上、自分達の同級生である焔は若くして生涯の伴侶を得たと言う事だ。
「まだ十五歳なのよ、確かに獣人や亜人なら結婚する人もいるらしいけど……幾らなんでも私達の年で結婚なんて早すぎるじゃない」
「確かに俺だったお前の言う通りだと思うぜ」
人間社会において結婚が許される年齢は男が十八歳、女が十六歳となっている。そんな中、焔は十五歳……人間の法律で認められている年齢よりも三つも若い。
獣人・亜人社会では男女どちらも十五歳で結婚することが認められていた。そして他種族同士の結婚の場合、籍を置く側の決まりに乗っ取って婚姻が行われる。
つまり、焔が『婿』としての立場を取ればレイリア達側の決まりで契を交わすことが出来るのだ。しかし、同い年の武達からしてみれば問題が無いと分かってはいても、そう簡単に納得する事が出来ないのは当然だろう。
「けどよ、響さん凄え喜んでたろ……何も言えなくないか?」
「それは、そうだけど……」
これ以上無いと言わんばかりに輝いた笑顔を浮かべ嬉しそうに喋る響の姿を思い出すと、焔の結婚話が突然すぎておかしいのでは無いかと指摘することが出来なくなってしまう。実際、突拍子も無い話だが誰かに迷惑を掛けているわけではない事もその要因の一つになっている。
「とにかく、焔に話を聞こうぜ。あいつならきっちり説明してくれるはずだ」
「そうね、事情だけでも聞ければ私達も落ち着けるでしょうし」
まだ落ち着かない胸の内に困惑しつつ、二人はとうとう焔の部屋に辿り着き息を呑んだ。
――『焔とレイリアの部屋』――
目の前にあるのは廊下と部屋を隔てる何てこの無い只の扉。だと言うのに、この扉の向こうが焔とレイリアの愛の巣だと主張しているプレートを見てしまうと、ある種の神々しさと重圧を感じざるおえない二人。
「……覚悟は良いか、志保?」
「ええ、いつでも」
学校を休んだ友達を見舞う、そんな気軽さで来たはずの武と志保の表情に余裕は無い。それでも武は、ごくりと唾を飲み込んで眼前の扉を二度三度と軽く叩く。
「焔、俺だ、武だ。急に学校を休んだから心配になってきたんだけどよ、入っても大丈夫か?」
緊張が篭もる声で焔に呼び掛ける武。だが、言った通り焔を案じる雰囲気もしっかりと感じられた。けれど、その呼び掛けに扉の向こうにいるはずの焔からの反応は無かった。
「焔、いないのか…………?」
さっきよりも大きな声と強めのノックでもう一度呼び掛ける武だが、変わらず焔からの返事は無い。
「もしかして寝てるんじゃない? 物音もしないし」
「そうかもな。仕方ねえ、焔には悪いけど勝手に入らせて貰おうぜ」
預かってきた課題を置いて帰ってもと思いもしたが、響からあんな話を聞かされてこのまま帰るというのもすっきりしないものがある。それは志保も同じようで武の意見に黙って頷いて見せる。
「んじゃ、失礼しますよ~っと」
部屋の主が寝てしまっていることもあってか、武達から先ほどまで見せていた緊張は消えていた。
「おーい、焔。様子見に来てやった……ぞ…………」
「寝てるところ悪いんだけど、起きてちょ……う、だい……」
だが、部屋に入った途端、消えたのは緊張感だけで無く気軽に上げた声もだった。
「…………すぅ……すぅ…………」
声を失った武と志保が見たモノは、床に敷いた布団の上で静かな寝息を溢す焔の姿。
二人からは見えないものの、就寝の際に最早定位置と化した寝床の上で眠る彼の寝顔はとても穏やかなものだ。
――そう、武達には焔の顔は見えていないのだ。
正確に、ありのまま、一言一句違わずに彼等が見ている光景を伝えるのならそうだとしか言えない。
何故なら武と志保が見ているのは、思わず眼がいってしまう愛らしい猫耳と真っ白な髪、そして白と黒を基調とした特徴的な作りをした衣服に身を包む目麗しい少女――レイリアの豊かな胸に顔を埋め眠っている焔である。
一目であらぬ誤解や想像が働いてしまうような光景ではあったが、これは焔の意図したものでは無い。無いのだが、思春期真っ盛りの一員でもある二人がこんな光景を見てしまえば声を失い固まってしまうのも無理は無かった。
「お待たせー。冷たいジュースでも……って、どうしたの二人共? 立ったままぼーっとしちゃって」
「「………………」」
自分達の為に用意してくれた飲み物をお盆にのせ、変わらず笑顔を浮かべ姿を見せた響に二人は何も言えないまま焔とレイリアを指さす。
「あらあらー、仲良く眠っちゃってたのね。お母さんとしてはこのまま寝かせてあげたいんだけど、武ちゃん達がせっかく来てくれたんだもの。ここは心を鬼にして起こして上げましょう」
後半だけ聞けば実に出来た母親だと思える。しかし、隠しもしない本音同様、響の口元はニンマリと擬音が聞こえてしまう気さえする程にやけていた。
「ほーむーらーちゃん! 起きてちょうーだい!!」
意地の悪い笑みを浮かべながら、レイリアに抱きしめられて眠っている焔の肩を遠慮無く揺らす響。
「ほらー、武ちゃんと志保ちゃんが来てくれたのよ。起きなさーい!」
「……、だ……れ、かあ……さん? 武が、どう――――んぐっ」
起ききらない意識で響の呼び掛けに答える焔だったが、それは途中で口を塞がれてしまい途切れる。
「…………? ………………――――――――むがっ!?」
自分の口を優しく塞ぐ暖かく柔らかなものが何なのかを考えた焔。そして、それが何なのか分かった瞬間に焔はくぐもった声を上げ硬直してしまう。
(いや、固まってる場合じゃ無いぞ俺!?)
自分の顔全体を包んでいるのはレイリアの胸、胸に顔を埋めている姿を見ているのは気心知れた友達二人に、この状況を間違いなく楽しんでいる母……呑気に微睡んでいられる理由は一つも無い。
脱兎の如く消え去った眠気と共に、焔は今も眠っているレイリアから離れようと起き
「んっ……」
「ふむっ!?」
上がる前に頭を更にしっかりと抱きしめられてしまう。
寝相が悪い? とい言って良いのか、レイリアは今の様に肌で感じていた焔の感触が無くなると本能的に焔を抱きしめる。もしくは抱きついてしまう。
小さな子供であれば何とも微笑ましく思えるものだが、レイリアも焔も「小さな子供」とは言えない。彼女から望んでしているのだから問題無いといえるが、焔に関してはそうはいかなかった。
着崩れた衣服から見える僅かに赤みを帯びる白い肌と華奢とは言え起伏に富んだ肢体に包まれ、形が変わるほどに当てられている豊かな双丘の感触。焔の意識はもう途切れる寸前である。
異性に対する欲求よりも恥ずかしさが先行してしまう焔でなければ、至高の温もりといっても過言ではない抱擁を味わえば理性を保つ事は出来なかっただろう。
「むぐっ……んっ! ……ぷはっ!!」
しかし、焔は幾度となく繰り返されてきた最上級の誘惑を情けないと言われて当然の羞恥心を持って打ち勝ち、何とか顔だけはレイリアの胸から離す事に成功する。
「レ、レイリア! 起きろ、起きて、起きてくださいお願いします!! この状況は色々と拙いんです。俺とレイリアの体勢とか俺を見てる友達の眼とか、特に俺の心臓とかがああぁぁぁぁっ!?」
顔を真っ赤にして抗議はしていても、レイリアを無理矢理引きはがすなど焔に出来るわけもなく動揺と羞恥で震えた手が虚しく宙を彷徨う。
「……ぅん……ほむら? おはよう」
「お、おは――よっ!!」
それでも必死の呼び掛けで寝ぼけてはいるもののレイリアを起こすことが出来た。だが、それも結局は状況を好転させるには至らない。むしろ悪化させる起爆剤にしかならなかった。
レイリアにとっては起きたという意思表示のつもりだったのだろう。
焔の額に形の良い唇を落とし、そのまま彼の頭を恥ずかしげも無く自分も胸元へと抱き寄せ髪をなで始めたのだ。
焔の髪を撫でる手は慈しむような手つきで、表情の無い顔は何処か満ち足りている雰囲気を纏っていた。
「「「「………………」」」」
レイリアを除いた全員が口を閉ざす。
武と志保は何か悟ったような年に似合わない達観した視線を浮かべ、響はにやける口元を両手で押さえ震え、焔にいたってはもはや諦めの境地である。
焔はどうしようも無い羞恥心にすすり泣く事すら出来ず、治まることの無い動悸と目眩に晒されながら……唯々、レイリアが満足するまで彼女の抱き枕としての役目を全うするしか無かった。