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少年少女の結婚過程《ハイラート》  作者: 三月弥生
紅蓮の炎に誓いを込めて
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06 焔と騎士の誓い (1)


「最後まで少女を助けることだけを考えていたか。見事だ、少年」


 アスクは糸の切れた人形の様に倒れている焔に声をかける。

 答えが返ってこないことは分かっていたが、れでもアスクは焔に賞賛と尊敬を込めた言葉を贈る。自身の命と引き替えに他者を救おうとする覚悟を持った者達がどれだけいるだろう、少なくとも今この空間でその覚悟を持った少年の命が消えようとしているのは確かだった。


(逃げ……ろ、レイリア)


 焔は消えゆく意識の中でレイリアに呼びかけようとするも、すでに身体の感覚が無くなっていた。自分が喋っているのかどうかもわからない。


「だが、後のことを考えるべきだったな」


 ……まるで灯火のような、ほんの僅かに揺らめく焔の魔力を感じるながらアスクはレイリアの元へと静かに歩き出す。


(ぐっ……このまま……じゃ、レイリア……が)


 腕も足も身体のどれもが焔の意思に反応する気配はない、心臓を貫かれ致死量に届く血を流してしまった状態では動くことなどできるわけがなかった。

 そんな中、アスクは答えを求めるわけでもなく言葉を語る。


「少年の行動は褒めるべき素晴らしいものだったが今一つ考えが足りなかった。君が死ねば少女は君の元に駆寄り取り乱し名を呼び続けるか、受け入れがたい現実の前に放心状態となるか、この二つしかない」


 その言いようは焔の行動に対する敬意を表する発言であったが同時に未熟さを説くものでもあった。

 アスクは前方にいるレイリアの状態を観察する。

 レイリアは地面に座って微動だにせず倒れている焔を見つめているだけだった。頬を伝う涙を拭いもせず、これから自分の命が狩られる番だと分かっている筈なのに逃げるどころか動く素振りも見せない。


「彼女はあきらかに後者のようだ、これでは君が命をかけた意味がない」


 アスクは歩みを止める、すでに彼の目の前にはただ涙を流し逃げようともしない一人の少女の姿があった。


「感情は表せなくても涙は流せるか……悲しむことはない、今すぐ愛する少年と共に旅立たせたやろう」


 アスクは焔に突き刺した刃を静かに振り上げる、その刃に込められていたのは殺意ではなく哀れみだった。


 アスクの瞳に躊躇いの色が映る……しかし、気のせいだというようにそれは瞬く間に消える。


「少年よ、君の死は無駄に終わったな。だが、君達二人の尊い犠牲が何れ世界を正しい姿に戻すだろう」


 天に掲げられた刃は無慈悲にレイリアへと振り下ろされる、その光景が息絶えようとしている焔の瞳には恐ろしいほど遅く映る。


(動け! 動け! 動け動け動け! 動いてくれ!!)


 死の淵にいながら最後まで抗おうとする焔の願いは届かない、焔の眼にレイリアの最後が刻み込まれようとしていた。


(やめろおおぉぉぉぉ!!)


 その光景に焔は悲痛な懇願の叫びを上げる。だが、その声が聞こえたかのようにレイリアの最後の瞬間が、振り下ろされた剣が止まる。


(止まっ……た?)


「無駄なんかじゃありません」


 死に瀕した焔の耳に届いたのは自分の闘いを無駄とは言わせないという力強い声。眼に映ったのは鋭い眼光に怒りを込めた兄の姿、アスクの刃はアモンの力を借りた庚の手によって止められていた。


「焔が命がけでレイリアさんを護った事を――無駄だったなんて言わせません!」


「神月庚か」


 アスクは止められた剣に力を込め庚の手を振り払い、庚も後方へと飛び退きアスクとの距離を取る。この時すでにレイリアはミルディによって安全な場所まで離れていた。


(良かった、間に……合ってくれたんだ)


 庚達が来たことでレイリアの無事を確信した焔は弱く、小さな息を溢して安堵の笑みを浮かべる。


(あと……頼んだ、…………兄ちゃん)


 焔の意識は灯火のように揺らめいていた魔力と共に薄れ……庚に最後の願いを託し、焔は静かに眼を閉じた。


「――――ッ」


 庚は焔の魔力が消えた事を感じ取る、それはレイリアの心を満たした絶望と同じものだった。


「逝ったようだな」


「………………」


 アスクの言葉に庚は爪が肉に食い込み血が滴るほどに拳を強く、固く握りしめる。庚達から離れているミルディもレイリアを抱きしめ焔の死に涙を堪えていた。


「……焔。焔、焔……」


 ミルディに抱きしめられているレイリアは涙が止まることなく流れる瞳で焔を見つめ、名前を口にする。その小さな口で何度も、何度も何度も何度も何度も……呼び続けていた。


「訂正しよう、神月庚。君が間に合ったのは事実、確かに無駄ではなかった」


「だから僕が闘うんですよ、焔が命を懸けて助けた人を護る為に!」


「そうなると君と私の力は互角……いや、少年と闘い疲弊しているぶん私が不利か」


 アスクは焔の手によって取り外され地面に転がっていた〈魔力を暴食する(グロトネリーア)〉を手元に召還する。


「しかし、これでその不利は消える」


 それぞれ左右の手に握りしめられた〈魔力を暴食する(グロトネリーア)〉と〈満たされぬ狂食者(フィールフラース)〉から眩い光が吹き出しアスクの身体に吸い込まれていく。


「その魔力は二人の!?」


 アスクの中に流れ込む魔力は庚が良く知る者達の魔力、それも庚に劣らぬ程の総量。


「そうだ、魔力を奪い使用者に還元する……これがこの魔法具本来の使い方だ、神月庚」


 焔達から奪った魔力を自分の魔力に上乗せした事によって、アスクは元の状態どころかそれ以上の力を手にしてしまう。


「神位級の魔力、存分に振るわせてもらおうか」


 焔の命を奪った天魔人は自分の持つ全ての魔法具と盾の力を解放する、これが最後まで焔に見せることの無かったアスク・ミックの正真正銘の全力だった。



                   ◇



 見渡す限り真っ白な世界。何も、何も無い世界……あるのはただ妙な浮遊感だけだった。


「これが死んだ後の世界か」


 焔は自分の身体を見下ろす、アスクとの闘いで傷つきボロボロになった肉体は傷一つ無くそして紅く染まっていたはずのYシャツも汚れ一つ無かった。そして痛みを感じなかった事に、今度こそ自分は死んだのだと理解した。


「やっぱり死ぬと痛みも何もないんだな」


 辺りを見回しても一般的に聞く三途の川は見あたらない、死ぬ直前でも走馬燈は見なかった……死は意外とあっさりしているものなのかもしれない。


「レイリアは大丈夫だ。兄ちゃんが助けに来てくれたし、それにミルディさんもいる……」


 唯一の心残りを焔は自分自身に言い聞かせるように呟く。


 庚が負けたところは見たことがないしミルディもレイリアと同じ両有種、何より庚が契約しているのは最強の悪魔の一柱、破壊神アモン。魔法具を使いこなすアスクでもあの三人相手に勝つのは容易ではないはず。


 それが分かっていても消しきれない感傷が心を騒ぎ立てる。


「ごめん、レイリア……ごめん」


 それはレイリアの涙、怒った顔も笑った顔も見ていないのに自分の脳裏に張り付いているのは彼女の泣き顔だ。表情は変わらなくても感情はある、あの涙は自分を想って流してくれたものだ。


「ごめんな……」


 焔はそれしか言えなかった。



 ……死にたくなかった、何も護れず、誰も護れず、誰かの助けになる事も出来ずに。



 ……生きて、生き続けてレイリアを護りたかった、他の誰でもない自分自身の力で。



 ……護って、護って、護りぬいて、いつの日かレイリアの笑顔を見たかった。



 俯きながらも涙を堪える焔。

 そして彼は『本当の痛み』が何なのか理解した、それは身体に傷をつけられることではなく心に突き刺さるものなのだと。

 どんなにレイリアの傍にいたいと思っても、彼女の想いに応えたくてももう出来ない。

 声も言葉も、想いも、もう何もかも届かない……。


「なんだよ……俺、こんなにレイリアが好きなんじゃないか。それなのに、死んだのか……」


 公園で伝えようとした時よりも強く沸き上がる想い。

 だが、この気持ちを伝えることはできない。

 分かってしまったのだ、伝えたくても伝えることが出来ない。触れたいとも思っても触れることが出来ない。もう一度会いたいと願っても会うことが出来ない……これが誰もが恐れる【死】なのだと――


『顔を上げろ、お前はまだ死んではおらん』


 足掻くことすらできない世界に心を押し潰されそうになっていた焔の頭の中に声が響く、突然聞こえた声に驚き焔は顔を跳ね上げる。


『正確には死にかけているのだが……魔力で貫かれた心臓の傷口を閉鎖しておいた、他の傷も完全に直すことは出来んが塞ぐ位は出来るからな』


 焔視線の先にいたのは以前夢に出てきた紅い鎧を身に纏った騎士。前に会った時と同様に騎士は鎧と同じ紅い大剣を真っ白な足場に突き刺し立っていた。


「お前は!」


『言ったはずだぞ、いずれもう一度とな』


 紅い騎士は大剣を引き抜き焔の元まで歩み寄る。並んで立つと焔の大きさは騎士の半分ほど、大人と子供ほどの差があった。


「何がどうなって……」


『お前が完全に意識を失う前に肉体と精神を切り離し、この精神世界に呼んだのだ』


「切り離した?」


 前に会った時も目の前にいる騎士はこの場所を自分の精神世界だと言っていた。それが本当なら……


「俺の無意識がお前って事なのか?」


『違う。我とお前はあくまで別の存在だ、我にも自我はある』


「じゃあ、どうして俺の中にいるんだ?」


『お前が我と契約を交わしたからだ』


「お前と?」


 契約はきっと《契約術》のことだろう。しかし、この騎士の言う事が本当なら何故自分は目の前にいる騎士の力が使えなかったのだろう。《契約術》が使えたなら、レイリアを護ることが出来たかもしれないのに。

 そんな焔の心を読んだように騎士は言葉を紡ぐ。


『お前は幼き頃にレイリア嬢を救うため、代償を払い我が力を振るった。そのせいでお前は力の使いを忘れてしまったのだ』


「それって……」


 焔は騎士の言葉に耳を疑った。やはり自分はレイリアと出会っていた、そしてレイリアを護ったのだと。だが、騎士の言う代償が何なのか、いったい何からレイリアを護ったのか思い出せない。


「なん――」


 疑問を騎士に問いかけようとしたが焔だったが騎士はその言葉を遮る。


『黙って聞け、時間もあまり無いのでな』


「時間が無い?」


『あれだ』


 騎士は純白の世界で顔を上に向け、焔もつられるように騎士の視線を追う。そこには白に覆われた世界を浸食する黒い何か蠢いていた、その何かが世界に亀裂を奔らせる。

 それを見ただけで焔の身体は、震え言い表せない恐怖を感じる。


「何だよ……あれ」


『あれが【死】だ。傷を塞いでいるとは言え、お前の肉体が危機的状況なのは変わらぬからな。……他にも疑問はあるだろうが今は後回しにしておけ』


 【死】という黒い亀裂から焔へと顔を向けた騎士は、自分が持つ紅い大剣の柄を焔にさし出す。


「な、何だ?」


『焔、お前は何の為に力を求める?』


「いきなり何を……」


『敵に討ち勝つ力か、生き延びる力か、それともあらゆる障害を退ける力か……お前が求める力は何だ?』


「俺が、求める……力」


 焔は騎士が差し出している紅剣の柄を見つめる。


『お前が求める力を我に示せ、その力をお前に貸し与えよう』


「………………」


 まさか自分の中にこんなモノがいたとは思わなかった。だが、この騎士は自分の事を、レイリアの事を知っている。何よりレイリアを護るために失ったモノが何なのかも。

 疑問と混乱が嵐のように焔の頭の中を駆けめぐる。


(でも、今は……)


 焔は様々な思いが入り乱れ交錯すし騒ぎ立つ心を静め、騎士の眼を真っ直ぐに見つめる。全身が紅い鎧で包まれ顔も隠れているせいで、どこが眼なのかは検討がつかない。それでも、騎士が自分の眼を見ている……そうと感じた焔は視線を揺らすこと無く騎士を見据えた。


「俺が欲しいのは……そんな力じゃない」


 差し出された紅い大剣の柄を両手で握りしめる焔、手に伝わるのは荒々しく燃え盛る炎の脈動……それでもどこか心を包み込むような暖かさが感じる。


「俺が欲しいのは、出会ってからずっと俺の傍にいてくれた女の子を、レイリアを護り続けられる力だ。勝つだけじゃ、強いだけじゃ意味がないんだ!」


『それがお前の求める力の在り方か?』


「そうだ」


『何もかも失われたと思っていた。……だが、お前は何も変わらず我の前に再び立ってくれるのだな』


 何かを守る為に、誰かを護る為に――そして、レイリアを護り抜く為に力を求めた焔の姿に。

 己の無力を嘆き、挫折し後悔を繰り返しても傷つける力では無く護る為の力を望み続けてくれた焔の純然たる願いの在り方に……騎士は安堵した。


『その望み如何なる時も違わぬならば我が力を貸し与えよう、そして存分に振るうがよい』


「ありがとう、えっと――」


『我が名はヴォルカニカだ……もう忘れるでないぞ、また説示するのも楽ではないからな』


「わかったよ、ヴォルカニカ」


 ヴォルカニカは静かに立ち上がり広がり続ける亀裂を見上げる。


『急いでお前の意識を肉体に戻さなければな』


「その前に教えてくれ、どうすればお前の力を借りられるんだ?」


『お前の大切な者を想い浮かべ我が名を呼べ、そうすればお前は我の力を纏うことができる』


「纏う?」


『《契約術》の更に上……我が姿と能力、存在の全てを身に纏う力。我は《魔装術》と呼んでいる』


「《契約術》より上……俺がそれを?」


『我ら次元体と同等の魔力を持つお前だからこそ出来る術だ、何故ならお前は――』


 ヴォルカニカが驚愕と戸惑いを見せる焔を落ち着かせようとした時、純白の世界に奔る黒い亀裂が音を立てて大きくなる。焔の【死】が更に迫っていると知らせるように。


『もう時間がない、良いな? 教えたとおりにすれば問題はない。今はレイリア嬢を護ることだけ考えるのだ』


「ああ、分かった」


『では、行くぞ』


 ヴォルカにこの声が焔の意識を目覚めへと導く。

 その影響なのか、焔の身体は光に包まれ細かい粒子となって消えていく。


(今行くからな……レイリア!)


 焔は自分の中にある確かな想いと携え、純白の世界に別れを告げる。

 自分にとって、掛け替えのない少女を護る為に――





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