05 決断の果て (1)
アスク・ミックとの闘いから一週間が経とうとしていた。
庚達が守りを固めていてくれるお陰か、あの日から一度も焔達はアスクから襲撃を受ける事はなかった。それでも今回の件に関してはアスクに情報を流した裏切り者、特定困難な内通者を探すため〈イリス〉へと向かった響からも、安全だと判断できるまでは無闇に外を出歩いたりしないようにと行動を制限されている。
事情が事情なので焔も反論するつもりは無く、家の中で家事をこなしながら静かに過ごしていた。
しかし、焔は衰弱していった。肉体的にも精神的にも。
(……別な意味できつい)
焔は部屋の机で何度も読んだ漫画本を手に深いため息を吐く。
アスクとの戦いで受けた傷は完治したのだが学園にも行けず外出もできない為、さすがにストレスがたまっていた。普段なら学園で勉学に励んでいる時間帯、一日二日はゆっくりできて良いと思っていたがある事に気づいて以来、アスクへの警戒心とは別な意味で緊張感に身をさらされている焔。
その原因はレイリアとずっと一緒に居るということ。
ここ数日で焔が彼女について分かった事は一つ、とにかく会話が続かないということだった。
「食べ物の好き嫌いは?」
「……好きなのは魚、嫌いなのは特にない」
食べ物系は駄目。
「趣味は?」
「……森の中の散歩」
趣味も駄目。
「家だと何してた?」
「……掃除と裁縫」
思い当たる話題を手当たり次第に聞いていく焔だったが、殆ど一言で終わってしまい話が続かないのだ。
(……手強い!)
確かに自分の質問に対してレイリアはちゃんと答えてくれるのだが、どれも的確すぎて次に繋がる話の糸口を見つける事ができない。
種族が違うのだから文化の違いが出るのは仕方が無い事である。だが、それだけならまだ良かった。
焔が衰弱している最大の原因、それは朝の起き方である。
今は学園に行く事が出来ない、その分ゆっくりと休もうとしているのだが毎朝早く起きてしまうのだ。
早く起きるだけなら特別問題はない、日妻は家事をする以外は特に疲れるようなことはしていないのだからあまり眠れなくても支障はない。だが、衰弱しているという事は疲れているということ。その疲れを取るためには睡眠が必要不可欠、なのだが……焔は眠る事が恐ろしくなっていた。
何故なら――
(なんで毎朝、俺の隣で寝てるんだあああぁぁ!!)
寝ているだけなら良い、いや良くわないが。
眠っている間に寝返りをした時に右腕にむにゅっとした弾力を感じ、眼を開けてみるとレイリアが自分の腕を抱き枕代わりに寝ているのだ。
どうやら自分が寝た後、わざわざテーブルを動かして横になる場所を確保しているらしい。
いつぞやの時のような状況ではないのだが、毎朝レイリアを起こさないよう必死に心の叫びを押し殺している。しかも、そのままの体勢で動かないように身体を固定するのは相当神経を使う。
一度だけ腕を引き抜こうと努力してみた、けれど胸の谷間に挟まるようになっているせいで少しでも動かすとくすぐったいのか更に強く抱きしめられた。それでも諦めずに外そうとすると、今度は右腕を逃がさないように身体全身を使って抱きつかれてしまう。
耳を擽る甘い吐息に腕に当たる柔らかい膨らみ、絡みつく温かな太もも。
健全で有ろうと無かろうと男子なら誰でも喜ぶシュチュエーションなのだろうが、自分にとっては恥ずかしさと緊張のあまり動悸は激しくなり身体が強張り全身筋肉痛だ。
そんな過酷な体勢で、レイリアが起きるまでずっと動くのを我慢している状態が一週間。
(このままじゃ……死ぬ)
傷一つなくとも身も心もボロボロである。
「…………はあ」
「……大丈夫?」
焔の様子がおかしい事に気づいたレイリアは、いつものように焔の傍に立つ。もっとも、寝不足のせいで出来た目元の色濃く浮かぶ隈と、大きなため息を吐かれれば心配しないわけがないだろう。
「……どこか痛いの?」
「痛いところは無いんだけど……」
「なら、どうしたの?」
首を傾げるレイリアに面と向かって堂々と「君の事で悩んでる」とはとても言えない、言えたらどんなに楽だろうかと焔は愛想笑いを浮かべる。
「外に出たいかなーって」
「外?」
「出かけるのは危ないって分かってるけど、ずっと家に缶詰状態じゃ気が滅入る」
「そう……」
レイリアは力のない笑みを浮かべる焔をじっと見つめ、何か思いついたのか急に部屋を出て行った。
最初は何事かと思ったが庚とミルディを連れてくるために部屋を出たらしい、呼ばれてきた本人達も何かあったのかと言うような表情で部屋に入ってくる。
「レイリアさんに呼ばれたんだけど……」
「どうかしたの、焔君?」
「いや、俺は何も」
庚とミルディだけでなく、焔もレイリアが何をしたいのか分からず三人そろって彼女に顔を向ける。
「……焔と一緒に出かけたい」
「へっ?」
レイリアの唐突な提案に焔は思わず声を漏らした。
「……駄目?」
「別に良いですよ」
庚は特に困った様子を見せる事無くあっさり許可を出す。
「兄ちゃん、いくら何でもそんな簡単に……」
「外に出たいのなら僕達もついてくよ。いつまでも家の中じゃ気分的に良くないだろうし、それにデートがしたいなら別に断らなくてもいいんだよ?」
「デート!?」
「違うの?」
庚とミルディは眼を丸くする。
「だって二人で出かけるんでしょ? デートだよね、レイリア」
「デート、したい」
レイリアは何のは恥ずかしげもなくハッキリと答える、その様子に庚達は微笑んだ。
「じゃあ決定だね。僕達も付いては行くけど、邪魔にならないようにするから」
「買わなきゃいけない物もあったし、ちょうど良かったかもね」
「……デート」
「………………何故?」
今は気軽に外に出れる状況では無い筈なのだが……。
そんな事を思いながらも、焔は意気揚々と外出の準備を始める三人を止める事が出来なかった。出来たのは、あくまで気分転換に行くだけであってデートでは無いと自分に言い聞かせる事だけ。
何故なら焔達が向かったのは、自分達が住んでいる十七区内にある公園だったからだ。
そこは焔が毎朝、魔力制御の訓練をする場所。
子供達が遊べる遊具や水遊びが出来る噴水や休息所など、充実した設備が揃っている。その他にも大人達も楽しめるように、ピクニックが楽しめる手入れの行き届いた芝生やちょっとしたトレッキングコースも用意されており、若者にも人気のあるデートスポットとしての一面もあった。
「………………」
その公園内を焔は無言で歩いていた、当然レイリアに手を握られて。庚達も少し離れながら後ろを付いてきている。
とは言え、今の焔とレイリアの二人だけを見れば誰がどう見ても恋人同士の雰囲気が全面に押し出されてしまう。穏やかな時間が流れる公園を仲睦まじく歩いていては、二人っきりのデートを楽しんでいるようにしか見えない。
焔もそれが分かっているのか、隣にいるレイリアではなく空を見て歩く。
レイリアを極力意識しないようにとの行動なのだろうが……
(ああ、良い天気だな~。こんな日にのんびり散歩するのも悪くないな……って、やっぱり無理だあっ!!)
気にしないようにすればする程、繋いでいる手の感触のせいでレイリアを意識してしまい額に汗が浮かぶ。きっと手も汗でベタベタになっているに違いない。なるべく動揺していないフリをするだけで精一杯だった。
(……ああ、やばい。緊張しすぎて目眩が)
正直なところ、そろそろ手を離して欲しいのだが一向に離してくれる気配がない。このまま手を繋いでいたら脱水症状になるのではないだろうか。
「……焔」
「――ッ!?」
焔はレイリアに名前を呼ばれ身体をビクつかせた。
「ナンデショウカ?」
喋り方が片言になってしまった、これでは思いっきり動揺しているのがわかってしまう。
「あれ」
「アレ?」
片言で返事をしつつ、レイリアが見ているものに眼を向ける焔。
レイリアの視線の先にはバンを改造して造ったソフトクリームの移動販売車が止まっていた。
「ソフトクリーム?」
レイリアはこくりと頷いた。
「昨日、ミルディに聞いた。甘くて美味しいって、だから……」
「レイリアは食べたこと無いのか?」
「……無い」
「そ、そうだったのか」
獣人や亜人は自然の中で暮らすことを好んでいる者達が多い、そういった生活の中では手の込んだを甘味を食べる機会も無かったのだろう。これも文化の違いかと焔は少しだけ驚いていると、少し悲しげなレイリアの声が焔の耳に届く。
「……焔が、嫌ならいいの……」
「嫌じゃないよ。ただ、レイリアも可愛い事考えてるんだなって……」
感情表現が乏しいとは言え、やはりレイリアも女の子。甘い物に興味があるのは仕方がない、そういった彼女の一面を知ることが出来て良かったと……そう思って言っただけだったのだが……。
「………………」
つい溢れてしまった焔の本音に、レイリアは片耳を降りたたみ黙り込む。表情は相変わらず変わっているようには見えない。しかし、どことなく頬が朱くなっているようにも見える。
(俺は何を言ってるんだ、これじゃ口説いてるみたいじゃないか!!)
自分の発言の意外な危うさに気付いた焔は、焦りながらもレイリアの手を優しくほどく。
「すぐ買ってくるから待っててくれ!」
「……うん」
焔は急いで販売車に向かい店員にソフトクリームを二つ頼む、それを受け取り近くにあったベンチで座って食べることにした二人。
コーンの上にくるくると巻かれた真っ白なソフトクリーム。レイリアの分を手渡し焔は自分の分を食べてみる。
(お、うまい!)
甘いモノが嫌いというわけではないが普段は自分からソフトクリームを買う事なんて滅多にない。だが、このソフトクリームが今まで食べたものと比較しなくてもかなりの完成度であることがわかる。
絞りたてのミルクを飲んだように感じる濃厚な旨味と、くどさを一切感じさせないような控えめな甘み。どんな作り方をしたのかは分からないが丁寧な仕事であるのは、この美味さから伝わってきた。
「………………」
眼をくりくりとさせ初めて口にするソフトクリームを愛でているレイリア。
「食べないのか?」
「……食べる」
まるで食べてしまうのがもったいないのか、ゆっくりと舌を伸ばす。その小さな舌で、ソフトクリームの先端を、ゆっくりと舐め取ってゆく。その愛らしい仕草は、子猫がミルクを飲むような姿のようで、見ているうちに、表情が緩む焔。
「……甘い」
「はは。そっか」
予想した通りの答えに思わず笑みがこぼれる。
「……? 何で笑うの?」
「本当に美味しそうに食べてるからさ、買ってきて良かったなと思って」
「……うん、美味しい」
二人は麗らかな日差しの下、ベンチに座りながらソフトクリームに舌鼓を打つ。
「庚君、良い雰囲気だよね」
「そうですね、誰がどう見ても恋人同士にしか見えません」
その様子を木陰から隠れるように見ている庚達の顔も満足げだ。
「最初はどうなるのかなって心配だったけど、これなら大丈夫そう」
「はい、これならきっと結婚の話もうまくいくと思います」
「それにしても……」
ミルディは二人が持っているソフトクリームに眼をむける。
「美味しそう」
「焔達が移動したら買いましょうね、僕も食べたくなりました」
「うん、賛成!」
庚達は甘いソフトクリームに気を取られながらも、ほくほく顔で再び焔達の様子を見守るのだった。