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少年少女の結婚過程《ハイラート》  作者: 三月弥生
紅蓮の炎に誓いを込めて
11/25

   刺客と不穏と無力さと (3)



(…………身体が痛い)


 焔は目覚めかけている意識の中でそれだけを考えていた、身体はまだ精神に反応せず指を動かそうとしても動く気配すらしない。


(死んでない……よな?)


 死んだのなら痛みは感じないだろうし生きているなら身体は動くはずだが、この状態は何なのだろうかと自問自答するがわかるわけもない。

 治まることのない痛みに耐えながら眼を開けようとするが瞼も恐ろしく重く開けることができない、本当は死んでいるのではないかと不安が大きくなる。

 そんな時、自分の唇に何か柔らかいものが当てられた。焔はその柔らかいものに意識を集中させる。


(何だ?)


 唇に当たっているものは適度に潤い、艶と張りのある何かだった。

 自分の唇が人生の中で触れたものの中で、最も柔らかい感触と言ってもいい。

 しかし、次第に息が苦しくなり口をほんの少し開けた。空気を吸おうと開けたのだが口の中に入ってきたのは空気ではなく苦い液体。


(んぐっ! これ、薬……か?)


 覚えのある舌を抉るような苦味。幼い頃、怪我や病気をして母親に無理矢理飲ませられた粉薬を溶いた水。その苦さに耐えきれずすぐに飲み込んだ、飲み込んだ後は柔らかい感触も消え息苦しさも無くなった。

 苦味のおかげなのか意識がはっきりとしてきた、瞼も動かせる。

 視界はぼやけてはいたが、眼の前に何かがある事に気づき何だろうと眼をこらす焔。見づらかった視界も明度と共にはっきりと認識できるようになった焔は、眼の前にあるものが何か理解した。


「……起きた」

 眼の前にあったのは左右で色の違う瞳。


「身体、痛い?」


 それは自分の命と引き替えにしてでも護ろうとした少女、レイリアがまっすぐに自分を見つめる瞳だった。


「な、あ……えぅ!?」


 思考が追いつかない、自然と呼吸が大きくなり心臓の鼓動も破裂してしまうのではないかと思えるほど早く、大きく脈打つ。

 自分が感じていた柔らかい感触は、潤った質感は、あの艶と張りは――


「……焔?」


 レイリアの唇だったのだ。



「ノ――――――――――――――――――オ――――――――――――――――――ッ!!」



 起床後二度目の絶叫。

 今回は流血沙汰ではないものの、羞恥許容量を余裕で超えた事態に意識が飛びそうになる焔。だがしかし、溢れ出た絶叫は身体中に走った激痛によって食い止められる。


「イタイッ!?」


 焔は痛みに身体を強張らせ、レイリアは顔を離し焔の背に手を入れゆっくりと支え起こす。

 今の絶叫が家中に聞こえたようで、響達が部屋に入ってくる。


「あらあらー、また叫び声なんかあげちゃってどうしたのー?」


 部屋に入るなり恥ずかしさと痛みに悶える焔を眼にして、響は笑いを堪え涙ぐむ。


「良かった! 眼が覚めたんだね、焔」


「また何かやったのレイリア?」


 庚は焔の意識が戻り安心した表情を見せ、ミルディは焔の絶叫に苦笑しつつレイリアに問いかける。


「……何もしてない」


 レイリアは小首を傾げ焔の身体を支える、その表情に変化は無い。だが一方で、焔は顔を紅潮させている。二人の反応だけで判断しても、何も無かったとは誰も思わないだろう。


「つぅ~!」


 痛みに耐えながらもレイリアから離れようとする焔。すると、レイリアも焔の身体を支えようと寄り添うようについて行く。

 身体を気遣うレイリアを避けるような態度をとる我が子を見て、響は眉を寄せ焔を窘める。


「駄目よでしょ、焔ちゃん。レイリアちゃん、焔ちゃんが起きるまでずーっと看病してくれてたんだから感謝しなきゃ」


「ずーっとって……俺、どれくらい寝てたんだ?」


「そうねー、ざっと三日くらいかしらー?」


「そんなに……」


 意識を失う前に聞いた声は庚の声だったらしい。それに加え、まだ『今日』だと思っていたが死にかけたのはすでに一昨日の事になっていた。


「お母さんの《契約術》だけで何とか傷を治癒したの、酷い傷で結構時間かかったのよー」


「心配したんだよ、僕もみんなも」


「そうだよ、庚君が傷だらけの焔君を背負って戻ってきた時は本当に驚いたんだから」


「……心配した」


「そっか、心配かけてごめん」


 焔は頬をかきながら全員に謝罪の言葉をかける、特にレイリアは自分の看病をしていてくれたようだ。あとで何かお礼をと考えていた時、自分の胸に顔を埋めるようにそっとレイリアが寄り添ってきた。


(ちょっとおお!)


 いきなりの事で焔は驚き、慌ててレイリアを離そうと彼女の肩に両手を置く。


「……本当に良かった、焔」


「………………」


 自分を心配してくれたレイリアの言葉に、焔は渋々レイリアの肩から手を離した。こんな事を言われては心配してくれたレイリアのこの行動を邪険にする事は出来ない。焔は顔を赤くしながらもレイリアが離れてくれるのを待つ。


「…………スゥ」


「レイリア?」


 だが、レイリアは離れるどころか焔にくっついたまま眠っていた。


「寝てる?」


「レイリア、焔君が起きるまで寝ないで看病してたから」


「寝ないで看病してくれたのか」


「後でちゃんとお礼しなくちゃね。でも、今は寝かせてあげなよ」


「そう……だな」


 焔はレイリアを起こさないようゆっくりとベッドに寝かせシーツをかける、その寝顔は静かさを感じさせるものだったが安らかな表情にも見えた。焔はそっとレイリアの髪に触れリボンを解き、


「おやすみ、レイリア」


 小さく呟きレイリアの寝顔をくい入るように見つめていた。


「………………」


「そろそろいいかしらー?」


「ひゃい!」


 特に驚くような物では無い響の呼びかけに焔の声が裏返る。


(そ、そういえば母さん達も部屋にいたんだった)


 しまったと思ったときにはもう遅く、背後から感じる視線に後悔する焔。

 気まずさを感じながら振り返る。そこにはやはりと言うべきか、にやけた顔を隠そうともしない母、響がいた。


「惚れちゃった? 惚れちゃった? なら結婚ねー!」


「そ、それとこれとは話が別だって!」


「ふふ! でも、薬の口移しとは言えキスまでしちゃったんだし。もうドキドキが止まらない! って感じでしょー?」


「何で知って――!」


 焔はとっさに口を押さえる。すぐそばでレイリアが寝ているため大声を上げることができない、せめてもの抵抗に焔は響を睨み付けるが涙がにじむ瞳では何の迫力もなかった。


「母さん、からかうのはよそうよ」


「そうですよ、本当に危ない状態だったんですから!」


 頭に血が上っていた焔だったがミルディの言葉で冷静さを取り戻す、彼女の言うとおり確かに死んでもおかしくなかったのだ。


「そうね、じゃあ真面目な話をしましょう」


 いつものような柔和な表情から緊張感を滲ませる表情に変わる響。それは現状の問題を冷静に把握し解決のためにどう動くべきか、解決策を模索する世界機構の一員としての風格。そして種族間交流促進機関〈イリス〉を束ねる契約術師、神月響としての顔だった。


「いったい何があったの焔ちゃん?」


「いきなりだったからな、何から話せばいいのか……」


 とりあえず焔は要点だけを絞り出し響達に事の流れを説明することにした。

 襲撃して来た男は天魔人でアスク・ミックと名乗ったこと、自分とレイリアの命を天秤に掛けた交渉を持ちかけてきたこと。そして、話が決裂し戦闘になり殺されかけ今も命を狙われていること。

 できるだけ簡潔に話す、自分でも未だに信じられないのだから。


「そう……彼は『交流を認めない』って言ったのね?」


「ああ、それで俺かレイリアのどっちかを殺すために来たみたいだ」


 正確にはレイリアの方だったが今は自分が標的にされた。しかし、レイリアを狙われるよりはずっと気は楽だった。


「焔はレイリアさんを護れたんだね」


「違う、俺は――」


「違わないよ、だって標的を焔に変えたんだよ? それはレイリアさんを狙わないって事なんだから」


「……ならいいけど」


 確かに自分は交渉を断りアスクと闘った。だが、実力の差に慢心したアスクの隙を突き運良く撃退できた……それでも自分は負けたのだ。

 非力どころかただの負け犬でしかない。

 庚に励まされてもあのアスクに勝った事にはならない、レイリアを護った事にもならない、その事実は絶対に変わらないのだ。焔は目を背けたくなる気持ちを堪え唇を噛みしめる。


「でも、響さん。これってあの人達の仕業ですよね? 今の状況ってまずいんじゃ?」


「ええ、まずいわね。〈ディパーチャー〉が動いてくるのは予想してたけど、ここまで早いなんて予想外だったわ」


「〈ディパーチャー〉?」


 聞いたことのない単語に焔は首を傾げた。


「〈ディパーチャー〉はね、種族交流に反対する他種族決別組織なのよ。一種のテロ組織と思ってくれて良いわ」


「テロ!?」


「そう、これがまた厄介な相手でね」


 響はうんざりしたような口調で話を続ける。


「庚ちゃん達はもう知ってるけど……これは国家機密に関することだから他言無用よ、焔ちゃん」


「………………」


 分かったと首肯為る焔を見た響は、そのまま話を始める。


「彼等はあくまで自身の種の存続だけを考えてる人達の集まりなの。その活動は主に裏で行われているけど、時には表だって行動を起こす人達もいるのよ」


「どんな?」


「そうね、小さいものだと交流反対を主張するデモ隊の動きを促進させたりとか、大きな活動になればニュースになるくらいの事件、例えばそれぞれの種族代表者の暗殺を企てるとか色々ね。種族同士の関係が悪化するのであれば規模に関係なく動くわ、汚い事だって平気でやる」


「あたしと庚君の結婚は政府の人達とも協力して世界中に公表するはずだったの、そうなれば〈ディパーチャー〉は交流の阻止をしようとあたし達を狙ってくる……そう思ってたんだけど」


 ミルディは庚に困惑の色を秘めた瞳を向ける。


「何故か僕達じゃなくてまだ正式に決まったわけじゃない焔とレイリアさんを狙われてしまった、って事なんだよ」


「何故かって、そんなの情報が漏れたからじゃ――――」


「問題はそこなのよ!」


 響は人差し指をピンッと立てる、庚達もそこに戸惑っているようだった。


「私達〈イリス〉で扱っていた四人の情報は重要案件に関する事だったから厳重に管理していたはずなの、なのに標的を焔ちゃんとレイリアちゃんに絞ってきた。しかもさっきの話だと確実に焔ちゃん達の事を知っている、そうなってくると考えられるのは〈イリス〉か他の世界機構各部署の関係者の中に〈ディパーチャー〉と繋がってる内通者がいるってこと」


 響が今話したことは考えられる可能性の中で最も最悪のものではないだろうか。信頼関係のできあがった枠の中で裏切り者がいる、それではどんなに厳密な情報管理をしようと外部に持ち出されてしまう。

 確かに庚達の結婚は誰もが知るところに出るだろう。しかし、まだ正式認定されていない焔とレイリアの婚約まで漏洩してしまうのでは、これから先どうやっても情報の流出は止められないと断言してしまっているようなものだ。


「機密情報を流した内通者は誰かはわからない。だけど、焔ちゃんを狙った理由はただ単に強襲の成功率の底上げと事後処理の手間を省きたかったからでしょうね」


 自分の言葉に苦い表情を浮かべる焔と庚を交互に見る響。


「彼は魔法具の力を使って私達を監視してたみたいだから、訓練してる時に焔ちゃん達の力を確認して行動を起こしたんでしょうね」


 その時点でアスクにとってレイリアとミルディの実力は未知数。庚はアモンと契約している上位の契約術師で焔は《契約術》が使えないただの子供……ここまで分かれば後は交渉の結果がどっちに転んでも対処しやすい方を選ぶだけだ、ターゲットは自然と絞られる。


「確かに、弱い俺を選ぶのは当然か」


 納得した様子で話をしていても焔は手を握りしめ悔しさに肩を震わせていた。


「焔ちゃん達の事を知っているのは上層部のメンバーだけ、内通者がいるとなると上にも調査を入れなければならないのだけど……」


 響は大きくため息を吐くとお手上げと言いたげに手を挙げる。


「調査部の関係者も危ないわね」


「どうしようもないって事か?」


「はっきり言ってしまえば」


 組織の力を借りて調べればそれだけで内通者を探している事がばれてしまう、かといって交流促進の指揮を執る響が単独で動けば余計に目立つ。

 後手に回ってしまった時点で下手に動く事ができない状況に部屋の中の空気が重くなる。


「とにかく」


 そんな空気を払拭するように、かつレイリアを起こさない程度に手を叩く響。


「私はこれから〈イリス〉に行って対応策を検討してみるわ。庚ちゃん、あとの事はお願いしても良いかしら?」


「うん、任せておいて」


「気をつけてな、母さん」


「大丈夫よー、焔ちゃんはまず自分の身体の事を考えなさいねー」


 母としての表情を浮かべながら響は焔の頭を軽く撫でて〈イリス〉へと向かった。響を見送った後、庚はもう一度これからの事を説明した。


「僕はこれから家の周りを見回ってくるよ、アスクって人以外にも敵がいるかもしれないからね。家にはミルディさんが残って《契約術》で結界を張ってくれるから安心して」


「結界のことなら任せて、二度と覗き見なんてさせないんだから!」


「あと、しばらくは病欠って事で学園も休んでもらう事になるけど我慢してね」


「身体中痛くて勉強する気にならないって」


 レイリアが口移しで薬を飲ませてくれたとはいえ、痛みはまだ続きそうだ。


「とりあえずは今いった感じで、あたし達二人が焔君達を護るから」


「すいません、こんな事になって……」


 正直に言って自分の力では生き残る事も出来ないのは痛いほど自覚していた、何よりレイリアを護るには庚達の力に頼るしかない。だが、いざとなれば……。

 焔は再びアスクと闘う事になる事を覚悟し張り詰めた表情を浮かべる。


「大丈夫だよ」


 そんな弟の顔を見て考えている事が分かったのか庚は焔の肩に優しく手を置いた。


「焔達にもう手出しはさせない、だから無茶はしなくていいから……今はゆっくり身体を治すんだよ」


「分かった」


「じゃあ、あたし達は行くけど何かあったら遠慮無く呼んでね」


 庚とミルディは焔を安心させるように笑いかけたあとそれぞれ対処に動く、部屋にいるのは眠っているレイリアと焔だけとなった。

 焔は前と同じようにレイリアが眠っているベッドから離れた場所に布団を敷く。

 それからすぐに電気を消し横になる焔だったが、アスクと闘ったときの事がなかなか頭から離れなかった。


(……俺じゃ、どう闘っても勝てないのか……)


 最後の最後でアスクにかなりのダメージを与える事はできた。あの傷で動くことはできないはずだが、また痛覚を遮断されたのだろう。アスクはまだ闘うことができた、自分に止めを刺すことができたはずなのに。


(俺は)


 焔はアスクとにらみ合った時を思い出す。

 あの時、自分は動くことすらできなかった。

 庚やアスク、あの二人を凌駕するだけの魔力を持っていながら、自分の出来ること全てを出し切って命を懸けて闘った……それでもアスクは自分を『敵』として見ていなかった。



『――すぐにでもこの傷を癒しもう一度君の前に現れよう……次は何の油断も慢心もない、君を確実に殺す為にもう一度。その時まで少女と悔いが残らないよう過ごすと良い』



 本当に敵として認められていたならあんな事は言わない、酷い傷を負ったとは言え優勢だったあの場でどんな事をしてでも自分を殺そうとするはずだ。

 ……結局、見逃されたのだ、油断しなければいつでも殺せると言われたのと同じだった。


(どうして――)


 死を覚悟した時、歯を食いしばり心の中で叫んだ言葉が口からこぼれる。


「こんなに弱いんだ」


 焔は瞼をギュッと閉じ数日間眠っていたというのに、そのまま眠りに落ちた。

 まるで無力な自分から逃げるように……。





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