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たった一つの卑怯なやり方

 俺の耳に周りの声が聞こえ、自分の目の前に葵ちゃんが立っているのを確認出来たのは、しばらく経ってのことだった。かろうじて見え始めた目で、辺りを見回すと、さっきまで戦っていた神楽が女子にしては大柄な九条に抱えられて、けが人が集合している治療テントに向かっていった。

「勝ったんだ」

 霞がかった、良く働かない頭で導き出した答えを口にした。目の前の葵ちゃんが口をパクパクさせて何か言っているが、今の俺には耳鳴りの一部となるのみでよく聞き取れなかった。そんな俺の状態を察したのか、彼女は顔をウンウンとうなずかせて、ジェスチャーで俺に勝利を伝えてきた。

 身近な人に自分の勝利を肯定してもらうことによってようやく勝利を実感できた。

 長かった。それが率直な俺の感想である。平凡を望んで生活し、ようやく卒業まであと一年という所まで来たというのに、たかだか、昼寝を邪魔されたくらいで寝ぼけて生徒会長をぶっ飛ばし、その生徒会長から脅されて戦挙に参加して、化物達との戦いに巻き込まれる。面倒臭い事このうえない出来事からようやく本来の目的を達成し解放されると思うと、とても穏やかで晴れ晴れとした気持ちになれた。

 安堵していると、スピーカーから学園長の声が聞こえてくる。まだ耳は本調子ではなかったが、内容は想像できる。戦挙の終了を告げるのだろう。

「――より、最後の戦いである生徒会長決定戦を行う!」

「えっ!」

 何だろう、まだ耳が遠いからだろうか、俺の予想を裏切るような台詞が聞こえた気がする。

「ねー、葵ちゃん、今学園長がスピーカーで放送したのって、戦挙の終了についてだよね?」

 おそるおそる、すぐ隣にいる葵ちゃんに聞いてみる。始めは喋って答えようとしたが、俺の耳が聞こえないことに気づき急いで首を横に振った。

「あのー、だって俺達が最後の一組なんでしょ? これ以上誰と誰が戦うってのさ」

 葵ちゃんはまず、自分自身に指を向ける。

「葵ちゃんと……」

 そして、彼女の指はゆっくりと俺の顔を指差した。

「俺ぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 驚き叫んだ。なんでよりによってまだ俺がつらい目に遭わなきゃいけないんだよ。

「どういうことだよ。なんで俺達が戦わないといけないんだよ」

 すると彼女は俺の耳元まで、顔を近づけ声のボリュームを一段階上げて俺に説明してきた。

「このままだと、パートナー両方が序列一位の生徒会長になっちゃうから、一騎打ちで勝者を決めるの」

 そこで、俺もようやく納得した。なるほどね、それなら結論は簡単だ。

「葵ちゃんの勝ちでいいよ」

 俺には生徒会長の権利も序列一位もどうでもいい、平和な毎日が俺の理想だ。

「やだ」

 しかし、彼女は俺の提案をあっさりと踏みにじった。

「私はきちんと自分の力で生徒会長の座を掴み取りたいの! 誰からか譲られた勝利なんてほしくない。それにずっと天下くんに戦いを譲ったんだからいいでしょ。天下くんが神楽くんと戦いたがっていたように私は天下くんと戦いたい!」

 熱くなりながら、彼女が言う。

 だけど、さっきまであなた、僕の怪我の心配してくれてましたよね。怪我人相手に戦いたいなんて勘弁してくれよ。

「でも、俺は戦いたくない! もう面倒なことはゴメンだね」

 必死になって断る。今のさっきまで、これが最後だからって自分に言い聞かせてがんばったのに、ものの十分で裏切ったら二度と無理を聞かない俺になる自信がある。

 けれど目の前の彼女は思いつめた表情で俺を見つめる。

「私は、この学園に入って、誰にも負けなかった。それが誇りだった自信だった。でも、あなたに私はあっさり負けた。だからもう一度戦いたい。あの時の自分は油断してたし、あなたのことを舐めてた。だけど今は違う。天下くんにはここまで生き残れるぐらい、すごい実力があることもわかってる。だから、もう一度きちんとした場で本気のあなたと戦いたいの。お願い」

 そう言って、彼女は頭を下げて俺に頼んできた。

「ちょっと待てよ。俺に実力なんてねーよ。ただ、俺は逃げ回りながら、さっきの神楽との戦いみたいに卑怯な手を使ってきただけだよ。俺が葵ちゃんに勝ったのも単なる不意打ちだっただろ!」

「不意打ちでも負けは負けよ。それに、今は、リベンジとして天下くんと戦いたいじゃなくて、純粋にあなたと勝負がしたいの」

「ちょっと、ちょっと、……ハハ、勘弁してくれよ」

 それでも俺は嫌がった。もういい加減許してくれ。俺はもう治療斑の所へ行って怪我の治療をして、飴を買って舐めながら帰りたいんだよ。

「お願い、戦ってくれたら何でも言うこと聞くから」

 彼女は頭を下げながら言う。

 おいおい、女の子が簡単に何でも言うこと聞くからなんて言うなよ。俺が紳士だったからいいものの、もし、女子生徒の汗が染み込んだ制服をほしがるような変態に言ってたら身の破滅だぜ。

 そうやって、頭のなかで彼女の決意を茶化していても彼女は諦める気配もなく真剣に俺に頼み込む。

「お願いします」

 顔を上げ今度は俺の目を見ながら言ってくる。黒い髪がなびき、外なのに女子特有の甘いにおいが俺の鼻まで届いた。彼女の目は不安げに俺の顔を覗いてくる。

 つくづく、俺は馬鹿だと思う。自分にとって何の利益もないお願いを必死にしてくる女の子に対して、かわいいなんて感情を抱いて、この子の喜ぶことをしたいと思うなんて……。

「わかったよ」

「えっ!」

 不安げな顔に驚きが混じる。

「やってやるよ、ただし条件が一つ、俺は閃光手榴弾のせいで耳と目がまだおかしいから、一旦救護班で休憩させてくれ、その間葵ちゃんも休憩していいから」

 そう言ったとき彼女の顔は満面の笑みとなり「ありがとう」と言って、俺の手を握ってきた。握った手を痛いくらい握りこむと彼女は、さっき俺の言った話を学園長に伝えてくるといって戦挙本部まで駆け出して言った。

 卑怯だと思う。俺ではなく、目の前を駆けていった女の子は。彼女は俺の嫌がることを平気で押し付けてくる。でも、彼女の表情を見るたびにがんばってやるかって気持ちになる。俺の数々の卑怯な行動よりもよっぽどたちの悪い卑怯なやり方だ。



 ほどなくして、彼女は戻ってきて、学園長の許しが出たことを知った。俺は葵ちゃんと別れて救護テント立ち並ぶ保健室前に来た。

 ここ保健室は保健室と名がついているが、一般的な保健室とは違い、病院のようになっており、校舎とは別に独立して保健室のみの教室棟となっている。理由は言わずもがな、この学園の無茶苦茶な校風のために毎日死にかけの患者が生まれるからである。そして、こういう全校生徒が参加する行事ではベッドの数が足らなくなるため、テントを立てて外で患者を並べているのだった。

 今年も盛大にぼろぼろになった生徒がぐったりとテントで転がりながら、手当てをしてもらっている。どうして、ここまで毎年盛大な怪我人が出るのに、死者がでないのか不思議である。

 そんな中に、白衣を着た背の高い女の人を見つける。

「おーい、棺先生!」

 手を振って彼女を呼びよせる。彼女も俺の姿を確認するとすぐさま近付いてきて、俺の頭を思いっきり殴った。

「いてー! 何すんですか!」

 周りに殴った音が聞こえるほど強烈な一撃になんとか気絶せずに耐えた俺は理不尽な攻撃に対する非難を目の前の白衣の天使改め『保健室の白い悪魔』に浴びせた。

 でも目の前のお医者さんは、テンション低めに「どうでもいいけど一応言っておく」ってな感じで俺に語りかける。

「お前な、いくら何でもありの戦いとはいえ、女の子の顔面がぐしゃぐしゃになるほど蹴りつけるなんてことするなよな」

 すぐさま該当者が思いついた。双鐘恋の事だ。

「いや、あれは。だってジョーカー無茶苦茶なんですよ。あいつ俺ばっかり狙ってくるし」

「まあ、どうでもいいさ。一応誰かが怒らないといけないことだから私が怒っただけのことだ。別に私は気にしてないし、双鐘の顔は私が治療したから痕も残らず綺麗に治る。だから別に気に病む必要もないしな」

 世間一般的に非難の的になる、女子に向けての過剰攻撃は目の前にいる医者にはあまり関心のある出来事でもなさそうだった。というより、この人の性格からして、自分の仕事を増やした俺へのささやかなる反撃という所だろう。

 目の前にいる、校医である、ひつぎ 留美るみは眼鏡をかけた、出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる美人のカテゴリーに十分入る女性だった。眼鏡というパーツが彼女を非常に利口そうに映し出し、白衣姿はいかにも名医という雰囲気をかもし出しているが、口にくわえている火のついていないタバコが全ての利点を打ち消し、美人の医者という評価を著しく下げており、加えて美人特有のきつい目をしていることから言い寄る男がおらず、三十手前婚活にいそしむ世間一般のOLとなんら変らない女性だった。

「勝手に年齢と気にしていることをばらすな」

 頭の中で棺先生の情報を思い返しただけなのに俺は殴られた。もしかすると、知らず知らずに口に出していたのかもしれない。気をつけよう。

「それより、先生飴持ってないですか、自分の分切らしちゃって」

 俺がタバコでも分けてもらうかのように言うと、すぐさまポケットの中からトリップキャンディーを取り出し、それを俺に投げ渡してきた。俺はすぐさまキャッチし、口に放りこんだ。

 俺が喜んで飴を食べる様子を棺先生が見ながら彼女が呟く。

「しかし、本当に飴が好きだな。あの時、タバコを与えなくてよかったよ」

 彼女が言っているのは、初めて保健室に運ばれた、入学当日である。先輩のかわいがりを無抵抗で受けた結果、見事に保健室のベッドから起き上がれなくなり、ずっと保健室で棺先生と話しをしていたのである。そのときにタバコの味を聞き、吸ってみたいと言った俺に渡したのが飴だったのだ。

「俺も飴にこれほどはまると思わなかったすよ。二年かけて、いろんな飴を舐めましたけど、飽きる気がしないですよね」

「お前の舌が、私みたいにタバコという高級品を気に入らずに、飴という安いものを気に入ったことを喜んでおけよ。タバコのおかげで、私の財布はいっつも空だぞ」

「よく言いますよ、高給取りのうえに、タバコだって火をつけずに咥えているだけじゃないですか」

「もし、私が昔みたいにタバコを吸ったら、五年で家が建つぞ。今も学校じゃ吸わないが、家なら結構吸ってんだよ」

 五年で家が建つってどんだけ吸ってたんだろう。

「あの頃は、常に火のついたタバコを咥えてた」

 また、俺が発言してないのに、割り込んできた。というか、睡眠時間以外ずっと吸ってたのかよ!

「あの頃はよかったな。タバコ吸ってても誰もあんまり文句言わなかったし、安かったし……。いまじゃ、誰もかれも文句言うから、がんばって火のついていないタバコで我慢できるように特訓しなくちゃいけないからな」

「素直に禁煙しましょうよ」

「馬鹿言え、私がタバコやめたら、誰が税金払うんだよ。私はな、国と地方のことを思って吸ってんだよ」

 なら、値段については文句言うなよ。と思うが無駄なんだろうな。それに、みんなタバコやめたら、税金が上がることは目に見えてるから、別に俺はタバコ吸ってる人がいてもいいと思ってる。ゆえに、熱心に禁煙は勧めない。

「っと、そんなことより、治療にきたんだったな。でも、耳も目もほとんど回復してるように見えるけどな」

 俺の体を舐めなめまわすように見ながら医者は言う。

「別に治療がしたいわけじゃないんですよ。単に休憩したかっただけです」

「ふーん。普段から何をするにしても、不真面目なお前が会長戦に真面目に参加するだけでも驚きなのに、最後まで生き残って、そのうえ、最後の戦いに全力を出して勝つつもりか?」

「別に勝てるとは思っていませんけどね。やるだけやってみようかなと」

 はなはだ不本意だが、とりあえず面倒でもやらなきゃいけないことはあるということを思い知った現在、全力を尽くすつもりだった。

「お前の決意に水をかけて悪いが、医者として言っとくぞ、無理はせずにさっさと負けて来い」

 彼女はいたって真面目な顔で言った。

「お前もわかってると思うが、その脇腹のキズは結構深い。あんまり激しく動くと、肺を傷つける恐れがある。別に私がこの学園にいる以上、死人は出すつもりはないし、生徒に無茶をやれと言ってやりたくもあるんだが、万が一肺を傷つけると面倒な手術を私がしないといけないから、さっさと負けてこい」

 敗北を進められた理由が面倒くさいという、最悪の理由だったが、こと診断結果については間違いがないことは俺が良く知っている。この学園で死にかけた生徒を幾度も死神から守りぬいた医者の診断は正確だ。

「一つだけ聞きたいんですが、何回ぐらいなら無茶しても大丈夫ですか?」

 俺の発言に少し驚いた表情を棺先生は浮かべた。これだけ脅しておけば、さっさと負けてくると思っていたのだろう。だが、少しだけ俺の目を見つめたあと、彼女はやれやれ、仕事が増えるという風に頭をかきながら、脇腹を見つめて、淡々と言った。

「別に普通に動くくらいなら、今までどうり激痛が走るくらいで済む。ただ、体を極端にひねる動作をすると、あと一回か二回で肋骨が折れて、肺に突き刺さる可能性が高くなる。せいぜい無理はするな」

「了解です」

 舐めかけの飴玉をくだき、全て胃袋に収め俺は言った。

「先生もう一個飴ください。ソーダ味のやつ」

 先生はポケットをごそごそと探ると、ソーダ味のトリップキャンディーを投げ渡した。それを受け取ると口に放り込み立ち上がった。

 体の痛みは、口に放り込んだ飴の甘さだけを考えることで無視した。

「勝算はあるのか?」

 立ち上がった俺に先生が声をかける。俺は笑いながら答える。

「あるわけないでしょ。あんな人に真正面から戦って勝てるなら、俺は学年最下位の序列のまま二年間も過ごしてませんよ。せいぜい派手に散ってきますよ。なので介抱よろしく」

 そういって手を振りながら俺はその場を後にする。俺は治療らしいことは何もしなかったが、負ける準備を肉体的にも精神的にも整えた。

「面倒くさいね、しかし」

 空に向かってぼやきながら、俺はもう一度グランドまで歩いていった。



 グランドには多くのギャラリーがいた。どうやら、最終戦ということで、今まで邪魔にならないように待機していた連中にも観戦権が与えられたらしい。

 やれやれ、どうやら俺は多くの生徒の前で豪快に負けなきゃならないらしい。頭が痛くなるのを感じながら、グランドの中央に歩いていく、そこには、地面の上で正座で待っている、いと麗しい学園最強の女性がいた。刀を自分の隣に置き、先ほどまで乱れていた髪を整えてずっと俺のことを正座で待っていてくれたのであろう。

 俺は素直に彼女が綺麗だと思った。何がどうしてという理由は頭には浮かばない。けれど、わけもなく、彼女のことを綺麗だと思ってしまった。

 そんな彼女が近付いて来る俺の姿を見て、立ち上がる。表情は真剣そのものだった。けれど、そんな彼女に俺はこの場に酷く似つかわしくない、軽い言動で話を始める。

「待った? いやー決闘とかって、遅れてきたほうが勝つだろ。だからせいぜいゆっくりしてきたら案外時間たっちゃった」

「別にそれほど、待ってないよ。それじゃあ、始めましょう、ちなみに手加減なんて一切するつもりはないからそのつもりで」

 彼女は俺の言葉に冷たく答える。そして、刀を鞘から抜いて構えた。気が早いねしかし。

「ちょっと待ってよ。もっとお話しようぜ」

「何か聞きたいことでもあるの?」

「彼氏いる?」

 俺や葵ちゃんではなく、周りが一斉に吹き出した。まあ自分でもくだらない質問だと思ったけれども、こういう言葉に反応して隙でも見せてくれれば、俺にも勝つチャンスがあるかなと思って言ってみたが、本気モードの剣術家が動揺することは何もなかった。

「答える必要を今感じない」

「まじで、いるの?」

「ノーコメント! 戦いに集中しなさい!」

「まじかよ、ショックだぜ!」

 俺は頭を抱えこんだ。

 本気でショックを受けている俺に哀れみでも感じたのか葵ちゃんが俺に投げやりになりながら声をかけた。

「あーあ、いないわよ! ちゃんと答えたから早くかまえなさいよ」

 さっきまでの冷たい表情だったのが、頬に少し赤みの差した、普通の女の子の顔になった。まあ、まずは目的達成。平常心はなくしておかないとね。

「もう一つ質問していい?」

「何? もしどうでもいいようなことだったら、すぐさま戦闘を開始するわよ」

 まあ今度の質問はどうでもよくない。大事な大事な質問だ。

「俺が神楽を倒したときの技。見えてた?」

「いや、閃光手榴弾を投げたのが見えたとき、腕で顔を隠したから見えてないわ」

 その言葉を聴いて、俺は安堵した。勝つ可能性がわずかに見えたからだ。

「あっそう、ならいいや。あと、遠慮せずに気を使った技使ってきなよ。別に気にしないからさ」

「わかってる」

 そう言って彼女は持っている刀を再度握り直した。俺も鞘に収まった刀を左手でしっかり持って構える。

 ちなみ、先ほど俺は口で気を使った技を出して来いとは言ったが、神楽みたいにタメなしで放てない場合は、五メートル以内なら俺のほうが有利である。一瞬早く俺の天剣が相手に届くからだ。

 けれど、葵ちゃんは俺の天剣を一度見て実際に喰らっている以上、リスクを犯してまで、気は使わないだろう。まあ俺が近付いてくるときに何にも仕掛けず待っている時点で気を使って俺と戦う気なんかなかったのかも知れないが。

 俺はリラックス状態で、葵ちゃんは正眼に刀を構えたまま、お互いに身動きせずににらみ合う。出方を探るというより、勝負を始めるきっかけを両方が待っている感じだった。

 穏やかな時間が流れる。思えば今日起きてから初めてかもしれない。けれど、静寂は簡単に破られる。

「はくっしゅん!!!」

 学園長の盛大なくしゃみによって。

 空気を読めていないことこの上ない見事なくしゃみに俺の体が反応した。動きだした体は止まらず、そのまま相手の体目掛けて一直線に突っ込む。

 刀の射程圏内に入り、柄の、トリガー部分に指をかけ、滑らせるように刀身を鞘から吐き出す。

「天、」

 けれど、一度俺の『天剣』を見ている彼女はしっかりと対策ができていたようで、一度彼女を倒したこの技は、彼女の刀に簡単に止められた。なんせ、俺がすばやく動いたと思ったらただの横薙ぎを止めるように刀を出せばいい。サルでもできるお仕事だ。

 だけれど、この技には続きがある。というより、昔俺が作った。

「地、」

 単純な話だ。単撃が通用しないなら、連撃にすればいい。鍛錬も実践使用もほとんどないから、次撃の速度と威力はがくんと落ちるがな。

 俺は先ほどの攻撃で踏み込んだ右足の先に今度は左足を踏み込んだ。そして、体をひねりながら鞘を持っている左手で、葵ちゃんのガードの隙間を縫うように下から上へと振り上げる。

 そして、自分の耳に先ほど刀を止められた時と同じように、鉄と鉄が激しくぶつかった、鈍い金属音が流れる。

 彼女は俺の二撃目も止めたのだ。

 でも、俺は攻撃を止められても、あまり驚かなかった。さっきの神楽に対して使った時は決まったが、あれは神楽の目を封じていたからに過ぎない。むしろ、天才はこのぐらい止めてしかるべしだろう。

 だからこそ、本命の一撃をこの後に控えてあるのだ。

 俺はひねった体に一つの棒をイメージする。そこに自らの体を足から巻きつけているイメージだ。そして、俺は前に出した左足をその場でもう一度踏み込む。

 踏み込みと共に、巻きつけていた体を独楽でも回すように、急速に逆回転させ、その勢いを右手にのせ、右手の刀を大きく相手に向かって突き出した。

「人」

 神速とは言えない三連撃、けれど、間違いなく高速である三連撃を繰り出すのが、『天剣』の派生技である『天・地・人』である。 神楽ですら倒したこの攻撃は、恐らく『天剣』と同じように初見では止められないと思っていた。特に最後の突きには自信がそれなりにあったのだ。

 でも、俺はちゃんと覚えておくべきだった。凡人の努力など、天才の前では塵に等しいことを。

 俺の最後の一撃はタイミングを読んでいたかのように、葵ちゃんのバックステップでぎりぎりかわされた。そして、彼女はバックステップの後、後ろへ飛んだ反動をバネのように利用し、弾丸のように俺に向かって飛び込んできて、俺の連撃の後にできた隙を見事に突いてきてくれた。


 目の前に刀が迫ってくるとき、頭の中で声が流れた。



「ああ、負けたかな。まあ、良くがんばったし、いいんじゃない。このまま彼女の攻撃を受け入れて、『生徒会長おめでとう』とでも言って抱きつけば、最悪だった本日も最後にいい思いして終れるさ」


 いつも聞いている自分自身の妥協と堕落の声である。剣術をやめてから、度々聞こえてくる声。彼らの声はいつも甘く、そして、理想におぼれる俺に手短な着地点を教えてくれる。努力のむなしさ、過程の無意味さをささやいてくれた。がんばってるときには出しゃばらず、疲れたときに優しく話しかけてくれる。最悪にして最高の人生の悪友。


「もともと、彼女のために始めた戦いだろ。彼女に勝ったら本末転倒だろ。お前は十分がんばったし、誰もお前を責めやしない。脇腹も痛むんだろ。無理したら駄目だって」


 もっともな正論を吹っかけて、本人を夢や目標から遠ざける。そして、それを正当化する。いつもその声にしたがって来た俺だった。面倒ごとから遠ざかり、できないことに言い訳を作って、次第にはできることも、やらなくなって、努力を忘れた。だけど、今回は久しぶりに努力した。それは決して悪い気持ちじゃなかった。疲れて痛い目に遭って、説教までされたけれど、逃げ続けてきた人生よりかは、輝きと希望に満ちてた。


「だから、ここで終らせるんだよ。今ここで負けて終れば、いい思い出が一つできて、卒業まで厄介ごとなんてせずに生活できるんだ。ここでお前が勝てば生徒会長として面倒なことを率先してやらないといけなくなるぞ。そんなの嫌だろ」


 だけど、ここでがんばったらさ、前と違ってもっといい思い出ができる気がするんだ。それは、結果として、負けてもだ。どんなにがんばっても負けが負けなのはわかってる。努力という過程は勝利に結びつかないと評価されないのもわかってる。だけど、これまでの卑屈でやる気のない自分が、変われるかどうか、一歩前に進めるかどうかは、自分しか知らない過程の中での努力だ。ここで、あっさりと負けを認めたら、今までの自分に逆戻りだ。もし、結果が悪くても、その中で苦しくても、あがいてる自分をほめてやる権利があるのは、最後まで苦しくても、あがくことをやめなかった自分のみだ。堕落や保身に走る自分には自分自身をほめる権利もねえ。せいぜいがんばるふりをした自分と馴れ合うしかねーのさ。

 今日の俺はがんばった。そう胸を張って俺は今日の俺をほめてやりたいから、俺は最後まであがいてやる。




 俺は目を見開く、刻一刻と迫る刃に対し、技の直後でとっさには動けず、刀で防ぐという行動は取れない。だから、俺は隠し玉を使った。

 俺は口をすぼめて、迫り来る敵の顔目掛けて、口の中に残っている飴玉を吐き出した。

 すぽん、と飛び出した飴は彼女の額に当たった。葵ちゃんは突然目の前に飛び出した飴に驚いたようで、わずかに攻撃のスピードが緩む。俺はその一瞬できたチャンスに鞘で胸を突きにきた彼女の刀を防ごうとしたが、鋭い突きは完全にとめることはできずに、俺は肩に突きをあびて後ろに吹っ飛んだ。

 地面に数度回転しながら転がって俺は立ち上がる。肩に痛みはあったが、刀を振れないほどではない。鞘で割り込んだのと、飴玉のせいで威力が落ちたのが大きかったようだ。

 立ち上がって、刀を鞘に納め、制服の汚れをはたいて落としながら、真正面に立って、吐き出した飴と共にかかったつばをハンカチで拭いている葵ちゃんに向かって声をかける。

「ゴメンね。緊急事態だったから」

「別にいいわよ。鼻水をつけられた時と大差ないから」

 そういいながらも、多少不機嫌そうなのは気のせいですか?

「でも、葵ちゃんも酷いな、神楽を倒した技見てないって言ってたのに、ちゃんと見てたんじゃないか」

「ホントに見てないよ」

「嘘だ! 初見であんなに完璧に裁いた上に反撃までしてくるなんて」

「神楽くんを倒すところは見てはないけど、神楽くんが倒れていたところはちゃんと見てた。彼は突き飛ばされて気を失ってた。だから、なんとなく、最後に突きが来るのは読めてたの」

 なるほどね。嘘はついてないと。それでも、状況から判断しただけで、あの完璧なカウンターを繰り出すとはね。凡人には理解できないや。

「なるほどね。これで俺は万策尽きたわけだ」

「なんか嘘っぽいねその台詞。さっきも私は決まったと思ったのに、口から飴玉が飛び出すし」

 どうやら、俺の台詞は信用度がゼロっぽい。まあでもこれから言うことは事実なんだけどね。

「文字どうり、手も足も、口もでない状況まで俺は追い込まれたわけだよ、現在。残ってる手段はこの刀を使って、馬鹿みたいにさっきの技を繰り返して葵ちゃんに当てるしかないわけですよ。この状態を万策尽きたといわずになんという」

「なら、潔く諦める?」

「はっ! 冗談でしょ。俺は潔い負けを誰かに尊敬されるよりも、かっこ悪い負け方をした自分を自分で慰めてるほうが好きなんでね。かなわなくても、ドMだと言われようが、せいぜい自分のためにがんばりますよ」

 そうやって、ほんの数分前に自分自身が固めた決意を彼女に述べると、彼女は目を丸くして、そして、笑みを浮かべた。

「安心して、天下くんが負けたら私も慰めてあげるよ」

「ありがとさん、せいぜい派手に散るんで、よろしく」

 そう言って俺はもう一度、彼女に向かって飛び込んだ。

 まずは初撃、これはあっさりと止められる。続いて二撃目、これを今度は鞘を上からかぶせるように放った、けれど、鞘をわざわざ上に持ち上げ、上から下に振り下ろすため、先ほどよりも余裕を持って止められる。今思えば何でこの時反撃されなかったのか不思議なぐらいだ。そして、終撃、こいつを放とうと、ひねっていた体を元に戻そうとする。その時、彼女はタイミングを見計らって、後ろに飛んだ。どうやら、彼女は先ほどと同じような対策で俺を倒すらしい。

 射程から逃れた敵を倒すためには、気を使うか、刀を伸ばすでもしない限り倒せない。だが、残念なことに俺の刀の刀身は伸びないし、気も使えないのである、だから、刀身を伸ばさずに、俺は刀の射程を延ばした。

 二撃目で使った鞘を俺は手から離した。地面に向かって落ちる鞘。それ目掛けて俺は突きを撃った。

 放たれた突きは、鞘の中に吸い込まれていかず……、そりの合わない方向にはまり、強引に刀の長さを伸ばし、後ろに飛んだ彼女まで十分に届く長さになった。

「えっ!?」

 カウンターの体制になった葵ちゃんへ突如現れた伸びた刀。恐らく表情を見るに体にストップをかけようとしたのだろう。けれど、必殺の意思を込めた体は急には止まらなかった。

「げはっ!」

 ちょうど心臓の部分にカウンター気味に当たった一撃は、威力の問題を気にしなくてもいいくらいに完璧に入った。彼女自身が俺への反撃のため向かって行こうとしていたのが仇となり、威力を高めたのだ。

 ゆっくりと彼女は地面へと向かって倒れていく、まだ安心はできない。こっちは息もできないほど苦しいんだ。もし立ち上がられたら俺が今度こそゲームオーバだ。

 倒れた葵ちゃんは手を地面につき体を起こそうとする。

 立ち上がるな。

 心が叫ぶ。

 だが、彼女はゆっくりと上体を起こした。

 終わった。俺の体と心がそう叫んだ。

 けれど、

「おめでとう、天下くん。あなたの勝ちだよ」

 そう言って彼女が再び倒れたのを魂が聞いていた。

「生徒会長決定戦挙、優勝者は神乃天下」

 そうやって放送で、俺の名前が叫ばれたとき、ようやく俺が勝ったんだと心が理解し始める。それと同時に脇腹から激しい痛みが襲ってきて、激しく咳き込んでしまった。口に鉄の味が広がる。口に当てた手を見ると、血がついていた。

「はは、ゴメンね先生、仕事が増えるよ」

 そして、血をみた俺はそのまま地面に倒れた。







 目を開くと天井には蛍光灯が光っていて、自分はその光を浴びながらベッドに横になっていた。

「おはよう、それとも、こんにちは、かな?」

 隣から、安堵をたっぷりと含ませた声が聞こえた。隣を見たら葵ちゃんが横で座っていた、何を喜んでいるのか、笑みで顔が満たされていた。

「俺は負けたの?」

 俺の最後の記憶は葵ちゃんに勝ったと思ったところで途切れている。しかし、勝者がベッドで寝ていて敗者が隣で笑っているとは考えにくかった。

「いーや、お前が勝ったんだよ。脇腹の骨折って自分の内臓傷つけてな。おかげで大変だったんだからな治療が」

 俺の問いに眼鏡をかけて、タバコを咥えた女医が答えた。

「おまけに、治療してそのままほっとくわけにも行かないし、土曜だってのに出勤だぞ! 給料を上げてもらわないとやってけねーよ」

 そういって、タバコを咥えた女医、棺先生は窓を開けて、保健室でタバコを吸い始めた。

「ちょっと、ちょっと、怪我人の前で吸わないでくれますか」

 俺が棺先生に声をかける。俺はタバコの煙は嫌いじゃないし別に平気だが、隣にいた葵ちゃんが嫌そうな顔をしたので一応言うだけ言ってみた。まあ無駄だろうけど。

「うっさいな。今日は土曜日で休日で、この場所は私の居場所なんだよ。平日この場でタバコを吸うのを控えてるんだから、休日くらいいいだろう」

「いや、よくないと思うんですが……」

「がたがた言うと、お前の臓器を売り飛ばすぞ。第一、私立なんだからルールは学校側が決めるんだ。学校側には、生徒の前で吸わなきゃOKって言われてるんだからいいだろうが」

「いや、俺達生徒ですけど」

「五月蝿い。休日に生徒なんて存在しないんだよ。今日のお前らは一般人とおんなじだ」

 どうやら、先生は機嫌が悪いらしい。タバコぐらい吸わせてあげよう。

 だから、俺が出て行くか。

 俺はベッドから出て、靴を履いた。

「じゃあ、先生ちょっと屋上に行ってくるんで」

 そういって、タバコの煙にむせている葵ちゃんの手を引いて出て行こうとする。

「あー、そうそう、まだ派手に動くなよ。私の超一流のテクでもう動いても大丈夫だが、あんまり派手に動きすぎると傷が開くからな」

 そう言って、先生はタバコをふかしながら俺達を見送った。


 屋上は涼しい風が流れており、心穏やかに空を見上げた。太陽が高く昇っていることからもう昼頃なのだろう。俺はフェンスにもたれかかった。

「まず、あなたに伝えとかないといけないね」

 後ろに立っていた葵ちゃんから声がかけられる。振り向いて彼女の顔を見る。負けて落ち込んでいる様子はなく、いつもの元気そうな表情だった。

「今回の戦挙協力してくれてありがとう」

 そういって彼女は頭を深く下げる。

「別に礼を言われる立場じゃないと思うけど。俺だって最後に葵ちゃん倒しちゃったじゃん。恨んでくれてもいいんだけど」

 彼女は首を横に振る。

「戦いたいって言ったのはあたしだし、本気で天下くんがかかってきてくれたこともうれしかった。全てにおいて感謝しかないよ。ただ、脇腹があんな状態だったのを教えてくれなかったのはちょっと心外だけど」

「いやいや、あんさん、俺が怪我してたこと知ってるじゃないですか?! そう思うんだったら俺が負けるって言った時に素直に勝ちをもらってくださいよ」

 そうすりゃ、棺先生をあれだけ不機嫌にさせることもなかったと思うのだが。

「だって、いくら怪我してるって言ったって口から血を吐くほどの大怪我とは思わないでしょ!? それに直前まで治療してから戻ってきたんだから、戦っても大丈夫だと思うじゃない!」

 いや、治療らしいことは何もしてなかったんだけどね。

「まあ、今回は無事だったからいいけど、怪我してるときは無理せずに言ってほしいんだよ。仲間だったらお互いに協力していくのが普通でしょ」

 目の前にいる人が勝手に俺を悪者扱いしているみたいだが、どう考えても俺と戦いたいとごねた葵ちゃんのせいで怪我が悪化した気がするのだが。

 まあそれは言わないお約束だろうかね。

 胸の内に不満をしまいこんでふと葵ちゃんの顔を見ると今度は頬が少し赤くなっていた。

「ところでさ、試合前に言った、何でもお願いを聞くっていう約束……覚えてる?」

「当然!」

 本当は言われてから思い出したことをまるで前世からの因縁のように覚えてるといった風に、即座に返答し、親指まで立てた。

 その反応に少し葵ちゃんは引き気味になりながら会話を続ける。

「あのさ、なかったことにならないかな。約束……」

「無理!」

 もじもじしながら喋る葵ちゃんに堂々と返答する。今こそなろうNOと言える日本人。

 というか何を頼むか考えただけで、胸とキズと俺の刀が熱くなるな。キズが開きかねないぐらいに全身に血がめぐっていっている。

「やっべ何頼もう! あーあ、ヤバイぐらい妄想が広がる。やべえ、煩悩が百八じゃたりねーぞ」

 何せ俺は、『勃てばケダモノ、萎えれば賢者、普段の姿はマジ変態』という変態マイスターとして最上級の称号を授けられている男だぞ。生半可なお願いだけで満足できるわけが無い。

 そして、悩みまくった結果、頭がフィーバした。もちろんこの場で俺の妄想を全て語ってもいいのだが、とたんに世界がピンクとモザイクと伏字に彩られそうなのでやめておく。

 ふと葵ちゃんを見るとおびえたように体を震わせていた。どうやら身の危険を感じているらしい。そんな彼女がとってもかわいく見えた。というよりおいしそうに見えた。

「ねえ、どんなお願いでも絶対に聞いてくれるよね? 約束は絶対だよね! どんなに葵ちゃんが嫌がることでも大丈夫だよね!」

 何故か俺より何倍も強いはずの葵ちゃんは俺の言動に終始ビビッていた。そして「なんであんなこと言ったんだろ」「絶対にヤられる」などと小さな声で一人ごとを呟きながら俺の問いに対して悩み、苦しそうな表情を浮かべ涙を目に滲ませながら、「お母さんゴメン」と最後に呟き俺の問いにうなずいた。

 俺は彼女に対して何を要求しても合意の上という約束をゲットしたのである。これで警察も怖くない。怖いのはアグネスちゃんだけだこん畜生め。

「とりあえず候補がいっぱいあるから、今日と明日じっくり考えるよ」

 舌なめずりしながら葵ちゃんに言う。

 百八を軽く超える妄想の内なかなか一つ決められなかったので、とりあえず保留ということにした。

「それとさ、一つ謝っとくよ。葵ちゃんを生徒会長にできなくてごめん。それともう一つ今度はお礼だけどありがとう、今回のことはさ、面倒でつらかったけど楽しかったよ。これからもいろいろよろしく」

「当然でしょ、私も生徒会として活動するからね。一緒にがんばりましょう生徒会長様」

 その一言で俺は忘れていたことを思い出した。もしかして……、俺ってこれからも生徒会長として面倒くさい出来事をドンドンこなさないといけないのだろうか。

「はは、頭が重たくなってきた……」

「どうしたの、傷が痛むの?」

 首を振って否定する。けれどピンクの妄想は現実というもっとも見たくない二文字を直視させられることで中断をせざるを得なかった。

 とりあえず今日はもう帰ろう。よーく考えないとやばい方向に出来事が転がってしまう。ここの選択肢を間違えたら、バッドエンドに直行だ。



 そんなこんなで月曜日になった。怪我の経過も順調だったし、俺の願い事についても良く考えてみた。これからの学園生活についてもだ。

 一度は払いのけた妥協と堕落という悪友達と仲直りしながら真剣に考えてはみたが、結局たった一つの冴えたやり方は見つからなかった。

 そして、現在俺は新生徒会長として、生徒会長任命式で最初の挨拶をするため、現在壇上に上がっている。

 全校生徒が俺の方を見つめている。まったくもって嫌なものだ。人に注目されるのはどうも好きになれない。

「えー、皆さん、このたび生徒会長に任命された神乃天下です。えー、私は、会長戦の三日前まで学園最底辺の序列だったため皆さんの記憶には薄い人間だったと思います」

 一応文は考えておいたのだが、どうも緊張してしまってうまく話せない。俺は隣に控えていた葵ちゃんの方を見る。彼女はなれているようで堂々と背筋を伸ばして立っていた。

「今回会長戦で勝てたのも、今回の形式がタッグ制だったことと、パートナーを組んでくれた天上葵さんのおかげだったと思います。そして、今回パートナーを組んでくださった天上さんには生徒会長決定戦挙の規定通り生徒会副会長を務めてもらおうと思っています」

 多くの生徒は壇上に葵ちゃんが控えていたことから予想はできていたみたいで、驚いているものはほとんどいない。けれど、これからの俺の発言には全員が口をあんぐりと空けて驚くだろう。

「ですので、今回の成績は自分の力とは思えないため、生徒会長の権限と勤務を全て副会長に譲渡したいと思います。いつか自分自身に自信と力がついたときに生徒会長として皆さんの役に立ちたいと思います。それまでは、副会長及び会長代理として天上葵さんがいろいろと仕事をするので、天上さんに皆さんいろいろ頼ってください。では続いては天上さんのお話です」

 そう言って俺は、生徒会長として面倒臭そうな仕事を葵ちゃんに押し付けた。案の定生徒はみんな驚いている。でも一番驚いているのは葵ちゃんだ。

「ちょ、ちょっと待ってよ天下くん。聞いてないよ!?」

 言ってないもん当然だ。

「これが、俺の葵ちゃんに対するお願いだよ。何でも言うこと聞いてくれるんだろ。だったらせいぜいがんばって生徒会のお仕事やってくれ。じゃあ後は任せた!」

 驚き慌てている彼女をほっといて俺は式を堂々と抜け出した。序列一位の俺を注意する先生はいない。もとより、この式自体序列上位者なら別に参加しなくてもなにも言われないのだから。唯一、壇上に残されていた葵ちゃんが「い、いきなり全部私にまるなげしないでよ、ていうか戻ってきてよー!」と叫んでいたが今回ばっかりは無視さしてもらおう。

 そして、ポケットの中からドロっとキャンディーを取り出し、口へ放り込むと俺は屋上へと向かった。


 屋上へ上るとすでに先客がいた。女子生徒の制服を着た、小柄でかわいらしい女の子だった。

 この時間に抜け出しているってことは、序列上位なのだろうか? でも俺の記憶には上位にこんなかわいらしい子がいた記憶がないぞ。

「やっぱり抜け出してここに来たね」

 見ず知らずの女の子は俺を知っているのか、友人のような口調で俺に話しかけてくる。

 あれ、この声どこかで聞いたような……。

「どうしたの?」

 なんの反応も返さない俺に目の前の女の子は心配したかのように声をかけてくる。

 おかしい。もし、俺の知り合いならこんなかわいい子を忘れているはずがない。目の前の女の子は俺の好みのなかの好み。ストライクかボールでいえば真ん中高めのホームランボールだ。絶好球だ。

「えーと、ごめん。誰だっけ?」

 俺は頭をフル回転させながら、記憶をたどりつつ、目の前の女の子の名前を聞いた。もし、知り合いなら名前を忘れているという好感度最悪なところから始まるが、まあいいだろう。とりあえず、目の前の子とおしゃべりがしたかった。


「何言ってるんだよ。神楽だよ、神楽。弐宮神楽だよ」

 怒った様子で女の子が俺に言う。俺はしばらくフリーズした。

「ははは、馬鹿言うなよ。俺の幼馴染がこんなにかわいいわけがない」

「だから、本物だよ」

「嫌だ、信じたくない。こんなかわいい女の子が、男の娘だなんて信じたくない。俺は俺の幼馴染しか知らないことを言わないとお前を男だと信じないぞ」

 半ば暴走気味に俺は言う。

「じゃあ、周りに誰もいないから言うけど、天ちゃんは幼稚園のときに僕をお嫁さんにしてくれるって言ったよね」

「ゲハッ!」

 俺が目を背けたい過去を堂々と本人に言うなよ。傷が開いて吐血しただろうが。

 それは、悲しい話だった。いつも一緒に遊ぶ幼馴染、一緒に剣を学ぶ幼なじみ、そいつのいつも笑っている顔に俺は恋をした。初恋だった。幼馴染の小学校入学前日、俺は告白した。返事は返ってこなかった。次の日、小学校に登校したとき幼馴染は男として俺と接することになったのだ。

 初恋は実らないとよく言うけれど、俺の場合はタネをまく代わりに花弁をまいていたようなものだ。実るわけがない、芽が出るわけが無い、というより実らなくてよかった。

「実ってたら禁断の果実だね」

「それはただの腐ったリンゴだ」

 どうやら、目の前の女の子は俺の幼馴染らしい。俺は同一人物に、二回失恋を経験した。

「どうして、お前がそんな格好してるんだ」

 気を取り直して俺が尋ねると、少し怒りながら神楽が答える。

「天ちゃんが女装して来いって言ったんじゃないか!」

「あっ!」

 思い出した。そういえば言ったねそんなこと。

「じゃあ、どうしてこんな場所にいるんだ?」

「天ちゃんが生徒会長として、式に最後まで参加するとは思えないから」

 どうやら、神楽は俺が式の途中で抜け出してくることを予想していたらしい。さすがは幼馴染だね。

「なんだよ、神楽。お前俺の晴れ舞台見てなかったのかよ」

「見てないけど想像がつくよ。どうせ天上さんに生徒会長譲ってきたんでしょ」

 さすがだな神楽。お前俺より俺のことわかってんじゃね。昨日一日悩んで答えを出していたのに。

「残念ちょっと違う。一応、肩書きだけは俺が生徒会長だもんね」

 神楽の答えは正解と言ってもよかったけど、少し癪だったので訂正してやった。

 すると神楽は少し顔をひねらせた。

「おかしいな? 面倒なことからはできるだけ距離をとるのが天ちゃんの行動パターンなのに。肩書きだけでも生徒会長だときっと面倒ごとに巻き込まれるのわかってるでしょ」

「面倒でもちょっとやらないといけないことがあるんだよ。会長戦で協力してくれた連中への部費の割り増しとかな。あれは葵ちゃんにだけ任すわけにはいかないからな」

 少々俺から無理を言わないと、部費の割り増しなんて許さないだろうからな葵ちゃんは。

「ふーん。それはきっと嘘だね。正直なところ、天ちゃんは天上さんと一緒にいたいだけでしょ」

「ばっ、馬鹿、ちげーよ。それにもし俺が葵ちゃんのことが好きだったら自由に使えた命令権で十八禁の展開迎えてるよ!」

「よくいうよ。好きなものほど怖がって触れないタイプなのに」

「おい、まてよ神楽。お前俺のこと馬鹿にしたな! 残念だが、俺は葵ちゃんの胸に顔をうずめているぞ」

「じゃあ、天上さんのこと好きなのは認めるんだ」

「い、いや、……それは、また、別の話であって」

「ははは、まあいいや。天ちゃんが元気そうで、そして、変ってなさそうでよかったよ。じゃあね天ちゃん」

 そう言って手を振りながらスカートを翻し神楽は一足お先に階段を下りていった。

 全く、どうして俺のことを良く理解している幼馴染が女じゃないのだろう。女ならあいつほどいいパートナーはいないのにな。



 空を見上げて飴を舐めながら考える。

 今回の出来事で俺が得たものなんて、面倒事でしかなかった。でもそれでよかった。努力はきっと無駄ではないと思えたから。最後までがんばった自分をほめてやれればそれでいいと思えるようになったから。

 あっ、忘れてた。そういや大事なことがもう一つあったんだ。

「お疲れさま、自分。最後まで良くがんばったな」

 自分自身をほめた言葉は空へと消える。

 自分以外の誰にも届かない自己満足の言葉。

 俺はその言葉に満足しながら屋上で昼寝をした。



 目が覚めるとちょうど夕日が西の山にかかり始めていた。グランドと武道館では共に部活動に精を出す生徒の声が聞こえた。

「はぁぁ、良く寝た」

「ホントにね。まさか放課後まで寝続けるとはね」

 起き上がると目の前に葵ちゃんがいた。いつもの通りの笑顔では……なく、若干怒り気味の表情で。

「いやー、いつからそこにいたんですか?」

「昼休みぐらいに見つけて、起きるまでずっと待ってたよ」

「そんな、待っててくれなくてもよかったのに」

「別に天下くんが起きるのを待つ必要はないし、生徒会の引継ぎの作業とかもあったんだけどね。突然生徒会長の仕事を私に押し付けて、自分はのんきに屋上で昼寝をしている生徒会長様に文句が言いたくてね」

 話をしている内に収まりかけていた怒りが再び燃え始めたのか、段々声に力が篭ってきていた。

「誠にけしからん奴ですな、誰ですかそいつは!?」

「天下くんだよ!」

「ふぎゅー」

 突っ込みのパンチが怪我をしている脇腹へと入った。

 マジで死んじゃう五秒前。

 傷口を突かれて苦しんでいる俺の手を葵ちゃんが捕まえる。

「ありがとう葵ちゃん、そのまま保健室まで連れてってください」

「何言ってるの? これから、天下くんは私と生徒会の引継ぎの仕事をやらないといけないんだよ」

「えっ、だって俺生徒会長の仕事全部葵ちゃんに任せたはずじゃ?」

「だけど、あなたは生徒会でしょ。なら生徒会長代理の命令をちゃんと聞いてもらわないと困るよ」

「めんどくせー、嫌だよー!」

 俺は嘆きながら、階段を引きずられながら下りる。何も見るところがないので葵ちゃんの顔を見ていてそしてふと気付く。

「あれ? 葵ちゃんって口紅なんてつけてたっけ?」

 ほとんどナチュラルに近い色の口紅だったが確かに口に何かを塗っていた。

「ちょっと唇が荒れてたからリップクリーム代わりに塗っただけだよ。さあ仕事するよ」

 そう言って、何故か顔を赤くした葵ちゃんが、より強い力で俺を生徒会室まで引きずって行った



「ただいま」

 家に帰るともう真夜中だった。九時を過ぎたくらいで腹が減ったといい続けてようやく解放されたのだった。

「お帰り天くん。……なんか疲れてるね」

 玄関でねーちゃんが出迎えてくれた、ねーちゃんももう仕事は終って帰っていたらしい。

「いろいろ面倒な仕事が立て続けに起こってね、やんなるよ」

「そうなの? でも素敵な『お礼』はされたんじゃない」

 何故か俺の顔を見て笑いながら、ねーちゃんが言う。

「はぁ、どういう意味?」

「だってほっぺにキスマークついてるよ」

 本日の俺の記憶の中に、俺のほっぺにキスしたやつは思い浮かばない。でも口紅をしていた女子は一人だけ思い浮かんだ。

 全く、俺が寝ているうちにするなら、後を残すなよ。それとも、後を残すためにわざと口紅をしていたのかな? ありえるな結構俺に負けず劣らず卑怯な手段を利用するからな。

 なにはともあれ、俺はこれからも葵ちゃんの頼まれごとを聞かなくちゃならないのだろう。面倒なことにもドンドン巻き込まれていくのだろう。

 でもまあいいじゃないか、最高の『お礼』ももらえたことだし。これからももらえる可能性はゼロじゃない。

「にひひひ」

「いやらしそうに笑わないの。さっさと手を洗ってご飯食べよう」

「了解!」

 ねーちゃんに笑われながら、俺は手を洗いに行った。


読んでいただきありがとう御座いました。


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